第5話

影の森の奥、冷たい風が木々の間を抜け、血と土にまみれた小さな足跡が途切れる場所で、リリィは倒れていた。銀髪は乱れ、血に染まった服が彼女の小さな体にまとわりつき、紫の瞳は虚ろに空を見上げていた。山賊団を壊滅させた後、彼女はただ歩き続けていたが、空腹と疲労が限界を超え、ついに力尽きた。手から落ちたナイフが地面に転がり、彼女の意識は闇に沈んでいた。

その時、森の小道に三人の足音が響いた。魔王を倒す旅の途中で、村を襲った盗賊団の討伐依頼を受けた勇者一行だ。リーダーの勇者レオンは、鋭い目つきと落ち着いた佇まいの青年。隣には、巨躯の戦士ガルドが大剣を肩に担ぎ、穏やかな笑みを浮かべるヒーラーのミリアが杖を手に歩いていた。彼らは盗賊団の隠れ家へ向かっていたが、道端に倒れた少女を見つけた。


「何だ、この子?」

ガルドが驚きの声を上げ、レオンが素早くリリィに近づいた。血に染まった姿を見て、彼は眉を寄せる。

「生きてる…だが、この血は?」

ミリアが急いで駆け寄り、リリィの脈を確認した。

「まだ息があるわ。怪我は少ないみたい。疲労で倒れたのかも。」

三人は顔を見合わせた。森の奥で血まみれの少女が倒れている状況に、ただ事ではない気配を感じた。

ミリアが癒しの魔法をかけると、リリィの目がゆっくり開いた。紫の瞳が三人を見上げ、無感情に呟く。

「…誰?」

その声は小さく、感情が欠けていた。レオンが慎重に尋ねた。

「名前は? ここで何があった?」

リリィはしばらく黙り、やがて静かに答えた。「リリィ。村を焼いた盗賊を…殺した。」

その言葉に、三人は息を呑んだ。ガルドが目を丸くして呟く。

「あの盗賊団を? 一人で?」

リリィは小さく頷き、何事もなかったように立ち上がった。

レオンはリリィの瞳を見つめ、違和感を覚えた。彼女の言葉には感情がなく、血に染まった姿にも動揺がない。

「お前、普通じゃないな」とレオンが言うと、リリィは首を傾げた。

「普通じゃない…かも。」

その素直さが逆に不気味だったが、ミリアが優しく微笑んだ。

「一人じゃ危ないわ。私たちと一緒に来なさい。」


ガルドが笑いながら肩を叩く。

「お前、盗賊を片付けてくれたなら助かったぜ。俺たちの仕事が減ったな!」

レオンは渋々頷き、リリィを同行させることにした。彼女の異常性に警戒しつつも、見捨てるわけにはいかなかった。

一行は森を抜ける旅を再開した。リリィは黙って後ろをついて歩き、紫の瞳で周囲を見回した。道中、ガルドが好奇心から尋ねた。「なあ、リリィ。あの盗賊団、どうやって倒したんだ?」リリィは淡々と答えた。

「ナイフで。喉や腹を刺した。動かなくなった。」その平然とした口調に、ガルドが言葉を失い、レオンが鋭く睨んだ。

「それで何も感じないのか?」

リリィは少し考えてから言った。

「怒りはあった。おじいちゃんとおばあちゃんを殺したから。でも…悲しいとか怖いとかはわからない。」

その答えに、三人は沈黙した。ミリアが小さく呟く。

「感情が…薄いのかしら。」

レオンはリリィを観察しながら考えた。彼女の強さは異常だが、心が壊れているわけではない。ただ、何かが欠けている。ガルドが気を取り直して笑った。

「まあ、強いのは確かだ。魔王と戦うのに役立つかもな!」

レオンは「様子を見る」と決め、旅を続けた。リリィの異常性に不安を感じつつも、彼女の力は一行にとって有用だった。

夜、野営を張ると、ミリアがリリィにスープを渡した。

「飲んで。体が温まるわ。」

リリィは無言で受け取り、静かに飲み始めた。焚き火のそばで、ガルドが再び尋ねた。

「リリィ、お前、なんでそんな強いの?」

リリィはスープを飲みながら答えた。

「わからない。昔から…こうだった。おじいちゃんとおばあちゃんを守りたかったから、戦った。」

ミリアが優しく言う。

「守りたかったのね。でも、今は?」

リリィは焚き火を見つめ、呟いた。

「強く、優しく生きなさいって言われた。優しくがわからないから…強くしてる。」

その言葉に、ミリアは悲しげに目を伏せ、レオンは複雑な表情を浮かべた。

翌日、一行は森を抜け、魔物が徘徊する荒野へ出た。突然、狼のような魔物が群れで襲いかかってきた。ガルドが大剣を振るい、レオンが剣で応戦する中、リリィは無感情に動いた。ナイフを手に魔物を次々と斬り、血が飛び散っても表情は変わらない。瞬く間に魔物は全滅し、ガルドが感心して言う。「お前、すげえな!」ミリアは血に染まったリリィを見て心配そうに呟いた。「平気なの?」リリィは頷き、「慣れてる」とだけ答えた。レオンは彼女の冷徹さに改めて警戒心を強めたが、その力に頼らざるを得なかった。

旅を進める中、リリィは一行に少しずつ馴染んでいった。ミリアは彼女に優しく接し、ガルドは豪快に笑いながら戦友として認めた。レオンだけは、彼女の無感情な瞳に潜む何かを見逃さなかった。ある夜、彼はリリィに問う。「お前、なぜ戦う? 盗賊はもういないだろ?」リリィは焚き火を見つめ、静かに答えた。

「おじいちゃんとおばあちゃんのため。強く生きるのが…正しいことだと思うから。」

レオンは言葉に詰まりつつも、彼女の純粋さに何かを感じた。

数日後、一行は荒野を抜け、次の町に辿り着いた。石畳の道と木造の家々が並ぶ小さな町だ。レオンが宿屋に向かいながら言う。

「ここで休む。情報も集めよう。」ガルドが笑って肩を叩く。

「リリィ、町じゃ少しは楽しめよ!」

ミリアが微笑み

「服も洗ってあげたいわ」と提案した。リリィは紫の瞳で町を見回し、小さく頷いた。「…ありがとう。」その言葉に感情はほとんどなかったが、ミリアは嬉しそうに笑った。

宿屋に落ち着くと、レオンはリリィを呼び、改めて問う。

「お前、これからどうする気だ?」

リリィは少し考えて答えた。

「わからない。でも…おじいちゃんとおばあちゃんが、優しく生きなさいって。優しくがわからないから、皆と一緒にいたい。」

レオンは彼女の無垢な言葉にため息をつきつつ、頷いた。

「なら、しばらく俺たちと来い。魔王を倒す旅だ。お前の力が必要だ。」

リリィは静かに微笑み、「わかった」と答えた。

町に着いた一行は、リリィの異常性に戸惑いながらも、彼女を受け入れ始めていた。彼女の旅はまだ始まったばかりで、魔王を倒す先に何があるのか、誰も知らない。だが、リリィの小さな手には、血と涙を超えた新たな目的が芽生えていた。強く、そして少しずつ優しく生きる道を、彼女は探し始めていた。

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