接待野球

あべせい

接待野球



「アウト!」

「エッ、アウト?! 君は、どこに目ェ、つけてるンだ!」

「アウト、アウト、アウトォー!」

「何いってンだ。おれの足のほうが早かったじゃないか。これのどこがアウトなンだ!」

「わたしがアウトといったら、アウトなンよ。文句あるの! アウトォーッ!」

「ファーストがボールをグラブで受けるとき、ドスンって音がするじゃないか。その音より、おれがベースを踏んだときの音のほうが早かった。わかるだろうが」

「音!? バカね! 野球の審判は音でするんじゃないの。このかわいい2つの目ン玉でやるンよ。第一、選手が審判に抗議できると思ってンの。百年はやいわよ。抗議できるのは、監督だけ。この、すっとこどっこい!」

「監督! なんとか、言ってやってください。この審判ミスに」

「審判メス!?」

「審判ミス、ってンだ」

「メスといったわね。暴言により、退場、退場、タイジョーォー!」

「メスじゃない、ミスといったンだ。しかし、メスのどこが暴言なんだ。女はみんなメスだろうが」

「人間に対してメスとはなんですか。タイジョウーッ!」

「待て、その退場にも問題がある。ここは東京ドームじゃない。荒川の河川敷で草野球やってンだ。退場とは何事だ」

「あなたね。草野球だろうと、プロ野球だろうと、審判のやり方に大きな違いはないンよ」

「わかった。監督を呼んでくる。監督ゥー! どこにいるンだ……! 考えてみると、おれが監督だった。なりたてで、忘れていた……。君、おれが監督だ! 監督兼選手、英語でいえばプレイングマネージャーだ。よォく覚えておけ。君はさきほど監督以外に抗議はできないとぬかしたな。監督のおれに向かって、どういうことだ。おれが監督であることを認識していなかった。そうだな」

「ごめんなさい。あなたが監督だなんて知らなかったンですもの」

「知らないでは通用しない。試合前に交換したメンバー表を確認していれば、間違うはずがない。キミ、何年、野球の審判をやってんだ」

「けさ突然。急な話で悪いが、予定していた人が急病で代わってくれないかって電話があって。恩義のある人の頼みだから、断れなくて」

「もう許してあげましょうよ。蟻塚専務」

「一塁手の熊田社長、ご存知だったんですか」

「きょうの塁審は、おたくの穴戸社長の推薦で、急きょ来られたそうです」

「うちの社長の。そういえば、こんな草野球にはふだん滅多に顔を見せない穴戸社長が、きょうは土手のスタンドで観戦している……。そういうことか」

「ですから、早くこの試合は切り上げて2次会に」

「待ってください。熊田社長、早く切り上げてって、どういうことですか。いまは9回表。先攻しているうちのライオン観光が2対1で、おたくのパンダ観光に勝っています。9回裏でパンダ観光が無得点だとライオン観光の勝利。それでいいんですか」

「いいんです。その予定です。これは接待野球でしょう。ご存知なかったんですか?」

「接待野球!? 接待ゴルフや接待麻雀は聞いたことがありますが、接待野球は」

「うちの観光バス会社は、ライオンさんのおかげで成りたっています。ライオンさんがこの秋から野球チームを結成されたということで、私の会社もおつきあいで野球チームをつくり、こうして試合をさせていただいています。しかし、試合結果は決まっています」

「知らなかった」

「監督、いや蟻塚専務は、たいへんな堅物でいらっしゃるから、穴戸社長はお耳に入れなかったンでしょう」

「道理で、きょうはおかしなジャッジが多かった。ピッチャーだからよくわかるが、ボールと思ったのがストライクになったり……。おれが打った2点タイムリーにしても、ファールと判定されても文句がいえないライン際のあたりだった」

「私が打ったタイムリーも、2人目の走者がホームタッチアウトでした。あれがセーフだったら2点目が入って、いまは同点で9回の攻防ということだったんですが、そんなことをしていたら試合が長引いて、穴戸社長のご機嫌も悪くなります」

「この試合はわが社の勝ちか。つまらない。やーめた! 勝ち負けがわかっている試合なんか、やってられるか」

「そんなことをおっしゃらずに」

「熊田社長はよくやっていられますね。確かに、うちの観光バス会社は大手とはいかないまでも業界の中堅どころ。この不景気にもかかわらず右肩上がりで業績を伸ばしている。5月の大型連休や秋の行楽シーズンはもちろんのこと、うちの忙しいときは、パンダ観光さんにその都度応援をお願いして、助けていただいています。しかし、野球と仕事は別でしょうが。野球チームを作り、こうしてみなさんと対外試合をしているのは、親睦と融和のためでしょう」

「いいんです。接待も、親睦と融和の一貫ですから。それに、私どもは試合に負けても、個人賞をいただける楽しみがあります。本塁打1本に1万円、3塁打は5千円、2塁打3千円、単打には2千円が出ます。ほかに盗塁、ファインプレーと賞金は盛りだくさん。すべて、穴戸社長のポケットマネーから出るということで、うちのものはみんな、穴戸社長の太っ腹に感謝しています」

「それは聞いています。きょうの試合だと総額で20万円くらいかな。穴戸はどこでどう工面するのか。まァ、いいか。でもね、熊田社長、これはスポーツですよ。スポーツ精神をなんだと思っているですか。やっぱり放棄です。(ベンチに向かって)オーイ、いまの3塁ゴロは一塁塁審の判定通り、アウト! 本来ならスリーアウトチェンジで、9回の裏に移るが、試合はこの9回表で終了、ただいまをもって試合を放棄する」

「おやめになるんですか」

「なんだ、ミス審判の姉ちゃんか。こうなると、あんたが美人というのも気に入らないな。あんたのような美人がどうして、草野球の審判なんかやっているんだ」

「穴戸社長のご依頼です。わたしは、弁護士ですから、ルールには厳しいンよ」

「そうか、うちの顧問弁護士か。社長が顧問弁護士に、ジジィに換えて、こんど若いのを入れたと言っていたが、あんたのことか。顧問弁護士といえば、いろんな修羅場を経験してきたベテラン弁護士と相場は決まっているが、まァいいか。とにかく、この試合は放棄だ」

「そんなことをおっしゃっても、チームのみなさんは承知しないわよ」

「個人賞か。個人賞なら、9回までの成績で、出せるだろう」

「蟻塚専務、私どもも放棄試合は承服いたしかねます」

「熊田社長、接待なら、ゴルフか麻雀にしてください」

「そうじゃないンです。我々はこの試合に、かけているんです」

「おれもこの試合には情熱と明日をかけている」

「そうじゃなくて、接待ゴルフに賭けゴルフ、接待麻雀に賭け麻雀。ですから……」

「ナニィ!? 野球賭博!」

「大きな声を出さないでください」

「熊田社長はどっちのチームに賭けているんです。まさかッ」

「パンダ観光チーム全員、ランオン観光の勝ちに賭けています」

「うちのチームがライオン観光に賭けるのはわかる。しかし、熊田社長、あんたのチームが、戦っている敵の勝利に賭けるなんて! 許せン」

「でも、わが社の社員は、この賭け試合を楽しみに野球をやっているンです」

「賭け金は一口、いくらだ」

「1口1万円。私は10口奮発しました。他の社員は、少ない社員で3口、多い者で5口……」

「ミス審判、君も賭けているのか」

「少し……」

「弁護士が賭け試合か。世も末だな。じゃ、うちの社員も同じように賭けているんだな。おれだけが、カヤの外だったということか。すると、熊田社長、賭け金の総額は、いくらぐらいになります?」

「うちのパンダ観光で補欠選手やドライバーの分を含めて、ざっと60万円。おたくのライオン観光さんはしめて100万円とうかがっています」

「すると、両チームで総額160万円! バカにできない小金が動いているということですか。わかりました。おれも根っからの朴念仁じゃない。ただいまから評判の堅物から豹変してやる。みんな、試合続行ダ!」

 こうして、ライオン観光とパンダ観光の試合は9回裏に入りました。

 得点はライオン観光が2点、パンダ観光が1点。わずか1点差です。最初の打者は蟻塚専務のコントロールが冴えて空振り三振。2番手の打者はピッチャーゴロでアウト。3番手の打者は、フォアボールで一塁へ。蟻塚専務は納得できません。ストライクゾーンの四隅を丁寧に狙うコントロールが乱れたわけではありません。しかし、あと一人です。

 蟻塚専務は球審が血迷ったのだろうと自分を納得させます。次に迎える打者はこの日パンダ観光唯一の得点を叩き出している4番バッターの熊田社長。蟻塚投手が2ストライク、ノーボールから投じた3球目は、熊田社長のバットにとらえられ、右翼ポール際に舞いあがりました。

 ボールは明らかにポールの外側を飛んでいったように見えます。しかし、もし、ホームランなら、逆転サヨナラ、パンダ観光の逆転勝利です。

 判定するのは線審を兼ねているミス審判の美人弁護士。そのとき、空に向かって高く上げた彼女の右手が、ぐるぐると大きく弧を描きました。

 その途端、両チームの選手が持ち場を離れて一斉にミス審判のもとに殺到、全員が殺気だっています。

「そんなおかしなジャッジはねえ!」

「いい加減な判定をするな!」

「美人だと思って、おれたちをバカにするのか!」

 口々に抗議します。

 しかし、ミス審判はこの事態をまるで予想していたかのように、いたって冷静です。

「みなさ~ん、注意しておきますが、抗議できるのは監督だけです。従わない方は即退場になります」

 選手たちは、

「専務、この塁審になんとか言ってくださいよ」

 助けを求めます。

 ピッチャーマウンドから駆け下りてきた蟻塚専務、

「オイ、塁審! いまのがホームランだってのか。バカにするな。ボールはポールの1メートルも外を飛んで行ったじゃないか。見なかったのか」

「見ていました。いまのは明らかにホームランです。ポールの内側をまいて、荒川の水面に落ちました」

「落ちついて考えろ。おれは打たれて悔しくて言っているんじゃない。いまのがホームランだとすると、試合はパンダ観光の勝ち。社員の賭け金はどうなる。全員がライオン観光に賭けているンだ……待て、待て……おかしい。熊田社長! 賭けは丁半博打もそうだが、丁に賭ける金額と半に賭ける金額が同額にならないと成立しない。ライオン観光とパンダ観光の社員全員が、ライオン観光の勝ちに賭けている。賭けは成立しているのか」

「間違いなく成立しています」

「すると、ライオン観光ではなく、パンダ観光に賭けている人間がいるというのか」

「もちろん、おられます」

「その言葉遣い……」

「専務さん、わたしも10口、パンダ観光に」

「ミス審判! あんた、穴戸のコレだな」

「コレとは何です。失礼な。穴戸社長は弁護士になったばかりの未熟なわたしを、心身両面から援助してくださっているンよ」

「ミス審判が10口で10万円、うちの穴戸が残りの150万円をそっくりいただくということか。すると個人賞の20万円は、ここから出す腹か。太っ腹が聞いて呆れる。どうして、こんなことになるんだ。こんな小細工をしたのは、熊田さん、あんた、だな」

「これは接待野球ですから」

           (了)

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接待野球 あべせい @abesei

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