第五章:紅き流星 (3)

 工房に戻ると、敗北の重みが一層強く感じられた。


 開発したガーディアン部隊は全滅。

 王国の兵力は大幅に損なわれ、リンディは捕虜に。

 そして何より、帝国軍とブリュンヒルデの圧倒的な力を目の当たりにした。


「どうすれば……」


 声に出さずに呟いた瞬間、激しい衝撃が工房を襲った。

 爆発の音と共に壁の一部が崩れ落ちた。


「何!?」


 イリスが悲鳴を上げる。

 ミミが怯えて俺にしがみついた。


「帝国の空襲か?」


 外を覗くと、空には見慣れない飛行体が浮かんでいた。

 細長い楕円形で、下部に砲塔のようなものが付いている。

 それは帝国の飛行型生体兵器「ストリーク」だ。


 さらなる爆発が街のあちこちで起きていた。

 どうやら奇襲攻撃のようだ。

 しかし、帝国軍はアゼリアにいるはずなのに、なぜ王都に?


「アサギさん!これを見て!」


 イリスが震える手で通信結晶を差し出した。

 それは緊急通信網からの情報だった。


「帝国軍、王都最接近!?」


 信じられない情報だった。

 何者かが王都への隠し通路、秘密の経路を帝国軍に教えたのだ。

 アゼリアでの戦いは囮で、真の目標は王都だったのか。


「ジャレッド公爵の裏切り……」


 ダンカンの警告を思い出した。

 内通者の存在。

 そして、ジャレッドが帝国と接触していた可能性。


「工房から避難するぞ! 重要な資料と装備を持って!」


 イリスとミミに指示を出し、最小限の荷物をまとめ始めた。

 《オートメイト》の核となる研究資料、魔力結晶、そして開発中だった新型制御装置。


「ミミ、あれも持っていくんだ」


 工房の奥に隠してあった特殊な魔力コアを指し示した。

 先日発見した古代遺物を改良したもので、まだ試験段階だったが、非常に強力な力を秘めていた。


「アサギさん! 外を!」


 イリスの叫び声に、窓の外を見ると、黒い軍服を着た帝国兵が近づいてきていた。

 彼らは明らかに工房を目指している。


「俺たちを狙っている……?」


 《オートメイト》の技術を奪うのが目的か、それとも俺自身の排除か。

 いずれにせよ、ここにいるのは危険だ。


「裏口から逃げるぞ!」


 三人で裏口へと急ぐ。

 しかし、外に出た瞬間、鮮やかな赤い光が視界を覆った。


「あれは……!」


 目の前に立っていたのは、銀と赤を基調とした巨大な魔導アーマー。

 『ブリュンヒルデ』だ。


 そして、その胸部のコクピットが開き、中から一人の女性が現れた。


 輝くような銀色の髪、深い紅玉色の瞳、整った顔立ち。

 それは"紅き流星"と呼ばれる、リゼット・ヴァーミリオン。

 彼女は漆黒の制服を纏い、冷淡な目でこちらを見下ろしていた。

 その美しさは非現実的で、その目には人間離れした何かが宿っていた。


「アサギか」


 彼女の声は冷たく、感情を感じさせなかった。


「どうして……ここに」

「貴様の《オートメイト》を調査するためだ」


 彼女の表情は全く変わらない。

 まるで機械のように正確で冷静だ。


「イリス、ミミ、逃げろ」


 小声で二人に指示した。

 イリスは怯えた表情で、ミミの手を取った。


「でも……!」

「心配するな」


 二人が逃げ出すのを確認し、リゼットに向き合う。

 彼女はブリュンヒルデの胸部に戻った。

 コクピットが閉じ、赤い目が再び光る。


「対象、アサギ。《オートメイト》保持者。捕獲命令確認」


 機械的な声が響き、ブリュンヒルデが一歩前に踏み出した。


「くっ……!」


 咄嗯に《オートメイト》を展開する。


「《緊急防御バリア》、展開!」


 青い光の壁が広がったが、ブリュンヒルデの一撃の前に、まるで紙のように引き裂かれた。

 激しい衝撃と共に、体が宙を舞った。

 背中が何かにぶつかり、激痛が走る。


「予想通りの反応。実力は、期待はずれだな」


 リゼットの冷たい声が響く。

 視界がぼやけ、意識が遠のきそうになる。


「リン……ディは……?」


 かろうじて言葉を絞り出した。


「第七騎士隊隊長か。生きているよ。帝国の研究施設で……調査対象として」


 その言葉に怒りが湧き上がったが、体は思うように動かない。


「なぜ……こんなことを……」

「命令だからだ」


 彼女の声に、一瞬、別の感情が混じったように聞こえた。

 しかし、次の瞬間、冷たさが戻った。


「任務完了。対象を確保する」


 ブリュンヒルデの大きな手が俺に伸びてきた。

 その時だった。


「アサギさんに触らないで!」


 小さな影が飛び出してきた。

 ミミだった。

 彼女は逃げずに隠れていたのだ。


「ミミ、ダメだ! 逃げろ!」


 俺の叫びも空しく、彼女は小さな体でブリュンヒルデの足元に立ちはだかった。


「君には関係ない。退け」


 リゼットの冷たい声。


「嫌だ! アサギさんを連れていくなら、私も連れていって!」


 ミミの声には涙と決意が混じっていた。


「……邪魔だ」


 ブリュンヒルデの手が、今度はミミに向かって伸びた。


「やめろー!」


 俺の叫びと同時に、全身に激しい痛みが走った。

 まるで体の中で何かが壊れ、そして再構築されるような感覚。


 左腕の《オートメイト》の回路が、通常の青ではなく、赤みを帯びた紫色に輝き始めた。

 その光は徐々に全身を包み込んでいく。


「これは……何だ?」


 リゼットの声に、初めて驚きの色が混じった。


「《オートメイト》、最大出力……!」


 自分でも何が起きているのかわからなかったが、全ての魔力、全ての感情を《オートメイト》に注ぎ込んだ。

 赤紫色の光が爆発的に広がり、ブリュンヒルデを押し返す。


「干渉波? 生体コアが反応している……!」


 リゼットの混乱した声が聞こえた。


 俺の視界が変わった。

 まるで世界全体が魔力回路の集合体に見えるようになった。

 そして、ブリュンヒルデの内部構造が克明に見えた。

 その中心にある生体コア、そしてリゼットとコアを繋ぐ神経系のような回路。


「《オートメイト》、《生体回路干渉》……」


 知らない言葉が自然と口から出てきた。

 赤紫色の光の糸がブリュンヒルデに向かって伸び、その内部の回路に絡みついていく。


「何をする気だ! やめろ!」


 リゼットの声には明らかな動揺があった。

 ブリュンヒルデの動きが鈍り、まるで内部で葛藤が起きているかのように身体がぶれる。


「この感覚……まさか……!」


 リゼットの驚愕の声が聞こえた直後、ブリュンヒルデのコクピットから赤い光が噴出した。


「コア不安定! 制御不能……!」


 爆発的なエネルギーの放出と共に、ブリュンヒルデが大きく後退した。

 その動きは明らかに混乱していた。


「撤退……!」


 リゼットの命令と共に、ブリュンヒルデは驚くべき速さで空へと飛び立った。

 他の帝国軍の部隊も、まるで計画が狂ったかのように撤退を始めた。


 周囲が静かになった時、俺の意識は闇に沈みかけていた。


 最後に見たのは、心配そうに駆け寄るミミとイリスの姿。

 そして頭の中で、女神の声が響いた。


「世界最適化進行度:60.0%。予想外の進展ですね、アサギさん……あなたの中に眠る力が、ついに目覚めましたか……」


 そして、意識は完全に闇に落ちた。


 ◇


 目を覚ますと、見慣れない天井が目に入った。

 安全な場所に運ばれたようだ。


「アサギさん!」


 ミミの声がした。

 彼女の小さな手が俺の手を握っていた。

 その茶色い瞳は涙で潤んでいた。


「よかった……目を覚ましてくれて……」

「ミミ……俺は……」

「三日間、意識不明でした」


 イリスの声がした。

 彼女も疲労困憊の様子だったが、安堵の表情を浮かべていた。


「王都は?」

「帝国軍は突然撤退しました。被害はありましたが、完全占領は免れました」


 その言葉に少し安心したが、多くの疑問が残っていた。


「リゼットと……ブリュンヒルデ……あの時、何が起きたんだ?」


 イリスが眉間に皺を寄せた。


「はっきりとはわかりません。アサギさんの《オートメイト》が……何か異常な反応を示したんです。今までとは全く違う力が」


 彼女の説明は、俺の感覚と一致していた。

 あの瞬間、《オートメイト》は進化したのか、それとも別の何かになったのか。


「アサギさんの体内の魔力回路が変化しています。まるで……生命体のような複雑な構造に」

「生命体……」


 その言葉を聞いて、はっとした。

 ブリュンヒルデの生体コアと、俺の《オートメイト》の間に何らかの共鳴が起きたのではないか。


「レオン王子は?」

「無事です。すぐに会いたいと言っていました」


 そう告げると、イリスは扉を開け、外で待機していたらしい王子を呼び入れた。

 レオン王子の姿は疲れていたが、その翠の瞳には強い決意が宿っていた。


「アサギさん、よく戻ってきてくれた」


 彼は俺のベッドの傍らに座った。


「ジャレッド公爵の裏切りが確定した。帝国と内通し、王都への秘密の通路を教えていたのだ」

「捕らえたのですか?」

「ああ。ダンカンが証拠を掴み、逮捕した。彼は既に全てを白状している」


 その知らせは朗報だったが、より重要な問題が残っていた。


「リンディは……?」


 レオン王子の表情が暗くなった。


「まだ帝国の捕虜だ。救出作戦を計画しているが……」

「俺が行きます」


 ベッドから起き上がろうとして、激しい痛みが全身を走った。


「無理するな」


 王子が優しく押し戻した。


「まずは回復を最優先にしてほしい」


 彼の言葉には、心からの心配が込められていた。


「帝国の次の動きは?」

「情報によれば、一度撤退し態勢を立て直しているようだ。特に……」


 王子は言葉を選ぶように一瞬間をおいた。


「リゼットの『ブリュンヒルデ』が何らかの損傷を受けたらしい。あなたとの戦いで」


 その情報は意外だった。

 あの時の《オートメイト》の反応が、ブリュンヒルデに実際にダメージを与えていたのか。


「首席宮廷錬金術師……」


 王子の言葉に、耳を澄ませた。


「帝国の真の黒幕は、皇帝ではなく首席宮廷錬金術師だという情報がある。生体魔導工学を開発し、『ブリュンヒルデ』を創り上げた男だ」

「首席宮廷錬金術師……」


 その名前を頭に留めながら、俺は決意を固めた。

 リンディを救出し、帝国の脅威に対抗するためには、《オートメイト》をさらに進化させる必要がある。

 そして、あの瞬間に目覚めた新たな力を理解し、制御しなければならない。


 レオン王子が立ち上がりながら言った。


「これからの戦いは、さらに厳しいものになるだろう。だが、今回の敗北で我々は多くを学んだ。特に……あなたの力の真の可能性について」


 彼は俺の肩に手を置いた。


「回復したら、また話し合おう。新たな戦略を練る必要がある」


 王子が去った後、部屋には再びミミとイリスだけが残った。


「アサギさん……」


 ミミが心配そうに覗き込んでくる。


「大丈夫だ。すぐに良くなる」


 彼女の頭を撫でると、安心したように微笑んだ。

 イリスは窓際に立ち、遠くを見つめていた。


「あの時……アサギさんの《オートメイト》は、生体魔導兵器と共鳴したんです」


 彼女が振り返り、紫の瞳で真剣に俺を見た。


「まるで……アサギさん自身が生体システムの一部になったかのようでした」


 その分析は、俺自身の感覚と一致していた。

 あの瞬間、《オートメイト》は単なる自動化能力を超え、生命体に干渉する何かに変化した。


「新たな可能性だな……」

「はい。でも……危険も伴います」


 彼女の心配は理解できた。

 未知の力には、常に未知のリスクが伴う。


「でも、これが帝国に対抗する唯一の手段かもしれない」


 窓から見える王都の景色を眺めた。

 一部は破壊されているが、街はまだ立っている。

 人々は日常を取り戻そうと動き始めていた。


「リンディを救い出し、帝国の脅威を排除する」


 そう誓った時、左腕の《オートメイト》の回路が、かすかに紫色に輝いた。

 それは新たな力の目覚め、そして新たな旅の始まりを告げているようだった。


「世界最適化進行度:62.0%……」


 頭の中で女神の声が響く。


「アサギさん、あなたの選択が世界を変えていきますよ……」


 その言葉の真意を考えながら、俺は次の一手を静かに練り始めた。


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