第6話 勝負と報酬

 隼人は千尋から紺色のサーフパンツを渡された。


「別荘に置きっぱなしの兄さんの水着よ。兄さんも180以上あって体格は似たような感じだから、隼人君でも履けると思う」


 その言葉通りサイズに問題はなく、隼人はサーフパンツ一丁の姿でビーチコートの脇にたたずんでいる。久方ぶりに太陽の熱と心地よい潮風を素肌で感じるが、それとは裏腹に胸の奥には不安が渦巻いていた。


(どうしたもんかな……)


 この一年、試合どころかトレーニングさえ全くしていない。かつて鍛え上げた筋肉たちは見る影もなく落ちてしまい体は完全になまっている。


 JKとはいえ、現役プロのペアに勝てるのか?


 いや、待て。そもそも俺はコーチになりたいわけじゃないんだ。負けたところで何の問題もない。


 だが、あからさまに試合で手を抜いて千尋の心証を悪くすれば、仙石建設の会長や社長にどんな報告をされるか分からない。最悪の場合、親父の出世に影響が出るかもしれない。それだけは絶対に避けなければならない。どうにか接戦を演じることができればいいのだが。


 隼人はネットを挟んだ反対側のコートに目をやる。エリスは陽光で煌めく金髪を運動の邪魔にならないようポニーテールに束ね、暗子は風で乱れた黒髪を手で梳いていた。


 髪型を整えた二人はその場でストレッチを始めた。


 まず足を片方ずつ前後に大きく振る。次に膝を曲げながら足を横に大きく開いて、股関節をぐりぐりと回していく。


 特にやることもない隼人は、青ビキニのJK二人をぼうっと眺めていたが、気がつくと足が勝手に動いていた。何かに引っ張られるように彼女たちのコートサイドへ歩みを進めていく。


「おーい! お二人さん」


「敵のくせに一体、何よ!」


 鋭い目でエリスに威嚇いかくされる。


「ストレッチするのはいいが、下半身だけじゃなく、上半身もきちんとやったほうがいいぞ。肩や腕の可動域も重要だ。あと、もしかしてボールを使ったストレッチはしてないのか?」


「ボールっすか?」


 暗子が不思議そうな目で見てくる。


「やっぱり知らなかったんだな……基本的なことだけど、ストレッチは何のためにしているのか、理解してやってるか?」


「そんなの体の可動域を広げるとか、ケガをしないためでしょ⁉」


 エリスが即答した。


「それは求める結果であって、目的じゃない。ストレッチにしろ、トレーニングにしろ、みんな試合で勝つことを目的にやっている。英語で言えば『ウイニングマインド』――勝つための気持ち。そして勝負に勝つために自分が何をするのか、選ぶことが重要なんだ」


「それは、そうだと思うっすけど……」


 暗子は隼人の言葉がよく飲み込めず、困った顔をする。


 隼人は自然と指導者のように語りかけていた。


「当たり前と言えば、当たり前だが、勝利を目指すには、実際の試合を想定してあらゆる準備をする必要がある。それは何も試合の作戦をじっくり練ることや日頃の練習をどう組み立てるか考えるだけじゃなくて、ストレッチにも試合の意識が必要なんだ。だから肩や腕のストレッチには、試合中の動きをイメージできるようにボールを使ったメニューもある」


「なんと⁉、それは知らなかったっす!」


 暗子が目を輝かせる。


「そ、そんなこと言われたって、ストレッチの本には書いてなかったし……」


 エリスが目を泳がせる。


「まあ、俺もバレーの先生や、ペアを組んでいた小野寺さんに習って知ったことだ。とりあえずボールを持ってきて実演を――」


「って! 何でコーチでもないアンタに指導されなきゃいけないのよ! あっちに戻りなさいよ‼」


 エリスがビシリと反対側のコートを指差す。


「す、すまん……」


(やば! MBバレーに触れるのが久しぶり過ぎて、つい楽しくなって教えてしまった。いかん、いかん)


 隼人はまぶたを閉じて、数秒、目元を押さえた。


 元の場所に戻ると、ちょうど水着に着替えた千尋がやってきた。


「どうも、お待たせ」


 千尋は大胆な黒のホルターネックのビキニだった。


 肉づきが良く、深い谷間が見える。


 胸はエリスや暗子より大きい。大学生の時から巨乳だったが、この一年でさらにデカくなってないか。


 千尋は隼人の視線に気づいて、頬をかく。


「そ、そんなに見ないでよ……ストレスで少しぽっちゃり気味で……」


「わ、悪い……」


 隼人は胸元に吸いついていた視線を慌ててはがす。


「ちょっと⁉ 千尋さんを変な目で見ないでよ! 変態‼」


「あ、は、は……あの~、千尋さん、試合のルールを教えて欲しいっす」


 暗子が苦笑いをしながら、気まずい空気を流そうと話を進める。


「そうね! ルールに疑問があったら言ってね」


 千尋が勝負のルールについて詳しい説明を始める。




 仙石建設MBバレー部特別勝負。


【対戦カード】

 ・岩崎隼人・仙石千尋の岩仙いわせんペアVS松田エリス・百地暗子の松百まつももペア。


【対戦形式】

 ・15点1セットマッチ。デュースなしの点数打ち切り。


 ・両チームの合計得点が5の倍数になるたびにコートチェンジする(野外で行うMBバレーは、風向きや日差しの向きで有利不利が発生するため)。


 ・タイムアウトは無し。


 ・〈魔法〉のセブンオーダーは申請する審判がいないので、紙に書いておく。記録した7種の〈魔法〉以外を使ったら反則負け。


 ・他は公式ルールに準拠。




「一応聞いておくけど――」


 エリスが隼人を見据える。


「――〈魔熱病〉のくせに試合をして大丈夫なの? 後から試合はノーカンなんて言われても認めないわよ!」


「主治医から、三十分から一時間程度なら無理をしなければ大丈夫だと言われている。まあ、あんまり体に良くはないけどな」


 隼人の返答に千尋が補足を入れる。


「通常の3セットマッチは難しいと思うけど、大会の予選でよくある1セットマッチなら大丈夫でしょう……あとボールのラインアウトやタッチネットは、その都度判断するということで……」


 隼人が手を挙げる。


「他の反則は、指摘していいのか?」


 MBバレーでは、相手側に軽微けいびな反則があった場合、こちら側に1点加点される。


「う~ん、よっぽど酷いときだけね」


「分かった……それにしてもお前、MBバレーできたんだな……」


 大学生の時に国内大会の応援に来てくれたことはあるが、まさか千尋が自分から興味を持って、MBバレーをプレーしているとは夢にも思わなかった。


「べ、別に二人の練習に協力するためにちょっとだけよ。得意でも不得意でもないって感じだし……」


 千尋は早口で答える。


(……まあ、千尋の腕は低く見積もっておくか)


 隼人は頭の中で、ちょうどいい感じに戦ってぎりぎり負けるシミュレーションを組み立てる。負けたら『一年間のブランクが辛くて』とでも言い訳すれば誤魔化せるだろう。


「ルールの確認はこれでいいですよね! さっさと始めましょう‼ 言っておきますけど、いくら千尋さんだからって手加減しませんからね‼」


 エリスが鼻息荒く、勝負を急かす。


「エリスどうどう、最後に勝負の結果で、何がどうなるかを確認したいっすけど……」


 暗子がエリスの肩を抑えながら、申し訳なさそうに言う。


「そうね……そこが一番重要ね」


 千尋が表情を引き締める。


「あなたたちが勝った場合は、隼人君にはコーチを諦めて帰ってもらいます。逆に私たちが勝ったら、晴れて隼人君をコーチに迎えます、という感じにしようと思っていたけど……」


 千尋が言葉を途中で区切り、隼人の顔を見つめる。


「何か問題でもあるのか?」


 俺もその条件だと思っていたんだが。


「よくよく考えたらこの勝負、隼人君が無職を脱して社会人になれるかどうか、人生の岐路の戦いのわけじゃない? 隼人君は負けたら人生終了、とまではいかないけど、すごく損をするのに、松百ペアは負けたところでコーチを得るだけで特に損はないと思うのよね。これって対等な勝負じゃない気がして」


「いや、俺としては――」


 特に何かが欲しいわけじゃない。話がややこしくなる前に試合を始めたい。


 そのとき、エリスが大声で宣言した。


「はんっ! そこまで言うんだったら、試合に負けたら何でも言うことを聞いてやるわよ! アンタもこの条件なら勝負を受けるでしょう‼」


「エ、エリス⁉ 何言ってるっすか? もし、忍者の世界でそんなことを言って敗北したら、拷問されちゃうっす!」


「ご、拷問⁉ 痛いの?」


「くのいちはエッチなことをされるって、父上が言ってたっす!」


「エ、エッチなこと……」


 エリスはポッと頬を染めると、隼人に向かって拳を握り、ブンブンと振り回す。


「このー最低、変態男! アンタにだけは絶対負けないから‼」


(俺は何も言ってないんだが……というか暗子って忍者の家系なのか? まあ、〈魔法〉で具現化させた手裏剣を使っていたから、そんな気はしていたが……)


 日本では古来より、陰陽師、密教の僧侶、修験者、忍者などが〈魔法〉を使っていたとされている。彼らの科学で説明できない技や術は、実は〈魔法〉の力だったらしい。特に土遁どとん火遁かとんの術など〈忍術〉の多くは分かりやすく〈魔法〉だった。


 隼人が謎の納得感を得ている間に千尋が話をまとめ、松百ペアが負けた場合は、隼人の言うことを二人がそれぞれ一つ聞くという条件が足された。これで勝負前のルール確認は終わりだ。


 コイントスの結果、勝利した松百ペアがサーブ権を取り、岩仙ペアがコートの選択権を得た。


 隼人はビーチコートの砂を右手ですくい上げ、目線の高さで落とす。


 風に乗って砂粒がサラサラと流れていく。


 隼人は砂の軌跡を目で追いながら、風の強さ、風向きを読んでいく。


「コートに対して分かりやすい縦風か……じゃあ、こっちだな」


 隼人はMBバレーで有利とされる風下側のコートを選択した。

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