第五話 零律典と律廻終界
強烈な光が中央広場で放たれた。
大聖堂の露台から双眼鏡で状況を見守っていたロルフ・エクスナーは、あまりの衝撃に双眼鏡を取り落とした。レンズが割れ、じゃりっ……と足元でざらつく音が聞こえた。
両手で目を押さえて、視力が復帰するまで「うう、うううう……」と呻いていた。
露台に運び出した禁書の数々が、風によって埃っぽい匂いを振りまいている。
ライベンは奇跡のひとつと言われる空中浮遊を見せながら、浄化の槍を手にしてヴァルター・ノクスに襲い掛かっていた。
衝撃的な爆音と衝撃が、広場の建築物を破壊していた。
双眼鏡で捉えた限りでは、ヴァルター・ノクスも剣を生成していた。
「あ、あの形状は……!!!」
ロルフ・エクスナーは記憶が薄れないうちに、闇の禁書にとりついた。
ぼろぼろになったページを丁寧に、けれども急いでめくっていく。
「こ、これだ……。間違いない!!!」
そこに描かれていた絵図には『喪の大剣』と書かれていた。紫色の邪剣であり、鍔の部分に鳥の翼を食らう蛇の頭が彫刻されている。
またの名を『黙示の書剣』と言うらしく、剣身に破滅を呼ぶ大罪の呪文が記されていると禁書にはあった。
ロルフは現場に近づくことはできない。
しかし、その『喪の大剣』に書かれている破滅を呼ぶ大罪の呪文に興味をそそられた。
「なんとか、あの剣を手に入れられないだろうか……」
ぽつりとロルフが呟いたとき、西側にそびえていた鐘塔が、轟音をたてながら崩落した。
ごううん、ごうううんと鐘の音が響きながら王都に地響きが走った。
ライベンとヴァルターの激しい衝突が、あちこちで起こっていたが……互いに決定力が不足していた。
双眼鏡を拾い、ロルフはそれを覗き込んだが……レンズが割れて望んだ光景は見えなかった。
けれども、ライベンと思われる空中の人影が強烈な魔力を発した瞬間――王都の各所にある教会に光の柱が降り注いだ。
その数は六本――。
六ケ所の教会と聖堂が守護天使に反応を示したのだ。
代わりにヴァルターからも闇の息苦しい魔力が発せられた。
空に漂っていた雲が厚みを増し、太陽の光が弱まる。
あっという間に王都は暗雲に包まれたが、教会の頭上だけはぽっかりと奇跡の青空が残っていた。そこから注がれる虹色の光の柱が、教会の神聖を示しているようだった。
「……き、決める気だ!」
小脇に抱えていた闇の禁書を振り捨てて、積み上げた書籍に飛びついた。
ロルフが手の甲を強くぶつけたせいで貴重な書籍の塔が崩れ落ちる。そのなかで「どれだ。どれだ、どれだっけ!!!」と呻きながら一冊の分厚い書籍を手に取った。
白い大理石をちりばめ、黄金の十字で装丁された『聖環の記録書』――。
それを開き、ロルフは記述を見つける。
露台からライベンへ振り返り、指で押さえていたページの文言を読み上げる。
「天は微笑み、光は正しきものに宿る
地は祈りを忘れしものを裂き、血肉を食らう
閉ざされた瞳には、主の慈しみは届かず
されば雷を降らせよ――咎めなき者にも」
聖典断章に記されていた主恩の審雷(グレイス・ジャッジメント)の記録にロルフは息を飲んだ。
瞬間――天より神罰の雷が降り注いだ。
轟音が大気を揺らし、建物や教会の塔や市場を『浄化の雷』が焼き払った。
それは雷と言うよりは光の槍であった。
神に選ばれなかった者、選ばれなかった世界に対する断罪の雷――。
ロルフは震えた。
大聖堂の大屋根からそびえる塔の一部が、神雷によって吹き飛んだ。
ぱらぱらと破片がロルフの頬に当たる。
大聖堂という信仰の中心であるにもかかわらず、ここには主の慈しみはないのだろうか。
崩落する大聖堂の塔を眼の端にとらえながら『王国が大切に温めてきた信仰』とはなんだろうか、とロルフは感じた。それはイゼル・ア・ムーナを妄信する両親に対する『違和感』と同じものだった。
信仰は絶対ではない。その『妄信』を生む『偽り』が、どこかにある。
再現されることのない、伝説のどこかに――。
「で、伝説の、再現……」
禁書に記された伝説が、いとも簡単に顕現した。
これは夢か。
それとも悪夢か。
世界の終焉を記す書籍がうずたかく積まれ、いくつもの道筋が残されている。こうした禁書が多く残されているのは偉大なる遺産であるが、多くの破滅の道が……いまもなお、残っていることに他ならない。
「どうしたら、いいんですか。神官アレクシス・フォーンなら、この状況をどうするのですか」
ロルフは涙が流れた。
それは破滅に対する恐れからではない。
誰もが恐れた黙示録を、この目で見届けることができるかもしれないという学究的探究心による『わくわく』だった。
爆心地(グラウンド・ゼロ)の霧がうっすらと晴れてきたとき……ロルフは驚嘆の涙に暮れている場合ではないと理解した。
そこには闇色の霧に包まれた青白い稲妻が散っていた。
「生きている……!?」
恩の審雷(グレイス・ジャッジメント)が直撃してヴァルター・ノクスは四散したとばかり思っていた。しかし……あの闇の障壁を目撃して、ロルフは再び崩れた書籍の山にとりついた。
汗が、頬から顎に、そして書籍へ流れ落ちる。
「そうか。だからだ! あのとき、んっく、ライベンが斬りかかった時に見えた青白い障壁――あれは、否聖領域(サンクトゥス・ネゲイト)が断片的に発動したことによるものだったんだ! そうだよ、だから……ライベンの右腕に、あんな傷が残ったんだ」
ロルフは書籍を手にする。急いで詳細を読もうとページを繰った際に――ばしんっ、と強烈な静電気のようなものが指に起こった。
それによって書籍の一部が燃え欠けた。
「まだ、書籍に魔力が残っているって言うのか」
魔界を記録した禁書である。強烈な呪いが残っていても不思議ではない。
教育機関では存在すら秘された『魔界の禁書』――。書かれている内容のほとんどが、ロルフにとって初対面の物事であったが……。
「あった、これだ!」
ページを繰る手を止めて、呼吸を整える。
禁書は『喰律の書』である。その第六章『咀聖』に記載があった。
「聖の名を冠するは、空なる音
印は焼き、言葉は食み、祈りを呪いへ
影は祝福を孕まぬ胎
――故に沈めよ、すべての加護を」
そこまでロルフは読み上げ、合点が行く。
「だからか! これは守護天使の加護を打ち消す闇の展開魔法で、聖印や祈祷を無力化させる防御系の――あわわわわっ!!!」
遅れてやってきた衝撃波が、大聖堂のステンドグラスを粉々に砕いた。
城下では人々の悲鳴があがっていた。
木造の東屋や古民家がメキメキと音を立てて崩れ、ロルフも衝撃で三度ほど後転して、禁書に頭をぶつけて止まった。
なにが防御魔法だ。
神雷を受け止める魔界の障壁なのだから、とんでもない衝撃が起こるに決まっているではないか。
ライベンとヴァルターの魔力が衝突し、いよいよ王都に濃密な光と闇の魔力が満ち始める。
二度の衝撃で六本あった光の柱は二本まで減っている。
教会や聖堂をなぎ倒すほどの衝撃が、王都を襲っていたのだ。
木造の家屋も石造りの教会も壊れている。
ロルフは祈ろうと両手を握り合わせた。
しかし、なにに祈ればいいのかわからない。
自らの無事を、誰に祈るのか。
そもそも無事ではなく『破滅を見せてください』『最期を見せてください』と願いたい気持ちが強いことに気づき、驚いた。
そうした純粋なロルフの学究的探究心を満たすように、再びライベンが強烈な魔力を放ち始めた。
「な、なにをする気だ、ライベン……!!!」
慄きながら、ドキドキしている。
これ以上の衝突は、本当に破滅と崩壊を引き起こす。
でも、それが見たい!
禁書に描かれた終焉に居合わせられるのは、なんと幸福な事だろうか!
ライベンの魔力が方々に散る。
空が反転し、暗雲が輝き始め、ぽっかりと開いた青空が真っ黒く染まった。
それは異常な光景だった。
世界の因果律が裏返っていく。
正と負――。
光と闇――。
ふたつの統括属性が、互いの性質を交換する。強制的に。
ロルフは慄いた。
「そ、そんな……。こんな才能がライベンにあったって言うのか!?」
正直な感想を口走ってから、大きく髪を振り乱して顔を振った。
「出来るよ。おかしくない! だって、ライベンは自分の属性とイゼル・ア・ムーナの属性を強制的に入れ替えた。ああっ、そうだ。あのイゼル・ア・ムーナを強制的に引きずり込んだんだから……こんなバカげた因果律の崩壊を招くことだって、いまのライベンなら出来るんだ!」
ふと見れば、ばむんばむんと露台に散らばった書籍たちが飛び跳ねている。
「なっ――!?」
ぼよんぼよんとカエルのように跳ねまわる。
「ち、違うっ! そうじゃない!!! 天と地が、入れ替わろうとしているのか!」
王都の地面が白く輝き、空が暗く落ち込んでいく。
地面が空に、空が地面に――。
非現実的な逆転現象が、王都を中心に起こりつつある。
このままでは王都全体が、空に墜落してしまう。
ライベンの背後に黒く輝く輪が現れる。
「光輪が! いやっ、でも属性が反転して――!!!」
ヴァルターの足元に白く輝く光輪が広がった。そのまま闇の五芒星を明るく輝かせた。
ロルフは自分の身体がわずかに浮き上がり、そして地面にぽすんと落ちる不確かな感覚のなかで叫んだ。
「ど、どうなって――うぇええっ!?」
露台にかじりつくロルフ。
書籍を読むロルフ。
頭を大きく振るロルフ。
双眼鏡をのぞき込むロルフ。
たくさんのロルフが、ロルフの周りに出現していた。
「な、なんだって言うんだ……!?」
理解を越えた現象のなかに叩き込まれて、ロルフはうろたえるしかなかった。
世界の終焉が、本当に始まっている。
学究的探究心が胸のなかを激しくかき乱す。
理解の及ばない『疑問』が頭のなかに無限の渦を作り出す。
心臓が、どきどきした。
終わるんだ。
本当に、すべてが終わるんだ!
瞬間「まさか!」とひとつの仮説にたどり着く。
たくさんのロルフが露台のうえで慌て、慄き、歓び、書籍を貪っている。
ロルフは散らばっている書籍に飛びついた。
そのなかで……もっとも古い書籍に手を伸ばした。
書籍に手を伸ばしたとき、薄れた影のようなロルフの手が異なる書籍をぶんどった。
「ええいっ、紛らわしい!」
まるで夢のなかだった。悪夢のさなかだった。
自分の姿をしたたくさんの影が、露台のうえで阿鼻叫喚している。
「これは時空が歪んでるんだ。時間軸が重なり合ってるから……過去と現在と未来が、この次元に集約されて、現れてるんだ!」
そうした仮説のもとでロルフは一冊の書籍を掴んだ。
羊皮紙と黒金で折り込まれた表紙の素材は、古代書物としては重厚なものだった。これは人間が織ったものではないのかもしれない。
拳ほどの厚みのある黒い書籍を開く。
そこに書かれていた文字は、まったくロルフが理解できるものではなかった。
古代天語と表音魔語、そして補足的な人語が入り乱れる奇天烈な書籍に他ならなかった。
逆円環が記されたページに栞のような紙の束が差されていた。その紙面がバサバサと散った。
足元に落ちた紙面は、歴代の高位神官と思われる者たちが解読を試みた端書だった。
アレクシス・フォーンのものと思われる端書もあった。
ただ『人知を超えた記述にて、後世の学者に託することを許し給え』とある。
ロルフの見開いた眼から、熱いものが流れ落ちた。
偉大なるアレクシス・フォーンが諦めた。
その虚しさと……この超常的な現象を理解するに至らない現実に、憤りが膨らんだ。
こんな最高の破滅を前に――ロルフは伝説の記述を読み解くことができない。
ぽたぽたと歴代神官たちの端書に涙が落ちた。
その涙は真っ赤な鮮血であり、拭った手の甲にもじっとりとした血が残っていた。
「あれ、血だ……?」
ロルフが呟いたとき、暖炉の前で揺り椅子に座っている母の背中が見えた。
遠い過去の記憶――。
壊れゆく世界に重なったロルフの記憶――。
母は肩越しにロルフを見て、「しーっ」と唇に人差し指を押し当てた。
「あなたは偉い人になれる。勉強して、勉強して、世界を知るチカラをつけるんですよ。だいじょうぶ、本はすべてを教えてくれる。読めない本なんてないの。異国の本も、なんでも読める」
幻聴か、なにか。
それでもロルフは問い返す。
「だって読めないよ、ママ……。これ、読めないんだ」
両手で示す、黒金の古代禁書――。
すると母親は穏やかに頷いてから。
「お父さんには、内緒よ。誰にも、言っちゃいけません」
そう言って、左目を見開いた。
「――ッッッ!!!」
その眼球は真っ赤で、獣の如く爛々と輝いていた。
目の周囲には青筋が浮かび上がり、肌はひきつったように隆起している。
それは優しい母の姿じゃない。
魔を宿した者の姿――。
「ママ……」
そうだったんだ。そうだったんだね。
ロルフは血涙を頬に流しながら、目にチカラを込めた。
「読めない本なんてない。そうだよね、ママは世界でイチバン書籍を読むことのできる司書さんだったんだよね」
ぼたぼたと血涙が流れる。
視界が明瞭に、そして赤く染まる。
「ここまで、『ニンゲン』として育ててくれて、ありがとう。こんなに世界が面白いことに満ちているって教えてくれて、ありがとう!」
ロルフは叫んでいた。
文字が浮かび上がる。輝きだす。
古代禁書『零律典(ネイティス・ノミコン)』は世界の創成から終焉の一例をロルフに告げていた。
すべてが赤黒く輝く文字となって飛び込んでくる。
バラバラと風に煽られるようにページは繰られる。
人の関知しえぬ、人知を超えた存在の手によって。
「第十三章 律廻終界(非法のエシュア)――。秩序のめぐりが、終わる場所!」
誰も解読しえなかった章の名を叫び、ロルフは暗く沈んだ空を見上げた。
もはや秩序はない。
詠う、終焉を。
「聖なる律は裂け、祈りは黒き沈黙へ堕つ
光は闇に燃え、影は神の声を奪う。
忘れられし名が、理を内より腐らせるとき
――零は律を呑み、世界は裏返る」
ぱむんっ……と本を閉じ、どさっと足元に落ちた。
天と思しき頭上を見上げ、血の涙を流しながらロルフは両手を広げて、叫ぶ。
「――再創の刻、いま、ここに」
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