第24話 言葉の重み
数日の旅を経て、私たちは城に帰って来ることが出来た。迎えに来てくれたのは、大勢の使用人たちと王に連なる者たちだ。
すなわち、顔ぶれは出発の時とは変わらなかった。愚王にバートルとリトリ。リトリの母親たちである。
バートル王子の婚約者がいるのだから、総出の出迎えは当然のことだ。出発の時よりも使用人以外は華やかな格好をしている。
ローザに夫になるバートルは、金と銀の糸で刺繍された綺羅びやかな服を着ている。立派な服はバートルの凡庸な外見を華々しい見た目に変えて、いかにも王太子然という雰囲気を与えていた。
今のバートルを見て、悪い印象を抱くものなどいないだろう。
服を作ったデザイナーやお針子はさぞかし気を使って、服を製作したはずだ。凡庸なバートルでは、あまりに立派すぎると服に着られてしまう。
ローザは予想以上の出迎えに、目をぱちくりさせている。ここまでの歓迎は、想像していなかったのであろう。
祖国では大事にされていなかったらしいローザだから、嫁いでも冷遇されると無意識に思っていたはずだ。だからこそ、この歓迎に驚いたのである。
馬車が止まって、御者が扉を開ける。
私たちの目の前に現れたのは、バートルであった。バートルは笑顔を浮かべて、ローザに手を差し出す。
「ようこそ。ルーディニア王国へ」
婚約者に最大限の敬意を示す行為に、ローザは混乱を極めていた。私たち顔を見て、アドバイスを求めている。
致し方ないのかもしれない。
「リラックスして、バートル兄貴の手を取って。後は、たぶんどうにでもなるから」
エナは、ローザを押し出そうとする。しかし、ローザは目の前の光景を信じていないらしく、その場に踏み留まった。
「なんで、出ていこうとしないんだよ」
「だって、怖いんだもの」
エナとローザは、声を潜めて言い争っている。バートルは微笑みながら、弟と年下の婚約者のやり取りを眺めていた。
「私は、一度は失敗したのよ。愛することに、また失敗したらどうすればいいのか……」
ローザの言葉に、エナは呆気にとられた。
だが、すぐに笑いだす。
「大丈夫だ。この城には、俺がいる。俺がいる限りは、お前の考えを見破って間違えを正してやる」
この賢いオメガは、どれだけの城に渦巻く悪意を見抜いてきたのだろうか。
それらに、どのような対処をしてきたのだろうか。
私には、分からない。
けれども、その力をエナはローザのためにも使うと決めた。それはローザに対する友情のような愛情のような、どっちともつかない感情であるのだろう。
「ローザ、その手を取れ」
エナは、ローザを押し出した。
ローザは、今度は抵抗しなかった。
バートルは、外に飛び出したローザの手をとった。ローザは自分の夫になる男を見つめ、ぎこちない笑顔を浮かべる。
「お疲れでしょうから、お部屋に案内します。おっと、こちらにいるのが父でしてーー」
バートルの家族とローザが顔を合わせている間に、使用人たちは運んで来た荷物を部屋に運び出す。
あまりに大量の荷物に、これは一部屋に収まりきるのだろうかと心配になる。それぐらいに、ローザの荷物は大量だ。
これらの荷物が収納される場所は、ローザに与えられる部屋だ。といっても、仮の部屋である。
結婚式までの間は仮の部屋でローザは過ごすが、結婚後は夫婦の部屋が与えられるのである。ローザとバートルは、当然のことながら一緒の部屋で過ごすことになる。
ローザに家族の紹介と挨拶が終わったところで、使用人の一人がローザを私室に案内することになった。私たちはついていかず、案内されるのはローザと彼女が連れてきた侍女たちだけだ。
ローザが連れてきた使用人たちは、心此処にあらずと言ったふうな表情を浮かべて主に追随する。使用人たちでさえ、ルーディニア王国流のもてなしに狼狽えていた。
リテール国では、ローザには自由がなかったと聞いている。オメガということで最低限の教育しか許されず、結婚が決まるまで捨て置かれていたのであろう。
ローザの使用人たちは、ルーディニア国でも同じように冷遇されると思い込んでいたらしい。
ローザは、ルーディニア王国の国母になりうる女性である。冷遇などはありえないのは、よく考えれば分かるはずだ。
そもそも、オメガのエナもいるのである。オメガであるという差別でさえも、他の王室と比べたら圧倒的に少ないであろう。
主が主ならば、使用人も使用人である。嫁いだ主がどのように扱われるかという想像力というものが、まるで足りない。
「父上、バートル兄貴にリトリ兄貴!今、帰りました!!」
ローザの姿が見えなくなれば、エナが馬車から飛び出してきた。その姿は子犬のように見えて、王子兄弟を和ませる。愚王とリトリの母親は、エナに興味なさげであった。
「長旅をご苦労さま。発情期が来てしまったと報告を受けていたが、大丈夫だったかい?」
バートルの質問に、エナは笑顔で答える。
溌剌とした笑顔は、旅が楽しかったことを肉親につたえていた。
「二メアス家の皆さんが、とても良くしてくれたんだ。おかげで発情期でも快適に過ごせた」
発情期事態は辛いが、そのなかでエッダは最大限の誠意を持ってエナの環境や食事を整えてくれた。
エッダ自身がオメガなので、発情期に対応するノウハウも培われていたのかもしれない。
「それなら、お礼の手紙を書かないといけないな。私の婚約者のローザとも仲良くできたかい?」
バートルの問いかけに、エナは「リーシエルと共に、色々な話が出来た」と告げた。暗に、後から報告するべきことが山ほどあると言っているのだ。
ローザの首筋の事やユリーナの事など、話すべきことは山のようにあった。
「エナも休むと良い。リーシエルは、エナを送ってやってくれ。旅の話は、紅茶で飲みながら後でゆっくりと聞かせてもらうよ」
バートルの言葉に、私は頭を深く下げる。
エナは、リトリの方にも旅の話をしていた。公の場では、エナは二人の兄を同等に扱っているらしい。これが、エナなりの処世術なのであろうか。
「エナ様、お部屋で休みましょう」
私の言葉にエナは頷き、バートルとリトリに手を振った。そうして、私たちはエナの私室を目指した。
「ローザが暴れるかと思ったけど、上手くいったな。まぁ、今は驚いているだけかもしれないけど」
部屋に着いたエナは、はしたなくベットで大の字になっていた。こんな行動は普段はしていないので、よっぽど旅がこたえたらしい。
今回の旅は、色々と大変であった。
しかも、エナは人の死体を見ている。吐くことこそなかったが、精神的には疲弊したであろう。
「なにか軽食でもお持ちしますか?」
私の問いかけに「いらない」とエナは答える。食べ盛りなので喜んで食べると思ったが、まだ胃が動かないらしい。
「今回は、バートル兄貴には伝えることが多いからな。その時になったら、紅茶と一緒に食べるよ」
たしかにローザのことに関しては、伝えるようなことが山ほどあった。首筋の噛み跡とユリーナの顛末は、絶対に知らせないといけないことである。
バートルとの結婚に対して気が進まないローザの事だから、暴れて駄々をこねると思っていた。
しかし、自分の立場をようやく理解したのか。ローザは、なんとか馬車を降りてきてくれた。
降りる直後にちょっとばかり抵抗したが、今までの事に比べたら実に些細なことだ。
ローザが暴れたりしたらどのように対象しようか、と考えていた身としてはありがたかった。
「この環境に慣れたらわからないけどな。でも……やっぱりユリーナとは番になっていなかったんだな」
エナは、どこか寂しそうに自分の首筋に触れた。金属で覆われた首筋に、いつか誰かは牙を立てる。その日を不安がるような表情をしていた。
エナは十三歳なりに、いつかくるかもしれない未来を恐れていた。政略結婚をすると発言している普段からは、考えられない姿であった。
だが、無理もない。
結婚のこと、番のこと、今回はソレを考えることが多すぎた。王族の義務としての結婚を考えているエナにとっては、影響を受けることも多かったのであろう。
「自分の番の死は、アルファもオメガも感じ取るらしい。ローザは、何も感じてはいなかった」
それは、私自身にも覚えがあった。
ルアが死んだ瞬間に気持ちが乱れ、彼女の元に行きたいという欲求が高まった。それぐらいに、番は強く結びついてしまっている。
剣を取り上げられた私は猛毒と信じた緑青を舐めたのだが、エナに無害だと言われてしまった。
今にしてみれば、懐かしい思い出だ。
そして、ルアと同時に死んでいればよかったのにという後悔も浮かんでくる。
この苦しみと想いからは、一生逃げられないであろう。私は、それぐらいルアを愛していたのである。
「あんなふうに、俺もなるのかな……」
ぼそり、とエナは呟く。
そこにあるのは、不安でであった。今回の旅路で見てしまったアルファとオメガの関係性が、エナの心を抉ったのであろう。
「アルファの人生を振り回して……。それでも愛を求めて」
エナは、オメガ性というものを嫌悪しているようだった。いつか自分が、ローザのようにアルファの人生を壊してしまわないかと不安であるのだ。
私は、ベッドの横になっているエナの前髪をなおす。
主人に対する態度ではなかったが、歳上の人間としてエナには自分のことを嫌ってほしくはなかった。
何故ならば、私はエナのことを好いていたからだ。エナ以上の主はいないし、彼に仕えることが嬉しくあった。
「エナ様、言わせてください。オメガはたしかに、アルファを振り回すかもしれない。けれども、アルファもオメガを振り回します」
女も男を振り回し、男も女を振り回す。
オメガとアルファも同じであり、そうやって恋と愛の歴史は積み上がって行くのだ。
「そういうものが、恋愛です。友人同士ですら、相手を振り回したりしますから……。人が二人以上もいれば、当然のトラブルです」
エナは、目を見開く。
私の言葉に、少し驚いているようだった。
「だから、恐れないでください。あなたは、素晴らしい人です。オメガだからといって、そこに注視しないでください」
私は、祈るようにエナに呟く。
この願いが叶うのならば、私は信じていない神にすらも礼を言うであろう。
「あなたは、あなたでいてください……」
エナの人生は、これからどうなるか分からない。兄のバートル恋愛結婚をして欲しいようだが、エナ自身は政略結婚を望んでいる。
未来など、どちらでもいい。
それ以外でもいい。
「エナ様は、エナ様らしくいてください」
私の言葉に、エナはくすりと笑った。
エナは、嬉しそうな顔をしていた。そのくせに、瞳だけは大人のように静かであった。
「重いなぁ」
私の言葉は、確かに少し重いのかもしれない。
けれども、人の言葉など少し重い方が良いのだ。
「その方が忘れたりしないですよ」
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