終章:新たなる決意(1)
朝日が王都の高層建築の合間から差し込み、工房内に淡い光を投げかけていた。
窓から入る光に照らされた埃の粒子が、魔法陣のような模様を描きながら宙を舞っている。
「世界最適化進行度:62.0%……」
耳元で囁く女神の声が、まるで頭の中に直接響いているかのようだった。
帝国との戦いから一週間が経ち、ようやく体の痛みは和らいできた。
左腕の《オートメイト》の回路は、以前の青い輝きではなく、今は微かに紫がかった色に変化している。
指先で回路をなぞると、皮膚の下から電流のような感覚が走った。
これが俺の中で目覚めた新たな力——《生体回路干渉》というその能力は、まだ完全には理解できていなかった。
「アサギさん、もうちょっと右に曲げて」
ミミの声が集中を破った。
振り向くと、小さな作業台の前で彼女が真剣な表情で俺を見つめていた。
栗色の髪を左右におさげに結び、いつもの工房用の小さな作業着を着ている。
傷跡や黒い汚れで覆われた小さな両手には、複雑な構造の装置の一部が握られていた。
「こんなもの?」
左腕を少し曲げると、回路が明るく光り、空気中に魔力の痕跡が青紫色の光となって広がった。
ミミは目を輝かせながら、装置に反応するその光を観察していた。
「うん、ちょうどいい! すごーい!新しい《オートメイト》の力だね!」
彼女の無邪気な反応に、胸の奥がほんのり温かくなるのを感じた。
あの帝国との戦いの中、自分の身を顧みずに俺を守ろうとした姿が脳裏に焼き付いている。
もし彼女に何かあったら——その考えだけで喉が締め付けられるような感覚があった。
「何を作ってるんだ?」
ミミは得意げに微笑み、小さな手で装置を隠した。
「秘密! アサギさんのために作ってるの。だから見ちゃダメ!」
そんな彼女のやり取りを見守りながら、イリスが書類の山から顔を上げた。
水色の長い髪は少し乱れ、大きな眼鏡の奥の紫色の瞳には疲労の色が見えた。
彼女も寝不足だったのだろう。
イリスは心配そうに尋ねてきた。
「アサギさん、体調はいかがですか? 無理は禁物ですよ。特に新しい能力は、まだ完全には解明できていませんから」
「大丈夫だ。もう痛みはほとんどない」
そう答えたが、本当のところは完全に回復したわけではなかった。
左腕はまだ時折痺れるような感覚があり、頭の中には断片的な映像が浮かんでは消えていく——ブリュンヒルデの内部構造、生体コアの脈動、そしてリゼットの冷たい紅玉色の瞳。
「アサギさん、これを」
イリスが一枚の資料を差し出してきた。
それは古代文字で書かれた文書の翻訳のようだった。
「古代魔法の文献から発見したものです。《生命の流れを操る者》についての記述があります」
彼女の指が特定の段落を指し示した。
そこには、生命体の魔力回路に干渉する能力を持つ者についての言及があった。
「この能力は、自然発生ではなく、外部からの触媒によって覚醒すると書かれています」
イリスが眼鏡をクイッと押し上げながら説明した。
「アサギさんの場合、ブリュンヒルデの生体コアとの共鳴が引き金だったのでしょう」
その言葉に頷きながら、俺は左腕をもう一度見つめた。
この新たな力は偶然の産物なのか、それとも女神が最初から計画していたことなのか。
工房の扉が勢いよく開かれ、レオン王子とダンカンが入ってきた。
レオン王子は翠色の瞳に疲労の色を宿しながらも、その立ち居振る舞いは王族としての威厳を失っていなかった。
金色の髪は少し乱れ、上質な衣服にもわずかな皺が見える。
彼の隣を歩くダンカンは、いつもの厳しい表情を崩さず、長く伸ばした白髪混じりの髪を後ろで一つに結んでいた。
レオン王子が切り出した。
「リンディの居場所についての情報が入った」
その言葉に、全身の血が急速に巡るのを感じた。
リンディ——彼女の姿が脳裏に浮かぶ。
金色の髪、凛とした青い瞳、そして常に背筋を伸ばした毅然とした佇まい。
「彼女はどこに?」
「アルカディア帝国の首都から北に30キロほどの場所にある研究施設です」
ダンカンが重厚な声で説明した。
「『紅蓮研究所』と呼ばれる施設で、生体魔導工学の中枢的な研究が行われているという」
「リンディの状態は?」
思わず声が震えた。
「確かな情報はないが、生きていることは確認できている」
レオン王子の声には希望と懸念が混じっていた。
「彼女は"実験対象"として連れて行かれたようだ」
その言葉に胸の内で怒りが燃え上がった。
実験対象?
彼らはリンディに何をしようとしているのか。
俺の左腕の《オートメイト》が反応するように紫色に輝き、工房内の小さな金属部品が振動し始めた。
「アサギさん、落ち着いて!」
イリスが慌てて声をかけた。
深呼吸をして感情を抑え込むと、振動は収まった。
この新しい力は感情と連動しているようだ——これは注意すべき点だ。
「救出作戦は?」
可能な限り冷静を装って尋ねた。
レオン王子が一歩前に出た。
「アサギさん、あなたの新たな力が必要だ。帝国の生体魔導技術に対抗できるのは、今はあなたしかいない」
彼の言葉には重みがあった。
これは単なる依頼ではなく、王国の命運をかけた要請だった。
「俺が行きます。リンディを救出し、そして……」
言葉を選ぶように一瞬間を置いた。
「リゼットと再び対峙するつもりです」
レオン王子とダンカンが顔を見合わせた。
「作戦の詳細は、明日の戦略会議で説明する。今日はそのための情報を」
彼が取り出したのは、帝国の地図と研究施設の概略図だった。
それらを作業台に広げると、紅蓮研究所の場所と内部構造が明らかになった。
「施設は三層構造で、最下層に特別研究区画がある。リンディはおそらくそこに」
地図を見つめながら、頭の中で救出計画を練り始めた。
通常なら《オートメイト》による遠隔操作ゴーレムを使うところだが、今回はそれだけでは足りないだろう。
新たな力——《生体回路干渉》を活用する必要がある。
「この作戦、かなりのリスクがありますね」
イリスが心配そうに言った。
「特に『紅蓮研究所』は帝国の重要施設。警備は厳重で、首席宮廷錬金術師の直轄です」
「首席宮廷錬金術師……彼についての情報は?」
「カイル・レグナス。かつては天才錬金術師として賞賛されていた男だが、今は禁忌の領域へと踏み込んでいる」
カイル・レグナス——その名前を記憶に刻みながら、俺は決意を固めた。
リンディを救出するだけでなく、この男の野望も止めなければならない。
「もう一つ気になる情報がある。リゼットについてだ」
彼の言葉に全員が耳を傾けた。
「彼女と『ブリュンヒルデ』の繋がりは、単なるパイロットと機体の関係ではないらしい。生体コアには、彼女の家族が使われているという」
その情報に、先日のエルザの言葉が重なった。
リゼットの冷たい表情の裏に隠された何か、そして彼女の「命令だから」という言葉に混じった感情の揺らぎ。
彼女も被害者なのかもしれない。
「それは……」
イリスが言葉を詰まらせた。
「信じ難い話だが、複数の情報源から同様の報告がある。これが真実なら、リゼットの行動原理も理解できる」
彼の言葉に、一同が沈黙した。
帝国の残虐性は想像以上だった。
「リゼットも救えるかもしれない」
思わず口にした言葉に、自分でも驚いた。
敵のはずの彼女を救おうとする気持ちは、以前の俺には理解できなかっただろう。
効率や最適化だけを考える日々の中で、こうした感情の存在に気づくことはなかった。
レオン王子が静かに頷いた。
「可能ならば、そうしたい。しかし、作戦の優先順位はリンディの救出と、自分たちの安全確保だ」
話し合いが続く中、ミミが小さな手を上げた。
「あの、アサギさん……またいなくなっちゃうの?」
その問いかけに、胸の奥が締め付けられるような感覚があった。
彼女の茶色い瞳には不安と心配が浮かんでいた。
「ミミ、心配させてごめん。でも、リンディを助けないといけないんだ」
「わかってる……でも、アサギさんも帰ってこなきゃダメ。約束して」
その言葉の重みが、全身を突き抜けるように感じられた。
以前の俺なら、こうした感情的な約束は「効率的ではない」と切り捨てただろう。
だが今は違う。
この子がいるから戦う理由がある。
彼女の、そしてイリスやリンディ、レオン王子、ダンカン、フェリクス、バルドル——この世界で出会った全ての人のためにこそ戦うのだ。
「約束する。必ず帰ってくる」
ミミの表情が明るくなり、小さく頷いた。
「それじゃあ、これがあなたを守るよ!」
彼女が隠していた装置を差し出してきた。
それは小さな魔力結晶を中心に、複雑な金属の回路が織り込まれたペンダントだった。
「これは……」
「生命の守り。イリスお姉ちゃんに教えてもらって作ったの。アサギさんの《オートメイト》の魔力を増幅させるんだよ」
その精巧な細工に、彼女の才能の高さを改めて実感した。
器用な小さな手が、これほどまでの作品を作り上げたのだ。
「ありがとう、ミミ。大切にする」
彼女は満足そうに微笑んだ。
「さて、これから準備を始めよう。救出作戦は三日後に決行する」
彼らが去った後、俺は窓際に立ち、王都の景色を眺めた。
一部はまだ帝国の攻撃の爪痕が残っているが、街は着実に回復していた。
市民たちは日常を取り戻そうと、それぞれの場所で働いている。
彼らの平和な暮らしを守るためにも、帝国の脅威は取り除かなければならない。
「アサギさん」
イリスが静かに近づいてきた。
彼女の紫の瞳には心配と決意が混じっていた。
「私も行きます。魔法の専門知識が必要になるはずです」
彼女の申し出は予想外だった。
いつも研究室に籠もりがちなイリスが、危険な任務に志願するとは。
「危険だぞ」
「わかっています。でも、リンディは私の大切な友人です。それに……」
彼女は少し言葉を詰まらせた。
「アサギさんの新しい力を制御するためにも、私の知識が役立つはずです」
彼女の決意を見て、断る理由は見つからなかった。
確かに彼女の古代魔法の知識は、研究所での作戦で役立つだろう。
「わかった。一緒に行こう」
彼女は安堵したように微笑んだ。
その笑顔には、いつもの知的な雰囲気だけでなく、勇気と覚悟も混じっていた。
「ところで、アサギさん。新しい能力について……どのように感じていますか?」
その問いに、自分の内側を見つめ直した。
帝国との戦いで目覚めたこの力——《生体回路干渉》。
それは《オートメイト》の進化形なのか、それとも全く別の何かなのか。
「正直なところ、まだ完全には理解できていない。でも、この力が必要だと感じている。リンディを救うため、そして……」
言葉を選ぶように一瞬間を置いた。
「……この世界をより良い方向へ導くために」
世界最適化——その言葉の意味が、少しずつ変わってきていることに気がついていた。
以前の俺なら、それは単なる効率化と無駄の排除だけを意味していた。
だが今は違う。
人々の幸せや選択の自由、そしてミミのような無邪気な笑顔を守ることこそが、真の「最適化」なのではないか。
「アサギさんは変わりましたね。最初にお会いした頃は、もっと……」
「機械的だった?」
微笑みながら言葉を続けた。
「いえ、それだけではなく……人の感情や繋がりよりも、効率や論理を優先するような印象でした。でも今は……」
「ああ。この世界で様々な人と出会って、色々なことを学んだ。効率だけが全てじゃないということをね」
イリスが微笑んだ。
その紫の瞳には、何か温かいものが宿っていた。
「それが、アサギさんの最適化の答えなんですね」
◇
その夜、工房の屋上で星空を見上げていると、何者かの気配を感じた。
振り返ると、そこには淡く光る姿があった。
「女神……」
彼女は虹色に輝く長い髪を風もないのに靡かせ、純粋な金色の瞳でこちらを見つめていた。
その姿は人間の形をしているが、どこか現実離れした美しさを持っていた。
「アサギさん、よく頑張っていますね。世界最適化進行度は順調ですよ」
「女神、あなたが与えてくれた《オートメイト》の力は……変化してるんですか?」
率直に尋ねた。
彼女は微笑んだ。
その表情には優しさと共に、何か計算しているような、冷たさも感じられた。
「それは、アサギさん自身の中から生まれた変化ですよ。あなたの選択と、この世界での経験が、力を形作っているのです」
「《生体回路干渉》……この力は何のためにあるんですか?」
「それを決めるのは、アサギさん自身です。破壊のためにも、創造のためにも使える力。あなたはどちらを選びますか?」
彼女の姿が徐々に透明になっていく。
「ただひとつ、覚えておいてほしいこと。この世界の外にも……修正すべき歪みは存在するのですよ」
そして完全に消えてしまった。
女神の言葉の意味を考えながら、再び星空を見上げた。
無数の星が瞬き、それぞれが一つの世界のように見えた。
「この世界の外……」
その言葉が何を意味するのか、まだ理解できなかった。
だが、目の前のことから始めよう。
リンディを救い、帝国の脅威から王国を守る。
そして、この世界の人々が自由に選択できる未来を作る。
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