第2話 始まり

空の色は、今まで見たことがないくらいの穏やかな春の色だった。


―しかし、そんなものが見たいわけではなかった。


春の、まだ少し寒い風が、陽成ひなり 春人シュントの頭を優しく撫でる。


「It's still a little cold……」

流暢な英語だったが、あまりに声が小さいので、桜の花が揺れる音にかき消されてしまった。




着慣れない日本の制服を着て、真新しいスーツケースを持って、ただ一人、路地に立っている。

ここは本当に東京か?あまりに静かすぎないか?

遠くにビルは見えるが、近くには桜の木と、少しの住宅しかない。春人シュントはGooglaマップを開いて、「藍坂総合高等学校」を探す。




そこで初めて、自分が道に迷っていることに気がついた。

「……」


ため息も出ない。さて、学校に着くのはいつ頃だろうか。

肩をすくめて自嘲した。





―――沢山の数のパイプ椅子が、規則正しく並べられている。まだ新しい体育館は、新入生と緊張感で満ちていた。ステージには美しい花が飾られており、深い青の舞台幕は、窓から差し込む春の日差しを受けて滑らかに青を透かしていた。

 

 男子生徒は太ももの上で握り拳を作り、女子生徒は太ももの上で手を重ねている。


春人もまた硬く手を握り、背筋をピンと伸ばして硬直していた。緊張で口の中がカサカサになる。

 

ふと、静寂をすり抜けるように、ステージの下のドアの近くに立つ、教頭先生と思わしき男性がマイクをとった。

「皆さん、おはようございます。入学式を始める前に、まず、自分のクラスを確認していただきます。パイプ椅子の下にあるパンフレットの三ページ目を開いてください。」


一斉にパラパラと紙をいじる音が体育館に広がった。春人もパイプ椅子の下からパンフレットを取り出し、自分のクラスを確認する。



(えーと…久賀谷…久賀谷…あ、あった)



今年の一年生の学年カラーは青らしく、新入生達の名前が載っているページも美しい青藍を背景としていた。


春人のクラスは一年一組。出席番号は16番だった。



人クラス四十人で全六クラス。

三年間のうち始めの一年目はどの学科かは関係なく、全ての学科の人が混ぜこぜになっているので、この一年はたくさんの人と交流できるチャンスだ。


逆にいうと、二年目からは学科ごとにクラスが分かれ、そこからは卒業まで同じクラスだから、ここで社交性を身に付けたいところである。



一年目だけイレギュラーなのは、そういう理由からだ。

 

 


 ある程度生徒が確認し終えたのを見て、教頭先生は、またマイクのスイッチをオンにした。


「それでは開会の言葉、在校生代表、向井さん、お願いします。」

「はい!」



元気のいい明るい声が体育館に響く。一同はステージに釘付けになった。



舞台裏から、背の低い一人の生徒がゆっくりと歩いて行ってマイクの前に立つ。


教頭先生は、向井さんがしっかりとステージの真ん中に立ったことを確認すると「一同、ご起立願います。」と言った。



その言葉に新入生は、待っていましたと言わんばかりに素早く立ち上がる。



そんな新入生の様子を見て、向井さんは安心したような顔つきを見せた。



「これから令和三年度、東京都立藍坂総合高等学校の入学式を始めます。」


「はい!」  


新入生の気合いのこもった返事が体育館にこだまする。



教頭先生の「気をつけ、礼」を合図に、まだ団結力のかけらもない新入生達はバラバラなタイミングで頭を下げた。


「着席」


そう言われて春人は少しホッとして椅子に座った。

入学式は、今始まったのだが、なんだかもう今日の一大イベントは終わった気がした。



少し間を開けて、向井さんは持っていた薄い冊子を開く。


そして、式辞を読み始めた。

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