『神の味噌汁亭 〜運命を啜る一杯〜』
Algo Lighter アルゴライター
はじまりの椀
第1話 「天照大神の味噌汁 〜光の選択〜」
薄暗い路地を抜けた先に、ぽつんと一軒の小さな食堂があった。
『神味堂』と書かれた木製の看板が、朱塗りの柱に静かに掛けられている。提灯の淡い光が揺れ、どこか懐かしい雰囲気を醸し出していた。悠斗は、深いため息をつくと、そっと戸を開けた。
店内にはわずかな席と、年季の入ったカウンターがあるだけ。厨房の奥には、小柄な老人が立っていた。皺深い顔に柔和な笑みを浮かべ、静かに悠斗を見つめている。
「いらっしゃい。迷える魂が、また一人来たようじゃな」
老人の声はどこか達観した響きを帯びていた。悠斗は訳もわからず、カウンターの端に腰を下ろした。
「……そんな顔をするでない。ここに来る者は、皆、何かしらの選択に迷っておる」
図星だった。悠斗は最近、何もかもが上手くいかない。仕事は停滞し、恋人との関係もぎくしゃくしている。努力をしても結果が伴わず、何が正しいのかすらわからなくなっていた。
「……じゃあ、あなたは俺が何を選ぶべきかわかるんですか?」
試すように尋ねると、老人は静かに首を横に振った。
「それを決めるのは、あんた自身じゃ。だが、背中を押すことはできる。さあ、今宵の一杯を召し上がれ」
そう言うと、老人は小鍋を火にかけ、ゆっくりと味噌を溶き始めた。ふわりと立ち昇る湯気に、どこか温もりを感じる。黄金色の味噌汁が朱塗りの椀に注がれると、光を反射して、まるで朝日のように輝いた。
「これは……?」
「天照大神の味噌汁。太陽の神の力を宿した、特別な一杯じゃ」
悠斗はそっと椀を手に取り、香りを確かめた。ふんわりとした甘い味噌の香りの奥に、かすかに柑橘のような爽やかさが漂う。ゆっくりと口をつけると、優しい旨味が舌に広がり、まるで光が心に満ちていくかのようだった。
その瞬間——
悠斗の頭の中に、燦然たる光が差し込んだ。
何もかもが明るく、清々しい気持ちに満たされる。まるで、自分がどこへ向かうべきかがすべてわかったような錯覚に陥るほどだった。
「すごい……こんなに前向きな気持ちになれるなんて……」
ずっとくすぶっていた悩みが嘘のように消え去る。心が軽くなり、未来への道が開けたように思えた。
だが——。
次の瞬間、悠斗は違和感に気づいた。
——まぶしすぎる。
すべてが輝きすぎて、逆に本当に大事なものがぼやけて見えなくなっていた。
仕事、恋愛、未来——どれもがまるで絵に描いたような理想に見えてしまう。まるで太陽を直視し続けるように、目がくらみ、現実の細部がぼやけてしまうのだ。
「……あんたは、光に照らされすぎるのも危ういことだと知らねばならん」
老人の声が、悠斗の意識を引き戻した。
「確かに太陽は希望を与えてくれる。しかし、あまりに強い光は影を生む。おぬしが本当に大切にしたいものが何か、それを見失わぬようにな」
悠斗はハッとして、椀を見つめた。輝かしく、力を与えてくれる味噌汁——だが、その光はときに盲目をもたらす。
「……俺は……」
ふと、頭をよぎる顔があった。恋人の優しい微笑み、仕事仲間の励まし、家族の何気ない言葉。それらは決してまばゆいものではないが、確かにそこにあった。
悠斗はそっと椀を置いた。
「ありがとう。……俺、もう一度、ちゃんと考えてみます」
老人は静かに頷いた。
「そうじゃ。光の中にも、影の中にも答えはある。どちらかに囚われず、自らの目で見極めることが大切じゃよ」
悠斗は深く頭を下げ、店を後にした。
背後で、暖簾がふわりと揺れる音がした。
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