獲星を墜とす

 ここが正念場だ。このラグナ狩りの成否は、どれだけ大王烏賊アルスクイドか、ただその一点にかかっている。克己獲星カツオノエボシは、それ単体の能力では、大王烏賊アルスクイドよりも確実に劣るらしい。一対一の勝負でさえあれば、大王烏賊アルスクイドは絶対に負けない。


 だが、克己獲星カツオノエボシの強さは、その眷属の多さにある。大王烏賊アルスクイド克己獲星カツオノエボシも、そしてその眷属も、互いの相性は最悪で、その勝負は、どう足搔いても泥仕合になる。見たところ、大王烏賊アルスクイドが扱える、広域に作用する概念場干渉は、あの大渦潮おおうずしおと、他に有り得たとしても、それに準ずるものしかないようだ。ゆえに、眷属を大王烏賊アルスクイドの方が劣勢であり、そのままでは克己獲星カツオノエボシに対しては勝ち目がなかったのだろう。


(……うおぉい!? なんで来たんやトレイシー! 克己獲星カツオノエボシに狙われたら、その瞬間に死ぬつったやんけ! お前がわからんとは言わさんぞ!? わてのことはええから、安全なとこから援護しといてくれって!)


 おれの接近に気付いたクラゲンさんの、焦りに満ちた怒声が聞こえる。実際、独断専行もいいところなので、気持ちはわかる。命令を無視して先駆けなど、自殺行為でしかない。おれだったら、確実に見捨てる。したいなら、止められんからな。無理に助けようとして、いたずらに犠牲を増やす理由もない。


(でも、このままじゃ厳しいだろ? だから、ちょっと危険かもしれないけど、大王烏賊アルスクイドを狙ってる、強い眷属も引き剥がしておこうと思ってさ)


 全部とはいかなくても、少し減るだけですら、だいぶ戦況は変わるだろう。危険をおかしてでも、やるだけの価値がある。間違いなくな。おれにはわかるんだ。


(それはそうかも知らんが、いくらどうでもええ存在やうたかて、こんな近くで露骨に引っがすんは、流石にバレるがな! お前が死ぬんは、わてが困んねん! こっちのほうはわてだけで意地でも何とかするから! 頼むから、大人しゅう引っ込んどいてくれ!)

(わかってるよ、そんなの。大丈夫、おれは死なないさ。生と死の狭間はざまで踊るのは、おれは得意なんだ。……なあんて。そんな言葉で納得するわけないよね。でもまあ、本気のおれがやつなんて、いないよ。だから、絶対にバレない。……実演するから、忙しいところ悪いけど、ちょっとだけ。クラゲンさんは、こっちを注視しててね)


 元々見られてはいたので、その返答も聞かず、おれは忘失の虚ろホロウに消えた。

 『忘失潜降ロストダイブ』。誰もが――本人ですらもそのそんざいを忘れ、そもそもものを、感覚知覚ふつうのしゅだんで観測できるやつはいない。存在の何もかもが曖昧あいまいなまま、クラゲンさんのもとまで辿り着き、虚空装置ホロウデバイスから、おれのそんざい再度ふたたび世界にも観測され始めたことで、認知の隙間から、目の前に突如おれが現れたのを見て、クラゲンさんは驚愕きょうがくしている。その表情かおは、なかなか珍しい気がするな。


(……はぁ!? なんや、それ!? わけわからんぞ! 今、どこにった!?)

溢命陸ホロウェンバークスごうだよ。強いて言うなら、のさ。……こんなことばっかりやってたから、溢命陸の連中おれたちの存在は曖昧になっちゃったんだよね。まあ、忘失潜降これは、存在が曖昧だからこそ、できる芸当でもあるんだけどさ。……なんにせよ、これを使いながら、克己獲星カツオノエボシにだけはバレないようにして、眷属を引き剥がす。最悪バレても、一瞬だけなら耐えられるから安心して)


 とは言っても、バレた場合は、もう戦闘復帰は無理だが。自己犠牲など、するつもりはない。

 残念だが、おれにとっては、大王烏賊アルスクイドよりも、おれの命のほうが大事だからな。無論、そうならないで済むように、頑張りはするとも。


(……正直、バチクソ不安やが! 算段があるんやったら止めはせん! 姉御アネゴの星読みも、最初ハナからここまで織り込み済みなんかもしれんしな! わてはもう知らん! 勝手にせえけんとうをいのる!)

(はいよ。ま、期待しててよ)


 全く。そんな投げ槍にならんでもよかろうに。存外ぞんがい、クラゲンさんもまだまだ若いのかもしれんな。おれほどではないにしても、そこそこ長く生きているだろうに、落ち着きが足らん。


----


 何度かの引き狩りの後、これが最後と引き剥がした、最強級の眷属を引き連れながら、ナズナを探す。こいつは流石に、おれだけで倒し切るのはキツい。

 絶対に無理、なんてことはないと思うにしても、球人ボルトは、あくまでも弱者だ。素直に頼りるものがいるにもかかわらず、独りで不必要なリスクを背負しょい込むなんてのは、おれの趣味ではない。


 しかし、ナズナがな。完全な独力で、それも想像を遥かに上回る早さで、蛸足たこあしどもを迅速に殲滅している。流石は、フェアリエの格を持つ優秀者だ――などと、軽く片付けてしまってもいいものだろうか。

 実のところ、如何いか妖精球人ボルテイアの加護が絶大なもので、人間ヒュマノ心核しんかくが、球人ボルト心核それとは比較にならないほどに、多量の意志の力ウィルを保持できるとはいっても。いくらなんでも、限度があると思うんだが。

 ……何か、嫌な予感がする。この違和感の正体は、なんだ?


 ――『白刃幻わたし』は、あなたの翼――


 ……白刃しろばか! 白刃アレは、使い方を誤るとまずい。

 生命ライフ意志ウィルの境界を曖昧にする白刃アレは、命すら削って、存在の限界まで意志の力ウィルを使えるようにしてしまう。生命種として生命ライフ意志の力ウィルも乏しい球人ボルトにとっては、下手をすればようなものなのだ。……ナズナがそれを正しく理解しているとは、全く楽観できない。


(兄さん! 超緊急の連絡です! 放っとくとナズナが死ぬかもしれないから、見かけたら全力で保護して、回復薬とやらを使ってあげて! 以上、連絡終わり!)


 悠長に説明したり、返事を聞いたりしている暇はない。アレなら、危機感だけでも十分動けるだろう。

 盲点だった。危ないときは呼べと言ったが、なら、呼ばれるはずがない。球人ボルトは、本当に些末さまつなことですら呆気あっけなく死ぬが、人間ヒュマノは普通、のか。

 ……せめて、後少し早く気付けていれば、こちらに呼び出して、確実に対処もできただろうが……今はもう、あまりにも状況が悪い。


 ならば、頼れるものはない。覚悟を決めよう。――こいつは、おれが仕留める。

 きびすを返し、一呼吸。いざ挑みかかろう……という直前に、後ろから声をかけられた。


「独りで挑むつもりか、トレイシー殿。それがしも手を貸そう」

「番長さん!? ……いや、でも! こいつは別格だ! 危ないよ! 退避してて!」


 『寡黙番長』ヴァン・ダナン。等級は煌金アルカナと言ったか。

 番長の実力では、こいつの相手をするのは、あまりにも危険過ぎる。きっと、それは番長だってわかっているはずだ。


 ……だが。番長は、一歩も退かなかった。は、重々承知の上で。それでもなお、おれの前に進み出た。

 並大抵の覚悟ではない。それは決して、わきまえぬ蛮勇などではなく。


「危険なのは、貴殿きでんとて変わるまい。仲間を見捨てて生き延びるなど、盾役の名折れ。盾役とは、最初にたおれるもの――そして、だ」


 その強い意志けついに呼応して、番長の持つ、あわい金色の大剣が、にぶい光を放つ。


「番長……! カッコイイ!」


 いや、冗談抜きで。本当に格好良いな、この御仁ごじん

 人間ヒュマノって、凄い。


----


 隊長トレイシーの言うとおり、目につく強い蛸足の大半を、しっかりと始末した。

 でも、さすがに、ちょっとつかれちゃった。体はまだ、どこまでも軽いけど。もう、あんまり動けないや。

 ずいぶんと、浅くなってしまった息をととのえて。……すこしだけ、ひとやすみ。


 遠くのほうで、ひときわ大きな蛸足と。戦っている隊長トレイシーと、ヴァンさんの姿が見える。わたしも、加勢に行かなくちゃ。……行かないといけないのは、わかってるのに。

 ……わたし、もう、十分がんばったよね。ごめん。そっちには行けないや。きっと、ふたりなら、なんとかなるよ。


 ……視界のはしに、ちょろちょろと動く蛸足が見える。脅威度、とても低い。

 こんなのが残っていたって、もう、関係ないよね。みんな、こんな弱っちいのには負けないよ。もちろん、クラゲンさんも。

 その弱い蛸足が、その身を振りかぶって。わたしを打ち付けようとしているのが、見える。

 ……でも、なんだか。もう、よける気にもならない。わたしの役目は、もうおわった。わたしがここでおわったって、だれも困らない。

 妙にゆっくり見える、そのさまをぼんやりとながめながら、目を閉じていく。


 ……ああ、思えば。死ぬのって、ひさしぶりだな――


「させるかあぁァァッ!」


 うるさく、さけびながら。あいだに飛び込んできたザックが、わたしをかばう。わたしのかわりに、ザックの背が、したたかに打ち付けられた。……痛そう。


 ……ねぇ、自分の持ち場は、どうしたの?


「がはッ!」

「……ザック? どうして……?」

「くッ……何をほうけてるんすか、ねえさん! まだ掃討戦は終わったわけじゃねえすよ!?」


 頭を振り、わたしをかばいながら、蛸足にたちむかう。むかし、わたしがザックにあげた、とくになまえもない、おさがりの蒼銀アズリル短剣ダガーをかまえて。

 短剣ダガーの一突きで、蛸足は、あっけなくたおれた。やっぱり、ちょっとたよりないザックでも、かんたんにやれるほど、弱いやつだったね。


「わたしの役目は、おわったよ? もう、わたしがいなくても、おなじじゃない?」

「何を馬鹿なこと言ってるんすか! まだ、出来ることだって残ってるでしょうが! ほら、さっさとこれ飲んで!」


 ……それ、回復薬じゃん。傷のひとつもついてない、わたしに使うものじゃないよ?

 どうせ使うなら、ザックに使う方が、まだいいんじゃないかな。どちらにせよ、もったいない。


 ……ねえ、ちょっと。……抵抗する気力もないからって、無理やり飲ませないで。

 わかった、わかったよ。自分で飲むから、ちょっと待ってってば。……もう。


「……はっ!?」


 朧気おぼろげに、半ば夢現ゆめうつつに溶けていた体の感覚が、急速に戻ってくるのを感じる。体が芯まで冷え切っていたことに、やっと気付いた。わたし、さっきまで、何してた?


「正気に戻りましたか? ふぅ……。……って、皆から散々言われてたのに! 何すか! その体たらくは! マジで動けなくなるまで、体力を使い切らんでください!」

「いや、別にそこまでじゃ……。大げさだなぁ、見習いは」


 体に熱が戻り、だんだんと、いつもの調子に戻ってくる。もう普段通りくらいには動けるね。

 さすがに、さっきみたいに縦横無尽に飛び回れる感じはしないけど。……あれ、気持ちよかったなぁ。また今度、外でもやってみたい。


「あんたでしょうがッ! 反論するんなら、せめてちょっとくらいは抵抗してから反論してください!」


 ……確かに。否定できる要素、なかったね。

 もしかして、トレイシーが言ってた「生き残る意志」って、それのことかな。そんな気がする。確かにそれは、わたしには欠けてる。大事さの方はまだわからないけど。


「……ごめん。返す言葉もないや」

「全く……。本当に気を付けてくださいよ。……もう勝てそうって時に、しょーもない事故ミスで死んだら、つまらんでしょうが」


 それはそう。……結局、無事に帰るだけのために、回復薬、使っちゃったね。もったいない。

 どうせ使うにしても、戦闘中に消耗した分を回復したほうが有効だったな。反省しよ。


 ……でも、ちょっと待って。わたし、なんでの?

 『生命の水薬ライフポーション』――俗に言う回復薬って、あくまでも生命力ライフを補充する水薬すいやくだよね? 魔力マナの補充は、もっと希少な『魔力の丹薬マナセル』とかじゃないと、できないはずなんだけど。

 戦闘中、知らないうちに傷を負ってたとか? それにしては、痛みも何もなかったしなぁ。

 ……そういえば、戦っているうちに、ただ感覚があったような……?


 改めて思い出すと、なんだか底知れない寒気を感じる。……一旦は、深く考えるのはやめた。

 また今度、落ち着いた後で、トレイシーにでも聞いてみよう。たぶん、なんか知ってると思う。



「ククッ……! ハァーッハッハッハァッ! ……ケッ! ザマあ見やがれタコォ! 手前てめえの足ィ! わてらが全部ぜェェんぶ食ったったわい! たいへん美味おいしゅうございましたァ! 御馳走ごっそさん! おおきになァ!」


 突然、大王烏賊アルスクイドの凶悪な大笑たいしょうが、龍宮に響き渡った。

 その言葉の通り、もう蛸足は残ってないみたいだ。


「ぬうウゥッ! 小癪こしゃくなアルスクイドッ! ……まだやッ! まだ終わっとらへんぞォ! 眷属なんぞらんくてもなァッ! ワシは……ワシはァッ! 今日こそおんどれ命渦めいかの――」

命渦めいかの混沌にとしたるッてかァ!? そのセリフ、なァ! おんなじことしかわれへんねやったら、もうええよ!? 面白オモんないから……さっさと! 黙ってェ! くたばれァッ!」

「ァがあアァァッ!」


 大王烏賊アルスクイドが、克己獲星カツオノエボシの腕を、力任せに全部もぎ取った。あたりに飛び散った、くらあかい血の海の中で、引き千切られた腕がびちびち、ぴくぴくと跳ねて、すごくグロテスク。

 ……これでもう、勝負はついたね。


「アァ……アアァ……! アルスクイド……! なんでや……なんでなんや……! ワシらは元々、獲星かくせいの同士やったやんけ……!」

「なんやタコ。このおよんで命乞い? あきらめえ。もうわてがどうこうせんだって、手前てめえ命渦めいかかえるんは、っくに確定しとるわい。ほんじゃ、ばいばぁい」

ちゃうわい……! 命渦めいかへの土産みやげに……一つだけ教えんかぁうとるんじゃあッ! ……忌々しい、に負けて、おんどれ夢破ゆめやぶれんのは、勝手にすりゃええ……。……おんどれは……なんでんじゃ……! 万象ばんしょうで最も偉大な、我等ワレら大海たいかいのッ! 大海アルスがッ! ……おか卑小ひしょう人間ヒュマノごときにくみするなんぞ……!」


 克己獲星カツオノエボシの、どこか悲愴ひそうさを感じさせる問いが、大王烏賊アルスクイドに投げかけられる。


 当の大王烏賊アルスクイドは、事も無げに言い放った。


「あぁ、そんなことかい。んなもん、に決まっとるやんけ。折角せっかく楽しゅう過ごさせてもろてんのに、人間ヒュマノの豊かな生活圏をおかされるんは、わても困んねん。残念なアタマのアホなタコさんは、そんな簡単あたりまえなことすら、死ぬまでわからんかったみたいやな? ……ああ、いや、死んでもわからんかったねんな? ご愁傷さん。こら来世に御期待ですわぁ」

「……おう……死んでも……わかる、もんかよ……。人間ヒュマノ、如きに――何の、役にも……立ちゃあせん……塵芥ゴミクズどもに、じって、ながらえて……。……そんな無様ブザマな、生き方の……いったい、何が楽しいっちゅうんじゃい……」


 克己獲星カツオノエボシの、憎々しげな怨嗟えんさつぶやきを、大王烏賊アルスクイドは一笑に付した。


「ハッ、笑わせよるわ。手前てめえの敗因は、手前てめえが散々見下しよる、人間ヒュマノの御一行様やっちゅうのにな? 無様ブザマはどっちじゃい。……現実をなんも見んで、ありもせん理想ゆめを追いかけんのは、もうしまい。命渦めいかで達者に暮らせよ、オクタヴィオ。……もしかしたら、そっちにゃ手前てめえが掴める星もあるんかもな?」


 あの、大王烏賊アルスクイドさん。その言葉、わたしにもちょっと刺さるんですけど。ちくちく言葉、やめてください。

 ……あるもん。わたしが求める理想は、浪漫は、ちゃんと、あるもん。


(……いや、そういうことやなくてな……? 言いたいことはわかったから、ナズナちゃんはちょっと黙っとき)


 はい。浪漫はあります。……現実は……あんま見てないです、はい。

 ……すみませんでした。


「……言いたい、ことは……それだけか……。……ドアホの、クラウ……ケン……。……ワシが、克己こっき獲星かくせいで、ある限り……ワシ、は……何度だって……遊興世界ほしを……つか……む……」


 ……やっと、息絶えたみたい。

 タコさんに、黙祷もくとう

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る