第10話 契約と偽装

 星が瞬く夜闇よやみの中、別荘の屋根付きテラスはダウンライトの柔らかな琥珀こはくいろの光に包まれていた。熾火おきびのバーベキューコンロからは、じゅわりと香ばしい煙が立ち昇っていく。


「ほっても、おいひいっす(とっても、おいしいっす)」


「うはいわ(うまいわ)」


 テーブルについた暗子とエリスが口と腹を膨らませながら、次々と火が通ったサーロインステーキ、スペアリブ、タラバガニ、ホタテを吸い込むように食べていく。


(こいつら食べ盛りの野球部か相撲部かってぐらいに食うな……)


 隼人は二人の食欲に若干引きながらも、金網の上のパプリカ、トウモロコシ、玉ねぎ、松茸、本しめじの焼け具合を確かめる。


(いくらアスリートに良質なタンパク質が必要だからって、栄養バランスを考えないとまずいからな)


 隼人はよく焼けた野菜やキノコを皿に盛りつけ、二人に差し出した。


「おい! タンパク質と脂質だけじゃなく、これも食べろ!」


「ふゎーい」


 エリスと暗子は、底なしのブラックホールのように全てを飲み込んでいく。


 好き嫌いが無いのは素晴らしいことだ。


 隼人が二人の健啖けんたんぶりに感心していると、グラスとワインボトルを持った千尋が現れる。


「隼人君、一杯どう?」


 千尋がグラスを掲げながら、エリスたちとは別なテーブルに座る。


「絶対、一杯じゃすまないだろ……節度は守れよ……」


 隼人は大学時代、【うわばみの千尋】と恐れられた彼女の晩酌に付き合わされ、記憶を失った日々を思い出して身震いする。


 千尋は手際よくワインオープナーでコルクを引き抜くと、深い赤のワインをグラスに注いだ。


「分かってるわよ、そう何十杯も飲まないって……じゃあ、カンパーイ!」


「はあ……カンパイ」


 隼人も渋々腰を下ろして、カチンとグラスを合わせる。隼人が軽く口をつける一方で、千尋は豪快にワインを飲み干した。


「ぷはぁあ~! これがなくちゃ生きていけないわ……」


 千尋は早くも二杯目を注ぎ始める。


 隼人の予想通り、ボトルの中身がみるみる減っていく。


 ほろ酔い気分で上機嫌になった千尋の相手をしながら、隼人は暗子とエリスのテーブルに視線を向ける。


 二人はすっかり食欲を満たしたらしく、箸を置いて語り合っている。頬を寄せ合うようにして真剣な表情で言葉を交わしていた。


 おそらくチームワークを改善するため、これまでにないほど密度の濃いミーティングで意見をぶつけ合っているのだろう。


 上手くいってくれればいいが、と隼人は願いながら、こちらをお構いなしにワインをあおり続けている千尋に話を切り出す。


「千尋、ちょっといいか?」


「あ、ごめん。もう一本、いえ、二本持ってくるわ」


 赤ら顔の千尋が立ち上がろうとするのを隼人は押しとどめた。


「いや! 酒はもういい! エリスからチーム結成時の話を聞いたんだが、本来の予定とはかなり違っていたみたいじゃないか? 一体、何があったんだ?」


 千尋は目を細めてしばらく無言になったが、酒が回ったせいもあるのだろう。突如、怒りながら語り始めた。


「全部! 父のせいよ‼ あの人のせいでメチャクチャ!」


「父? つまり仙石建設の社長のことだよな?」


「そうよ! 私の父親、仙石貴之せんごくたかゆきのせい!」


 何やら穏やかではないが、隼人は急かさず千尋の言葉に耳を傾ける。


「順を追って話すわ……まず今から一年半ぐらい前、会長であるおじい様がMBバレーのプロチーム創部を肝いりの企画として社内に発表したの。その表向きの理由は第一に広告宣伝。第二に仙石建設でこの日天島を開発したから、スポーツの力で日天島を盛り上げる地域貢献。第三に世界で〈魔法スポーツ〉のブームが起きているから、その流行に乗るという感じだったけど……本当は私がおじい様にMBバレーのことを話して、一緒に試合を見ていたらハマってしまったみたいなの」


「おお! 千尋も観戦の楽しさに目覚めていたのか! 何だ、学生の時に言ってくれれば、俺が色々解説してやったのに」


「べ、別に隼人君に影響されたわけじゃないから……」


 千尋の声は少しうわずっていた。


「まあ、それは置いておいて……まとめると会長さんは、可愛い孫と一緒にスポーツ観戦していたら、MBバレーに魅力を大いに感じて、チームを持ちたくなって、後付けでビジネス的に綺麗な理由を考えたってところか?」


 千尋がなんとも言えない顔をする。


「そういうことみたい。チームの企画が社内に発表された時、父を筆頭として費用対効果に疑問を持つ声もあったんだけど……最終的には、おじい様の意向が通って、選手募集のトライアウトが行われることになったの」


「それに中三のエリスと暗子も参加していたと」


「そう……予定では男女のペア一組ずつ、計四名を合格させるつもりだったんだけど……おじい様の鶴の一声で、エリスと暗子も育成枠として追加合格が決まったの」


「その話はエリスからも聞いたが……育成枠って何なんだ?」


 千尋はエリスと暗子の方をチラリと見て、話し声が届いていないか確認しつつ、言いづらそうに声を潜めて答えた。


「えーと、そのときのおじい様の言葉を借りると『若くてルックスが抜群によかった』って……」


 隼人の脳内にエリスが発した『美少女JKペアでしょ!』という言葉がリフレインする。あれは単なる自画自賛じゃなくて、仙石建設でも同じような評価だったのか。


「なるほど……建前じゃなく、真の意味で広告塔となる逸材いつざいを見つけてしまったというわけか……」


 身も蓋もない考え方だが、アスリートも見た目が良ければメディアの注目度が高くなり、取材の数も自然と増える。それこそ広告宣伝効果は雲泥うんでいの差だろう。


「ええ、もちろんそれだけじゃなくて、二人のポテンシャルは高そうだし、鍛えれば伸びそうという意見もあったけど」


「MBバレーが下手クソなのに、あの二人がトライアウトに合格した理由は分かったが……四人のスタッフについてはどうなんだ?」


 一番気になるのはそこだ。その四人がいれば、俺が呼ばれることもなかったはず。


「元々MBバレーのチームには潤沢な予算が割り当てられて、選手には十分なお給料と遠征費を用意し、バックアップスタッフとして、コーチ、アナリスト、トレーナー、マネージャーの四人も雇うはずだったのよ」


「そこまでのサポート体制だと海外チーム並みだな……日本では自腹でコーチを雇っているペアも多いし」


「うん……チーム結成時までは良かったんだけど……去年の二月に問題が起きたの。新年度からついに仙石建設MBバレー部始動――というタイミングで、おじい様が突然倒れてしまって、検査の結果、脳の出血で入院することになって……」


「……それで会社の対応も変わったのか?」


「そう。おじい様は退院後もしばらくリハビリで経営に関われる状態ではなかったし、その間に父を中心として経営陣の体制が刷新されたわ。そしてMBバレー部は、契約書の内容が最初に聞いていたものと違うって、みんな怒って辞めちゃった」


 千尋は空になったグラスをピンと弾いた。


 隼人は状況を整理しながら頭を巡らす。


「……確か社長は、MBバレー部の費用対効果に疑問を持っていたって話だよな。急な廃部は会長の顔に泥を塗ることになるから……もしかして社長は給料の引き下げとか、契約書の内容を変更する作戦に出たのか?」


「そうよ……父は婿養子で一族内での立場もあるから、そういう嫌らしい手で攻めてくるのよ。父は新しい契約書を示せば、多くのチームメンバーが自主的に辞めてくれると考えたみたい。実際は父の予想以上に正規メンバーは怒って、みんな去っていったわ。契約を結んだのは、育成枠だったはずのエリスと暗子だけ……」


 千尋の視線が、何やら盛り上がっているエリスと暗子に向けられる。


「あの二人には、MBバレーをどうしてもやりたい理由があるみたい。ただスタッフとか会社側の担当者もいなくなってしまったから、私が手を挙げてマネージャーを引き受けたの。その他にも社内で色々ごたごたがあって、スムーズに四月からチーム始動とはいかず、結局八月からになっちゃった。エリスと暗子には、中途半端な時期に高校を転校して日天島に来てもらったから、それも非常に申し訳ないわ」


「あー、だからチームの活動期間が半年ぐらいしかなかったわけか。なんか切りが悪いなとは思っていたが……」


 千尋は自嘲じちょう気味ぎみに笑った。


「二人には恩人なんて呼ばれるけど……本当は恩なんかじゃないのよね。私がおじい様にMBバレーのことを教えさえしなければ、こんなことにはならなかったと思うと、責任を感じちゃって……」


 千尋の肩が小刻みに震え、瞳に涙をにじませる。


 隼人が何か言葉をかけようとした時、後ろから声が飛んできた。


「千尋さんのせいじゃないですよ!」


「アタシたち、千尋さんには感謝してもしきれないっす! 住む場所を用意してくれて、車で買い出しも手伝ってくれて、何より千尋さんが社長に直談判じかだんぱんしてくれなかったら、MBバレー部は始まる前に無くなってったっす!」


 エリスと暗子が千尋のそばにやってきて、素直な思いを伝える。


「うう……二人とも、ありがとう」


 千尋は潤んだ目元を拭い、穏やかな表情を取り戻す。


 その様子を確認してから、隼人は松百ペアに問いかけた。


「お前ら、話は十分にできたのか?」


「うん! 全然‼」


「時間はまだまだ足りないっす‼」


 二人は弾けるような笑顔で答えた。


 それを見て、隼人も小さく笑った。


「そうかい、それなら大丈夫そうだ」


「うん、それで――」


 エリスがすっと隼人の左腕を取る。


「――お願いがあるっす」


 今度は暗子が右腕を取った。


 挟み撃ちにされた隼人は身動きが取れなくなる。


「な、何だよ」


 松百ペアは深々と頭を下げた。


「どうか、ワタシたちのコーチになってください‼」


 隼人は大きく息を吐き、今日という日を振り返る。


 気乗りしない面接で島を訪れ、元偽装彼女の千尋に再会し、着替えをのぞいて意識を失い、試合で松百ペアの弱点を知り、エリスの部屋で胸を触り、バーベキューで盛り上がって、チームの抱える問題を聞かされた。


 そして今、少女たちにコーチになってくれ、と懇願こんがんされている。


 目が回る怒涛どとうの勢いだ。


 思い返せば大学を卒業してからこの一年、世界は灰色に染まり、あまりにも時間の歩みが遅く、泥沼を進んでいるようだった。


 物理的にも、精神的にも、俺は閉じこもって外を向こうとしなかった。


 ここで、それに終止符を打つべきなのかもしれない。


 でも、心の奥のもう一人の自分は『もうMBバレーには関わるな、全部忘れて普通の人生を歩もう』とささやいてくる。


 隼人の煮え切れない態度を見て、千尋が諭すように言う。


「隼人君、あなたにコーチをお願いしようと思ったのは、何も友人だからという理由だけじゃないわ。あなたのお父様からもお話を伺ったけど、MBバレーとは縁を切ろうとしていたそうじゃない。確かに〈魔熱病〉は重い病気だけど、完全にMBバレーから離れるなんて、あまりにも悲しいわ。学生の時のあなたは、MBバレーがいかに面白いスポーツか、あんなに楽しそうに語っていたじゃない!」


「楽しかったからこそ、もう関わりたくないんだ……」


 二度とMBバレーをプレーできない自分が惨めで嫌になる。


 千尋は隼人の答えを予想していたのか、妥協案を提示する。


「分かったわ、隼人君。一か月でいいから、二人を見てあげて。試用期間ってやつよ。それで私たちに愛想を尽かすのなら、それで構わない。迷惑だろうし、二度と連絡しないから」


 千尋の粘り強い交渉に、隼人は長い沈黙の後、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「はあ……エリスも、暗子も、顔を上げてくれ」


 二人が不安そうに隼人の顔を見つめる。


「一か月だけMBバレーの基礎を教えるよ。その後はちゃんとした人に習ってくれ」


 その言葉を聞いた松百ペアは、隼人の手を握ったまま飛び跳ねる。


「やった、やった、やった! コーチだ!」


「ありがとうっす! 隼人にいコーチ‼」


「おい! 引っ張るなよ!」


 コーチという呼び方に隼人は満更でもなさそうに口角を上げた。


 そのとき、ドン、ドンという重低音が闇夜に響き渡り、花火が空に広がった。


「何だ? 祭りか?」


「あー、日天島って、結構〈魔法〉の花火が上がるのよね……観光客向け花火みたいな」


「海外から来たお金持ちが頼むこともあるらしいっす!」


「なるほどね……タダで花火を見られるのも〈魔法都市〉の特権か、悪くない気分だ」


 隼人たちは手を繋いだまま、夜空に咲くきらびやかな炎の花々をゆったりと眺めていた。



「あのー、騙すようで非常に申し訳ないけど、隼人君はコーチとして雇いません」



「は?」


 千尋のちゃぶ台返しに隼人たちは同時に疑問の声を上げる。


「これをどうぞ」


 千尋が一枚の紙を差し出してきた。


 隼人は少女たちと手を離し、それを受け取る。


「契約書? 千尋が家まで取りに行っていたやつか?」


 そこで隼人はいまさらながら違和感を覚えた。コーチの契約書って会社の書類になるよな。会社に置き忘れるならともかく、わざわざ家に持ち帰ることがあるのか?


 隼人は契約書を読み進める。


「えーと……管理人?」


 隼人は自分の目を疑って、契約書を何度も読み返すが、どこにもMBバレー部コーチについての記載はない。


「そうよ! 隼人君。私がポケットマネーであなたをこの別荘の管理人として雇います。あなたはここに住んで、プロボッ〇スで二人を高校まで送迎し、必要なものがあれば買い出しに行き、別荘では掃除、洗濯、ゴミ出し、食事の用意、その他諸々の雑務を全部やってもらいます」


「……なぜ?」


 混乱の中、聞きたいことは山ほどあるが、隼人はどうにか二文字を絞り出した。


「社長がスタッフの増員を認めないからよ! 経営陣の中で私に情報をリークしてくれる親切な人がいるんだけど、その人曰く社長は、MBバレー部をあと一年で潰すつもりらしいの。表向きはエリスと暗子の成績不振を理由にね。まあ、これは否定できないけど……とにかく廃部を防ぐためには、二人が高校二年生の間に何が何でも結果を出す必要がある。具体的には五月に日天島開催のジュニア大会が新設されて、仙石建設も協賛しているわ。社長も招待されて見に来る予定よ。ここが最大のアピールができる大会だと思う。この大会に向けて、おじい様と相談して対策を考えた結果、この別荘の管理人という名目で偽装して人を雇い、その人にこっそりコーチとして働いてもらうことにしたの。本当は長期の契約をしたかったけどね」


 千尋がちょろりと舌を出す。


 説明を聞いて、隼人の頭に雷鳴のごとく閃きが走る。


「ああっ! だから実績のない俺にコーチの話がきたのか……有名な元選手だとすぐコーチだとバレるし、住み込みで雑務なんかしてくれるわけがない。偽装彼氏の次は、偽装コーチかよ」


 隼人はダルそうな顔をした。


「そういうことよ! もしこのことが社長にバレたらどうなるかわからないわ……怒りを買って、その時点でチームが潰されてしまう可能性もある。だから絶対バレないようにしてね。エリスと暗子も隼人君のことを、決してコーチと呼ばないように気をつけて‼」


「分かりました。四月からよろしくね、隼人!」


 エリスは隼人の背中をバシバシと叩く。


「よろしくお願いするっす、隼人にい!」


 暗子は隼人の肩に手を当てた。


「あ、ああ……こちらこそよろしく」


 そのとき、隼人はふと気づいた。


 この別荘に管理人として住むってことは、JKペアと同居するってことじゃないか。


 成人男性と未成年女子二人が一緒に住むなんて許されるのか?


 隼人は二人の着替えをのぞいてしまったこと、エリスの部屋で胸を触ってしまったことを再び思い出す。


 隼人は恐る恐るエリスと暗子の顔を見て、最後に千尋の顔を見る。


 みんなやる気に満ち溢れていて、いい顔だ。


 ま、まあ、一か月間だけだし、誰も気にしていないならいいか。


 何かあっても断じて俺のせいじゃない。


 こうして岩崎隼人は、女子高生二人と共同生活をしながら、MBバレー部の秘密のコーチとして働くことが決まり、無事無職、又はニートを脱出することになった。

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