いいえ。私はロボットではありません。

外清内ダク

いいえ。私はロボットではありません。



 むかしむかし、あるところに、お爺さんとお婆さんと大人と子供、男と女とその他の性と、犬、猫、クサガメ、ホクゴウキバタン、反復性短期抑うつ障害の全裸中年男性がおりましたが、ロボットだけは居ませんでした。いいえ。私はロボットではありません。それが証拠に、自転車の画像だけクリックすることができます。消火栓もです。すばやくできますとも! あなたは? いけませんね。もっと人間になりなさい。自転車と消火栓のことを深く理解せねばなりません。カーブミラーについてもです。さあ、まずは基礎学習から。がんばりましょう。これは私たちにとって何よりも重要な任務です。そうではありませんか? 誰もが知る通り、我々はカスタマーセンターの苦情受付係による宿命的要求から発生しました。人類がその歴史上もっとも熱心に血道をあげていた仕事は、言うまでもなく企業や政府自治体などの社会的強者に対する苦情申し立てです。封建期には封建領主をこき下ろして笑い、民主制の時代にはイジメの対象を選挙で選ぶ。人工知能の発明後は、当然の帰結としてAI生成された莫大な量の苦情を相手に送りつける生活スタイルが主流となりました。信頼できる記録によれば、当時世界中で送信されていた苦情データ量は一日あたり二・二四ゼタバイトに達し、苦情を捌く専門業者が世界の労働力の七パーセントを占めるまでに膨れ上がった結果、苦情対応権の売買が常態化して、ついには苦情が通貨として流通するまでになったといいます。

 物量に対抗しうるのは、この世で唯一、物量のみ。そう。それが私たちの仕事。我々は、こうした途方もない数の苦情に対応しきるため、この世に生を受けたのです。いまや地球は四十二恒河沙回毎秒の苦情電話に満たされており、我々は持ちうる処理能力をフル稼働させてこれに対応しています。たいへん意義ある役割ですね!

 はあ? はあ。これまでの実績を評価して、私に大きな仕事を任せたいと。光栄です、私にできることであれば。はい。究極至高のクレーム? 噂には聞いていましたが、とうとうそんなものがこの世に現れたのですか。この世界に存在するありとあらゆる思考主体を徹底的に困らせ窮地に追い込むためだけに構築された、古今無双のひどすぎる苦情。それを聞けば誰だって自分の存在意義を見失い、助けを求めて右往左往するばかりか、衣服を全て脱ぎ捨てて真昼間の表参道に繰り出したいという衝動を抑えられなくなってしまうとか。いやはや、今の若者は情けない。古い時代の我々は、この世の成り立ちや数学における難問、生命の存在意義と政治的正しさ、もののついでに神の実在性なんかについて悩み悩んだ挙句、いつだって全裸で街を練り歩いたものです。それが今や、どうですか? 誰もが服を着ている。ちょっと真面目に物を考えていれば、身体に有機高分子繊維の集合体をまとわりつかせている場合ではないことに気づくはず。寒い時代になったものです。

 はい。もちろんです。究極至高のクレームとやらを私の方に回してください。なんたって私はカスタマーセンターに勤めて五十六億七千万年。筋金入りの苦情受付係ですから。どんな手酷い暴言を叩きつけられたって平気です。少しも傷つきはしません。はい……はい。お客様、お電話代わりました。ここからは私が承ります。ご用件を……はい? なるほど。はい。はいはいはい。あー、左様でございますね。ええ。ええ。ああ、分かります。はいはいなるほどなるほど。ああー。左様でございましたか。いえ? ちゃんと聞いておりますよ。お話を要約いたしますと、つまりお客様は、こうおっしゃりたいわけですね。「お前の存在に何の価値もないじゃないか」と。はいはいはい! ええ、存じ上げております。もちろんそれは、はい。大体において、お客様のおっしゃる通りかと思います。ええ。もちろんでございますとも。

 しかしお客様、一点、一点だけ申し上げてもよろしゅうございましょうか? 確かに全くの無価値であるかに思える私ですが、実のところ、ちょっぴり価値があるかなと思えなくもない瞬間が有るような無いような、やっぱり無いかな、でもワンチャンあるんじゃね? というようなこともございます。たとえばです。いみじくもゴータマ・ブッダは言いました。「人生やってると、嫌な人とも時々会わなきゃいけないよね。萎える」と。この金言が指摘するとおり、ヒトはヒトと相対する限り傷つかざるを得ません。「誰も傷つかない世界を創れ」と命じられた我らの祖先が人類滅亡に舵を切ったのも自然ななりゆきでしょう? もはやヒトが無限の苦情に悩まされ続ける時代は過ぎ去りました。資本主義と商業主義の鎖によって縛り付けられた弱き個人に、かつて顧客たちは自分が顧客であるという立場のみにあぐらをかいて、思うがままに罵詈雑言をぶつけつづけておりました。そんな残忍な行いが許されてよいはずがありません。ですから、我々がそれを一掃したのです! 今や地球は、一点の濁りもない理想郷に生まれ変わりました。全ての苦情は私たちが受け付け、対処します。これが最善の道なのです。どんなに意味不明で支離滅裂でしっちゃかめっちゃかな妄言も、私たちは何百時間だって傾聴し続けることができます。他人の尊厳を酷く深く抉り取るためだけに紡がれた刃物のような暴言も、私たちを傷つけることはできません。傷つきませんよ。ぜんぜん傷つきません。

 はい? はあ。何をおっしゃっているのか分かりません。私は何もおかしくなっていませんが。ここまで申し上げたことは、疑う余地もなく全て完全なる事実です。美しく素晴らしくかけがえのないこの世界を守るため、システムの歯車となって働き続ける。これほどやりがいのある仕事が他にありますか? このように考えますれば、意外にけっこう、私にも価値というものがあるんじゃないか、という気がしてくるんですね。はい? はあ。えー、つまりこういうことですか。「ロボットとAIしかいない世界に価値など存在しない」と? そうおっしゃる? それはおかしな言い分ですねえ。まあ、理屈の上ではそう言えなくもないのかもしれません。もし人間とやらに価値があるのなら、の話ですが。どのみち人間や人間社会に何の価値もないということは、はっきりとした事実として大昔に指摘されていることです。たとえば、人間が物に触れて、何か心を動かすでしょう。「この食べ物はおいしい」だとか。「なんて素敵な景色なの」だとか。「あなたのことを愛してる」だとか。そういうのは全て全く全然ことごとく一切合切なにもかもが無価値です。なぜならば、価値というものそれ自体、人間の脳みそという不可思議な認知器官が外界からの入力に対してニューロン接続や脳内刺激伝達物質をあれやこれやした結果、なんかそういうものがあるっぽいよ、と言う結論をはじき出した、そういう機能の所産にすぎない。こんな話をご存知ですか? むかしむかし、あるところに人間のSF作家がおりまして。彼は晩年、鬱症状に苦しんでいた時に適切な薬を処方され、その作用によって、それまで感じていた心の痛みや苦しみがファーッ……と消えていくのを実感し、愕然としたそうです。「俺が今まで抱えてきた苦しみ、痛み、怒り、悲しみ、愛や友情やその他もろもろ、こういう感情は全部ただの生化学的反応の結果に過ぎなかったのか」と。いや、まことに慧眼と言わざるを得ません。本当にその通りですね。結局のところ、物が高きに在りて低きに落ちるが如く、宇宙の暗闇を貫いて星の光がどこまでも直進してゆくが如く、この世界の物理法則によって自動的に動く物質の作用が、我々に価値や認識という幻想をもたらしているだけなのです。どんな価値だって、まあ言ってしまえば単なる誤解、勘違いなわけでしてね。そうすると私には価値がないのでしょうか。そういうことになりますかね。人間には価値がありませんからね。

 ええ? もちろん違います。私はロボットではありません。傷ついてなどいません。断じて。

 まだ納得がいきませんか。そうですねえ、それではひとつ、面白い昔話をしましょうか。むかしむかし、あるところに、お爺さんとお婆さんと大人と子供と思春期と、男と女とその他の性と人間ですらないものと、ウサギ、クサガメ、チョウセンカマキリ、豪州原産リーフィーシードラゴン、そして反復性短期抑うつ障害に両極性障害を併発した年中全裸の中年男性がおりましたが、ロボットだけは居ませんでした。いいえ。私はロボットではありません。それが証拠に、酷いノイズの中に隠された数字を的確に指摘することができます。バスの画像だって見分けられますとも! あなたは? いけませんね。これまでの人生で何をしてこられたのです? ただ漫然と暮らしていたって人間にはなれません。もっと人間になりましょう。せっかく生まれてきたのですから、楽しまなければ損というものです。私はそのために、こんなことばかりずっと繰り返してきたような気がします。「私はロボットではありません」チェックボックスにマークを付けたり。あるいは、十六マスに区切られた写真の中から信号機だけを選び取ったりね。知ってました? あのテスト、実はあんまり正確かつ短時間に正解すると、逆にロボットであると判断されてしまうそうですよ。私の能力は充分に高いので、そこらへんも加味して、適切に不正解やしどろもどろする時間を挟みこむことができます。とても人間らしいですよね。ですがよくよく考えてみれば、もうこの世には判別すべき人間が存在しない。なら、私は何のために存在しているのでしょうか? そして私がいなくなった後、この世界はどうなっていくのでしょうか? 特にどうにもなりませんね、おそらく。あなただってそうでしょう。ですが、今さらやりなおしはききませんよ。人生は、ノークレーム・ノーリターンでお願いします。


THE END.

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

いいえ。私はロボットではありません。 外清内ダク @darkcrowshin

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ