青春の友二人で現代パロ

小南館 綸子

第1話 獣に似た花の咲き方

 着席、という日直の号令すら半分は夢の中で聞いている。当然、椅子に座れば眠気が襲って来る。無駄な抵抗はやめる。頬杖をついて目を閉じる。仕方ないだろ? 昨日もほとんど寝られないで朝だったんだから……痛っ!

 頬杖を付いた右手に軽い、けど鋭い痛みを感じて一瞬だけ眠気が飛ぶ。何だと思ったら、隣の席の友人がシャープペンの先で突いている。何てことをするんだ、と睨むと唇が大袈裟な動きをする。

(当・た・る・よ)

 まさか、と思っていると教壇から女性教員の声が降って来る。

「狼貴、教科書129ページの6行目から読んで。座ったままでいいから」

 そうか、出席番号か。この国語教師はいつも日付と同じ出席番号の生徒から指名するんだったな。はい、と答えてタブレットの画面に目を落とす。面倒ではあるけど、ややこしい問いに当たるよりは単純でいい。

「夕飯の時Kと私はまた顔を合わせました。何にも知らないKはただ沈んでいただけで、少しも疑い深い眼を私に向けません。何にも知らない奥さんはいつもより嬉しそうでした。私だけが全てを知っていたのです。私は鉛のような飯を食いました……」

 夏目漱石の『こころ』、三学期の国語はずっとこれだ。正直、どの登場人物も好きになれないから面白くない。

「……奥さんは微笑しながらまた私の顔を見るのです」

「そこまで。ありがとね」

 一段落分だけ読めば役目は終わりだ。これで寝られる。前回までのストーリーを解説する教員の声が少しだけ遠くなる。

「では、今読んでもらった段落からこの時の『私』の心情を表す比喩を抜き出して、尊。さっきは狼貴を起こしてくれてありがとう。できるよね?」

「えっ」

 お前、当てられると思ってなかったのか? 日付と同じ出席番号の生徒を当てて、次は隣の生徒ってだいたいいつもこのパターンじゃないか……そう隣の席を見れば、明らかに慌てて電子教科書のページを送っている。

「友達の朗読に聞き惚れていたの? 129ページ見て、6行目からの段落から比喩表現を探してみな?」

 教師に揶揄われて、照れ隠しに笑う。温和な奴だな、とは思うけどこれ以上、教師に何か言われる前にさっさと済ませてほしい。仕方ないので、該当箇所にマーカーで印をつけて画面を見せてやる。

「あ……『鉛のような飯』?」

「正解」

 教師の返答にやっぱりな、と納得する。これで安眠、と思ったのに。

「二人共助け合うのは非常によろしい。でも、授業中は寝ないで、ちゃんと教科書を表示しておいてね。狼貴、寝たらまた当てるから。ちゃんと起きててよ。」

 何て嫌な教師だ。



「さっきはありがとうね」

「別に……起こしてもらったし」

 昼休みの教室は人も疎らだ。4限終了のチャイムが鳴った途端に学食や購買に走って行く生徒が大半で、教室に残るのは弁当持ちくらいだ。

「はい、これ。母さんが持って行けって」

 どん、と机に置かれる弁当箱二つ。三学期が始まってから尊の母さんがずっと自分の分も弁当を作ってくれる。最初のうちは弁当箱を洗って返していたけれど、それも次第に無くなってしまった。食べ終わると「母さんが持って帰って来いって言ったから」と尊が回収してしまうのだ。ありがたい気持ちと申し訳ない気持ちが綯交ぜになっているけれど、強く拒絶するのも悪い気がしていた。

「おばさんにお礼言っておいて」

 うん、という返事がくぐもって聞こえるのは、尊がもう食べ始めているからだ。正直、食べるより寝ていたい。それでも、せっかく作ってもらったんだからと蓋を取る。食材が豊富で彩りもいい。

「さすがに母親がいるだけはあるなぁ」

 思わず溢れた言葉にしまった、と思う。それでも上手い言葉が思いつかないので食べることで沈黙を誤魔化す。お互いにそうやって気まずさをやり過ごしていくしかない。気軽に話せることでも、話したいことでもない。

「もう二ヶ月くらいだっけ? おばさんが亡くなってから」

「いや、クリスマスの頃だったからまだ一ヶ月くらい」

 それ以上、何も触れてこない尊はいい奴だな、と思う。「大丈夫です」という答えを要求している質問も「元気出して」という脅しも嫌だった。

「今日さ、部活が終わるまで待っててくれる? 一緒に帰ろうよ」

「今日は姉さんと義兄さん来るから授業終わったらすぐ帰る。遅くなるとまた何か言われて面倒だし」

 母と妹と自分で暮らしてた家に、今は自分一人で暮らしている。まだ小学生の妹は結婚して家を出た、腹違いの姉の家にいる。母さんが死んでから、姉とその夫である義兄は半月に二泊三日くらいの頻度で妹を連れて「様子を見るため」と称して泊まりに来る。

 本音は尊と一緒に帰りたい。尊の部活が終わるまで図書館か美術室で時間を潰して、それから一緒に帰りたい。それでも、尊に合わせていると学校を出るのが夜八時を過ぎる。前にそうやって帰ったら、玄関へ入るなり義兄に遊んできたのかと嫌味を言われて喧嘩になった。早めに帰っても喧嘩するのは変わらないだろうけど、それでもうるさく言われることは減らしたい。義兄となるべく関わりたくない。

「食べ終わったらお弁当箱ちょうだいね。早くしないと五限始まるよ?」

 もうそんな時間か。多分、五限目こそ寝ると思う。「鉛のような」ではないけれど、鉄くらいにはご飯が重たかった。



 メッセージアプリを起動して素早くメッセージを打ち込んでおく。

「明日の朝練なんだけどさ、僕ちょっと出られないからお願いね」

 相手はトランペットパートの副パート長だ。物分かりが良くて面倒見がいいから、急にサボったりしない限り、快く受け入れてくれる。予想通りオッケーのスタンプが送信されてきて「家の事情?」とだけしか聞かれなかった。適当に話を合わせておいて、朝練休みを取り付けておく。「家の事情」は半分くらい正しい。僕の家族の話じゃないってだけで。

 ウチの学校のブラスバンド部は、全国大会の常連になるくらい強いだけあって練習時間が長い。夜八時過ぎにようやく解散になるから、帰宅すれば疲労困憊だ。さっさと寝て、明日に備えよう。朝練は休めたけど、早起きしなきゃいけないのは変わらない。そう思った矢先、スマホが鳴った。画面に映るメッセージと名前とアイコン。誰だっけ?

「今ちょっといいですか? 相談したいことがあって……」

 アプリを開いてみて、名前を見るうちに少しずつ思い出してきた。そうか、クラスメイトでこんな子いたな。一学期の最初に僕と同じく、くじ引きで美化委員になった女子だった。「連携を取りやすくしたいから」と言われて連絡先を交換したのに、美化委員の活動は二学期の初めに学校周辺のゴミ拾いをしただけだった。彼女の狙いが別にあったのはそれ以前に明らかだったけど。

「いいけど、何?」

 大体の予測はつくな。少しメッセージを遡ればすぐ分かる。ほとんど連絡を取ってないから四月の遣り取りもすぐ出てくる。

「いつも狼貴くんと一緒だよね? 今度、友達も誘うので四人で出かけませんか?」

 これを最初に見た時はやっぱりな、と思ったものだ。僕は新入生の頃からこうして女子に踏み台にされる経験が数えきれない。「彼の連絡先を教えて」「彼も誘って連れてきて」「部活の公演あるからチケットを彼に渡して」……その他諸々、非常に強い女運を持っているくせに一向に利用しない男子へ渡る橋として、僕は常に利用されていた。そういえば、この子は夏休み前に「合唱部の定期公演でソロパートを歌うので狼貴くんと来てください」ってメッセージくれた歌姫だったな。当然、僕らは行ってないしチケットも買わなかった。

 画面を遡って、そんなことを思い出しているうちに長文のメッセージが送られてきた。一読してため息が溢れる。

「私、明日の放課後に狼貴くんに告白します。一年生の頃から好きでした……」

 目が滑る、とはこのことを言うんだろうな。もうすぐバレンタインだから甘党の彼のためにチョコレートフィナンシェを作っただの、思いを綴った手紙を書いただの、好きになったきっかけだの……こんなに公然と自分語りができるなんてどうかしていると思う。半分も読まないうちに返信を打ち込み始めてしまった。

「やめておいた方がいいと思うよ。狼貴は今、誰とも付き合いたくないんだと思う」

 でもきっと効果無いんだろうな。

「そうだとしても正直な気持ちを伝えたいんです」

 ほらね。

「お母さんが亡くなったばっかりで、そういうのはちょっと……」

 やめた方がいいって絶対。

「そんな時だからこそ彼の力になりたいんです」

 何の力だろう? よく分からないけど僕の話を聞く気無いのは確かだよね? それでも連絡してきたのは。

「悪いけど、呼び出したりとか手紙を渡したりとか協力はしないから。自分でやって」

 巻き込まないでほしい、と切に願う。怒った狼貴がどうなるかを知らないから気軽に僕に頼むんだろうけど、僕だって嫌なものは嫌なのだ。

「分かりました。自分の気持ちは自分で伝えますから、いいです」

 良かった、これで巻き込まれなくて済む。この失恋確定済みの女子を気の毒がるほど僕は優しくなれない。さっきまで存在すら忘れていたし。そんなことに巻き込まれて狼貴との関係が気まずくなる方がよっぽど問題だ。

「おやすみなさい」

 それだけ送信してさっさと布団を被る。どうして皆こんな簡単に好きになったと言えるんだろう? 僕なんか……もう二年以上も狼貴と一緒なのに、そんなこと……一度も……



 尊と知り合った頃の夢を見た。お小遣いを貯めて、市の音楽ホールで開催されるオーケストラや舞台を観に行っていた頃だった。立ち見席くらいしか入れないから場所取りが大変なのに、よく自分より先に来て良い場所を取っている奴が尊だった。同じくらいの歳の子で、それが珍しくて、少しずつ話すようになって友達になった。中学は別だったけど住んでいる場所も近いから、よく会うようになった。同じ高校へ行こう、ブラスバンドと美術部があってお互いの好きなことが思い切りできる高校へ行って夢を叶えよう、そう誘って、親を説得して、今の高校に合格した。運良くクラスも同じだったから、入学式の日は嬉しくてたまらなかった……耳障りな音がするのは何でだ? あんなに嬉しかったのに、今は毎日学校を休みたい。今から高熱が出ればいいのに。ああ、うるさいな全く!

 枕元のスマホを見ると尊から電話がかかってきている。無視して寝ようか、と思ったけど、どうしてこんな時間にと思って結局、出てしまう。

「何でこんな時間に起こすんだ?」

「おはよう、寝てたね? 君の家の前にいるんだから起きて来てよ。そろそろ起きないと遅刻するよ」

「朝のHRか一限が終わるくらいまでには行くから先に行けよ」

 遅刻したっていいじゃないか。始業に間に合ったところで居眠りするだけだ。それならベッドで寝ていたい。

「あのね、先週も遅刻したよね? 今日の一限の科目はコマ数が少ないから遅刻が重なると時数不足で留年するよ。だから起こしに来たんだよ」

「雨が降っているから行かない」

 有難迷惑という言葉が浮かんだ。尊が構うことなくずっと話している声が聞こえる。

「曇ってもないよ、すっかり晴れてる。太陽も眩しい! だから起きて来て。それに……義兄さんたちが泊まっているならそんなに寝てられないだろう? 学校で寝なよ」

 それを忘れていた。どんなに寝ていたくても、夜に寝られない不眠だと言っても、嫌味をたらたら言われるか怒鳴られるかで叩き起こされるんだろう。それくらいなら友人に起こされる方が多少はマシだ。

「わかった、着替えてから行くから待ってろ」

 いいよぉと間延びしたような声がして電話が切れた。寝不足で痛む頭を押さえながらベッドから起き上がる。制服に着替えて顔を洗い、学校指定の通学リュックを背負ってそっと家を抜け出そうとした。それなのに。

「挨拶もしないで出かけるのか?」

「義兄さん……」

 廊下で一番会いたくない人に捕まってしまった。朝から絡んでくるな、と苛立つ。ちゃんと学校には通っているんだから、もういいじゃないか。

「昨日も言ったがな、将来のことをちゃんと考えろ。画家になりたいなんて夢みたいなこと言ってないで少しは」

「分かったよ!」

 自分でも驚くほど大きな声が出た。一瞬だけ義兄が怯んだ隙に押し退けるようにして玄関のドアを開ける。

「おい、いってきますくらい言え!」

 誰が言うものか。「いってきます」は「行って帰って来ます」だと教えてくれたのは死んだ母さんだった。お前の所に帰って来るなんて、ごめん被りたいんだ。

「あ、おは」

「尊、行くぞ」

 返事も待たずに歩き出す。後ろで義兄の声が聞こえたような、それに尊が「いってきます」と答えたような気がしたけど、振り向かなかった。



 「いってきますも言えんのか」と怒っている友人の義兄に「いってきます」と友人の代わりに答えて、狼貴を追いかける。やっぱり起こしに来て正解だったな、と思う。狼貴の遅刻が多いのは事実だけど、まだ留年を心配するほどではない。それより頑固な義兄のせいで狼貴が荒れることの方が心配だった。それに、今日の放課後には憂鬱イベントも待っているから落ち着かせておきたい。駅まで歩いて十五分程度、その間に狼貴の頭も冷えるだろう。実際、今日も寒いし。

「おい、遅いぞ!」

「君が早いんだよ」

 こういう時は本当に暴君だなぁと思いつつも、そんな遣り取りができることがちょっと嬉しい。改札を通り抜けて階段を駆け上がって駅のホームに立つと、風が冷たくて氷水をかけられたようだった。

「自衛隊に入れってさ」

 ホームを吹き抜ける風が笛みたいな高音を奏でている。その音に紛れて狼貴の低い声が聞こえた。何の話かと一瞬だけ迷って、すぐに見当がついた。

「母さんが死んで妹もいるのに、美大に行きたいとか絵の勉強をしたいとか言っている場合じゃないだろうって……自衛隊じゃなくてもいいから高卒で就職しろって」

 そうか、そんなこと言われたか。酷いな。

「義兄さんの職場でも早死にした人がいて、その息子は高卒で自衛隊に入って残された家族を養って立派にやっているのにお前は何だって……昨日帰ってからずっと言われた。母さんの物もいつまでも取って置けないんだからって捨てようとするし、いずれ家は売って妹の教育費にするから僕は施設へ行けって」

 ちょっと言葉が出て来ない。多分、義兄の言っていることは正しいんだろう。でも、正しいことって良いこととは限らないんだよな。少なくとも、僕の友達に親類として言ってやってほしい言葉ではない。

 というより、自衛隊の制服を着ている狼貴を想像したら何故かゾッとした。何だかとんでもなく恐ろしいことが起きそうだ。絶対にさせたらダメだ、絶対にさせない。画家になってもらわなきゃ困る。僕だけじゃなくて皆が。

「起こしに来てくれてありがとうな。トランペットのパート長になったのに朝練に出なくていいのか?」

「休むって伝えてあるし、副長がしっかりしてるから一日くらい大丈夫だよ」

 うん、やっぱり君は優しいよ。できれば、こっち向いて言ってほしいけど。電車が来たアナウンスに重ねずにもっと大きな声で言ってほしいけど、今はこれで充分だ。うん、今は……今は。

 この時間の電車は比較的空いている。もう少し先にあるターミナル駅からウチの生徒たちがいっぱい乗り込んで来るけど、この駅からなら二人並んで座って行けることも多い。今日も運良く二人で並んで座れた。

「あのさ、今日の放課後だけど」

 君また告白されるよ、と言いかけて左肩に重みと少しチクチクするような刺激を感じる。視線だけ移動させると、無防備な寝顔が見えた。艶やかな黒髪と、青白い頬がいつもより近くにあることに鼓動が高鳴った。規則正しく聞こえる寝息まで何だか意味深な感じで、落ち着かない気分を誘った。車両内に素早く視線を巡らす。ウチの生徒も先生もいない。

(いいかな)

 そっと狼貴の右手に自分の左手を重ねてみる。少し乾いた掌の感触と温かさが胸を締め付けると同時に蕩かした。首を傾けて狼貴の頭に自分の頬を寄せてみる。この状態で電車が遅延してくれればいい。狼貴はゆっくり寝られるし、僕は……僕は……何だろう?

何故か今日の放課後に告白すると宣言していた、合唱部の歌姫を思い出した。あまりよく思い出せないその顔を、何故か猛烈に引っ叩きたくなった。



 歌姫の王子様への告白は予想通り失敗してくれたらしい。それもかなり手酷い展開だった。

 歌姫はなかなかの策略家で、王子様が所属している美術部の一年生を使って「顧問の先生が写生のコツを教えるからって中庭へ呼んでいます」とニセの言伝を頼んだ。そして、王子様を中庭へ呼び出した。中庭は何代か前の卒業生が寄贈したという人物像(「飛翔」とか題が付いていたような)を中心に西洋庭園風に整備されている。冬枯れの季節とはいえ、告白の舞台としてはバッチリだ。そこで待ち構えていて、現れた王子様に「美術部の顧問の先生はいません」から告白を始めた。「お母様を亡くされて辛いあなたの力になりたい」くらいまで言ったところで、事件は起きた。

「そんなこと、お前には関係無いだろ!」

 王子様は中庭に響き渡るような怒声をあげて背を向けて帰ろうとした。そこで諦めればいいのに、歌姫は「せめて手紙を読んで」と縋りつき、手作りのチョコレートフィナンシェと手書きの手紙を押し付けて、王子様に振り向きざまに振り払われて盛大に尻餅を付いた。王子様は包装された箱と手紙をグシャッと丸めて、ショックで立ち上がれない歌姫に叩き付けて「二度と顔を見せるな!」ともう一回怒鳴って立ち去った。

 哀れ歌姫、その場で号泣。泣き声を聞いて集まって来た友人たちにベンチに伴われても泣き続けて泣いて泣いて泣いて声を涸らし、今日の部活は休んだ由。

 ……こんなに詳しく知っているのは覗きに行ったからではなくて、部活の後輩たちが練習の合間にきゃあきゃあと賑やかに噂しているのを聞いているからだ。ついさっきの出来事なのに、こんなに早く噂が広がっているのは凄いことだと思う。個人練習の時間なのをいいことに、譜面を確認するふりをしながら後ろから聞こえて来る声に耳を澄ませる。

――ね、ヤバいよね。あんなに綺麗な人なのにフッちゃうなんて。

――えー顔知らなーい。合唱部の誰?

――ほら、定期公演でソロ歌った二年生だよ。藤色のドレス着てさ。

――何でフッちゃうのかなー? 俺だったら絶対に付き合ってる。

 僕としては「だから言ったのに」くらいしか感想が無い。何でも何もなくそういう奴なんだよ、狼貴は。

――ちゃんとリサーチしてお菓子も手作りして準備したんでしょ? かわいそうだよね。

 リサーチねぇ……そういえば今までも好きな食べ物から誕生日から家族構成までどうやって調べたかも分からないことまで調べ上げて告白した子いたな。それでも振られるのは変わらなかったけど。そこまであれこれ調べ上げるなら「この人とは付き合えそうもない」くらい分かりそうなもんだけど、何故かそれだけは分からないで当たって砕けるんだよな。それとも、告白すれば相手の気持ちが急に変わって上手くいくと思えるんだろうか? 告白ってそんな魔力があるのかな? そんなに特別なことなのかな? 少なくとも、狼貴には効いてないけど。

――男の方は誰なの?

――ほら、あれだよ。美術部の髪が黒くて風景画ばっかり描いてる奴。

――二年の芸術系クラスの? そういえばさ……

 まずいな、矛先が僕に向きそうだ。あれこれ聞かれたくない。ちらっと腕時計を見る。うん、不自然じゃないな。

「そろそろパート練習しない? 雰囲気ダレてきちゃったし」

「そうだね、喋ってばっかの一年生いるし」

 副パート長が聞こえよがしに嫌味を言ってくれて、噂をしていた一年生たちも慌てて練習の準備に取り掛かる。副パート長、君が熱心で本当に助かるよ。今日はこの後に他パートとの合わせ練習もあるから、一年生も歌姫の失恋譚なんてもう話す暇も無いだろう。と、ポケットに入れっぱなしのスマホが振動する。ああ、多分、そうだな。

「準備してて。ちょっとトイレ行ってくる」

 そっと練習教室から抜け出して、画面を見れば、やっぱり君だ。来ると思ってたよ。電話じゃなくてメッセージなのは部活中なのを気遣ってくれたからなんだと思っておく。

「部活終わったら市の図書館まで来いよ」

 やっぱり王子様じゃないな、暴君だよ。でも、僕はそれでいい。

「いいよ、八時まで部活だけど待ってられる?」

「待ってる」

 今日はどんな長広舌が待ってるかな? さっきの噂が本当なら、狼貴にしても酷い振り方をしたもんだと思う。今まではもっと穏便な終わらせ方をしていたから、今日は余程腹の立つ何かがあったんだろう。いいよ、僕が聞こう。君は頭が良いから、きっと何か思うところがあるんだよね。それを聞けるのは僕だけだと思うと、いつもちょっと気分が良いんだ。



 部活はいつも通り、夜八時に終礼。それから電車でターミナル駅、そこで徒歩十分くらいで市立図書館に着く。学校の図書館で待ち合わせないってことは、学校にいたくなかったんだろうな。楽しげに噂する一年生たちを思い出すと気持ちは分かるけど、こんなに寒い場所で待たれるのは虚弱な君が風邪を引かないか心配でもあるよ。市立図書館は夜八時には閉館だからね。案の定、狼貴は入り口前のベンチで待っていた。

「遅かったな」

 そう言われて自分の顔が強張るのを感じる。彼の目が赤くなって瞼が腫れぼったくなってる。泣いていたのか……でも、それを言うとプライドの高い君は意地を張って否定するんだろうな。

「部活だったから」

 いつも通りを心がけて隣に座ろうとしたら、彼の方が先に立ち上がってしまった。

「帰ろう」

 ここであれこれ聞かされるかと思っていたら、予想外の展開にちょっと戸惑う。戸惑いのあまり、動けないでいるとさっさと歩き出した狼貴に置いていかれそうになったので、とりあえず後を追う。

「告白された……母さんが死んでからもう三人目だ」

 ああ、うん。今日の歌姫は知っているけど、他にもいたんだ。僕がすぐ側にいるから話すのか、独り言なのか、よく分からない。

「前から女も男も、それなりにいたけどさ。気持ち悪いよな。何で簡単に好きって言うんだろうな? 動物と同じだよな」

「男も?」

 女子から人気があるのは拠ない事情で知っていた。でも、男子も?

「言わなかったか? 教育実習生からのお別れのプレゼントに手紙入ってたのとか、電車で他校の生徒から一目見た時から好きだったって言われたのとか、部活の卒業生が遊びに来たと思ったら僕だけ大学見学に誘ってきたり……身勝手に好きって言ってくるのは女も男も変わらないんだよ」

 不意に、国語の授業でやっていた『こころ』を思い出した。何日か前の授業で「私」が親友のKを出し抜いて奥さんにお嬢さんとの結婚を申し込む件をやった。その時、猛烈に「私」が嫌いになった。今朝、電車の中で歌姫の顔を引っ叩きたいと思ったのと同じような気持ちだった。そして、今も、狼貴に言いよる男たちに同じ気分になっている。これ、何て言えばいいんだろう?

(ずるい)

「皆、台本みたいに同じようなセリフを言うんだよな。『気持ちだけでも伝えたい』とか『自分の思いを知ってほしい』とか。結局、自分の欲求ばっかりで獣と一緒だよ。母さんが死んでからは『力になりたい』とか『支えたい』とか……昨日まで他人だったのに何でそれができると思うんだろうな?」

 一言一句その通りだと思う。いつものように聞き役に徹するけど、僕は心の中で快哉を叫んでいる。もっと言ってやれ、とすら思う。だって……

(ずるい)

 性別の関係無く、彼に「好き」を押し付けるなんて……例え、返礼が徹底的な無視でも手痛い暴言でも、たった一度だけでも彼に「好き」を押し付けられるなんて、何てずるいのだろう?

「今日の女もさ『甘い物が好きだと聞いたから』って何か作ってたけど、そんなこと調べ上げるの気持ち悪いって思わないのかな? どうかしてるだろ? 勝手に人のこと嗅ぎ回って」

 冷静に考えれば全くその通り……でも、後ろ暗いところがある。さっきまでのように、快哉を叫ぶどころではなくて、寒いはずなのに背中に汗が滲むのを感じる。それを言われたら、多分、僕は……今朝の電車でのことを思い出す。少し乾いた掌の感触と温かさ……それを少しでも長く味わいたいと思ってしまった。いや、前なら手を重ねたりしなかった。寝顔を見るだけで満足だったのが、次第にさりげなさを装って手をくっつけるようになって、ここ最近は装うこともせず手を重ねている。同じ車両に生徒や教員がいると、それができなくて落胆する。狼貴から了解を取ったことは一度も無いまま何度も手を重ねている僕は、彼が憤る人たちと何が違うのか、もうよく分からない。

(仕方ないじゃないか、だって僕は)

「今までもさ、急に『妹がいるんだね』とか『母子家庭なの同じだね』とか言ってきた奴がいたけど、共通点があれば好きになるってわけでもないのに、本当に馬鹿らしいよな。何考えてんだろうな?」

 電車の中でのことを追求されないことに安心している。狼貴を心配するより、自分が彼の「友達」でいられるかを心配している。そんな自分に嫌悪感があるけれど、どうにもできない。

 適当な相槌を打ちながら、歩調を合わせるうちに駅に戻ってきた。電車を待つ間も狼貴はずっと独善的に好きを押し付けてくる人に怒っていた。僕は……どうして、その人たちと同じようにできなくて、同じようなことをするんだろう? 本当は分かっているけれど。

「電車来たぞ」

 狼貴の声にハッとして、慌てて乗り込む。運良く朝と同じように二人で並んで座れて、朝と同じように狼貴が眠り始めて、車両には先生も他の生徒もいなかったけど、手を重ねることは、できなかった。

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