第二話 守れなかった約束


 朝靄のなかで地面をついばむ鳥の群れ――。


 手を伸ばせば、彼らは驚いて飛び立っていく。

 その一羽が、逃げ遅れたように飛び立っては地面に引きずり込まれ、また飛び立とうともがく。片足に透明な糸が引っかかったように、鳥は羽を散らしながらもがく。

 ヴァルターは鳥の両足を掴んで、ニッと笑って――。


「あさごはん!」


 エグレ神父に、朝ご飯にしてもらおうと考えた。

 けれども、孤児院のみんなは……ヴァルターを不気味がった。

 幼いころの記憶――。

 鳥は足に糸が巻き付いたり、翼の筋肉が強張ってしまったみたいに動かなかったり……。

 ヴァルターが望めば、対象の鳥は飛び立つことすらできなかった。


「そうだ。幼いころ、僕は不思議な力を持っていた。それで、みんなが怖がって、拒絶されて……セレナだけが、傍にいてくれたんだ」



 正面に視点を合わせる。


 突撃してくるライベンの鬼気迫る姿――。


 横っ飛びに避ける。

 代わりに腕から『糸』を出す。雷撃の、細くて青白い、ほとばしりの糸――。

 鳥の足をからめとった懐かしい感覚を放つ、ライベンの剣に――。

 ライベンの剣身をがっちりとつかんだ雷撃の糸に力を込める。

 鳥の翼を強張らせる霧氷の冷却――。

 一瞬にして剣身の一部が凍り付いた武器は、雷撃の帯によって簡単に破断した。耳障りな鉄の音を残して。

 上半身をぐわりと揺らして衝撃に踏みとどまったライベンだが、槍の如く隆起した地面の硬い地盤が、馬の脇腹を下方から貫いた。

 激しい嘶きとともに馬は倒れ、ライベンも朝靄と霖雨に濡れた地面に沈んだ。


「うぐうっ!」


 短い呻き。

 ヴァルターは回避運動をとったのち、ゆったりと立ち上がってライベンを見下ろす。

 距離の離れた向こう側で、猛獣のように目をぎらつかせたライベンは「てえめええっ!」と吠えていた。

 剣を使ってもよかった。

 けれども、ヴァルターは思い出を手繰り寄せるように右手の掌を広げ、ライベンに向けた。

 ガルスから預かった山賊の剣は、もう地面に落ちている。こんなものは必要ない。

 幼いころは、なにがなんだかわからなかった。


「あんたには、闇の魔素がある。イゼル・ア・ムーナを信奉する者たちが、この地を統治するためにねじ伏せてきた、抑圧された負の魔力――」


 斜め後ろから、リリスがつぶやく。


 負の魔力――。


 闇を筆頭に、雷、氷、地の三属性が連なる。

 光を筆頭に、火、水、風の三属性を連ねるイゼル・ア・ムーナと対になるチカラ。

 守護天使と対になる存在――。

 それは、悪魔か。魔物か。


「違う」


 ぽつりとヴァルターは言い、手のひらに力を込めた。

 闇の魔力が集まり、空間がぐにゃりと歪んだと思ったら、白と黒の明滅を孕みながら質量が膨れ上がって来る。

 ライベンは叫ぶ。


「てめえに天使のチカラがあるなんて……認めねえええぞおおっ!!!」


 立ち上がり、突進してくるライベンに狙いを定める。

 その様子にリリスはぽつりと諳んじた。


「神を妄信する哀れな狂信者よ、それは神ではないと知るべきだ――」


 彼女の言葉が耳に届いたとき、ヴァルターは手のひらの魔力を突進してくるライベンに向けて放った。

 きゅーっと空間が収縮したかのような現象が起こり、そして――。

 炸裂、衝撃、そしてライベンの肉体が弾かれたように周囲を取り囲む岩肌に突き刺さった。

 激突音と岩が砕ける鈍い音――。

 わずかな砂ぼこりが、大地の匂いを周囲に留めた。


「トドメを刺すの?」

「うん、刺すよ。殺した方がいい」


 するりと出た言葉にヴァルターはハッとした。

 それは自分が『殺す』という乱暴な言葉を迷いもなく使ったからだ。

 エグレ神父に「朝ごはんには出来ない」と拒絶されたとき、腕のなかでひくひくと痙攣していた鳥を見て……似たような感想を抱いた。


 ――じゃあ、殺さなきゃ。苦しいままだもんね。


 やさしさのつもりだった。

 幼い日と……同じ。

 ヴァルターが再び掌をライベンに向けたとき、周囲をめぐっていた岩を飛び越えて人影が走り込んできた。


「やめなさい、ヴァルター!」


 ライベンとの射線に割り込んできたセレナは、両手を広げて顔を振った。


「……セレナ?」

「だめよ。こんなの!」

「どうして……?」

「どうしても!」


 真剣な表情でヴァルターを睨むセレナの姿に、また幼少期の記憶が蘇る。

 そうだ。あのとき、鳥を殺そうとしたときも……彼女が割って入った。


 殺さなきゃ。

 ダメよ。

 どうして?

 どうしても!


 そんなやりとりを、した。

 ヴァルターがゆったりと腕を降ろしたとき、背の低い書士のような男が馬を駆ってライベンに駆け寄った。

 ぐったりと倒れた巨躯の男を馬上から両腕で「ぬおおおおおっ!」と呻きながら小男は引きずりあげ、そのまま包囲の岩肌をじゅんぐりと廻って逃げてしまった。


「いーの、ヴァルタあー? あの血の気の多い騎士が逃げちゃうけど?」


 遠ざかっていくライベンと書士の馬を見送りながらリリスは言った。

 それに答えたのは、セレナだった。


「追う必要なんてない! 追って、捕まえて、殺す必要なんて、ない!」


 彼女はそう言ってヴァルターの両手にふれた。

 ばりばりっと白い雷撃の衝撃が肌に起こった。

 ハッとしてヴァルターは身を引いたが、セレナは構うことなく強く握りしめる。

 雷撃の鋭さも、氷塊の残酷さも、地脈の重圧も……。

 なにより、魔障の漆黒が掻き立てる無限の不安を一身に浴びながら、セレナは強くヴァルターの手を握る。


「思い出したんだね、ヴァルター。でも、ダメじゃない。昔みたいに、そうやって乱暴ばっかりしたら、もっともっとみんなから嫌われちゃう。そんなのダメだから。だから深呼吸して。ほら、怖くないから。誰もヴァルターを責めたりしないから」


 セレナのまっすぐな視線がつらくて、ヴァルターは背後に振り返る。

 孤児院の建物に、点々とする鳥の死骸――。


 そうだ。

 あの頃も、こんなふうに手を握って慰めてもらったんだ。


 ヴァルターを不気味だとバカにした孤児院の子どもをみんな殺してやると心に決めたとき、セレナが真っ先にヴァルターを抱きしめて鎮めてくれた。

 幼い日の情景がゆったりと消えて、目に映ったのは燃えたラ・ファネラの集落と倒れた村の人々、そして無骨な地層の壁と――腕を組んで、こっちをじっと見つめるリリスの姿だった。


「ヴァルター。あんたは自分の力を思い出した。知っての通り、あんたには守護天使を葬るだけのチカラがある。あんな馬鹿な騎士のひとりやふたり――」

「――黙って!」


 セレナの怒声にリリスが不機嫌に押し黙る。

 ヴァルターの身体をぎゅっと抱きしめたセレナは「行っちゃダメ。そっちに行ったら、あなたは本当に怪物になってしまうんだよ」と声を震わせた。

 懐かしい、幼いころの記憶と……匂い。

 牧草地から漂ってくる牛と養鶏の匂い。そのなかに溶けるセレナの汗と肌と……髪の匂い。ぎゅっと抱きしめられて、身体がきゅっとして――。

 温かくて、優しくて、それでいて柔らかい。


 肌の内側に感じるセレナの鼓動――。


 あのときの、幼い日の、鮮烈な記憶。

 あのときも彼女は泣いていた。



 ――怪物にならないで、ヴァルター!!! わたしが、ずっとずっと一緒にいるから!



 涙のなかで聞こえたセレナの言葉が明瞭に蘇る。

 ヴァルターがセレナを抱きしめようと背に腕を伸ばしたとき――リリスは言葉を割り込ませた。


「ヴァルターは怪物なんかじゃない」


 リリスはぴしゃりと言って「イゼル・ア・ムーナを信奉する連中が言いそうなコトバね」と鼻で笑った。

 彼女はわずかに歩み寄ってから。


「そうやって神様だ、天使様だと色を付けて――あたしたちみたいなハグレ者を悪魔だ、怪物だと罵って、拒絶して、生贄として消費していく。あたしはね、そういう世界をぶっ壊してやりたいだけなの!」


 ぐいとセレナの腕を引きはがすようにリリスは手を伸ばした。


「痛ッ……!!!」

「いつまで抱き合ってンの!」

「リリスッ、いまはやめて! わたしはヴァルターを暗い道に追いやらないために、ずっとずっと一緒にいる。ううん、一緒にいなくちゃいけないの!」

「はんっ!」


 リリスは腕を組み、顎をあげてセレナを睥睨するように見据えた。


「なにが暗い道よ。あんたがいなくったって、あたしがヴァルターの伴侶として傍にいる。最初から、そのために旅をしていたわけ! ヴァルターのチカラを最大限まで引き出して、生きやすい環境を作る! この狂った、イゼル・ア・ムーナの世界をぶっ壊すのよ!」

「そんなことさせない! それをしたら、どれだけの人たちの血が流れるか、わかってるの!」

「あんなイゼル・ア・ムーナの名前にかこつけた気狂い騎士がいるって現実が、どうしてまだわからないの! あんな奴がいるから、いつまで経っても弱い者が苦しめられる! その現実が、セレナッ、あんたにはわかんないの!?」


 ふたりの女の子は互いの髪の毛を鷲掴んで「離しなさい!」「痛いっ、あんたこそ離せ!」と取っ組み合いを始めてしまった。

 うっすらと肌にまとわりつく嫌な空気が、次第に水気を含んで霖雨となり……リリスがめくった大地は水気を含んでどろどろになり始めた。

 損壊したラ・ファネラの跡地で、リリスもセレナも怒りと動悸に頬を赤くして、互いの顔を引っぱたいたり、馬乗りになったり、乗り返したり……それは女の子とは思えない悶着を続けていた。


「あ、あのっ!」


 ヴァルターは口の中の唾液を集めて、ふたりに向かって声を発した。


「わ、わかんない……。その、なにが正しいかなんて、わからない」


 うまく、なにをどう話していいのか、整理なんてついていなかった。

 ライベンを退けた力は魅力的だったが、背後に鳥の死骸が散らばる現実は、もうごめんだった。


「セレナがいなくちゃ、僕はどうにかなっちゃう」


 断片的だが、本音を述べた。

 セレナが「ふんっ!」とリリスに勝ち誇った様子で鼻を鳴らして。


「言ったでしょ。ヴァルターの傍にいるのは、わたしなの!」


 しかし、ヴァルターは「でも、リリスにもいてもらいたい……」と本音を続けた。


「僕はもっとちゃんとチカラを制御したい。カッとなっても、変なことを考えないちゃんとした人間になりたい。怪物には、なりたくない。だから、そのためには……リリスのような先生がいてくれなくちゃいけない気がするんだ……」


 この一言にリリスは「ほうら、あたしの方が必要なんだって!」と大きな胸を張った。


 どちらが必要で、どちらが不要……。

 そんな話をしているんじゃない。


「僕は、ふたりと一緒にいたい。それは、許されない事なのかな。ダメなことなのかな」


 ひどく女の子たちに失礼なことを言っている。

 その自覚はあった。

 けれども、これがヴァルターの本音だった。

 この問いかけに二人の女の子は互いを見やってから、言葉を選んでいる様子だったが……強まる雨脚のなかで、答えはなにも出てこなかった。

 代わりに出てきたのは――。


「ああっ、いたいた! なにぼうーっとしてるの!」


 黒角のガルスの奥さんであるルグナの尖った声だった。

 いつの間にか、ラ・ファネラには山賊たちが集まっていて。


「ほら、生きてる人やケガしてる人を運ぶ手伝いをして! まだ建物の下敷きになってる人もいるだろうから、男はガルスと一緒にチカラ仕事をして! ちょっとセレナ! リリス! ぼうーっとしてないで、手を動かしなさい!」


 するとリリスが「いまは、大事な話の途中っ――」と言いかけたが。


「ヒトの命を助けることの方が、大事でしょうが! さっさと動く! 働きなさい!」


 ルグナはそう言って、泥を跳ね飛ばしながら「そっちはどう!」と駆け去って行った。

 その強烈な熱量を見せつけられて、三人は妙な沈黙を保ってから……けが人を探す手伝いをし始めた。

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