#34 最強と最恐

 陰陽寮の長い長いアプローチでは、晴明と雷明の戦闘が続いていた。二人が互いに衝突させ合う式神の風圧により、道辺で咲き誇る桜の花が舞い散っていく。



「このまま、一生決着がつかないなんてことないですわよね」


 建物の入り口近くの階段で、彼らの戦闘を見守ってるお嬢が、春明、吉平、吉昌に問いかけた。


「本当、そう感じちまうほどだな。あいつらずっと涼しい顔をして、最上位の式神を召喚し続けてやがる」


 春明は苦笑いをしながらお嬢に答えた。


「これくらい、晴明様にとっては朝飯前だ。……ただ、一筋縄ではいかないとわかってはいたが、雷明もここまでやるとは」


 難しい顔をする吉平を見て、吉昌の表情は不安を隠せなくなっていた。


「大丈夫ですよね、晴明様……」


「……ああ、きっと大丈夫だ」




「いつまで続けるつもりだ?」


 雷明が怪訝な顔をして晴明に問いかける。


「いつまでだろうね。君が諦めてくれるまでかな?」


 晴明はニヤリと笑いながら雷明に答えた。その神経を逆撫でるような表情に雷明はさらに顔を曇らせる。


「陰陽師というものは、いつの時代も不快極まりないな。私も同じ一族であることが恥ずかしくて仕方がない。……もういい。すぐに終わらせてやる」


 雷明が晴明に向かって右手を突き出すと、彼の背後から二体の白虎が現れて晴明に向かって並走しながら突進してきた。


「青龍、白虎、白虎」


 晴明がそう呟くと、晴明の足元から青龍が勢いよく昇ってきて、晴明のことを突き上げた。彼が宙を高く飛ぶ。

 青龍と同時に晴明の後方から現れた二体の白虎は、雷明が召喚した白虎と衝突し合った。

 高く飛び上がった晴明は、呪符を構えながら雷明に向かって落下していく。


「この悪霊を祓いたまえ、急急如律令」

「やれ、朱雀」


 晴明が雷明に近づいた瞬間に、雷明は朱雀を召喚して晴明にぶつけようとした。しかし、晴明の後ろから彼の後を追い、そして晴明を追い越した青龍によって、朱雀は噛み潰され消失する。青龍はそのまま雷明に向かって突っ込んでいく。


「玄武」


 晴明の使役する青龍は、雷明によって召喚された玄武とぶつかり、両者の式神は消失した。

 晴明は雷明の手前に着地すると、呪符を貼り付けようと彼の胸元へと右手を伸ばした。

 しかし雷明は瞬時に晴明の手を右手で受け止めて、彼の首目掛けて手刀を振った。


「ん?」


 雷明の手刀を首で受け止めた晴明は、まるで攻撃なんて受けていないかのようにケロッとしている。


「貴様……自らの体に結界を張っているのか?」


「その通り!」


 嬉々として答えた晴明は、呪符を事前に貼り付けていた左手拳を雷明の顔面にお見舞いした。

 雷明が後ずさりして、苦しそうに呻き声をあげる。


「貴様……何をした!!」


「あれ、これで並大抵の悪霊なら除霊できるんだけどなあ……さすが、大悪霊様だね」


「今決めた……貴様は地獄の苦しみを味わわせながら殺してやる」


 雷明が目を見開きながら、晴明に対して怒りを露わにした。


「すまない、私は地獄を知らないんだ」


 哀れむような目を向けて晴明は返答する。

 すると雷明は剛速で晴明に飛びかかって、拳を振り翳した。晴明が慌ててそれを手で受け止める。


「これは……体に結界を張っていなかったら一瞬で木っ端微塵だな」


「いつまで耐えられるんだろうな」


 雷明はすぐさま二発目、三発目の突きを晴明に繰り出した。そのまま、目にも止まらぬ速さで打撃を繰り返していく。

 晴明は真剣な顔でそれを防ぎ続けた。ギリギリではあるが、なんとか雷明のスピードに対応していく。


「貴様らの所為で私たち家族はバラバラになってしまった。貴様らのくだらない風習のせいで! 貴様らのくだらない考え方のせいで!!」


「それは私たちには関係ないな。私たちの先祖がしでかした事を、私たちに当たられても困る。それは、君のエゴでしかない」


「黙れ!! 私たちは幸せになるはずだった。桔梗と正道まさみちとの三人で、幸せに暮らすはずだったんだ!!!!」


 雷明の強力な一撃が晴明の胸部に放たれる。晴明はそれを両腕を交差しながら防いだが、激しい衝撃音と共に数メートル後方へと吹き飛ばされた。

 晴明は体の結界を破られてしまったことに気がついて、新しい呪符を自らの頬に貼り付けた。再び結界が晴明の体を纏う。


「それで、結局君は私たちにどうして欲しいんだい?」


「滅べ。それが私たちにとっての救いだ」


 雷明の言葉を聞いて、晴明はわかりやすくため息をついた。


「傲慢だな。本当に君は、君たちは、それで救われるのかい? 私からしてみれば、君は自分がされたことを他の人にやり返す、ただのクソ野郎だ」


「クソ野郎……だと?」


 雷明が静かに、しかしピリつくような怒り声をあげた。

 辺りの風が強まっていき、桜の枝がミシミシと音を立てながら花を散らしていく。先程まで晴天だった空に、みるみると黒雲が立ち込めてくる。

 その様子を、寮内にいる安倍家の陰陽師と彩葉、そして入り口の階段に居る春明、お嬢、吉平、吉昌は不安な表情で見つめた。


「怒りを通り越して呆れるほどだ。本当に陰陽師というものは……。もう良い。今すぐに破滅しろ」


 曇天に向かって、雷明が手を振り上げる。その様子を見て晴明はニヤリとする。


「来い、麒麟」


 雷明が手を振り下ろしたその時、天から雷を帯びた馬のような幻獣が降りて来た。それはこの世のものとは思えないほどに神々しく、美しかった。

 麒麟がゆっくりと降り立ち、雷明の横に鎮座する。


「陰陽師における最上位の式神たち。その中でも別格の存在と言われている“麒麟”。それが君の切り札と言う訳か。今までその式神を使役できた者はいなかったと聞いている。……まさか、君がそれを扱うとは。皮肉だな……」


 晴明は目を細めながら、少し悲しい表情をした。


「さあ、終わりだ」


 すると、麒麟を中心にみるみると辺りに煙幕のようなものが立ち込めていった。


「我を中心とし結界を結ぶ、急急如律令!」


 晴明が取り急ぎ四枚の呪符を宙に放ると、その札は四方に飛んで行き、晴明を中心に広域結界が張られた。結界内には、晴明、雷明、そして麒麟が入っている。

 向こうから見ていた春明たちは、麒麟が出した煙幕のようなものにより、結界内の様子が全くわからなくなってしまっていた。それはさながら、地上にできた積乱雲である。


「晴明様!!」

 

 暗雲に飲み込まれた晴明を見て、吉平がそちらに向かって駆け寄ろうとした。しかしすぐに春明に着物の襟元を掴まれて、それは阻止された。


「何をしている! 早く行かなければ! 晴明様が!!」


「落ち着け! 今俺たちが行ってもできることは何もねぇって、さっきから言ってるだろ!」


 不安な表情の吉平の肩に、吉昌がぽんと優しく手を置いた。


「今僕たちにできることは、晴明様を信じることだけだよ」



 暗雲の中では、晴明が顔を引き攣らせていた。視界が悪く、辺りで発生している雷が体中に襲いかかる。結界を体に纏っていなければ一瞬で感電死してしまうほどだろう。

 しかし、煽りに煽った甲斐もあって、雷明の奥の手を早い段階で引き出すことができたのだ。ここを凌ぐことができれば私たちの勝利。そう信じて、晴明は雷明が居るであろう方向に歩みを進めていった。

 次の瞬間、晴明の横を光速で何かが横切る。それと同時に晴明の左腕に激痛が走った。麒麟が横切り、晴明の体を傷つけたのだ。

 晴明の左腕部分の着物は焼け落ち、患部は爛れたように赤く腫れ上がった。


「おっと、これは少しまずいか?」


 顔を強張らせる晴明に向かって、次は暗雲の中から突然現れた雷明が拳を振り翳してくる。

 ぎりぎりそれに反応した晴明は、右手で受け止めた。


「ほう、まだ動けるか」


 すぐに雷明は、闇の中に消えていく。

 雷に打たれ続けるような感覚に、体が悲鳴をあげている。立っていることもやっとなほどだ。

 晴明はゆっくりと上を見上げた。


「これが最後だ。頑張って私についてきてくれよ。式神たち」


 すると、再び麒麟が晴明に向かって飛びついてきた。


「白虎、青龍!」


 晴明の掛け声とともに、どこからともなく現れた白虎が高速の麒麟に噛み付いた。雷に打たれて苦しみながらも、白虎は口から麒麟を離さない。少しだけ、麒麟のスピードが落ちていく。麒麟の攻撃を躱して青龍に飛び乗った晴明は、麒麟に追いついて呪符を貼り付けた。


「解!!」


 しかし、麒麟は嗎をあげるだけで何も起こらない。


「ちっ、まだだめか。もっと力を消耗させないと……」


 すると、晴明の後方から青龍に乗った雷明が追いかけてくる。雷明の青龍が晴明の青龍の尾に噛みついて肉を挽きちぎった。その衝撃で青龍が消滅して、晴明の体は地面に投げ出される。


「くっ」


 ゴロゴロと地面を転がる晴明に向かって、雷明は拳を構えながら飛びかかった。


「朱雀!!」


 雷明に向かって、四方から四体の朱雀が突進してくる。しかし、雷明の体の周りに円を描くように稲妻が走り、朱雀たちに直撃する。そして四体の朱雀たちは同時に消滅していく。


「安倍晴明!!!!」


「急急如律令」


 晴明は自らの右手のひらに呪符を貼り付けて、それを雷明の拳に向けた。雷明の拳と晴明の手のひらの間に、小さな結界が生まれて光を放ちながら衝突する。


「くそっ」


 雷明はすぐに反対の手で握り拳を作って、それを振り上げた。


「私の全てを貴様にぶつける! さあ、死にゆけ!!」


 電気を帯びた雷明の拳は、晴明の頬に直撃した。その強力な一撃に“パリン”と晴明の体に纏っていた結界が破れる音がする。


「これほどの憎しみの力……君は本当に辛い思いをしてきたんだろうな。悔しいことに、本当の意味でそれを私が知ることはできない」


 頬で拳を受け止めた晴明の言葉を聞いて、雷明の眉がピクリと動く。


「この仕打ちは当然の報いなのかもしれないな。……だけどな、私にも守らなければならないものがある。もう少しだけ抗わせてもらうよ」


 晴明がそう言った瞬間、彼の後方で白虎に噛み付かれた麒麟が飛び出してきた。

 晴明が呪符を掴みながら、最後の力を振り絞って振り返る。


「解!!」


 晴明は呪符を麒麟に貼り付けた。




「あ、晴れてきた!」


 陰陽寮、入り口付近の階段から晴明と雷明の戦いを見守っていた吉昌が叫んだ。地上にできた黒雲により、戦いの様子が一切わからない状態であったが、ようやくそれが霧散し始めた。


「晴明様はどうなった!?」


 吉平、吉昌、春明、お嬢は黒雲が晴れていくのを静かに見守った。二つの影が薄らと見えてくる。一人は座っていて、もう一人はその側で立っているようだった。


「あ…………」


 吉平が言葉にならない声を漏らす。

 身体中を赤く腫らし、衣類も体もボロボロになってぐったりと座り込んでいる晴明と、その近くでは息を切らしたような動作をする雷明が立っていた。


「手こずらせやがって。貴様は今まで会った、どの陰陽師よりも強かった。……それだけは褒めてやろう。……この言葉もどうせもう聞こえてはないだろうがな」


 雷明が晴明の体を小突くと、晴明は、ぐしょりと地面に倒れ込んだ。


「せ……晴明様…………?」


 吉平が目を大きく見開いて、涙を浮かべながら呟いた。晴明との修行の日々が、彼と過ごした日常が、脳内でフラッシュバックしていく。

 吉昌も晴明の方を見ながら、涙を流していた。


「どうし……どうして……」


 怒りとそしてその感情に勝るほどの絶望感が吉平と吉昌に襲いかかってくる。


「狼狽えてんじゃねぇ!!」


 春明の叫び声に二人は、はっとした。


「晴明さんが作ったチャンスを無駄にするな。俺たちでやるんだ。雷明は俺たちが倒すんだ!」


 春明の言葉を聞いて、吉平と吉昌は涙を拭いながら懐から呪符を取り出す。

 覚悟は決めていたはずだ。あとは、手筈通りに動くのみ。


「「「白虎」」」




「ハー、ハー、ん?」


 一体の白虎が雷明に向かって走ってくる。


 跨っているのは明親あきちかか? しかし、彼はとうの昔に死んでいるはずだ。ならば明親の幽霊? いや、別人だ。祠の中からずっと奴の気配を感じ取っていた。睨みつけていた。彼は明親の子孫の——


「次は貴様か! 来い!」


 雷明が春明に向かって手を突き出すと、朱雀が現れて春明目掛けて飛んで行った。

 しかしその朱雀は、突如現れた吉平と吉昌の乗る白虎によってX字状に切り裂かれる。


「何!?」


「俺だけじゃねー。晴明さんの弟子たちもお前の相手だ」


 桜散る石畳の上で、春明、吉平、吉昌は息を切らす雷明と睨み合った。

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