第20話 先生とおっぱい

 隼人は夢を見ていた。


 子供時代の夢だ。


 幼い頃から背が高く、がっしりとした体格だった隼人は、友達や大人たちから様々なスポーツに誘われた。


 野球、サッカー、バスケット、バレー。


 そしてビーチバレー。


 バレーを習っていた先生のツテで、隼人は夏休みに海で行われる小学生向けのMBバレークリニックに参加した。


 そこで目にしたのは巨人のような男性プロ選手。


 リアルで初めて見る2メートル超えの人間に驚きと恐怖を覚え、心臓が痛いほど脈打った。けれど、巨体に似合わぬ繊細なボールさばきを見た瞬間、恐れは強烈なあこがれに変わった。


「すっげー! 俺もいつか、あの人みたいなプロになりたい‼」


 バレーの先生は、幼い隼人を諭すように言った。


「プロを目指すなら、憧れるだけじゃなれないぞ。どんなに苦しい状況でも諦めちゃダメだ。お前は負けそうになると、すぐ試合を投げ出して、手を抜く癖がある」


「でも、点差がめっちゃ開いてたら、どうせ逆転は無理じゃん」


「はあ……最初から無理だと決めつければ、どんなことも実現できないぞ。逆に言えば、どんなに苦しい状況でも最後まで諦めず全力を尽くせば、道が開けることもある。海外では『ウイニングマインド』――勝ちたい気持ちと言うんだ」


「よく分かんない……」


「今はまだいいさ……お前だっていつかは分かるときがくる……とりあえずオーバーパスの練習をするぞ」


「うん!」


 隼人は抜けるような青空に向かって、ビーチバレーボールを高々と上げようとした。だが、指に伝わる感触がどこかおかしかった。


 むにゅう。


 むにゅり。


 ボールがあり得ないほど柔らかい。


「先生! 俺のボールが壊れちゃった――あれ? 先生、先生――」




「うう……せ、先生……ん? あれ?」


 目を覚ました隼人は数秒ほど夢うつつとしていたが、すぐに異常事態に気づいた。


 寝ている状態から上半身を起こそうとしても体が動かない。両手がガッチリとホールドされている。


 右手は暗子のモチモチおっぱい。


 左手はエリスのハリのあるおっぱい。


 思いっきりJKたちのおっぱいを鷲掴わしづかみにしていた。


 青ビキニ越しとはいえ、手のひら一杯に伝わる感触は温かく弾力があり、驚くほど柔らかい。


(まずい! 感慨に浸ってる場合じゃない! 今すぐ手を離さなければ――)


 隼人は二人の胸から手をどけようとするが、彼女たちの両手で包み込むようにしっかり固定されているせいで、まったく動かせない。


 一秒たりとも、おっぱいから手が離せない。


 隼人はこれから待ち受ける社会的断罪に絶望しながら、体を揺らしてもがく。


「おい! 手を放せ! 俺を社会的に抹殺して、コーチを続けさせようとしても無駄だぞ」


 目を閉じて集中していた暗子が、ようやく口を開いた。


「隼人にい、暴れないで欲しいっす! 房中術で熱中症を治してるっす!」


「は?」




 治療は無事終わり、ベンチから隼人は体を起こした。


 両手もやっと解放され、隼人は手のひらをじっと見つめる。


「大丈夫? もっとおっぱい揉む?」


 エリスの声には冗談めいた軽さはなく、純粋な心配が込められていた。


「あんまり大丈夫じゃないが……おっぱいは揉まん! というか犯罪だろ‼」


「大丈夫っすよ! 隼人にい。緊急事態の時は、おっぱいを揉むのも許されるっす!」


 暗子が胸を張って断言する。


 隼人は一度深く息を吸い、考えを整理してから口を開いた。


「そもそも、房中術とやらはどういった原理なんだ?」


 胸を揉んで症状が良くなるなんて、にわかには信じられない。


「房中術は男女が性器でつながって、そこから〈魔力〉を出し入れ還流させて、男女ともに健康になろうという技術っす! 前に〈魔熱病〉について調べたんすけど、体内の〈魔力〉の流れがおかしくなっているという説があったっす。だったら房中術で多少なりとも流れを正常化できれば、完治は難しくても一時的に良くなるかもしれないと思って、エリスに協力してもらって実践したっす!」


「……そんな無茶苦茶な理論の治療が成功するとは……そのおかげで救われたから一応礼は言うが……なぜおっぱいを揉む必要があるんだ?」


「隼人にい、性器は上と下にしかないっす。下は恥ずかしいから、上のおっぱいでつながるしかないっす!」


 下は恥ずかしいとか、そういう次元の問題じゃない気もしたが、真剣に考えるのは止めた。暗子の説明を聞いて、おっぱいを揉むことに奇妙な説得力を感じた隼人は、心の底からホッとしていた。


 俺は犯罪者ではない、よかった。


「理屈は分かった……助けてもらって申し訳ない」


 隼人は頭を下げた。


「そんな! 隼人にい、頭を上げて欲しいっす。悪いのは全部アタシっす! アタシが卑怯な作戦を立てなければ――」


 暗子の言葉をエリスが遮る。


「――いえ悪いのはワタシたちよ! 二人で協力して、隼人を試合でノックアウトさせて負傷退場で勝とうとしたの……まさか、隼人があんなに粘るなんて思いもしなくて、暗子もやりすぎちゃって、ごめんなさい……」


「いや、全部、アタシが悪いっす‼」


 二人が深々と頭を下げる。


 それを見た隼人は大きなため息をついた。


「まさか、正攻法じゃなくて、邪道なノックアウト作戦で勝利を目指してくるような奴らだとは思わなかった。俺は正直そういうのは――」


 二人の体がビクリと震える。


「――大好きさ! お前らは勝つことを諦めなかったんだな……」


 二人が顔を上げ、信じられないといった表情を浮かべる。


「俺も思い出したよ、苦しいときでも逃げないで戦うことを選ぶつらさを……俺はこの一年間、逃げ続けてた。お前らに対するコーチも、基礎だけ教えて逃げるつもりだったけど……気が変わったよ……俺がコーチを続けるのが嫌だったのは、色んな理由があったけど、一番は嫉妬しっとだ」


「嫉妬?」


「隼人にいが、アタシたちにっすか?」


 エリスと暗子が顔を見合わせる。


「そう、MBバレーが自由にできる嫉妬、どんどん上達することへの嫉妬、ペアで楽しそうに話していることへの嫉妬。俺は〈魔熱病〉で全部失っちまったから、もう見たくないと思った。でも、お前らは本気だった。本気で俺を倒そうとあがいた。それがいいなって心の底から感じて――思い出したよ。俺もワールドツアーに参加していた時は、どうやって格上の外国人選手を攻略するかいつも考えていた」


 隼人が遠い目で水平線を眺めた後、エリスたちに向き直り、手を差し出す。


「どこまでできるか分からないけれど……俺にコーチを続けさせてくれないか?」


 エリスと暗子は同時に隼人の手を掴んで、跳び上がった。


「やったー!、これで高校選手権優勝間違いなしよ‼」


「エリス! 調子に乗りすぎっす! まずは五月のジュニア大会優勝確定っすよ‼」


「お前も気が早すぎだろ……」


 その後、隼人は千尋に連絡して正式にコーチを継続することになった。


 ただ困ったことも起きた。エリスたちはことあるごとに胸を強調するような仕草で、『大丈夫? おっぱい揉む?』と言ってくるようになり、冗談で言っているのか、本気で体を心配しているのか、隼人は全く判別できず、しばらくの間からかわれ続けることになった。

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