第六話 汝に裁きを、世界に救いを


 心地よい。

 ヴァルターは無限に広がる天地のなかで光の温かさを感じていた。

 怒りに狂い、黒く変色した浄化の槍をライベンは持っている。彼は宙を漂い、鬼の形相で飛び掛かって来る。

 それをステップで、躱す。

 あとに続くは赤黒い亀裂――。

 虹色に歪んだ大地は、ライベンの怒りによって引き裂かれる。


「どうして、どうしておまえなんだ! なんでおまえは、そうまでも道化を演じ続けるんだ!」


 ライベンが怒鳴っている。

 再びの猛襲をヴァルターは躱しながら、喪の大剣をふるう。

 空間が震え、オレンジ色の爆炎があとを追う。

 負の魔素を使っているのに炎が出るなんて、不思議だな……とぼんやり考えていた。


「俺は負けない。誰にも負けない! 絶対に負けない! 負けないんだ。負けないんだよおおっ!!!」


 ライベンの首を覆っている翼が黒く濁る。

 腰から垂れ下がった赤黒い翼は天使とも悪魔とも見えないライベンを宙に誘い、ヴァルターを猛襲した。


「負けるのが、生きるって事だよ」


 獲物を捕らえる刹那――強烈な青白い障壁がライベンを阻んだ。


「ぐあああっ!」


 二転、三転とライベンは地面を滑った。


「きさまァ……」


 よろよろと起き上がったライベンだったが、その腰から生えていた赤黒い翼があらぬ方向に骨折していることに気づき、驚きの表情を見せた。

 ヴァルターは言った。


「勝ち続けるのは、無理だよ。どこかで、限界が来る。ときには負けて……負けを認めて、自分の弱さを認めて――」

「そんなヌルい事をしている時間は、俺にはねええええんだっ!」


 再びの衝撃が周囲に走る。

 猛烈なライベンの魔力が崩落しつつある王都に満ちた。

 地面をえぐるように踏み込んだライベンは、猛禽のような俊敏さでヴァルターを襲った。


「んふふっ……」


 含み笑い。


「――っっぐはあ!!!」


 ライベンの腹に、ヴァルターの強烈な闇魔法が炸裂する。

 それは防御魔法の否聖領域(サンクトゥス・ネゲイト)を攻撃に転用した干渉波だった。

 否聖崩響(ネゲイト・リゾナンス)の手応えに、ヴァルターは「ふふふっ……」と笑ってしまった。

 ライベンは弾かれた鳥のように錐揉みしながら宙を舞い、瓦礫の山に墜落した。

 天と地が入れ替わろうとしている異常な世界で、ヴァルターはゆっくりと歩みを進める。


「殺してあげなくちゃ……。生きているのが、かわいそうだよ」


 地面に残るライベンの聖痕――。

 点々と連なる鳥の死骸――。


 おなじだ。


 幼いころに経験した、鳥を殺していたときと。

 あさごはんにもならない、きずついた、死を待つツバサ。

 ヴァルターは右手を突き出す。

 否聖崩響でトドメを刺すつもりだった。

 これ以上、あの鳥を生かしておくのは――。


「かわいそうだ」


 ちゃんと殺してあげないと――。


「ヴァルターッ、ダメえええっ!」


 セレナが倒れているライベンの前に立ちはだかって、両手を広げた。

 ヴァルターは咄嗟に魔力をひっこめ「あっ、ああっ……」と呻いた。

 セレナは叫んだ。


「しっかりして、目を覚まして!」


 その声にヴァルターは頭を抱えて「ああ、ああああっ……!!! あああっ!」と膝を屈する。


 殺したい。

 ちゃんと殺したい。

 殺してあげなくちゃいけない……。


 アタマではわかっているのに、身体の奥底で「殺してはいけないんだ」と訴えるものがある。

 引き裂かれそうだった。息が詰まる。


「ダメだ。殺してあげなくちゃ、殺してあげなくちゃ。あの鳥を、鳥を、トリぃ……」


 膝を屈して、両手で顔を覆っているヴァルターに。


「そんな優しい言葉で、どーすんの! 目ぇ覚ませぇっ!!! グレイヴ・ランスッ――きゃああっ!」


 飛び出してきたリリスは大地の槍を出現させる高速詠唱を唱えたが、それよりも早くヴァルターの雷撃の鞭が彼女の腹を打った。


「リリスッ!」


 セレナの悲鳴のような声が響く。

 リリスは「えほっ、えほっ……、あんた、ヴァルターじゃ、ない!?」と呻きながら、打たれた腹を押さえて膝を屈していた。

 ヴァルターは無意識に反応していた。


「だめだ、だめだ、リリスに、だめだって……」


 必死にヴァルターはチカラを抑えようとしていた。

 ぎゅっと強く、左右の手で自らの肩を握って額を大地に押し付ける。

 リリスを傷つけた。

 そんなの、ダメだ。謝らなくちゃ……!!!


「謝る必要なんてないよ」


 右から聞こえる自分の声。


「だって、死ぬんじゃないか。どこかで。なら、いま死んでも変わらない」


 左から聞こえる自分の声。

 顔をあげるとふたりのヴァルターが、ヴァルターを見ていた。


「だ、だれ……?」

「僕は僕だ。やっと手に入れたチカラなんだから、うまく使わなくちゃ」

「ほうら、見てごらん。あの天使はもう死にかけだ。ちゃぁんと殺してあげようよ」


 ふたりのヴァルターが手を差し伸べて「さあ、行こうよ!」と誘ってくる。

 それは絶対的な誘いであり、断る事なんて最初から出来ない誘惑だった。

 ヴァルターはゆっくりと立ち上がり、両の手を引かれながら前へ歩き出そうとした――。


「だめええっ、ヴァルターッっっ!!!」


 セレナの悲痛な声に、はたと足が止まる。

 ぐいと自らに両手をひかれ、ヴァルターはよろめいた。


 殺す、殺さない。

 殺さない、殺す。


 単純な二択。


 それなのに、行動次第では――。


「新しい世界に行けるよ」

「一緒に行こう。ふさわしいチカラの場所に」


 ふたりのヴァルターが囁きかける。

 けれども――足は前に進まなかった。

 進めなかった。

 なぜ――?

 漂ってくる、殺意。

 ライベンの怒声――。


「てめええ、動くんじゃねえぞ!」

「きゃあああっ!」


 セレナの首を引っ掴んだライベンは、猛烈な魔力を発しながら目を真っ赤にしていた。

 次元が重なる。

 たくさんのライベンがセレナの頬を、首を、胸を、太腿を触り「ひひひっ……」と野卑にほほ笑む。

 ライベンのひとりが、言った。


「俺は得たいんだ。すべてをっ! そのためには、おまえという存在は邪魔なんだ! 弱くて、チビで、いつもノロマで最下位で、そんなおま――ッッッ!!!!!」


 現出していたふたりのヴァルターは、すでに自らの手を離れ、無数のライベンを蹴散らし、本体を左右から喪の大剣で斬っていた。


「――くッッてっめええ!!!」


 ぐわりと身が揺れる瞬間、ヴァルターは否聖崩響(ネゲイト・リゾナンス)をライベンの額に放っていた。確実に、頭を吹き飛ばす射線で。

 砕けて、飛び散って、ライベンは吹き飛んだ。

 無数のライベンが消え、囁くヴァルターの幻覚もゆっくりと消えた。

 右手から魔力の残滓が白い煙となって立ち上っていた。

 世界はゆっくりと空と地上を区別して、風の匂いを取り戻しつつあった。


「ハァハァハァ……」


 荒い息遣いが、聞こえた。

 崩壊した王都の中心広場には、意識を喪失してノビているライベンの姿が。血に汚れた守護天使のライベンの首には、ちゃんと頭が残っていた。

 そのライベンの身体には、セレナが抱きついていた。


「ハァハァハァ……あんたね、詠唱と威力のバランスってもんが、おかしいのよ!」


 恨み言を述べたリリスは、ライベンの前に召喚した巨大な岩の壁を認めて、ぐわりと頭を揺らして倒れた。


「あっ、ああっ、リリスッ……!!!」


 思わずヴァルターはリリスのもとへ駆け寄って、抱きかかえた。


「ど、どうして……あの、なにが……?」


 風の匂い。土のざらつき。太陽の光……。

 鼻や肌にしっかりと質感がまとわりついて来る。

 リリスは「ハァハァ……」と荒く息を吐きながら。


「あたしに感謝しなさい……。あんたのバカ魔法から、ライベンを守ってやったんだから――」


 彼女は一気に魔力を放出した事による昏睡に落ちてしまった。


「リリス、ねえリリス! 目を覚まして!」


 ヴァルターはハッとして振り返る。

 強固な岩盤のような岩が、ライベンを守るように立ちはだかっている。

 その一部が深く抉れているが……貫通はしていない。


「殺さなくて、済むように……守ってくれたのか」


 腕のなかで寝息を立てているリリスをヴァルターはぎゅっと抱きしめた。


「僕の魔力を使ってよ。魔力の根源は、胸にあるんだったよね」


 リリスの頬を自らの胸に寄せて、ヴァルターは彼女を抱え上げる。

 おっぱいは大きいのに、こんなにリリスは軽いのかと驚いた。

 そのままセレナのもとへ近づいて、ゆっくりと彼女にも魔力を与えた。

 負の魔力をセレナに与えても変なことが起こらないだろうかと心配だったが、このまま目を覚まさないことの方が、怖かった。


「んっ、んん……生きてる?」

「生きてるよ」

「ライベンは?」

「ここにいる。ちゃんと、顔も頭もある」

「殺さなかったんだね、ヴァルター」

「うん、殺さずに済んだ」


 ヴァルターが頷くとセレナがにっこりをほほ笑んで「よかった」と短く述べた。

 聖否崩響を放った瞬間に、リリスは強固な壁を全力で召喚し、セレナは横っ飛びにライベンをかばったのだろう。

 たしかにヴァルターの一撃はライベンの肉体を貫いたが、それはリリスの壁を通してのこと。本来の殺傷能力よりもだいぶ弱まった状態で、守護天使の身体を穿った。

 セレナは寝起きのように上体を起こし、掌で額を擦ってからライベンを見た。


「彼もまた、孤独だったんだろうね。いつも強がってたけど……こんな天使さまになっても、彼の孤独は埋まらなかったのかな」

「世界を壊してしまうほど……孤独が怖かったのかもしれない」


 ヴァルターは言って「変だね」と前置いて。


「僕は世界の秩序が嫌いだった。イゼル・ア・ムーナの信仰が。でも、ライベンは孤独が嫌だったんだ。みんな、この世界の破滅を望んでた。なのに、みんなで世界を守ったのは……どうしてだろう」


 するとセレナは「違うでしょ」と声を低くして。


「世界を壊そうとしてたのは、あなたとライベンでしょ? むしろ、救世主はわたしとリリスじゃない! そこ、勘違いしないで!」


 するどいセレナの主張に「ご、ごめんなさい……」と謝らなくてはいけなかった。

 胸のなかで眠るリリスの顔を認めてから、ヴァルターはライベンを見た。


「どうしよう。彼を殺さないとなると……目覚めたときに、また暴れ出すかもしれない」


 セレナは頭をぽりぽりと掻いてから「それもそうだよね」肩を寄せた。

 しばらく沈黙が続いたとき「ふふふっ!」と怪しげな声が胸元から聞こえた。

 ゆったりと眼を開けたリリスはヴァルターの胸でごしごしと顔を拭いてから、ちょっとよろめきながら立ち上がった。


「やあ~っぱり、このリリス様がいないとあんた達はなぁ~んにも解決できないってワケねえ」

「なによ、その言いぐさは。リリスはライベンを改心させる方法を知っているって言うの?」

「もちろんよォ!」


 その自信満々な口調にセレナもヴァルターも顔を見合わせた。


「うそでしょ?」

「それ、ホント?」


 ふたりは声を合わせてリリスに問いかける。

 リリスは、ごほんっ! と喉を鳴らしてから。


「まァ、あの変態錬金術師の受け売りだけどね。あのおっさん、ヴァルターがライベンを殺さないだろうって信じてたよ。んで、解決策をあたしに託してくれた」

「エグレ神父が……?」


 リリスはこっくりと頷いてから。


「あの変態錬金術師が、このなかの誰よりも悪魔的って事だけは確かね。んじゃあ、やりますかァ! ライベンに、最高の懲罰を与えてあげましょう!」



* *



 息苦しい……。

 どこか水っぽい気配がする。ここは水辺だろうか――?

 肉体から魔力が溢れてきている。やっと溢れ出したか。

 ライベンは暗黒のなかで全身の状況を確かめていく。

 腰や背中、肩の一部に痛みが残っているが、これらは魔力でどうとでも修復ができる。


 光、火、水、風……。


 すべての属性が、問題なく身体を循環しているし、首に巻いた守護天使の証であるツバサも自らの意志で動かすことができる。

 失われているのは――。


「視力だけか」


 ぽつりとつぶやいたとき、自らの息が鼻にかかった。


「……ん?」


 自分は今、どうなっている?

 横になっている。仰向けなのか、うつ伏せなのか……?

 血流の感覚から、たぶん仰向けになっている。


「どれぐらい、眠っていただろうか」


 傷の具合から、二週間ほどだろうか。結構な深手を負ってしまった。

 それにしても……ヴァルター!!!

 ぐっと力を込めて魔力を噴き出させる。

 すると強烈な魔力がするすると手足の末端から外へ逃げ散ってしまう。


「くっ……小癪な。ヴァルターの奴め、魔力吸収の罠でも張ったのか。これで俺を封じたつもりなら、甘っ、ン――?」


 背後になにものかの気配がある。

 背中はぴったりと板に張り付いているから、誰かが背後にいるというのはありえない。


 違和感――。


 ライベンは仰向けに横になっているというのに、なぜ背中から気配が感じられるのか。


 闇の気配――。


 最初は罠だと思ったが、どうにも違う。


「チカラ、どうだ」

「いいものやる。いっしょに来ないか」

「強くなる。血の匂い、いい匂い」


 ぞわぞわと腰の奥深くが震えるような魔界の気配――。

 ライベンはハッとした。


「くそっ、ここは、まさか――!!!」


 どんどん、と正面に両手を打ち付けるが、びくともしない。

 魔力で火を起こすと赤々とした炎が見えた。

 それと同時に石室のような空間に閉じ込められていることを知った。


「あいつらっ……まさか!」


 ライベンの背中――つまり、地の獄から魔物たちの声が聞こえる。


「んひぃ! こいつ、天使だ」

「おほおおおっ! 天使の匂いだァ」

「こんなところに天使がどーしてだい。これじゃあ、契約できないねえ」

「祝福嫌い。光、嫌い」


 魔物たちののっぺりとした呻きが、背中に響く。

 ライベンは懸命に石室を突き破ろうとチカラを使ったが、まったくびくともしない。

 次第に魔力が回復してくるが、全力でそれをぶち当てても……石室は動かなかった。


「あいつら……そうとうな深さに、俺を埋めたのか!」


 地の獄に近い深度――。

 魔物の声が聞こえるほどの地中に、ライベンは封印されたことを知った。

 それはイゼル・ア・ムーナが求めた『生贄』の姿である。


「くっそおおおおっ、だせええっ、だせええええっ、ちくしょおおおおおう!」


 暴れ始めたライベンの耳に聞こえる。


「いひひひ、へいき、へいき。あんた、出られる。光が闇に転ずれば、おいら契約する。あんたの光つよいから、あと三千年ぐらいかかるけんども。いひひっひ」


 三千年という時間にライベンは真っ青になる。


「じょ、じょ、冗談じゃない……。こんな場所に三千年だと……!!!」


 死んじまう、と思ったとき、重大なことに気づいた。

 守護天使には空腹もなければ寿命による自然死もない。

 つまり、魔物が述べたように……彼らの手を借りるまで、ずっとずっと永遠とも思われる時間を地の獄である闇の中で生き続けなくてはいけない。


 光が闇に転ずる、その日まで――。


「出せえッ、出せええっ、出せえええええええええッッッ!!!」


 ライベンは激しく、力の限り叫んだが、その声は遠く地上には届かなかった。

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