竹澤さんちの幽霊ちゃん

ガビ

第1話 字が上手い幽霊

《お客様にお知らせいたします》


 電車で、この枕言葉から始まるアナウンスは確実にウンザリすることが情報が続くことは社会人の常識だ。


《先ほど、お客様がこの電車に接触したため、運転を見合わせます。このため……》


 それ以上は聞かなくても分かる。


 俺は音楽アプリを起動して、有線イヤホンを耳に詰め込んだ。

 ただでさえ空気の悪い車内が、さらに悪くなる。


 他の乗客のため息や舌打ちを聞いていたら、自分にされているわけではないと分かっていても心が荒む。

 だから、せめて好きな音楽を聴いて気を紛らわせようってわけだ。


 明日も仕事だしな。

 ストレスは少しでも回避したい。

 耳だけではなく、視界も邪魔だと目を閉じる。


「……」


 しかし、鬱陶しい視線を感じて落ち着かない。


「あの人カッコいい!」みたいな視線なら大歓迎だが、悪感情が乗った視線だ。

 耳と目も塞いでいでも、こういう感覚は遮断できない。


 自分がもっと鈍感だったならと思うが、無いものねだりをしても仕方がない。


 だから、仕方がなく目を開く。


 この気持ち悪い視線を向ける奴がどんなツラをしているのを拝むために。

 どうせ、仕事が巧くいかないから無意味に周囲を睨みつけているおっさんだろうけど。


 しかし、予想に反して相手は若かった。


 それも、圧倒的に。


 若さの象徴である学校の制服を着ている女の子だった。


 この時間に電車に乗っているということは、高校生だろうか。いや、最近は中学生でも塾やらで遅くなると聞く。


 とにかく、女子学生が自分を睨んでいる。

 まるで親の仇でも見るかのように、鋭い眼光で。

 何だよ。俺が何したってんだよ。


 こういうヤバい奴には関わらない方が良いとは分かっているのだが、俺も電車が停まったことでイライラした。


 だから、睨み返してしまった。


 相手はそれに怯むことなく、ただジッと俺を見てくる。

 そうなってくると、目を逸らした方が負けな気がしてくる。我ながらガキっぽいが、この勝負に負けてたまるかと睨み続ける。


 結局、電車が動き出した1時間後まで睨めっこは続いた。

 走り出したことで、1区切りつきたと感じた俺は、無意識に目を伏せてしまった。


 しまった。油断した。


 慌てて、視線を戻すと女子学生の姿は無かった。


「……」


 車内は混雑していて、身を隠す場所はない。

 なら、外に出たと考えるべきだが、扉が閉まるまでは確かにそこにいたのだ。


 ……仕事のしすぎで、ついにおかしくなったのかね。

\



 竹澤慎二。


 30歳。独身。低賃金。

 鉄臭い工場で働いている。

 仕事は、面白くはないが難しくもない。


 ただでさえ少ない給料は、この狭いアパートの家賃と趣味である本代に消える。

 学が無いくせに、読書が趣味の俺は本棚に入りきらない本の山を床に積んでしまっている。

 新しい本棚を買うにも、置ける場所もない。

 しかし、ストレスが溜まった日は書店で本を爆買いしてしまう悪癖が俺にはある。


 1度に1万円以上は使う。

 そのラインナップは統一感がなく、エンタメ小説や純文学、ノンフィクションや写真集、果ては絵本まで様々だ。


「その人の本棚を見れば、その人のことが分かる」と偉い人が言ったらしいけど、俺はどう評価されるのだろう。


 何にでも手を出す乱読家。


 良い言い方をすれば知識欲がある。逆に悪く言えば節操のない馬鹿。

 できれば前者であってほしいが、実際、俺は馬鹿だから後者だろうな。


 最終学歴は中卒だし。

 高校は結局辞めた。

 当時は逃げるのに必死だったが、今になって遅すぎる後悔をしている。


 あのまま、我慢して高校に通い続けて卒業していたら、今より少しはマシな生活をしていただろうかと。


「……ハッ」


 あまりにも身勝手な考えに自分で笑ってしまう。

 たらればの話をしていても意味が無い。

 今あるカードで、どうにか人生というゲームをクリアするしかないんだ。


 この、クリア条件が曖昧なゲームを。

 そんなことを考えながら、ソファに横たわる。


「疲れた……」


 1日働いて、帰りは人身事故に巻き込まれたのだ。それくらいの弱音は吐いて良いだろう。


 もう、誰の声も聞きたくない。

 そんな、俺のささやかな願いは叶わなかった。


<今週のニュースです。山手線での人身事故の影響により……>


 勝手にテレビがついたのだ。

 それも、忌まわしき人身事故のニュースが流れているタイミングで。


 何故だ。


 俺は目をつむり、考え事に耽っていた。

 リモコンすら触っていない。


「……これも寿命なのかね」


 安い値段で買った小さいテレビだ。そんなこともあるのかもしれない。

 それからも暗いニュースが続いて嫌気が刺し、テレビの電源をオフにする。

 軽いあくびをして、再び目を瞑る。


<年収103万円の壁が……>


 またもやテレビがつき、聞き飽きた情報を聞くハメになった。


 2回目。


 これは、故障で片付けるには無理がある。

 だとしたら、第三者によるものか。


 そこまで考えて、電車で睨んできた女子学生を思い出す。

 あの不吉な雰囲気を出していた女だったら、こんな嫌がらせもするだろう。


 非現実的だとは分かっている。

 でも、俺は馬鹿だから稀に妄想の世界に浸ってしまうのだ。


 パチっ。


 その可能性を裏付けるように、今度は電気が消える。


「……」


 もう、あの女の仕業だとしか考えられなくなる。

 こっちは疲れてるってのに、つまらねーことしやがって。


 段々、腹が立ってきた。

 気づけば俺は叫んでいた。


「さっきから何なんだよ!! 気持ちわりーな!!! 言いたいことがあるんなら直接言いやがれ!!!」


「ヒッ」


 ん?

 今、女の子の悲鳴っぽいのが聞こえたか?


「……グスッ。ゥゥ」


 さらに泣いている?

 声から察するに、俺の目の前にいる気がする。

 目を凝らす。

 隠れているであろう、この世の者ではない存在を見るために。


 ……いた。

 今時珍しく、黒髪ロングの女子学生。

 前髪も長くて顔がよく見えない。故に、可愛いかどうかも分からない。


 制服は何年ものだよってくらいに色褪せている。

 肌や爪はボロボロだ。

 そんな事件の匂いがプンプンする女の子が、俺の前に現れた。


 間違いなく幽霊だ。

 日本のホラー映画から出てきたような、お手本のような幽霊。

 人間を呪い殺すことができるとされている恐るべき存在。


 そんな幽霊が、俺ごときの恐喝で泣いていた。

 幽霊とはいえ、女の子を泣かせてしまったというのは気分が良くない。


「……ゥゥ、ェぅ」


 泣くんなら、もっと大泣きした方がスッキリするだろうに、こいつは声を押し殺している。


「あー……気持ち悪いとか言って悪かったよ。すまん」


 被害者はこっちだというのに謝ってしまった。


「……ッッッ!!!」


 幽霊は慌てて俺と距離を取る。

 そして、ペンとチラシの裏を使って文字を書き始めた。

 待つこと30秒、俺の膝にチラシが置かれる。


<見えてるの?>


「まぁ、割とクッキリ」


 正直に答えると幽霊は俯く。

 表情は見えないが、恥ずかしがっている?

 別のチラシで、また文字を書き出した。


 待っている間、<見えてるの?>の文字を改めて見る。

 ……幽霊のくせに、俺よりも字が上手い。


 軽い敗北感を味わっていると、2通目が再び膝の上に置かれた。


<お願いがあるんだけど、聞いてくれる?>

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る