#33 五百年の時を超えて

 美波が蹲る忠司の方へ駆け寄った。


「大丈夫ですか!?」


「君は……何者なんだ。どうしてここに……」


「あなたたちの頭首……安倍晴明から、ここが雷明に襲われると聞いていました。あなたたちを助けるために、レイはここに来たんです。私は彼女の付き添いです」


 そう言って美波はレイの方を見た。レイは桔梗と睨み合っている。


「そうか……助かる。光樹を……そこで倒れている彼女のことを先に見てやってくれ。首をやられてしまっているかもしれない」


 忠司は震える手を伸ばした。美波がそちらに視線を向けると、中性的な容姿の陰陽師が倒れている。口から泡を吹く彼女を見て、美波の腕には少しばかり力が込められた。


「わかりました。あなたのこともすぐに手当てしますからね」




 レイと桔梗は互いに睨み合っていた。

 悪霊“桔梗”。春明たちが警戒していた悪霊。わかっていることは、生者の体を操れること、そして他の幽霊を使役すること。それ以外にも何か攻撃手段があるかもしれない。きっと簡単に勝てる相手ではないはずだ。その考えがレイの行動を慎重にさせる。


「貴様、ピエロを探しているのか? 残念だが、私はピエロの居場所を知らない。骨折り損だったな」


「そうなんだ、でも知らなくたっていいよ。私もあんたには恨みがあるからね」


 レイはあくまで落ち着いた口調で桔梗に答える。桔梗はレイの言葉を聞いて薄ら笑いを浮かべた。


「そうだそうだ。そうだったな」


「明宏さんを殺した仇をとってやる!」


 レイの言葉を聞いて、桔梗は一瞬ぽかんとした顔をした。桔梗の想定外の反応にレイは「え?」と不安な表情をさせる。そんな彼女のことを見て、桔梗はすぐにケラケラと笑い声をあげた。


「そうか。それもそうだな」


「何がおかしいの!」


「まさか、明宏を殺したことだとは思わなくてな。よいよい。それならば良いのだ。最も貴様は覚えていなかったのか。それはそれは、幸せ者だな」


「は?」


 すると、桔梗の体が消えた。否、あまりにも鮮やかな動きで突然消えたように見えた桔梗は、一瞬でレイの近くに現れた。そして彼女は華麗な身のこなしでレイに回し蹴りを打ち込んだ。


「あがっ」


 反応が遅れたレイはそのまま数メートル先まで吹っ飛ばされてしまう。それを見た美波は「レイ!!」と声を上げた。


「別に、誰かの体を乗っ取っていなくたって私はそれなりに強いんだ。今の私なら貴様くらい、余裕で捻りつぶせる」


 すると、レイも負けじと桔梗の近くに駆け戻り、彼女の顔面に強烈なフックを喰らわせた。桔梗はその衝撃で首を横に捻らせたまま、ギロリとレイを睨みつける。


「あんたに私の何がわかるの? 私だって負けてない」


「ぬかせ」


 それからは、彼女たちの打ち合いが続いた。互いが引けを取らず、激しくぶつかり合う。



「思ったよりもやるな。これでは決着がつかない。そろそろ本気でいこうか」


 桔梗が上に手を振り上げると、地面から人の原型を留めた悪霊が二体現れた。どちらも黒いオーラに染まっているが、頭には烏帽子をかぶり、着物を着ているように見える。一人はサラサラの髪を胸の辺りまで伸ばした細身の男。もう一人は短髪で体が大きく、ゴツゴツとした厳つい男のようだ。


「ちょっと、ずるくない?」


「ずるくなどないさ、私が手塩にかけて育てた悪霊だ」


 すると、二体の悪霊がそれぞれ手を前に構えて印を結ぶようなポーズをとる。


「来い、青龍」

「来い、朱雀」


 彼らの言葉を唱えると、どこからともなく青龍と朱雀の式神が現れた。最上位の強さを誇る二体の式神がレイに襲いかかる。


「あれは……陰陽師の悪霊!!?」


 式神の召喚を見た忠司は、驚きの声をあげた。


「ははっ、そうだ。五百年前、私が殺した陰陽師、『芦屋川人かわひと』と『賀茂光善みつよし』の亡霊だよ」


 桔梗が目を見開いて言う。

 レイが突進してくる朱雀を咄嗟に躱すと、次に畝りながら飛びかかってきた青龍を上方向に力いっぱい蹴り飛ばした。青龍は蹴られた勢いでそのまま天に向かって昇っていく。

 しかし、レイが蹴りを入れた際、青龍の鱗がレイの足を擦り上げて傷つけた。レイの足からは煙のようなものが昇り「くっ」と苦しみの声を漏らす。けれどこんなところで弱音を吐いてはいられない。

 レイはそのまま川人の懐へと駆け込み、細身の身体に鋭い突きを喰らわせた。

 しかし、後ろから光善によってレイの体に呪符のようなものを貼り付けられる。その嫌な感触にレイは目を見開いた。


「我、この悪霊を滅す、急急如……」


 光善が呪文を唱え終える前に、彼の目の前を虹色の矢が横切った。光樹の近くで屈む美波が、光善に向かって矢を放ったのだ。その際、驚異的な精度で放たれた矢は、レイ貼り付けられた呪符を掠め取っていた。


「鬱陶しいな、あの赤髪の女を先にやってしまえ」


 桔梗が川人に命令すると、彼は美波に向かって走り出した。美波が急いで次の矢を顕現させて、彼に向けて狙いを定める。


「当たれ!」


「玄武」


 彼女が放った矢は、川人が呼び寄せた巨大な甲を持つ式神『玄武』によって防がれてしまった。そのスケールの大きさに美波は顔を歪ませる。


「嘘……やば……」


 式神の召喚によって、一瞬硬直した川人に追いついたレイが彼の頭を鷲掴みにして、地面に叩きつけようとした。しかし、川人はそのまま地面を透過すると、スゥと地面を経由して桔梗のそばへと戻っていった。

 美波とレイが隣り合わせで、桔梗たちのことを睨みつける。


「もう諦めろ。羽虫どもが群れて飛びかかってきたところで私には勝てないよ。それにそこの赤髪、GHの貴様がその幽霊に、そして陰陽師になぜ手を貸している? そんな義理はないはずだろう」


「あの……もう私はGHじゃないです。……あと、襲われている人がいたら助ける。当たり前のことをしているだけですよ」


 美波の言葉を聞いて、桔梗は呆れたように笑い始めた。


「何笑ってるんですか」


「いや、くだらない正義感だと思ってな。つい笑いが漏れてしまった。もう良い。偽善者め」


 美波の視線と桔梗の視線が重なり合う。

 何かに気がついた忠司が美波に向かって叫んだ。


「赤髪!! 桔梗の目を見るな!!!!」


「え?」


「もう遅い」


 次の瞬間、美波がガクッと頭を下げた。桔梗の体が倒れていき川人と光善の悪霊に支えられる。

 レイと忠司が、目を見開いて美波のことを注視していると、彼女はゆっくりと顔をあげてニヤリと笑った。


「本当に、阿呆よのう」


 忠司の恐れていたことが再度起こってしまった。今度は美波の体が桔梗に乗っ取られた。

 美波は矢の神器を顕現させて手に持つと、自らの首に突き刺そうとした。それを見たレイがすぐに腕を伸ばして、矢を持つ美波の腕を掴む。しかし、幽霊であるレイの体は、数十秒もすると美波の腕をすり抜けてしまった。


「だめーーーーーーーー!!」


 すると、美波は反対の手でもう一つ矢の神器を顕現させた。そして、それをレイに向かって振り翳す。


「あ————」


「ピィーーーーー!」


 美波の首とレイの眉間に虹色の矢が突き刺さる一歩手前、どこからともなく現れた朱雀の式神が、美波の手から二本の矢を掻っ攫っていった。

 レイが急いで美波から離れ、座り込んでいる忠司のそばに寄った。


「……もう体の調子は大丈夫なのか?」


 美波が語りかけた方向に、レイと忠司は顔を向けた。


「保憲様!!」


 忠司が驚きの声を上げる。そこには、一年半ほど部屋に篭り切りだった賀茂家の頭首——賀茂保憲が立っていた。白い寝巻き姿で顔はすっかり窶れてしまっている。

 保憲は少しふらつきながら美波の元へと近づいていった。


「保憲様! 危ないです」


 忠司の忠告を耳にした保憲は、それでも「大丈夫だ」と言いながら、美波のすぐそばまで歩いて行く。


「どうした? そんな体で私を倒しに来たか? 滑稽だな」


「いや、そうじゃない」


 保憲は苦渋の表情で首をゆっくりと横に振る。

 美波は気持ちが悪いと言わんばかりの怪訝な顔を保憲に向けて、すぐに悪霊たちに命令した。


「川人、光善。こいつをやってしまえ」


 川人と光善は保憲に飛びかかっていったが、保憲は微動だにしなかった。保憲の式神の朱雀が二人の悪霊に飛びかかって蹴散らしていく。

 保憲はがくりとその場に跪いた。


「おい、それはなんのつもりだ?」


「桔梗、お前がこんなになってしまったのは私たちの先祖の所為だ。大切な人を奪われて、さぞ辛かっただろう」


「は? 貴様に私の何がわかる?」


 美波はさらに顔を歪ませた。張り詰めた空気の中、レイと忠司はその光景をその場でただ眺めた。そうすることしかできなかった。

 保憲が話を続ける。


「わかるさ! 痛いほどにわかる。お前が非行に走ってしまうのも無理はないと、今の自分にならわかってしまうんだ。……だから…………だから私が……現賀茂家の頭首である私が、陰陽師を代表して、お前に言わなければいけないことがある」


 保憲は涙で潤む目をギュッと瞑って、ゆっくりと頭を下げた。


「おい、やめろ。そんなことをするな……やめろ」


美波はたじろぎ、顔を歪ませながら少しだけ後退りする。


「本当に……本当にすまなかった」


 保憲は声を震わせながら謝罪をした。誠意のこもった心からの謝罪。愛娘を同胞に奪われてしまったからこそ、保憲は桔梗の気持ちを理解できた。

 

 そんなもの求めていない。そんなことをされたら、今までの私はなんのために——


「やめろおおおおおおぉおぉお!!」


 美波の——桔梗の悲痛な叫び声が雑木林中に響き渡った。






 



 

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