第二章 

第11話 日常と出禁

 月日が流れて四月に入り、仙石建設MBバレー部の運命が決まる新年度が始まった。エリスと暗子は高校二年生に進級し、隼人は表向き管理人として仙石家の別荘に移り住んだ。


 書類上のボスの千尋からは【生活に必要なものは日天島のショッピングモールで買っておいて】とチャットが届き、臨時予算が振り込まれていた。そのため隼人が持ち込んだ荷物はキャリケース一つだけだったが、秘蔵の写真集コレクションの一部はこっそり持ってきた。もちろん夏海ちゃんの写真集も忘れていない。


 一か月のコーチの約束のうち前半の15日間はあっというまに過ぎた。エリスと暗子との共同生活は、最初こそぎこちなさが漂っていたが、次第に互いの存在が生活に溶け込み、日常になっていった。隼人は社会人として初めての労働に疲労と充実感を感じつつ、基礎練習を積み重ねて、二人のMBバレー力を着実に向上させていった。


 残り15日の後半戦で隼人は松百ペアを勝てるチームへと変革するミッションに挑もうとしていた。




「おーい! エリス起きろ‼」


 隼人がエリスの部屋のドアを何度も叩く。


 エリスは朝に弱く、いつもぎりぎりまで寝ていた。起こしてやらないと朝ごはん抜きで高校に行くことになりかねない。アスリートにとって食事抜きは大罪たいざいだ。


「ふぁーい……」


 ゆっくりとドアが開く。


 金髪があちこちでハネまくっているエリスが眠気まなこをこすりながら、部屋を出てきた。


 いつものタンクトップにショートパンツという部屋着姿だったが、左の肩紐がずり落ち、非常に危うい状態になっている。


「おい、肩!」


 隼人は服装の乱れを注意する。


「え? ああ……」


 エリスは寝ぼけたまま、今度は右の肩紐を下ろし、その場でタンクトップを脱ごうとする。


「ストッープ‼ ここは脱衣所じゃないぞ! シャワーを浴びるなら風呂場に行け!」


「あれ? そうだっけ? ……隼人も一緒に入る?」


「入るか‼」


 隼人はその後、のそのそと歩いていくエリスを見送りながら悶々もんもんとしていた。


 面接の日の一件以来、エリスはことあるごとに本気なのか冗談なのか、よく分からない誘惑をしてくる。


 もちろん良識のある大人の隼人が未成年の誘惑に負けることはない――はずなのだが、毎回無駄にドキドキさせられてしまう。


 隼人は目をつむって、軽く自分の頬を叩く。


 煩悩ぼんのうを払って、隼人はキッチンに向かった。




 キッチンでは、エプロンを付けた暗子がお玉でみそ汁をすくい、小皿ですすっていた。


「うん、うまいっす……あれ? 隼人にい、エリスは?」


「いつものようにシャワーだ」


「エリスは覚醒するのが遅いんすよね……忍者だったら命取りっす」


 隼人は言葉の意味を少し考える。


「えーと、寝ていても敵の気配に気づいて、すぐ起きれないと危険ってことか?」


「流石、隼人にい、忍者の心得が分かってきたっすね!」


 暗子の瞳が嬉しそうに輝く。


「俺は忍者になる予定はないけどな……」


 忍者系女子高生の暗子は、あらゆることを忍者基準で語る。


 今も率先して朝食を作り、昼の弁当と水筒のお茶を準備しているが、それは食事に毒を盛られないようにするためだと言っていた。意識の高さが公安警察並みである。


 もちろん本人もそこまでする必要はないと頭では理解しているらしいが、幼少時からの厳しい忍者教育と訓練の影響で、癖はなかなか抜けないようだ。理由はどうあれ、家事の一部を担ってくれるのは、正直大助かりである。


「隼人にい、準備ができたのでお願いするっす」


「OKっと!」


 隼人はおぼんに茶碗や小皿を載せて、リビングのテーブルへと運ぶ。


 白ご飯、みそ汁、だし巻き卵、鮭の素焼き、ほうれん草のおひたし、ひじきの煮物、ヨーグルト、たくあんと、伝統的な和食の献立が食欲をそそる。


 隼人は別荘に来たばかりの頃、厳密な栄養・カロリー管理をするべきか悩み、エリスと暗子と相談した結果、そこまで堅苦しい管理はしないことにした。


 二人とも食事の時間を生きる楽しみにしているタイプであり、毎朝の食卓が、玄米ご飯又はシリアル、生野菜と温野菜、ナッツ、ドライフルーツ、ヨーグルトといった健康的な食事ばかりだと人生のモチベーションが低下する危険性があるため普通の食事をとることにした。


 二人とも別に太ってないし、筋肉をモリモリつけてパワーで相手を破壊するプレースタイルでもないし、特に問題ないだろう。


 隼人は、改めて暗子のスタイルを確認する。


 体は引き締まって細身だが、豊かな膨らみでエプロンの布地が押し上げられている。


 隼人の視線に気づいた暗子が怪訝けげんそうにする。


「隼人にい? どうしたっすか?」


「い、いや、すまん、何でもない」


 栄養は別な部分に行っているのかもしれない。


「おー、今日も美味しそー!」


 シャワーから戻ってきたエリスがするりと椅子に座る。


(こいつ、何だかんだで朝食に間に合うんだよな)


 隼人がエリスの絶妙な時間感覚に感心していると、エリスがテーブルを見回す。


「ところでワタシのプリンは?」


「プリンはしばらく封印する。腸のためにヨーグルトを食え!」


「そんなー‼」


 この世の終わりみたいな表情をするエリスを笑いながら、隼人たちは朝餉あさげを共にする。




 プロボッ〇スに女子高生二人を乗せ、隼人はアクセルを強く踏みこんだ。高級リゾートエリアにはゲートがあるので、守衛に挨拶をして通してもらう。


 運転席の隼人はTシャツと短パン姿に黒のサングラスをかけていた。これは紫外線対策というより身バレ防止のためだった。まさか運転手が元プロMBバレー選手だと気づく人はいないだろうが、万が一にも千尋の父である社長に正体がバレるわけにはいかないので、外出時は常にサングラスを着用している。


 後部座席のエリスと暗子はブラウスとスカートの夏服姿だった。一応指定の制服はブレザーなのだが、日天島はいつも夏の気候なので、冬服は島の外に出る行事や大学受験ぐらいでしか着ないらしい。


 赤信号でブレーキを踏んだ隼人は、ルームミラーで二人の様子を確認しながら話を振る。


「そういえば日天高校って、MBバレー部はあるのか?」


 スマホを見ていたエリスが答える。


「無いわね、インドアのMバレー部はあるけど……そもそも部があっても、ワタシたちが入る意味はないと思うけど……」


「いや、練習試合の相手をどうしようかなと思ってな……部活があれば試合を申し込めるんだが、無いなら仕方ないか」


 文庫本を開いていた暗子が申し訳なさそうに答える。


「……一年生の時、何事も経験だと思って、誰でも使える日天ビーチのコートで練習している人たちに手当たり次第に練習試合を申し込んだんすけど……出禁になっちゃったっす」


「は? 何をやらかしたんだ?」


 ビーチを出禁になるなんて相当な失礼を働かなきゃならないぞ。


「何もしてないわよ! 弱すぎたのよ、ワタシたちが……」


「練習にならない、むしろ時間の浪費で練習を妨害してるって言われちゃったっす……」


 確かに、あの弱さだったら文句を言われてもおかしくない。現役プロやプロを目指して本気で頑張っているペアだったら、怒りも湧いてくるだろう。


「あー、今思い出しても、あのペアはムカつく‼」


 エリスが自分の太ももをペシンと叩く。


「ああ、例のペアのことっすね? あの人たちは本当に強かったっすから、煽られても仕方がないっす」


 暗子が悟りを開いたような表情になる。


「例のペア?」


「神奈川県から遠征に来ていたペアと練習試合をして、フルボッコにされたっす。後で調べたら一年生で県代表になって、去年の高校選手権8位だったっす!」


「一年生で全国8位とは、相当な強豪だな……お前らも今年は七月の予選に出るだろうから、心構えはしておけよ」


 そう言いながらも隼人は、七月には自分はもうここにいないことに気づき、チクリと胸を痛める。


「分かってるわよ! アイツら、ワタシたちより背が高くて威圧感に敗北したわ。次に会ったら、もう動揺しない! あー、それにしても『バレーの才能無いから、モデルにならない?』って煽りは本当にムカついた!」


「ファッションブランドがスポンサーについているペアらしくて、モデルに誘われたっす。申し出は丁重にお断りしたっすけどね……」


 それは単なる煽りじゃなくて、相手は本気で勧誘していたんじゃないのか? ルックスの良さは千尋の祖父である会長が認めるほどだし、と隼人は心の中で分析したが、口には出さなかった。


 怒りが練習の原動力になるなら、それはそれで悪くない。松百ペアが東京都代表になれば、高校選手権で再戦することもあるだろう。


 信号が青に変わった。

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