第七話 地の獄に抱かれて
集落の木柵を抜けた茂みの空地で、ヴァルターはじりじりと肌がひりつく痛みのようなものに耐えていた。それは日焼けの痛みのようであったが、肩や腕から立ち昇る蒸気に、思わず呼吸が乱れそうになる。
「ほおーら、気が散ってる! しっかりせい!」
「うぐっ!」
リリスはどこからともなく硬くて小さな石をぶつけてくる。それも的確に脇腹や鳩尾に当ててくる。
「そーだ。そう。そのまま魔力を滞留させンの。できんじゃーん。昨日よりうまくなってる! よし、あと三十秒だけキイイープ!」
つま先をあげ踵で重心を支える。腰を引き、両腕を前に出した格好で、ヴァルターは魔力を全身にまとわせるイメージを続ける。肉体のあちこちが悲鳴を上げ、汗が、蒸気が、意識が、吸い取られてしまうような虚脱感に襲われる。意識を失わないようにぐっとこらえて、拳を握る。
「いいよー、いいよー、いい具合だよー。……はい、おっけえ!」
リリスの許しが出るなり、ヴァルターは前傾に倒れ込む。
四つん這いになって荒い呼吸を整えるヴァルターに、リリスは「むふふぅー」と近づいてきて。
「頑張ったじゃん。ほら、おっぱい触んな。好きなだけ触っていいんだからね」
「うっ、うう、リリスのおっぱ――あぐうあっ!」
尻の骨が粉砕されてしまったのではないかと言う衝撃が、腰から脳天を貫く。
「なにがおっぱいだ、おい!」
黒角のガルスが『練習用』に使っていた巨大なこん棒を振り抜いたセレナは、地獄の門番のようにヴァルターとリリスを睥睨した。
「――ったく! 油断も隙もありゃしない!」
「あら、セレナってば! アメとムチって言葉を知らないの?」
「あんたの場合は恫喝とおっぱいでしょうが!」
「意味合いは一緒じゃん。だって、ヴァルターもわたしのおっぱいが欲しいって顔してたもの!」
「だから引っぱたいたんじゃない! ほら、ヴァルターしっかりして! こんな魔女のおっぱいに吸い付いたら、魂まで引っこ抜かれちゃうんだから!」
リリスとセレナが言葉と言葉をぶつけ合っているが、ヴァルターの耳には遠く聞こえていた。
これまでに体験したことのないほどの魔力の生成と滞留、そうして放出――。
学校で習った程度の知識ではあったが、これほどの質量を取り扱うには相当な体力と精神力が必要だった。
四つん這いでふるえていたヴァルターは腕を折って地面に頬や肩を沈めた。
腕を組んだリリスが、セレナに向かって。
「すごいね、やっぱ。これまで魔力を封印されていて制御していなかったとはいえ……これだけの量を生成できるんだから、これはもう生まれつきの才能としか言えないよ」
「け、けどさ……。過剰な魔力生成は肉体に多大な負担がかかるって――」
「そうよ! だから、こうして注意を払いながら鍛えてるのに――あんたは、その図太い蛮族こん棒でヴァルターのケツをシバくから、見てみなさい! 命の危機よ、いままさに! 急いでわたしのおっぱいを……!!!」
――ぶうんっ、と激しい風を切る音が響く。
同時に、激発するようなリリスの魔力――。
呼応するセレナの涼し気な蒼い魔力が、森の中でぴりりと火花を散らした。
二匹の猫が出合い頭に威嚇しあうような無言のにらみ合いが続いたとき「おーおーおー、今日もやってンねえ!」と威勢のいい声が、一触即発の空気を和ませた。
やって来たのはガルスと妻のルグナだった。
集落の長であるルグナは「お昼を持ってきてあげたから、休憩したら? 男を教育するってのは、大変なもんだかんねえ!」と歩いてきた。
その少し後ろに、籠を持ったガルスが「サンドウィッチを作ったので」と続いた。
集落に滞在して三日目――。
黒角のガルスをはじめとした集落の男たちは、本当に料理上手な人々だった。
集落の中心にある大きな野外囲炉裏をみんなで共有しあいながら、各家庭がそれぞれの料理を作っては仲間たちと共有をしていた。女たちの喋り場でありながら、男たちの作業場でもあった。
ガルスが持ってきてくれたのは、燻製の獣肉と木の実のペーストを挟んだ、山パンのサンドウィッチだった。薄く切った大牙猪の燻製肉に砕いた胡桃や干し果物が入っている。紫色のベリーペーストが、ほのかに甘酸っぱい味を醸し出していた。
ヴァルターたちは昼休憩を取りながら、ガルスの作ったサンドウィッチを頬張った。
三人が昼食を食べている様子をルグナが「ふーん」と鼻を鳴らしながら見つめて。
「リリス、あんたも厳しい女なんだね。このボウヤが縮みあがっちゃってるじゃないか」
「いーのいーの。旦那を縮ませるぐらいが、丁度いいってもんじゃない?」
「それ、正解よ」
ぱしんとルグナがガルスの腕を引っぱたいた。「あいたっ!」と大男は呻いたきり、なにも返答しなかった。
代わりに「旦那じゃないって!」とセレナが割って入ったが、お決まりの文句にルグナもリリスも取り合わなかった。
ガルスの膝の上に座っていたルグナは「で、あんた達はこれからどうするの?」と問いかけてきた。
この問いかけにヴァルターもセレナも答えを持ち合わせていない。
当然の事柄を聞かれているにもかかわらず、目的となる事柄を持ち合わせていなかった。
「偽りの神様を殺したろうかなって」
そうした状況で、リリスが平然と『目的』を口にした。
ルグナとガルスは顔を見合わせて。
「偽りの神様を、殺す?」
そう声を合わせて聞き返した。
リリスはこっくりと頷いてから、ヴァルターとセレナに目を向けた。
「結構まじめな話だけどさ。あたしは、あのイゼル・ア・ムーナを地上に引きずり降ろして懲らしめてやりたい。あいつのせいで、バカみたいな現実がある。子どもを生贄にしたり、くだらない理由で戦いを起こしたり」
するとセレナが「なんだか、珍しくまともな事を喋っててヘンな感じ」と茶々を入れた。
「黙ってなさい、いまは」
「でも、言わせて。ここんとこ、本当にイゼル・ア・ムーナが守護天使として人々を守ってくれているのか、わからなくなってる。きっと本に書かれているほど、守護天使は人々を救っていないって気がするの」
セレナの嘆きに「信じていたものが揺らぐとつらいよね」とルグナは同調した。
リリスが呆れたようにため息をついてから。
「あんたも被害者なんだよ、セレナ。絶対の神様も天使もいない。ただ、絶対的な存在だと教え込んだ方が、都合がいいって思う連中もいるわけ」
リリスはそう言ってから、ヴァルターに目を向ける。
「だから、あたしは大聖堂へ行くつもり」
「だっ、大聖堂って騎士団のおひざ元じゃないか!」
驚くヴァルターに「そうよ?」とリリスは平然と答えた。
「言ってなかったっけ? あんたに神殺しをやってもらいたい。あんたじゃないと神殺しなんて出来ない。その報酬として、あたしの身体と残りの人生をあげる。つまり、それって結婚するって意味になるっしょ?」
ガルスが作ってくれたサンドウィッチを食べながら話を聞いていたヴァルターは「えほっえほっ!」と咳き込んだ。
セレナが「もう、話が突飛なうえに馬鹿すぎて!」と背中を擦ってくれた。
ヴァルターの咳が落ち着き始めて、セレナは改まってリリスに問い返した。
「結婚するってうるさい動機はわかった。認めちゃいないけど、あなたの主張として受け取りました。じゃあ、ついでに質問をさせて」
「役人みたいな口調で腹が立つわね。質問ってなによ、言ってみんさい」
「どうしてヴァルターが闇属性の素質を持つ――つまり、神殺しのチカラを持っているって知ったの? わたしだって知らなかったのに……。それにリリスがイゼル・ア・ムーナを引きずり降ろしたいっていう動機はなんなの? 個人的な恨みでもあるわけ? 守護天使に」
サンドウィッチを口に運んでいたリリスは、両手を膝の上に戻すように降ろして……サンドウィッチを見つめた。
「悪魔のささやきってやつよ」
「……悪魔の、ささやき?」
ぽつりとヴァルターが聞き返すとリリスは逡巡したように一同を見つめてから、またヴァルターに視線を落ち着けた。
「生贄だった。増水して村をめちゃくちゃにする河が、雨期に氾濫しないようイゼル・ア・ムーナにお願いする。そのために、わたしは生贄として捧げられた」
ヴァルターもセレナも「えっ」と腰がわずかに浮いた。
「……で、でも、リリスは生きてるじゃないか」
リリスはヴァルターの疑問に頷いてから、少し声のトーンを落とした。
「いまみたいな横穴じゃない。竪穴で、箱に入れられて……守護天使紋を顔に塗られてさ。たしか八歳ぐらいのとき。あんた達はさ、土の中に埋められた経験がないだろうから、わかんないと思うけど……息苦しくて、暗くて、土臭くて、音がこもって聞こえて、すべてが暗闇なの。あの恐怖は、誰にも経験してもらいたくない」
そんな、とセレナが絶句して腰をもとの位置に落ち着けた。
ヴァルターはごくりを生唾を飲み込んで「それで、どうなったの……?」と続きを促した。
リリスは言った。
「イゼル・ア・ムーナを信奉していたあたしは、必死に祈った。死にたくない、助けてほしいって。でもイゼル・ア・ムーナは答えなかった。ずっと鈴を鳴らして、あたしは自分が生きている事を示し続けた。どれぐらいだったかはわからない」
鈴を鳴らすように手首を振って、自嘲気味にリリスは笑った。
「悪魔のささやきが聞こえたのは、そのとき。死にたくないのなら、チカラを与えてやるとか言ってた」
「それを受け入れたの?」
セレナが信じられないと言った様子で目を見開いた。
「受け入れたよ。死にたくなかったから。あたしを救ってくれるなら、別に天使でも悪魔でも、なんでもよかった」
ガルスとルグナは「信じられない」「ああ、信じられん」と顔を振るばかり。
「そこから、あたしの戦いが始まった。眠りのない、闇の世界で……気の遠くなるような時間を過ごした。たくさんの事を考えた。家族の事とか、世界の事とか、自分の事とか。アタマがおかしくなるんじゃないかって思うほど、いろんなことを考えた。でも、悪魔はあたしを助けてくれたもの。息苦しくなかったし、闇が怖くなかった。風属性の純粋無垢な女の子が、魔素が反転して地属性と成ったのは、そのとき」
「待って待って!」
セレナが勢い込んで立ち上がった。
「ありえない! 物体に宿った魔素が反転する事はあるけど……それは百年とか、百五十年の単位だよ。しかも人間の魔素が反転するなんて聞いたことがない! 魔導石が火属性から水属性に変異するのだって、百五十年はかかるっていうのに――」
「――三百年ぐらい、考えたんだから」
セレナの言葉を押し返すようにリリスは言い返した。
その一言に、誰もがむっつりと黙り込んだ。
「さ、三百年……?」
ヴァルターは慄くような声で繰り返した。
「そう。長い時間を土のなかで過ごした。食事も、睡眠も、呼吸もいらない、変異の期間をあたしは経た。その超常的な変化の過程で、ヴァルター――あなたの存在を悪魔から囁かれた」
くすくすとリリスは笑って、セレナを見る。
「あんたにわかる? 結婚なんて絶対にできない、死の淵に立たされたひとりの少女が、強くて勇敢な男の子の影を手渡された。その断片的で妄想のような男の子の影を三百年も暗がりのなかで想い続けて……いま、ここで現実に出会ったわけ。三百年後の世界だもの。知っている人は誰もいない。唯一、夢のなかで手を握ってくれていたヴァルターだけ。そんな彼をあたしは――」
リリスがそこまで言ったとき、馬の蹄が斜面を駆け上がってきた。
山賊の男が「ガルス! ガルスッ、大変だ!」と声を荒げて馬を走らせている。
「どうした!」
「ラ・ファネラが燃えてるんだ! ほら、もう黒煙があんなに!」
山賊の男が木々の向こう側を指さすように腕を伸ばした。彼が示した先には、たしかに黒い煙がもうもうと空へと立ち上っていた。
「王国騎士の連中が、火を放ったんだよ! あんたら賞金首が、ラ・ファネラにいるって、家々を焼いてるんだ!」
ヴァルターは「なんだって!」と立ち上がった。
胸の奥がぞわぞわとした。
敵意が、山の裾野から駆け上がってくるような気配があった。
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