第10話 クラクションとアクションとアタック(1)

 翌日になって、ホテルと運転手ドライバーを得ようと思ったのには、それぞれ理由があった。

 まずはホテルだ。これはひとえに、現在の住むホームが、学園の通学圏ではなく、遠くて、登校するのが億劫になってきたからである。

 そして運転手。学園のなかではモノレールを使って移動するのがオーソドックスというものだが、これでは確実性が欠けていることを、僕は知っている。モノレールが四六時中、時間という概念を歪ませ、どれだけ多くの学園生を、遅刻させてきたか、僕は知っているのだ。

 なるべく安いところで、そして、滞在期間は不明のままだが、前払いのホテルを、と、スマートフォンで探していく。並行して、荷物の準備も始めた。

 ホテルはあっさりと決めてしまって、次に運転手を探し始めた。

 後輩から送られてきた昨日のメールを確認すると、それは午後の講義の教室の場所だったから、時間は十分にあった。運転手を選ぶのは、思いのほか時間がかかった。


「おっす! よろしくお願いします!」

 ホームのまえに止まった一台の軽トラックに、僕の視線は釘付けだった。運転席に座っているのは、坊主で男だ。ドアウィンドウから垂らされている腕は筋肉のあるもので、鉛筆の形そのままのような傷の跡がちらほら見える。写真を見て強そうな人間を想像していたが、いや実際、顔は強そうそのものなのだが、作る笑顔が柔らかく小動物を思わせて、僕はいくぶんドギマギした。

 それはもちろんなぜトラックが来たのかという疑問もあるが、いやしかし、それよりも気になるのは、この男がどれほどの運転操縦技術うんてんそうじゅうぎじゅつを持っているか、である。一番重要なのは運転操縦技術であって、逆にそれしか重要ではない。

「とりあえず、夕顔ゆうがお通りにある若紫書店わかむらさきしょてんに行ってくれ」と僕は言った。

「あいよぅ、後ろに乗りな! だんな!」

 後ろ……? 荷台に乗った。

 荷台に乗ると、走りだした。風はないのにそれを感じた。あまつさえ重力さえ感じた。軽トラックはあたかも新幹線のような速度で滑走かっそうしていく。これほどまで慣性かんせいの法則に感謝したことはないかもしれない、いや、ない。

 若紫書店のまえに停まると、胃がきゅっとなった。

「……人の情念を度外視したような運転、どうもありがとう」と僕が言うと、歯をにっとして

「あざす! だんな! これから一ヶ月、一緒に頑張りましょうや!」

「……ああ」

 好青年とはこういうものか。運転手は22歳だというが、若々しいというか、まあ、これは僕と比べてそうというだけであって、世のなかではこれが普通なのかもしれな、となんだか短いセンテンスしか、ぶつぶつと、頭のなかに浮かべられないようになっている。車酔いとはこれはまた辛いものだった。僕はトイレに行かせてもらって、何もない胃からありったけを吐いた。

 しかし、運転操縦技術という面では申し分ないようで、性格も破天荒のようだし、これも丁度よい。

「さて、ありがとう。また必要になったら呼ぶよ」

「おっす! ただ俺、出られない場合があるかもしれないんすよ、それだけ相談したくって」

「どういう場合だ?」

「それは……」

 早口すぎて何を言っているのか分からなかった。

「……? 色々と分からないが、できるだけ来てほしいんだが」

「ああ、でも大丈夫やと思います。変なこといってすまないっす。だんなが忙しいのはなんとなく分かりやすから、俺もなるたけ急ぐようにするますから」

「ああ、それで助かる。でも、交通法は守ってきてくれていいからな?」

「交通法……?」

 怖いからさっさと別れてしまって、目的地としていた若紫書店に入っていった。

 若紫書店は今や珍しくなってしまった個人で運営している本屋で、内はもっぱら茶けてしまった古本ばかりで、なんだか空気もけむったい。だが、とても琴線にふれる。店主のじいさんは名前を憶えるのが苦手だから、僕の名は過去に名のったこともあったけれど、知らない。だけど、顔は憶えてくれている。

「じいさん。フセーヴォロド・ガルシンの文庫ある?」

「ああ。ああ」といって指差すさきは天井に近いところにある棚のなか。「おまえさん、なんだか老けてきてねえか?」

「どうしてそう美しい表現ができないんだか。成長といってくれよ」といってちゃんころを投げて渡す。「あんがと。また来るまで生きてろよな」

 店を出て、背伸びした。太陽は暖かな陽光ようこうを僕に届けてくれていた。

「さて、ゆきます、か、ね」僕はネクタイをしめた。


 運転手が予想外に破天荒なやつで、ちょっと次に呼ぶのをためらってしまうふしがあった。思え返せば、なかなか頭がおかしいやつのような気がするが、こういうときはいつだって、あとから気づくものだ。しかし、すでに契約してしまったから、それを無効にするのはちとめんどうで、さて、こうなんやかんやで、僕の人生は続いていくものらしい。

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