第7話 Stepsと分かったこと(2)

 講義が始まった。古代文学こだいぶんがくの講義だった。興味のある分野だったので、ついつい聴き入ってしまった。ふと我に返り、本来の目的とは久我リーシャを見つけることだ、と自戒した。

 といっても、名前が分かったところで、人が分かるわけはない。名前が人の外見を決定するわけではない。だから、捜したところで、誰が久我リーシャなのかわからなかった。

 しかし、久我リーシャは積極的な生徒のようだ。講義で挙手をしたようで、教師にあてられたときに名前が出されたため、僕は、はっと意識を集中した。集中したのはもちろん、ロッカー特有の、幅二センチほどある線の隙間だ。そこから久我リーシャを見つけるべくして。

 見つけた。もちろん、後ろ姿しか見えないが、席の位置は分かった。僕はどうにかなりそうだと思って、ほっと胸をなでおろした。すると同時に、教室がわっと笑いに包まれた。久我リーシャが何か面白いことでもいったのだろうか? よく聞こえなかったが、それはまだ久我リーシャが起立していたときに起こったことであったから、そう思った。

 段々と腰が痛くなってきた。講義が終わるまで、この狭い空間でぬくぬくしているのは、なんだか人生を浪費しているようで、生命のはしくれとして、危機感を覚えずにはいられなかった。

 講義が終わるチャイムが鳴って、一つ深い息をついた。そうして、問題が発生していたことに気がついた。それは、どうやってこのロッカーから出るかだった。

 もう一つ、深い息をついた。さて、どうしよう……?

 ばんっ! とすごい近くで音が鳴った。今日一番に僕は驚いた。振動も伴って、僕を驚かせた。

 ロッカー特有の、幅二センチほどある線の隙間から外を覗くと、ちれちれの髪の毛がちょうど目に入った。痛すぎた。そしてそれは僕の髪の毛ではなかった。黒い髪を僕は持っていないからだ。だから、ロッカーに寄りかかっている野郎やろうの髪が、ロッカー特有の、幅二センチほどある線の隙間から、丁度よく侵入しているということが分かった。さきの振動も、この野郎の仕業だろう、と思うと、一旦は落ち着いた。

 とすると、ますます外に出る手立てというか、その機会を失ってしまったように思えた。落ち着いたのは文字通り、一旦で一旦だった。しょんべんが漏れそうだった。僕は思わずホルスターに手を伸ばしてしまいそうになった。倫理がそれをとどめた。やれやれ。やれやれ……。

 ここで奇跡が起こったのだが、僕にはそれがうれしく思えなかった。というのも、ある女が来て、ロッカーに寄りかかってくれている野郎をどかしてくれたのはいいものの、ロッカーの中にいる僕に話しかけてきたからだ。

「そこにいるのは分かってる。こんな馬鹿が組織にいるなんて、同じ成員として恥ずかしいことこのうえないわ」

 一瞬で、この女が『キギスの明敏』の成員であることが分かった。これは奇跡だった。『キギスの明敏』の成員は、新人の僕がナインティ―ナインという番号なのだから、それくらいの人数しかいないはずだからである。

 銃を抜いて、くるっとすると、銃口をロッカーにあてた。

「おいおい、新人かい? こんなところで、それも、誰とも分からない輩に組織のことをおしゃべりするとは」と僕はロッカーの中から言った。「今、はおまえに銃口を向けている。追い詰められているのはおまえだ。ダカラ頼ム……ここから助けてくれ?」

 女の、すごいため息が聞こえた気がするが、背に腹は代えられないし、プライドなんてもうどうでもよい。

 女は僕を助けてくれた。ありがとう。

「トイレに行かせてくれ。話はそれからだ」と僕はドスの利いた声で言ってみた。僕はトイレに行ってしょんべんをかました。17歳は思う、人生はこれだと。

 やけに入り組んだトイレを出ると、廊下だった。横にはさきに助けてくれた女が壁にもたれている。「あんた、番号は?」

「ナインティ―ナイン」

 女は思いきり引いたような顔をした。

「あんた……ナインティ―ナインで、ドがつくほどの新人なのに、よくさっきはベテランのような口ぶりができたものね?」

「うるさいなア」と僕は言った。「君は?」

「私は……ハンドレッドよ」

「君ほどベテランぶることがうまい人間は、この世に一人としていないだろうね」

 ハンドレッドはきゅっと口を結んで、顔をみるみる赤くして、何も言わない。

「後輩」と僕はハンドレッドをそう呼ぶことにした。「助けてくれてありがとう、を言い忘れていたな。感謝する」と僕は言ってから、冷静になって真面目に、今度は素早くホルスターに手を伸ばし、セーフティーを外して、銃を構えた。「だが、どうしてが組織の人間だと分かったんだ。答えろ」

 周囲に誰もいないことは、気配から分かっていた。ここらにカメラがないことくらいは確かめた。だから堂々として銃を構えられるわけだ。

 後輩の様子をうかがう。苦しそうに唾を飲む。緊張しているが、目線は決して逸らさない。意志というものが見うけられる。

「他の成員が務めている事件を知ってはならない。だから……言えない」と後輩は言った。「でもこれだけは言える。私はあなたの敵でもない」

 銃を下ろし、くるくる手で遊んでからホルスターにしまって、上着で隠した。

「便利なルールだな」

「あなたと話がしたい」後輩は言った。「場所を移しましょう」

 僕は了解した。なるようになれ、なってほしい、とそう思うばかりだ。

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