#15 信念を持って

 レイの腕からはいつも以上に黒いオーラが放たれていた。大鬼が振り翳した棘棍棒を受け止め、とても苦しそうな顔をしている。


「うおおおおおおおらあ!!!!」


 レイは雄叫びと共に、凄まじい力で棘棍棒ごと大鬼の巨体を投げ飛ばした。そして、大鬼はそのまま向こうの床へと体を転がせた。「はあはあ」とレイの息遣いは荒くなっている。


「レイ……」


 両腕から悪霊と遜色ないオーラを放つレイのことを見て、美波は不安な表情をみせた。


「くおお、おれのえいえ、おえおせいで!!」


 横たわった大鬼は何やら呻いている。


「あいあい、あいたいよ。今度こそおあえをまおうかあ。もおこ!!!!」


 大鬼が起き上がると、レイに向かって突進してきた。レイも拳を振りあげながら、大鬼に向かって走り込んだ。


 全てを、全てを憎め。


 レイは大鬼に向かって打撃を連続で打ち込んでいった。その、一発、一発が強力な打撃を受け続けて、大鬼が怯んでいく。


「これならレイが勝てるかもしれない……でも…………」


 美波はその姿を静かに、そして不安な表情で眺め続けた。非力な自分には何もできないとわかっていたから。けれど、このままだとレイは悪霊に堕ちてしまうかもしれない。美波は何もできない自分を虚しく、そして悔しく思った。

 レイが大鬼に打撃を打ち込み続ける。

 

 もっと憎め。もっと恨め。憎い憎い憎い憎い憎い。恨めしい。何もかもが恨めしい。全部が——



 レイの脳裏にカフェ陰陽で過ごした、穏やかで楽しい日々がよぎった。

 お嬢の頬を膨らませた顔、ショタの嫌々そうではあるが言うことを聞いてくれた時の顔、アクタの爽やかな笑顔、マッチョの豪快な笑顔、フォトの穏やかな顔、明宏の不器用な笑顔、春明の少し不機嫌そうな顔、そして、達海の優しい顔。


 全てを憎むなんて無理だ。無理だよ。それだけ私は素敵な時を素敵な人たちと過ごしてきた。


 レイの打撃が一瞬止まる。その隙を見て、大鬼は棘棍棒を振り翳してレイに叩きつけた。

 しかし、その攻撃をレイは左腕で受け止めていた。それを見て大鬼の表情が歪む。


 ——だけど……だけど、今だけは私に力を——


「うおおおおおおおおおお!!」


 レイが思い切り、右腕の拳を大鬼目掛けて振り翳した。レイの右腕から放たれた強烈な打撃は、大鬼の胴体に重く衝突する。鬼の巨体は綺麗な放物線を描きながら飛んで行き、そして床に沈んでいった。


「はあはあ」と荒い息遣いのレイはその場に膝から崩れ落ちた。

 床に倒れた大鬼はピクリとも動かない。レイの打撃を受け続けた大鬼の黒いオーラは薄れて、体長は二メートルほどにまで縮んでいるように見えた。


「レイ!! 大丈夫ですか!?」


 美波はレイの元へと駆け寄った。


「なんとか……なんとか大丈夫だよ」

 

 そう言ったレイの腕から出る黒いオーラは、いつもと変わらぬまでに薄まっていた。その様子を見て、美波はひとまず安心したように息を漏らした。


「よかった。……それではブレスレットを回収して早くここから出ましょう。扉もどうにか開くといいんですけど……」

「あれ? 鬼ちゃん、やられちゃってんじゃん!!」


 聞き覚えのない声がして、美波とレイはすぐに声する方に視線を向けた。大鬼の近くの壁から灰色の着物を身に纏った女の幽霊が、壁をすり抜けて現れていた。


「また新手の悪霊ですか!?」


 美波が神器を構えて、レイは座り込んだままに拳を構えた。あの大鬼と同じ強さの幽霊だとするともう太刀打ちはできないと、美波の頬を冷や汗が伝う。


「ああ、ウチは争う気はないから。……鬼ちゃんってば、まあ暴れてくれちゃって。ゼロちゃんに怒られちゃうよ。けど、殺しはしてないから良しとしようか」


 体の前で手を交差し、戦う意志はないと伝えた後に、ぶつぶつと何やら文句のようなことを言っている着物の女を見て、美波は困惑の表情をした。

 すると、着物の女は「鷹」と言い放ち、どこからともなく三羽の鷹が現れた。鷹たちは鬼の体を鋭い足で掴み、その巨体を浮き上がらせる。


「それにしても、鬼ちゃんを倒すなんてなかなかやるね。死装束の……ああ、そっか、君が……」


 着物の女はレイのことを見て目を細めた。レイも「何?」と戸惑いの表情をみせる。


「それじゃ、もう行かないと。じゃあね!!」


 着物の女は笑顔で手を振ると、大鬼を連れて壁をすり抜けながら行ってしまった。一体なんだったのだろうか、と美波がため息を漏らす。ともあれ、一難はさったようだ。


「痛っ」


 レイが体を起き上がらせようとして声を上げた。あれだけの戦闘を行い、体力を消耗したのだ。無理もない。


「無理しないでください。ゆっくりでいいです。……結局、私は何もできませんでした。助けに来ていただいて本当にありがとうございます」


「お礼なんて言わないでよ。私は私のためにやっただけ」


 レイはそう言ってゆっくりと立ち上がった。そして暖炉の方へと歩いていく。彼女は暖炉の手前で立ち止まると美波の方へ振り返った。


「ほら、ブレスレット。早く取ってよ」


「わかりましたよ」


 仏頂面で言うレイに、美波は軽く笑みを向けて返事をした。

 レイたちはピンク色のブレスレットを拾って扉の方へと向かった。美波が取っ手を引くと先ほどまで固く閉ざされていたことが嘘のように、扉はいとも簡単に開いた。扉の向こう側では、女の子が涙目になりながらレイたちが戻るのを待っていた。


「それでは、帰りましょう」




 その後、レイたちは館を後にした。館から出るまでには、入ってきた時のような奇怪な音やポルターガイスト現象は全く起こらなくなっていた。

 部屋で倒れていたオクシラリーたちはきっとGHの誰かが救助に来てくれるだろうと、美波は放っておいた。

 今思えば、機関銃の音と狂気的な笑い声は若菜さんのものだったような気もする。鉢合わせるようなことがなくて本当によかった、と美波は安堵した。



 後日、美波は女の子に連れられて彼女の家までブレスレットを持っていた。すでに、女の子の生前の記憶は戻っていた。この女の子の名前も小山菜月であるということがわかった。

 美波がブレスレットを家のポストに入れると菜月は「ありがとう、お姉ちゃん」と言って笑顔で成仏していった。その姿を美波とレイは見守った。

 これは美波が調べてわかったことなのだが、菜月たちは行方不明者として届出が出されていたらしい。

 後日、森の館から大量の死体が見つかったことが警察庁から発表された。菜月の家族はそこで初めて彼女の死を知ることになったんだろう。しかし、その犯人が捕まったと報道されることはないだろう。なぜなら、その犯人はすでに亡くなっている人なのだから。そう考えると美波はなんだかやるせない気持ちとなった。




「体調はどうですか? レイ」


 レイが住み着く小屋で、椅子に座って机に突っ伏しているレイに、美波が問いかける。


「うん。もう平気だよ」


 レイは気だるそうに返事をした。森の館から帰って来てからレイはずっとこんな調子だ。


「菜月ちゃん、成仏できて本当によかったです。ほらレイ、今度はあなたの番です。京都に行くんじゃなかったんですか?」


 美波はレイに問いかけた。レイは今、落ち着いてはいるが、大鬼との戦いの際は限りなく悪霊に近い存在となっていた。そのことが美波にとって、ずっと気掛かりだった。


「そうだね。そろそろ行こうか……。君も来るんだよね?」


「もちろんです。今度こそ、私もレイの力になってみせますから。国内移動だったら身分証も必要なさそうでしたし。よろしくお願いします」


「……それじゃ、準備ができたら教えて。飛行機に乗れるかはわからないけど、とりあえず空港に行ってみよう」


 相変わらずの仏頂面だが、素直に言うことを聞き入れたレイに美波は少しだけ驚いた。

 まあ、少しだけ私のことを認めてくれたのかな、と美波は笑みを溢しながら準備に取り掛かった。




 何処かの地下室のような、コンクリートの壁に囲まれた場所で、金髪で白衣姿の男と黒パーカーを着た男が話合っていた。


「相棒、なんでまた、あんな悪霊を拾ってきたんだい?」


「ん? ああ、彼女のことですか? 彼女は物質を自由に動かす力を持っています。きっと彼女も僕たちの役に立ってくれるはずですよ」


「そんなこと言って、君はその子のことも助けたいーとか思っているんだろう? なんでもかんでも救おうとすれば、大切なものまで全てを失うことになりかねないぞ」


「……わかっていますよ。分はわきまえているつもりです。それに、今回の目的はちゃんと果たして来たんだから良いじゃないですか」


 そう言って、黒パーカーの男はパーカーのポケットから何やら手紙のようなものを取り出してひらひらとさせてみせた。白衣の男は少し苦い顔をして、その手紙のようなものを黒パーカーの男から受け取った。


「まあ、仕事を遂行できさえすれば、私は他のことを強く言うつもりはないよ」


「それは良かったです。……一つ質問なんですけど、死装束の幽霊があの場に来るように仕向けたのは累さんですか」


 黒パーカーの男は少し怒ったような口調で言った。


「ああ、そう怒るなよ。彼女のことを少し試したかっただけだよ」


「次そんなことしたら、僕は許しませんからね。……あ、そうだ。話が変わるんですが近いうちに京都に行こうと思うんです」


「ユアームーブの撮影かい? 一日、二日くらいなら全然良いけれど」


 白衣の男はどこから取り出したのか、気持ち悪い魚のお面とカメラを見せつける。


「いえ、……あ、撮影して来て欲しいところがあればしてきますが、少し用事がありまして。せっかくですから、また陰陽様にも挨拶しておきたいですし……」


「陰陽様? ああ、あいつのことか。私、あいつのこと苦手なんだよな。人を使って自分はぐうたら。怠惰極まりない」


「効率的で良いんじゃないですか?」


「確かに、良く言えばそうだな! いや、良くないよ! あいつは……まあ、いい。行くならさっさと用事を済ませて戻って来いよ、相棒」



 黒パーカーの男が部屋から出ると、灰色の着物姿の女が待ち伏せをしていたように話しかけてきた。


「あ、ゼロちゃん。やっと出てきた。累さんに説教されてたの?」


「いえ、大丈夫です。それよりも何か用ですか? 星奈さん」


「うん。ポルコちゃんがゼロちゃんとお話ししたいって」


「ポルコちゃん?」


「ああ、ポルターガイストの館に居た、ゼロちゃんが連れ帰ってきた幽霊。私が名付けたの」


 着物の女が黒パーカーの男に向かって笑顔でピースサインをしてみせた。


「わかりました。今行きますね」


 黒パーカーの男と着物の女は、冷たいコンクリートの壁で覆われた廊下を経由し、別の部屋へと移動した。

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