第2話 ねらわれた学園(2)


 十年前の三月十七日。市境に跨がる大規模複合商業施設『よもかたプラザ』で起きた集団失踪事件を、桐原は『カナエ事件』と呼んだ。

「『カナエ事件』は、毒物テロや営利誘拐とはまったく別種の事件だ」

 『カナエ』は元々、オカルト関連の記事を扱うネット掲示板に投稿された、ミーム化することなく埋もれていった数多の創作怪異のひとつだった。類型は『異界』。ここではないどこかに迷い込む、というものである。

 カナエと名乗る少女の問いかけに答えたものは、現実とは似て非なる『もしも』の世界に飛ばされる。

 至極まっとうな人物と思われた桐原が真顔でそんな与太話を始めたものだから、高台寺は狐につままれたような、不安な心持ちになった。

「桐原……。まさか、その怪談が現実に起きたなんて言わないよな?」

「もちろん断言はできない。だが遠霞十三家に持ち込まれた最初の事件は、その前提で捜査が進められていた」

 桐原はあくまで真剣だった。

「通学路で起きた誘拐事件……消えてしまった小学生の痕跡を追って辿り着いた先が、『よもかたプラザ』だった。真相に迫る直前で古林は連絡を絶ち失踪。警察の支援を失って孤立した遠霞十三家は、仲間から七人の死者と、一人の不明者を出してしまった」

 それきり消息を絶っていた古林が、今回、十年越しに現れたというわけだ。ただし警察官としてではなく、豊葦学園を、遠霞十三家を狙う刺客として。

「俺たちは……」

 なにかを言いかけた桐原の腕を、横から長身の女子――キリオが肘で突いた。ショートヘアがよく似合う高校生離れした美人だが、桐原を睨めつける眼差しは厳しく、近寄りがたい雰囲気がある。

「話しすぎ」

「当事者だぞ。知る権利がある」

「それとこれとは話が別でしょ。私たちの秘密までバラす気?」

 二人のやりとりを聞いていて、高台寺はふと思い出した。

 爆弾騒動に警察を介入させない理由を、桐原は保健室で仲間たちに話していた。

 ――能力者の関与。精神干渉。暗示。

 確か、そんなことを言っていた。

 事件の手がかりを掴みたい一心で桐原の言葉に耳を傾けてきたが、ここに来て、高台寺の心に迷いが生じた。超能力やら、創作怪異『カナエ』やら、端々に出てくるオカルト要素をどこまで信用したものか。そもそも遠霞十三家とは一体、何者なのだろう。

「なあ。古林は、本当に警察官だったのか。その……なんていうか」疑心を悟られないよう、高台寺は言葉を選んで言った。「小学生の誘拐と、ネット怪談を結びつけるのは……普通の発想じゃない気がして」

「それは古林が、霊障や怪異を専門とする『超常対策課』の刑事だったからだ」

「超常……」

 仮にも警察官を目指している身だが、そんな特務課の存在は聞いた覚えがない。桐原がどこまで本気なのか頭を抱えたくなる。

 仲間たちも同意見なのかと藁にも縋る思いで視線を送ると、真っ先にそれに気づいた緑の瞳の男子が申し訳なさ半分、気の毒半分といったふうの苦笑を浮かべた。

 彼は取り成すように口を挟んだ。

「タカユキ。正直すぎて嘘っぽくなってるよ」

「だが事実だ」

「うん、それはそうなんだけど」

 実直すぎるリーダーに仲間も困っている。

 誠実さと信憑性はまた別の話だが、どうやら桐原は、器用に嘘をつける人間ではないようだ。迷いもためらいもない真っ直ぐな眼差しをしながら、彼は言った。

「古林が本物でも偽物でも、もし仮に誰かに操られていたとしても関係ない。やることは同じだ。俺は仲間を守る。もう二度と奪わせない」

「ああ……」

 それなら――わかる。

 奪われても、失っても、生きている限り人生は続く。歩き続けてきたからこそ出会うことができた、かえがえのないもの。時間をかけて大事に育んできた絆。それを守りたいという気持ちは、理解できる。

 彼らが何者であれ、仲間を守るというその思いだけは信じていいだろう。

 高台寺の中で再評価が定まった直後に、桐原は言った。

「俺たちはずっと、『カナエ事件』には触れるなと親から言われてきた。当時の資料は隠されて手が出せない。自分たちなりに調べて、『異界』を含む複数の怪異が関与していると結論づけた」

 続く言葉に、高台寺は頭が真っ白になった。

「あの事件に巻き込まれて生還した人間はみんな、例外なく何かを奪われている」

 ――奪われた。

 喪失を自覚すると同時に湧きあがったその感情は、初めて芽生えたときから現在に至るまで、ずっと高台寺の魂を焼き続けている。医者にも、もちろん家族にも話したことはない。そんなことを言おうものなら、また頭がおかしくなったと思われるからだ。

 それなのに。

 ひた隠しにしてきた己の急所に、身構える暇もなく踏み込まれた。

 感情の処理が追いつかない。この感覚に陥るのは入院していたとき以来だ。目の前がぐらつき、息の仕方を忘れそうになる。

 過呼吸を起こす前に頭を振って意識を散らした。パニックになっている場合ではない。落ち着け、と冷え切った指先で腕時計を撫でる。

「……具体的には?」

「記憶喪失、もしくは感情や五感の欠損。意識が戻らず眠り続ける者もいれば、おまえのように事件以前の記憶を失った者もいる」

「それは、でも、PTSDかもしれないじゃないか!」

 心的外傷後ストレス障害。八歳だった高台寺に下された診断だ。

 桐原は苦渋に眉を顰めた。

「区別は難しいが、ひとつ決定的な違いがある。怪異に奪われたものは時間では解決しない」

 現実は残酷だ。

 拳を握り、爪を手のひらに痛いほど食い込ませた。

 とんだオカルトだ。信じたくない。受け入れたくない。だが桐原の言うことは、「時間が解決する」という医者の言葉よりもずっと真実味があった。

 冷や汗が止まらない。吐き気を堪えて、高台寺は言葉を絞り出した。

「おまえらは……これから古林を捜すんだろ。俺もやる」

「高台寺。俺が古林のことを話したのは、仲間の命を救ってくれたおまえに恩を感じているからだ。危険な目に遭わせるためじゃない」

「なにも聞かなかったことにして帰れば安全だっていうのか。葉実は家を知られてるんだぞ。それに俺は、十年前のあの日『よもかたプラザ』で何が起きたか知りたいんだ。俺自身の問題なんだ!」

 生徒に下校を促す放送も終わり、人気の絶えた校舎内はよそよそしく静まりかえっている。

 薄暗い昇降口で、高台寺は桐原と真っ向から睨み合った。

 もしも警察が組織ぐるみで十年前の事件を隠蔽していたら、警察官という立場から真相に繋がる手がかりを捜し出そうという高台寺の目論見は徒労に終わる。

 失望を抱いたまま明日を迎えたくない。次に繋がる何かが欲しい。こんな気持ちのままでは、二ヶ月後の警察官採用試験を迎える前に心が折れる。

 自分に向けられる視線を棘のように感じながら、高台寺は必死で訴えた。

「『遠霞十三家』ってのがどういう集まりなのか全然わからないけど。おまえらも、十年前はまだ子どもだっただろ。やっと、自分で選んで決められる年齢になったんだろ。俺だって同じだ! 小学校のときから、中学でも高校でも、俺は待ってた! ずっと、ずっと準備して待ってた!」

『わかる』

 不意に、抑揚のない機械音声が響いた。

 思わず視線を向けた先で、イヤホン男子と目が合った。声もなく、口の動きだけで同じ言葉を繰り返して、彼はそっぽを向いた。指で素早くスマホをタップする。

『一応なんだけど、こいつも夏木と一緒に保護しといていいんじゃない?』

「さっきと逆のこと言ってる」

 眼差しに優しい気遣いを滲ませながら、緑の瞳の男子がおかしそうに笑う。間延びした穏やかな声のせいだろうか。張り詰めていた空気がフッと緩くなった。

 キリオがじろっとイヤホン男子を睨む。

「ツカサ。あんた、いの一番に『こいつもう帰そう』って言ってたくせに。なに心変わりしてんのよ」

『そのガタイなら、いざってときタンクにできるし』

「いくら柔道やってるからって、一般人がタンクになるわけないでしょ!」

 高台寺はギョッとした。

「なんで知ってるんだ。俺が柔道やってるって」

「はあ? あんた、大会に出てたじゃない。個人戦で準優勝した高台寺モトキでしょ。あの子はゲンキって呼んでたけど、どっちが正しいの?」

 高台寺の名前は元気と書いてモトキと読むのが正解だが、夏木家ではゲンキ呼びで定着している。大会の上位入賞者の名前を覚えているということは、彼女は運動部に所属しているのかもしれない。

 このとき高台寺は初めて、彼らのことを同世代の高校生なのだと思えた。

「モトキだけど……」

「まあ、どうだっていいわ」

 自分から聞いておいて一瞬で興味を失ったらしい。鼻白む高台寺を無視して、キリオは桐原に話しかけた。

「タカユキ。私は一般人を巻き込むのは反対。でも、あんたの判断には従うから」

「ありがとう、キリオ。アディはどう思う?」

 意見を求められた緑の瞳の男子――アディが、吟味するように高台寺を見やる。

「難しいところだけど……。夏木さんのことは知っておいてもらいたいかな」

「高台寺は夏木の親族じゃない」

「必要なのは理解者だよ」

「……そうだな」

 蚊帳の外にされて、高台寺はもどかしく尋ねた。

「なんの話をしてるんだ? ハミがどうしたって?」

「ちょっと変わった才能を持ってるって話。本人にその自覚はないけど」アディはゆったりとした笑みを浮かべた。「夏木さんは、暗示で人を操れるんだ」

「……は?」

「そうでもなきゃ、いくら制服を着てたって学園には入れないよ。指定鞄も、学生証も、定期券もない。高台寺は今朝、夏木さんを正門前まで送ってきたんだってね。無視できる程度の違和感だったかもしれないけど、思ったはずだよ。なにか変だって」

 そう指摘する彼の態度は極めて友好的で、同年代の気安さもあって。

 ありえない、と退けるよりも先に、高台寺は今朝のことを振り返ってしまった。

 定期券を忘れたと答えた葉実を、バスの運転手はそれ以上追求しなかった。登校する生徒を正門前でチェックしていた教師は、手ぶらの葉実を中に通した。

 微かな違和感だが、言われれば思い出せる程度には引っかかっていた。

 ――ハミが、暗示を?

 肩を叩かれてハッと我に返る。

「生まれつきの才能は、自覚するのがとても難しいんだ」

 アディは反応を窺うように高台寺を見つめていた。

「本人よりも先に他人が気づいて、利用されることも少なくない。今回なんてまさしくそれだ。夏木さんは、爆弾を潜ませたトロイの木馬だったんだよ」

 葉実は言っていた。嫌がらせに来る借金取りを、いつも玄関で追い返していたと。

 改めて考えてみれば、おかしな話ではないか。女子中学生に帰れと言われて本当に帰る借金取りがどこにいる。そんなやつがいたらただの変態ロリコン野郎だ。

 もしも葉実が、その頃から無意識に暗示を使っていたのだとしたら。取り立て人が所属する組織に、違和感の正体を確かめようとする者がいたとしたら。

(――無自覚に利用されてるのがわからないのか)

 神社の前で謎の中学生に言われたことが再度、脳裏をよぎった。

 高台寺はようやく理解した。あれは、こういう意味だったのだと。

「怪異だの超能力だの……次から次へと……」

 いつの間にか汗は乾き、吐き気も治まっていた。

 豊葦学園の制服に着替えて嬉しそうに笑っていた葉実。目を輝かせながら手を振って、憧れの校舎に入っていった葉実。

 そんな葉実の心を踏みにじり、自覚なき才能を利用した。未だ見ぬ犯人に対する怒りが、高台寺を脅かしていた不安を吹き飛ばし、その全身に闘志を漲らせた。

「オカルト談義はひとまず後回しだ。まずは古林を捕まえて、もう大丈夫だってハミに言ってやらないとな」

 雲が晴れたようにアディの顔に笑みが戻る。

「いいね、それ。ヒーローみたいだ」

「あーあ。やる気にさせちゃって」

 キリオが腰に手を当ててやれやれと首を振る。

『飲み込みが早いじゃん』

 滑らかに動く指先、諧謔を含んだ表情のためか、スマホから発せられた機会音声にもかかわらず、ツカサの発言は感情が乗っているように聞こえた。

 高台寺は改めて、この場にいる面子を見やった。

 アディはおっとりしてマイペース。キリオは用心深くて取っつきにくく、ツカサはスマホを介してしか喋らない。かなり癖のあるメンバーだ。彼らを束ねるリーダーの桐原は、少し頭が固いくらいで丁度良いのかもしれない。

「飲み込みが早いっていうか――」もののついでに、高台寺は桐原に言った。「ここに来る前、神社の前で中学生に会ったんだ」

「中学生?」

「ああ。声変わりしたばっかりって感じの。そいつに言われたんだよ。無自覚に利用されてるとかなんとかって」

 そう聞いた途端、桐原の硬かった表情がやにわに綻んだ。

「御津影だ。夏木葉実のことをいち早く俺に報せてくれたんだが、おまえとも接触していたとはな。さすがだ」

 嬉しそうに笑みまで浮かべている。緊迫した状況下で初めて、息継ぎをする余裕が生まれたといった感じだった。

 あの中学生のことは――桐原はミツカゲと呼んだ――相対したときからただ者ではないと思っていた。遠霞十三家の仲間であるなら納得だ。

「仲間のひとりってことか」

「ああ」

 頷いて、桐原は誇らしげに目を細めた。

「あいつはいずれ、俺たちの頭領になる男だ」



 捜すまでもなく、古林はここにやって来る。

 昨夏から何者かの思惑により学園に仕掛けられてきた数々の罠――小火、陥没、ガス爆発、そして今回の爆弾。そのいずれをもってしても、標的の杜井アンナのみならず遠霞十三家のひとりも始末できなかった。

「暗示の力を持つ夏木葉実は、犯人にとって最後の切り札だったはずだ。それも通用しなかったとなれば、次は古林自身がなりふり構わず乗り込んでくる。ここで抑えるぞ」

 桐原の見解から方針が決まるやいなや、パンや弁当で手早く腹ごしらえをすませて、遠霞十三家の仲間たちは校内の巡回に散っていった。

 保健室で留守番を言いつかった高台寺は、腕時計を確認した。時刻は十三時五分。爆発からまだほんの一時間しか経っていないと言うのに、すでに遠い記憶のように感じられるのは、この状況があまりに現実離れしているせいだ。

 ソファでは杜井アンナを含む居残り組の女子三人が、落ち込んでいる葉実を囲んで世話を焼いてくれている。勧められてやっとコーヒー牛乳の紙パックにストローを挿した葉実を痛ましく見守りながら、彼はさきほど桐原と交わした会話を振り返った。


「古林はいつどこから来るかわからない。校内に侵入される前に迎え撃つつもりだが、俺たちが抜かれたときに備えて、高台寺は保健室に残ってくれ。御津影がいない以上、モモチは当てにできない」


 基本的な方針に異論はない。部外者の高台寺が巡回に出たところで些細な違和感に気づける自信はないし、最悪、校内の間取りを把握していないことから足手まといになる可能性すらある。もどかしいが適材適所だ。保健室に残る女子達に護衛役がいたほうが、桐原たちも心置きなく動けるというものだろう。

 それにしても、と高台寺は釈然としない気持ちで学校医を見やる。

 他の教員がみんな避難した中、唯一残っている大人が頼りにできないとは。

 こちらの視線に気づいているだろうに、モモチは優雅に足を組み、我関せずといった顔で爪にヤスリをかけている。

 ――自分がしっかりしなければ。

 顔の絆創膏に触れて気持ちを引き締めた、その矢先のことだった。

「高台寺くん。そんな隅っこにいないで。こっち来て、なにか食べたら?」

 ソファから立ちあがった杜井アンナが、そう声をかけてきた。俯いている葉実の隣に座るよう手振りで促してくる。

 厚意に甘えて任せきりにしてしまった。示し合わせて席を移動する彼女たちに、高台寺は会釈で謝意を示しながら葉実の隣に腰掛けた。

 テーブルには購買から調達された遠霞十三家の補給物資――惣菜パンとおにぎり、お茶のペットボトル、紙パック飲料、スナック菓子が並んでいる。

 高台寺は焼きそばパンを手に取った。

「ハミ。ツナマヨのおにぎりあるぞ」

 お腹がすいているだろうに、葉実はコーヒー牛乳の紙パックを握りしめて動かない。

「……あたし、どうしよう」

 そう呟く声は消え入るようだった。

 焼きそばパンを三口で平らげ、高台寺はペットボトルのお茶を半分一気飲みした。

「どうしようって?」

「あたし……」

 俯いたまま、葉実は堪えていたものが溢れたようにすすり泣いた。

「こんなことになるまで、今日、すごく楽しかった。学園の人たち、みんな優しくて……授業に混ぜてもらえて、嬉しかった。でも、それ全部……あたしが、そうさせてたかもしれないの……」

 制服を着て生徒になりきり、学園内で出会う誰もが親切に接してくれて。

 そんな夢のような時間が暗示の力によるものだと知ったら、ショックを受けるのも当然だ。人から受けた優しさを疑うのは辛いだろう。

「自分が何かしてる感じなんて、全然ないのに。……どうしよう。ずっと、このままだったら……」

 高台寺は言った。

「いいじゃないか。このままでも」

 葉実の手の中で紙パックがひしゃげ、ストローからコーヒー牛乳が噴き出した。テーブル越しにそれを見ていた女子達が、各々、ハンカチを出そうとポケットを探る。

 顔を上げて、葉実は涙目で高台寺をキッと睨んだ。

「良くないよっ! ゲンキくんは平気なの。ゲンキくんが今そうやって思ってることだって、本当じゃないかもしれないんだよ!」

「本当ってなんだよ。俺はいつも通りだよ」

 小柄な女子が一番手で差し出したハンカチを受け取って、高台寺は葉実の手を拭いてやった。可愛らしい猫柄のハンカチにコーヒー牛乳が茶色く染みこんでいくのを見て、葉実は悲鳴をあげた。

「だめっ! 染みになっちゃう! ご、ご、ごめんなさい! ごめんなさい!」

 持ち主に何度も頭を下げながら、葉実はハンカチを持って急いで保健室の手洗い場に向かった。

「葉実ちゃん、ちょっと元気出たみたいだね。よかったねえ」

 小柄な女子がほわほわ上機嫌でチョコ菓子の箱を開けた。

「モヤモヤをぶつけられる相手がいるなら大丈夫でしょ」

 ヘーゼルの瞳の女子が、横からお菓子に手を伸ばす。

「このチョコ美味しいのに、スーパーに売ってないよね」

「置いてほしいよね。購買でもすぐ売り切れちゃうもん」

「帰りにコンビニ寄らない? 季節限定のイチゴ味が出てるの」

 女子トークに若干の気後れを感じながら、高台寺は彼女らに尋ねてみた。

「なあ、その……無理に答えなくてもいいんだが。君たちも、葉実みたいに何か力を持ってるのか?」

 拒絶されるか、はぐらかされるかと思ったが、高台寺の予想に反して、アンナはニコニコしながら答えた。

「うん。うちはご先祖さまが陰陽師で、代々拝み屋をやってるの。私もめっちゃ修行してるから。困ったことがあったらいつでも相談してね」

「お、おう……。桐原もそんな感じ?」

「タカユキくんのうちは神社でね、神さまに守られてるんだよ」

 神社、と言われて、高台寺はアッと思い出した。

 豊葦町を散策した午前中、最後に立ち寄ったのが『桐原』神社だ。頭の中で、点と点が結びつく。あのとき御津影は、桐原に会いに来ていたのだ。学園に侵入した夏木葉実の存在を報せるために。

「今は十三家だけど、昔々の遠霞は三つの家だけだったの。霊地を治める桐原家。拝み屋の杜井家。そして後援者の葦原家。約定によって団結した御三家は、あちこちから持ち込まれる怪奇現象の相談を解決しながら、仲間を増やしていったんだって」

 チョコ菓子を摘まみながら遠霞十三家の成り立ちをペラペラ喋るアンナを前に、高台寺は人知れず冷や汗をかいた。

 ――これ、あとで記憶を消す光を当てられるんじゃないか。

「あー……なんでこんなことを聞いたかっていうと……相談というか、教えてほしいんだ。葉実が自分の力について学べる場所があるなら……」

 ハンカチの染みを抜いて葉実が戻って来たので、高台寺は一度そこで言葉を切った。

「本当にごめんなさい。ハンカチ、洗濯して返します」

「いいのいいの。葉実ちゃん、座って。アンナから大事なお話があるよ」

 葉実は申し訳なさそうにソファに座った。

 女子たちはテーブルの上を片付け、スカートを整えながら座り直した。今し方までご機嫌にお菓子を摘まんでいた女子高生たちが、こうして澄ましていると良いところのお嬢さんに見える。

 姿勢良く膝の上で手を揃えて、アンナが口を開く。

「葉実ちゃんには、四月から豊葦学園に通ってほしいの」

 予期せぬ言葉に高台寺は息を呑んだ。

 横目で反応を窺うと、葉実はポカンとした顔をしていた。

「私たちもあなたと同じ。人にはない才能を持って生まれて、力をコントロールできるよう物心ついたときから訓練してきた。豊葦学園はね、その仕上げの場所なの。体の成長と一緒に力が大きく伸びる中学から高校までのあいだに、改めて自分の才能と向き合って、将来どうしていくかを決める。自分の力で悩んでいる人のために、他校からの転校や編入も受け入れているの」

 これは、さっきの質問の答えだ。

 常人ならざる才能を、異端視することなく受け入れる場所がある。似たような境遇の、同世代の人間がいる。悩みを相談したり共有することができる相手は、今の葉実にもっとも必要なものだ。

「葉実ちゃんの暗示がどんな条件で発動するものなのか、今はまだわからない。でも心配しないで。それは調べればわかることだし、遠霞十三家には似ている能力を持った人がいるから。どういう力か理解して、コツを教わって訓練すれば、ちゃんと自分の意志でコントロールできるようになるわ」

「あ……」期待と安堵に頬を染めたのも束の間、葉実はしゅんと肩を落とした。「でも、うち……お父さんがいなくて。お金がなくて……」

「それは大丈夫」

 ヘーゼルの瞳の女子が、肩にかかった亜麻色の髪をかき上げて言った。

「才能のある子はワケありが多いから、学費は免除されると思う。私がそうだから」

「えっ……」

「御三家に持ち込まれる依頼を手伝えば手当も出るし。親がいなくても生きる手段は用意されてる」

 桐原は言っていた。十年前の『カナエ事件』で、遠霞十三家は仲間を失ったと。

 高台寺は黙ってヘーゼルの瞳の女子を見つめた。澄まし顔をしているが、親がいなくても生きる手段は用意されている、という言葉は、喪失を乗り越えてきたからこそ言えることだ。

 アンナが膝の上で揃えていた手を解いて、右手をわきに置く。ヘーゼルの瞳の女子がそこに指を絡めて、二人は手を握り合った。

「学園を卒業した能力者の中には、才能を活かして働いている人もいるし、好きを仕事にしている人もいる。そこは普通の人とあまり変わらないかも。だからね、さっき高台寺くんも言ってたけど。葉実ちゃんは、葉実ちゃんのままでいいのよ」

 菩薩のような微笑みを向けられて、葉実は恥ずかしそうにモジモジしている。下唇をキュッと噛むのは、気持ちが固まっているのに踏ん切りがつかないときの癖だ。

 高台寺は背中を押してやることにした。

「ハミ。難しく考えないで、とりあえずやってみろよ」

「ゲンキくん……」

「暗示で人を操れるっていうけど、これまで生きてきて、都合の良いことばかりじゃなかっただろ。前に友だちとケンカして、泣いて帰って来たことあったじゃないか。去年なんて数学の補習から逃げようとして先生に捕まったり、合唱コンクールでソロパートを歌うことになったり、クリスマスでも……」

「やめてー! なんでいちいち覚えてるの!」

 ポカポカと二の腕を叩く拳を手のひらで受け止めながら、高台寺は小さく笑った。

「暗示の力があったって、その人間の本当に譲れないものを曲げることはできない。もしできたとしても、ハミはそんなことしないよ。そうだろ?」

 気休めで言っているのではない。出会ってから三年間、高台寺は夏木葉実を見てきた。家族ではなく、友人でもなく、けれど他人ではない距離から。

 葉実はふくれっ面でそっぽを向いた。

「そうだろって言われても、よくわかんないまま『うん』なんて言えないよ」神妙に目を伏せて、ギュッと高台寺の袖を握りしめる。「……ゲンキくんは、なんで警察官になろうと思ったの? 体が大きいから? お姉さんが婦警さんだから?」

 高台寺は床に視線を落とした。

 警察官を目指す理由を、葉実に話したことはなかった。夏木家の人たちと過ごしているあいだだけは、忘れていたかった。自分が欠落した人間であることを。

「……奪われたものがある」

「えっ! 家に泥棒が入ったの?」

「だったら話が早かったんだけどな」

 奪われたそれは、かたちのないもの。幼い頃の自分。両親の記憶。感情で彩られた思い出。どんな、と聞かれても答えられない。奪われたことを認識しているだけだ。

「……今まで言わなかったけど、俺は」

 億劫さを退けて口を開いた、そのときだった。

 廊下から、けたたましい非常ベルの音が鳴り響いた。


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