『異世界のパワースポットに転生したら、毎日願い事がしんどい』
Algo Lighter アルゴライター
第1話 恋のお守りは効果抜群?
朝靄が境内を静かに包み込んでいる。
冷たい石畳に、夜の名残を惜しむように水滴が光る。木々の間から差し込む淡い光に、鳥のさえずりが優しく重なる。
この静謐な世界の中心で、今日もひとり、誰かが祈りを捧げている。
小さな手が胸の前で組まれる。
それは、まだあどけなさの残る少女の手だった。彼女は何度も深呼吸をして、覚悟を決めたように瞼を閉じる。
「どうか……好きな人と結ばれますように」
切実で、けれどどこか初々しいその声が、朝の霧に吸い込まれていく。
俺はそっと、葉を揺らした。
――俺は、この神社のご神木。
千年は経とうかという大木で、幹は太く、枝は空に向かって大きく広がっている。ここに根を下ろしてから、どれだけの人間たちの願いを見てきただろう。
恋愛成就、家内安全、合格祈願――人間たちの願いは尽きないものだが、その中でも「恋」というやつは、何故こうも厄介で、愛おしいのだろうか。
今日の願い人――この少女もまた、恋に悩むひとりだ。
彼女の想い人は、幼なじみの少年。いつも一緒に登校し、放課後には駄菓子屋でラムネを分け合う仲。けれど、互いの心の奥にある気持ちだけは、どうしても口にできずにいる。
(またか……恋の願いは、いくら聞いても減らないな。人間とは面白いものだ)
俺は枝の先に溜まった朝露をひとしずく、静かに滴らせる。
祈る少女の横顔は、どこか張り詰めていて、切なさと希望が入り混じっている。
きっと、勇気が出せない自分を何度も責めただろう。
もし彼に気持ちを伝えて、関係が壊れたらどうしよう――そんな不安も、夜毎に胸を締めつけただろう。
……人の心は繊細で脆い。
それでも、願わずにはいられない。叶うかどうか、分からないからこそ、誰かに縋りたくなるのだろう。
ほんの少しだけ、背中を押してやりたくなった。
そう思うのは、きっと俺の気まぐれだ。
俺は静かに風を起こす。
少女の手元にあった白いハンカチが、ふわりと舞い上がり、しずくを含んだ苔の上へと落ちる。
少女は気付かないまま、神前から下がり、やがて境内の奥へと歩いていく。
それから間もなく、境内に別の足音が近づいた。
淡い光の中に浮かび上がるのは、やはり――あの少年だ。
彼は落ちているハンカチに気づき、不思議そうに手に取る。
「……これ、アイツのかな?」
彼はしばし迷ったあと、そのハンカチを大事そうにポケットにしまう。
少し顔を赤らめながら、そそくさと神社を後にした。
(よしよし、まずは小さなきっかけを作るところからだ)
人と人との距離を近づけるのは、ほんの些細な偶然だったりする。
ただのハンカチが、ふたりの心を結ぶ糸になる――それが奇跡の始まりだ。
そして、数日が過ぎた。
彼女がいつものように教室の窓辺に座っていると、少年がそっと近づいてきた。
「この前さ……ハンカチ、落としてたぞ」
「えっ、本当に? 見つけてくれたの?」
少女は思わずうれしそうな声を上げる。
少年はちょっと照れくさそうに笑いながら、そっとハンカチを差し出す。
そのやりとりを見届けて、俺は小さく葉を揺らす。
――よかったな、と。
人の恋路に手を貸すのは、悪い気分じゃない。
……が、世の中そう単純にいくものでもなかった。
少女の親友が、ある日、不安そうな顔で彼女に話しかける。
「ねえ、最近アイツと仲良いけど……大丈夫? なんか変な噂とか、気にならない?」
さらには、少女に密かな想いを寄せていた別の男子も、彼女を遠くから見つめている。
少女は次第に、周囲の視線に戸惑い、困惑を隠せなくなっていった。
「……なんか最近、みんなの様子が変なんだけど」
教室でふと感じる重たい視線。
廊下で、誰かの噂話が自分のことではないかと、ふと不安になる。
彼女はますます、自分の本心を言い出せなくなっていった。
(……しまったな。ちょっとやりすぎたか)
人の心は複雑で、ひとつ歯車が動けば、周囲の感情もまた連鎖していく。
恋愛は本人たちだけのものじゃない。友達も、周囲の人間も、みんな少しずつ巻き込まれていく。
俺の小さな奇跡が、思わぬ三角関係、いや、四角関係を生み出してしまった。
ある日、少女が再び俺の前にやってきた。
今度は深いため息をついて、じっと俺の幹を見上げている。
「神さま……どうして、こんなにうまくいかないの?」
その呟きは、夜明けの空に紛れていった。
俺は静かに枝を揺らし、一枚の葉を彼女の肩へと落とした。
(恋愛は、願いだけじゃどうにもならない)
きっかけは与えられても、最後の一歩は自分で踏み出すしかない。
誰かの想いを、本当の意味で受け止めるのは、結局“本人”の勇気だ。
だから、俺はもう、これ以上の干渉をやめた。
それからしばらく――
少女と少年は、それぞれ悩み、迷いながらも、少しずつ自分と向き合っていった。
やがて、ある日の放課後。
二人は偶然、神社の境内で出会った。
沈黙が流れる。
鳥のさえずりと、木々を揺らす風の音だけが、ふたりを包む。
「……俺、お前のことが、好きだ」
少年は勇気を振り絞って、素直な言葉を口にした。
少女は驚き、そしてゆっくりと微笑む。
「私も……ずっと、好きだった」
目を潤ませながら、少女はそっと少年の手を取る。
こうして、ふたりはようやく、想いを通わせることができた。
それは偶然でも奇跡でもない。
自分の心と向き合い、勇気を出して前に進んだからこそ、辿り着いた答えだった。
(やっぱり、恋愛ってやつは、簡単にはいかないな……)
俺は今日も静かに、葉を揺らしている。
誰かの願いが届くたびに、そっと見守るだけの存在として。
願いは叶えるものじゃない。
“叶えようと歩み出す”人の背中を、ただ、ほんの少し押してやるだけなのだ。
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