第23話 死の確認
「お待たせしました」
私が馬車を止めている場所に帰ってくれば、周囲はぎょっとしていた。
私の身体は、ユリーナの大量の返り血に汚れている。ユリーナの身体を至近距離で突き刺したせいである。驚かれるのも無理はないだろう。
私も自分と同じような姿になった他人を見たら驚く。体についている血が、返り血だとは思わないからだ。
なお、私の場合は返り血である。
全身が血みどろになっているのだ。ここまで出血したら、さすがに死んでしまう。
「リーシエル先輩、大丈夫なんですか!」
ファルの心配に、私は笑った。
付き合いの長いファルは、それだけで私の状態は察したらしい。
「山賊に遅れをとるほどは、なまっていませんよ。それより、使わない布をください。返り血が不愉快で」
私の言葉に従って、ファルは大急ぎで注文したものを持ってきてくれた。
ざっと確信したが、私以外は血で汚れたものはいなかった。私の不名誉のあだ名のせいで、山賊が早い内に逃げ出してくれたからだろう。
味方が怪我をしなかったという点では、私の恥ずかしい二つ名も役に立ったのである。本当に良かった。
「この先にいったところに川があったので、ちょっと血を洗い流してきますね」
ユリーナと戦ったときに、水音が聞こえていた。少し歩いたところに水場があるのならば、できれば汚れ落としたい。このままでは、主のエナの隣にはいられない。
「分かりました。代えの洋服を持ってきます」
よく気が利くファルが、私でも入りそうな着替えを持ってきてくれた。
エナの騎士として着ていた服には劣るが、これも丈夫な布地で作られた良い服だ。他の兵の洗替だというが、ありがたく着させてもらうことにする。
「俺も付き合う」
そんなときに、主の声が聞こえてきた。私が視線を向ければ、馬車から降りてきたエナがいる。
エナの言葉に、一瞬だけ私の目が鋭くなった。しかし、意識してにこやかな表情を作る。
私の考えが正しければ、エナはとあるものを確認しようとしている。エナは、そんなものを見る必要はないというのに。
「男の水浴びなどつまらないものですよ。私はアルファと言っても、筋肉ムキムキというわけではありませんし」
私は、エナの言葉を冗談を交えて断った。エナの顔がわずかに赤くなったので、少しばかり罪悪感を感じる。
気軽に言ってしまったが、アルファの私はオメガのエナにとっては異性だ。からかうべきではなかったのだ。
「ちょっと話したいことがあるだけだ。水浴びする時には、そっちの方は絶対に見ない」
別に裸を見られたところで、一向にかまわない。だが、そんなことを話したら、またエナに恥ずかしい思いをさせてしまうかもしれない。
「それでは、どうぞ……」
私は、エナの命令を聞き入れる事にした。エナは、どこかほっとしていた。
私がエナの頼み聞き入れなかったら、一人で森に入る覚悟をしていたのであろう。迷惑なので、それだけは止めて欲しい。
エナは、森の中に入る私の背中を追ってくる。後ろにいるエナに常に気を配りながら、私は森を進んだ。
しばらく進めば、水音が聞こえてきた。仲間から十分に距離が離れたこともあり、私たちは足を止める。
「携帯食料でも食べますか?」
私の言葉に、エナは呆気にとられていた。私としては緊張を解すための軽口だったが、不発だったようだ。くやしい。
「すみません、冗談です」
エナは、苦笑いをする。主に気を使わせてしまって、とても心苦しかった。
「びっくりしたぞ。というか、食料なんて持っているのかよ」
私は、ポケットをまさぐった。ポケットには小さな布袋が入っており、それをエナに渡した。
「オヤツとしての飴を少しだけ」
エナは、不思議そうな顔をした。私が、どうして飴を持ち歩いているのか分からないようだ。
「なんで……飴」
私の袋から、エナは一つだけ飴を取り出す。べっ甲飴の琥珀色を見つめたエナは、ぱくりと飴を口に放り込んだ。
「普通の飴だ……。おいしい」
ちなみに、私の手作りだったりする。
そのことを知らないエナは、ころころと口の中で飴を転がす。
「糖分を切らすと考えがまとまらなくなります。だから、持ち歩いているんですよ。飽きないようにべっ甲飴以外にも色々とありますよ。作るのが趣味なんです」
私の言葉に、エナはとても驚いていた。ぽかんとした表情で、私を見つめている。
「お前って……趣味があったのか。てっきり、無趣味だと思っていた」
ひどい言われようであった。
私だって、趣味の一つや二つぐらいはある。
「あまり凝ったものは出来ませんが、料理は好きなんです。お菓子も作れますよ」
ルアとの出会いのきっかけは、図書館にあったお菓子作りの本だった。ルアは喫茶店で働いていたこともあって、お菓子作りに興味があったのだ。
「可能ならば作ってきますよ。甘いものが嫌いでなければ」
エナは、戸惑っていた。
私の趣味が意外に思えたのかもしれない。
「甘いのは嫌いではないけど……」
エナは、私を睨んだ。
甘いおやつの話は、これで終わりらしい。主の好きな甘味ぐらいは聞き出したかったので、少しばかり残念だ。
「リーシェル、あのアルファは殺したのか?」
エナは、私に尋ねてきた。
予想通りの問いかけであった。嘘を報告するわけにもいかないので、私は大きくため息を吐く
「そんなことは、馬車の中でも話をすることが出来ましたよ。中隊の者たちだって聞かれても問題ない面子ですし、私も人殺は初めてというわけでもありません」
むしろ、私は飽きるほどに殺している。中隊の隊長を務めているときも敵を殺した。
無論、中隊の全員が殺人の経験があった。だから、馬車で話をしたとしてもローザぐらいしか怖がる人間はいなかったはずだ。
「質問の仕方を変えよう。お前が殺した女のアルファは、ユリーナだったのか?」
主の慧眼に「さすが」と私は舌を巻いた。
女のアルファがユリーナであることは、私も早い段階で分かっていた。しかし、それは剣を交えたからという理由もあった。
ユリーナの剣撃は、私が想像していた彼女の経歴そのものであった。確かな下積みがあった剣さばきは、ローザの話にあったユリーナの特徴と一致していた。
しかし、エナは私より少ない情報でユリーナの正体を見切った。すごい、としか言いようがない。
「ご想像の通りです。彼女が山賊に落ちた理由もありきたりなものでした」
ローザを噛んだという偽りの発表で、信頼を失って仕事が出来なくなった。それだけのことだ。
ユリーナの事情は同情はするが、つまらない人生だとも言える。
「だと思った……」
エナは、虚空を見つめる。
死んだユリーナに、思いを馳せているようであった。
「ローザは、ユリーナのことをよく語っていた。でも、ユリーナに嫌われているような場面であっても全てを自分に都合が良いように解釈していた」
恋に恋をする、お年頃。
ローザは、想いはそういうものであったに違いない。言ってしまえば容易いが、巻き込まれたユリーナにはたまらなかったであろう。
自分のが嫌いだと態度で表しているのに、それさえもローザは自分の都合がいいように解釈してしまう。
オメガのローザの強い執着が、アルファのユリーナの人生を狂わせた。オメガはか弱い存在であると人は言うが、全く違うではないかと言いたい。
一人のアルファ人生を狂わせ、一人の心に大きな傷をつける。オメガは、まったく弱くない。
「念の為に、ユリーナの死体を確認したい」
今後のローザの安全のために、とユナは言う。ユリーナは生きていたら、という可能性を恐れているのだろう。ユリーナが生きていたら、確実にローザを狙うはずだ。
「死体を見たことはありますか?」
私の問いかけに、エナは首を横振った。城のなかで大切に育てられたエナが、人死を見たことがあるとは最初から思ってはいなかった。
城に集められた絵画ならば、人の死を題材にしたものがある。しかし、それだって美しいものしかない。本物の死を学ぶには、たりないであろう。
「老衰で死んだ犬ぐらいだ」
エナは、思った通りの箱入り具合だった。
城で飼っていた大型犬はリトリの飼い犬だったが、エナにも懐いていたらしい。亡くなったときは、とても悲しかったとエナは語る。
「戦いのなかで死んでいった人間の死体を見るのは、おすすめしません。全身が血塗れになっていますし……。見る必要がないのなら、見ないにこした事はありせんよ」
戦って死んだ人間は、けして美しいものではない。私自身もエナには、見て欲しくはなかった。
ユリーナと名乗った死体については、私が改めて死んでいるかを確認をすれば良いのだ。
ユリーナの生前の顔を知っているのはローザであるが、彼女に確認は頼めない。ローザには、ユリーナの死を黙っていたいというところが本音だ。
ローザが何をするのか分からないし、私がユリーナを殺したと知れば心を閉ざしてしまうかもしれない。今後のことを考えれば、それはとても面倒くさい。
ユリーナの死体の確認については、自分で確認すると言ってエナは譲らなかった。
「同じオメガが引き起こした事だ。出来るだけ知っておきたい」
エナの真剣な顔には、責任という文字があった。ローザの思い込みが起こしたい事件の結末を兄たちに報告するためであろう。
それと同時に、同じオメガの起こした事件の結果を知りたいといった言葉にも嘘はないはずだ。
「吐かないでくださいね」
私は、エナをユリーナの死体のもとに連れて行く。死体は変わらずに、ユリーナを殺した場所にあった。ユリーナの死体は、山賊たちも発見してはいないようだ。
山賊のものだと思えるような足跡はない。私とユリーナのものだけだ。
仰向けに倒れていたユリーナの腹からは大量に出血した跡があり、口から漏れ出いていた出血が生々しかった。
グロいとは言わないが、あまり子供には見せたくはない。老衰の犬しか死体を見たことがないエナは、私の予想通りに足が震えていた。
致し方ないことだ。
生きた人間と戦えない、死体に慣れない。そういう人間は一定数いる。
そういう人間が兵士を目指しているのならば問題だが、王族であるエナならば問題ない。
死とは無関係なところで、生きていられるからだ。そういう人間は、グロい死体などに慣れる必要はない。
足が震えていたエナだが、やがて死体に向かって歩き出きだす。思ったよりも、力強い歩みであった。ユリーナの死体には、一歩も近づけないと思っていたのに。
エナは、ユリーナの死後の顔を腰をかがめて見つめた。エナが何を考えていたのかは、私には分からない。けれども、ユリーナの瞼を手で優しく閉じさせた。
たった、それだけの動作。
それだけの動きで、私とエナは死については分かり合えないと思った。死になれすぎた私は、死人の尊厳など考えてもいなかった。
だが、それがエナには出来る。
オメガであるエナが為政者になることは、この国では絶対にないだろう。けれども、今ままでエナが成長したら良い国王になれる気がした。
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