第7話 宮月ソラノ


 夜の闇を、一筋の赤い光がテールランプが疾り抜ける。

 法定速度を明らかにぶっちぎって走行するのは一台のバイク。


 バイクを操るのは、ド派手な赤髪の男であった。

 着古した革ジャンに、いくつもチェーンのついたジーパン。ひと昔前のヤンキーといった風貌で、街で歩いていたなら間違いなくチンピラ認定されることだろう。

 もちろんヘルメットなど被ろうはずもない。


『いいか、ぜっっったいトチるんじゃねえぞ。学園の防衛が出来なかったなんてニュースになってみろ、うちの名に傷がつく』

「あいあい分かってるって、そんなに言わなくても俺は負けねえよ」


 イヤホンから聞こえてくる声に、男は辟易しながら答えた。

 こいつはいつもうるさい。リスクとか、プライドとか、ネームバリューとか、そういったつまらないことばかりを気にするのだ。


『なんだぁその態度は。お前、ミスったら承知しな──』


 ばっ、と男は耳につけていたイヤホンを投げ捨てた。

 本当にうるさいやつだ。こんな男にずっと構っていては、せっかくのドライブが台無しになってしまう。


「また喧嘩してるのかしら。ほんと、人間は喧嘩が好きね」


 男の後ろから話しかけるのは妖艶な女性。

 これまた赤髪の映える、美しい翼を持った天使であった。

 大胆に胸元を露出した赤いドレスで身を包んでおり、少なくともバイクの後ろに乗るような格好ではない。


「お前ら天使と変わんねえよ。フレイヤ、このまま学園に向かうぞ」

「学園……あぁ、私の母校のこと? 悪魔でも侵入したのかしら。珍しいこともあるものね」


 フレイヤと呼ばれた天使は男の腰をしっかり掴んだ。

 イライラする出来事があった後、男はいつもバイクに無理をさせるからだ。


「俺のスピットファイアは誰より速い!!」


 ほら、こんなふうに。

 男はアクセルを全開にし、ギアも最大まで押し上げた。

 これにて完全に法律違反、と言いたいところだが、仮面師が現場に向かう際の交通ルール違反は容認されている。


 男の腰に掛けられた仮面がチリチリ、と音を立てて揺れた。

 フレイヤはそれを撫でて、ぽつりと呟く。


「なんだか不思議な予感がするわ。世界が変わりそうな、そんな予感」


 走りに夢中になっている男にはもちろん届かない。


「面白くなりそうね」


 それだけ言ってフレイヤはまた、妖しく笑った。






 男、穂村グレンが学園に辿り着いたのはそれから僅か7分後のことであった。

 夜の学校は言いようのない不気味さを秘めている。


「へぇ、色々起きているようね」


 魔力の見えるフレイヤの言葉を聞いて、グレンも腰から仮面を取る。


「フレイヤ、俺にも見せろ」


 フレイヤは頷き、己を魔力体へと変換して仮面に憑依する。

 少し赤みを帯びた白い光が、仮面へと吸い込まれていった。


起動マスカレイド!」


 グレンは顔に仮面を装着して叫んだ。

 フレイヤの魔力が仮面から溢れ出し、グレンの体を包んでいく。


 それはやがて赤い鎧となって全身を隠した。

 鬼のような形相をした仮面と、悪魔のように鋭い爪を持つ鉄甲。

 胸の中心には燃えるように赤い宝玉が嵌め込まれ、莫大な魔力を感じさせる。


 どこからどう見ても悪魔にしか見えない。

 夜道に子供が出会ったら間違いなくトラウマになるだろう見た目。

 グレンの荒々しい気質と、フレイヤの燃えるような魔力が相まって形作られたものだ。


 これが本当の仮面師。そして彼らの使う、最新の仮面鎧装であった。

 5年ほど前に仮面鎧装は大きく進化し、従来の仮面だけに天使を憑依させる形から大きく姿を変えていた。


 フラッテやソラノの想像する仮面師とはまるで違う姿である。

 だが、それは彼女らが間違っているわけではない。

 実際彼女らの想像通りの仮面鎧装が使われている時期もあった。


 しかし、幾ら天使の力を使えるとはいえ、全身を曝け出しているのは如何なものか。

 ということで、戦闘時の安全性を重視した装備へと姿を変えていったのだ。


「校門に1、こりゃ見張りだな。それに校舎に1、地下のやつはもう死んでる。俺来なくて良かったんじゃねえのか」

『そうでもないわ。特に校舎の悪魔はなかなかの魔力よ』


 魔力体となっても、天使は会話可能だ。

 仮面の中に入った状態だが、天使は魔力を震わせることで音を出すことができる。


「とりあえず近い方から片付けるか。こっちは雑魚だしな」


 言葉だけをその場に置いていくように、グレンの姿が掻き消えた。

 生まれ持った天賦の魔力を惜しみなく身体強化に使い、地面に足跡が残るほどの力で踏み込んだのだ。


 胸元の赤い宝玉から漏れる光が軌跡を残し、夜の闇を赤く切り裂く。

 一級仮面師の資格を持つグレンからすれば、この程度の速度で動くのは朝飯前である。


 瞬く間に校門へと辿り着き、そこに立っていた悪魔を見据えた。

 人に限りなく近い姿をしているし、知能もそれ相応に高そうだが、魔力量がお粗末だ。

 悪魔も近づいてくる魔力を感じていたようで、慌てて迎撃のために魔力弾を作り出そうとする。


「お、いたいた。ばーか! 今更準備したって仕方ないっての!!」


 だが、その行動に意味はない。

 グレンが悪魔に辿り着く方が遥かに早い。


 グレンは悪魔の頭を鷲掴みにして、そのままの勢いで地面に叩きつける。


「オラオラァ!! まだまだ速くなりてえよな!?」


 叩きつけたまま、グレンは更に速度を上げた。

 悪魔を使って地面を削り取る勢いで、だ。


 悪魔には魔力による攻撃しか効かない。

 だが、仮面鎧装はフレイヤの魔力によって生み出された、文字通り仮面師の武器なのだ。


 その身から放たれる一撃を必殺とする。

 それこそが仮面鎧装の真骨頂なのだ。


 鉄甲についた鉤爪を悪魔の頭に突き刺して、グレンはそのまま悪魔で地面を削った。

 多少満足したところで校門の壁に投げつけ、そこにドロップキックを叩き込む。


 バガァ、と凄まじい音を立てて校門が崩れ落ちた。

 それでも、グレンのボルテージは上がり続ける。


「笑えよ悪魔ァ! 楽しくなってきただろ!」


 既に白目を剥いて死にかけている悪魔の首を掴み、またゴリゴリと壁を削るように走る。

 破壊される校舎に破壊される悪魔。


『まったく、アガる戦い方ね』


 フレイヤも嬉しそうに声をあげる。

 この豪快かつ自由気ままなグレンの戦いを気に入り、フレイヤはグレンと契約しているのだ。


「あ? もう死にやがった」


 ぽつり、と残念そうにグレンが呟く。

 それと同時に、グレンの手の中で呻いていた悪魔が魔力の粒子となって消えた。


『まあ最下級の悪魔よ。仕方ないじゃないの』

「それもそうだな。八つ当たりに付き合ってもらったことだし、校舎にいるヤツも片付けにいくとするか」


 どう考えても悪魔より破壊の限りを尽くしたグレンは、校舎に向かって走っていく


 そうして見えてくる光景にグレンは焦る。

 屋上から少女が飛び出し、その上を覆い隠すように巨大な悪魔が迫っていたのだ。

 その背中に見える翼から考えて、あれは天使養成学園の生徒だろう。

 

「ん? フレイヤ、あれまずいんじゃねえのか!」

『そうね、彼女死ぬわよ』


 天使はどうやら飛べない状況下に置かれているようで、絶体絶命のピンチだと言えた。


 グレンは全速力で近づこうとするが、流石に遠すぎる。

 その時だった。


「んなバカな……」


 窓から更に小さな少女が飛び出し、天使を守るように抱えたのだ。

 だが、グレンが驚いたのはそこではない。


 その後に起こった、仮面無しでの憑依現象。

 天使と少女が一つとなり、空を駆け昇る星のように悪魔を両断したのだ。


 引き裂かれた悪魔はグレンから見てもそれなりの強さを持っていた。

 勿論グレンなら容易に倒すことができるが、間違っても仮面師でない少女が為し得ることではない。


 今目の前で起こった事象は、理論的に考えてあり得ないことだ。


 そもそも仮面師は別に特別な構造を有しているわけではない。

 体の作りは一般人とまるで変わらず、その延長線上にある。

 ただ魔力を多く持って生まれた者が仮面を被り、その仮面に天使を憑依させることで戦ってきただけ。


 仮面師の魔力は天使を仮面に繋ぎ止めておくために必要であり、毎秒それなりの魔力を消費する。

 魔力が憑依臨界点を下回ると仮面憑依が解除され、仮面師は戦場で只人になってしまう。


 仮面師が戦えるのは天使の力を鎧とし、仮面鎧装として顕現させているからだ。

 断じて、人間が悪魔のように強大な力を得ているわけではない。


 だが目の前で起こった憑依現象は、その“当たり前”を根底から覆すものだ。

 生身の人間が悪魔を打倒するなど、考えられないこと。


 それに、仮面ではなく人を対象とする憑依。

 勿論今までも研究され続けてきた分野だが、成功例は一度として無かった。



「フレイヤ、聞こえるか?」

『えぇ、アナタにも聞こえているのね』



 グレンはあの少女から“何か”を感じていた。

 一級仮面師たるグレンすら脅かすほどの、震えるような潜在力ポテンシャル


 熟達の戦士たる彼らには聞こえていたのだ。



 歴史の変わる足音が────

 







 悪魔が跋扈する魔界の中、一人の男が悠々と歩を進めている。

 その男を形容するなら、デカくて黒いフルフェイスの鎧であった。

 

 男の後ろには粒子となって消えていく悪魔の屍が幾多にも重なり合っている。

 不相応にも男に挑んだ下級悪魔たちの末路だ。


「やはり魔界にはおらぬ」


 男はぽつりと呟き、刃渡り二メートルほどの黒い大剣を握り込む。

 そして身の程を弁えず飛びかかってくる悪魔を切り裂いた。


 男は騎士である。

 騎士として精神を持って生まれ、騎士として生きることを何よりの望みとしている。


 彼に足りぬのは騎士が騎士たる理由。

 仕えるべき主の存在であった。


 男が魔界で生を受けてから100年と少し。

 相応しい者を探し続けて終ぞ見つからず。


「やはり人間界、そこに我が主に相応しき者がいるやもしれぬ」


 男は人間界へ向かうことを決め、未だ想像することすらできない己の主を夢想して笑った。






 しとしとしとしと。

 止めどなく奏でられる音楽。街に降り注ぐ雨は止む気配を見せない。


 そんな雨の降る日、どこにでもある雨宿り。

 バス停のベンチに二つの影。


「お姉さん、やまないね」


 そのうちの一人、ランドセルを背負った女の子が、隣に座る女性にそう声をかける。

 声をかけられた青髪の女性はぼおっと雨を眺めていたが、女の子の方に向き直って答えた。


「そうだね、なかなか止みそうにない」


 そう言いながら、女性の顔には笑顔が浮かんでいる。


「お姉さんは雨が嫌いじゃないの?」

「うん。ボクは雨が好きなんだ。この雨のおかげでお嬢さんとも話せたし、ね?」


 なでなで、と女の子を撫でて。

 女性、いや、女性にも見紛うほど美しい“少年”は立ち上がった。


「いいかい? ボクが今から10数える間、目を瞑っているんだ」

「うーん、わかった!」


 少年はまた女の子を撫でてから1、と呟いた。

 女の子は慌てて目を閉じる。


 少年がぼんやりと見つめる方向にいたのは、恐ろしい魔力を立ち昇らせた悪魔だ。

 ここは田舎のバス停。このように雨宿りをする人間を狙ってやってきたのだろう。


 この街には悪魔が棲む、と有名な噂だった。


「二人も! それに美味そうだ」


 人を主食とする悪魔も多い。

 そんな悪魔の視線を受けて、少年は2、と数える。


 その顔に恐れなどない。

 ただ静かに悪魔を見つめて3、4、と数を進めていく。


 悪魔はよだれを垂れ流しながら、少年に飛びかかる。


「がぁぁぁぁぁああ!!!」


 襲いかかる悪魔の動きが、宙に縫い付けられたかのように止まった。

 力を込めてもまるで動かない。


「ど、どういうことだ!?」


 焦る悪魔の顔を射抜く少年の視線はどこまでも冷ややかで。


 少年は両手を開いて上に向け、くいっ、と指を曲げた。

 ただそれだけ、それだけのはずだった。



 ぴたり。

 奏でられていた音楽が、ひたすらに降り注いでいた雨粒が、全て空中で静止したのだ。



「キミの敗因は雨の日に来たことさ」



 なにも音を発することのない静寂の中で、少年の声が響く。

 その時、悪魔は気がついた。


 明らかに先ほどまでとは違う少年の魔力量。

 底の見えないほどに莫大で、圧倒的なまでの純然たる漆黒の魔力。

 間違いなく上級、あるいは最上級に届くほどかもしれない。


「そ、そんなバカな!!」


 なぜ片田舎にこれほどの存在が、と考えたところで思い出した。


 この街には“悪魔”が棲む。


 悪魔とは自分のことではなく────



「これで10秒、さよならだ」



 静止していた雨が目にも止まらぬ高速で回転し、嵐のように吹き荒れる。

 それはほんの刹那すら要することなく悪魔を消し飛ばし、消えていった。


「ほら、雨が止んだようだよ」


 少年の言葉に目を瞑っていた女の子が嬉しそうに目を開けた。


「じゃあ、気をつけて帰るようにね」


 少年は雨宿りではなく、普通にバスを待っていたらしい。

 丁度やってきたバスに乗り込む前に、帰ろうとする女の子の背に声をかけた。


「うん! お姉さん、名前はなんていうの!」


 小学生というのは意外にも鋭い生き物だ。

 少年が自分を守ったことを、何とは言わずに理解していた。


 だから聞いておきたかったのだ。そんな彼の名前を。


「ウェンズデイ、雨の日が大好きなお兄さんさ」


 バスの行き先は大阪。

 この少年も時代の変わる足音に惹かれた者だった。

 

「楽しみだ。フラッテに仲間ができるなんてね」


 ウェンズデイは期待を膨らませ、夢の世界に旅立った。







 そこは銀世界であった。

 広範囲に放たれた冷気が、四体の悪魔を同時に凍らせたのである。


「ん、弱い」


 そんな悪魔の間を闊歩するは、美しき仮面師であった。

 白いバトルドレスのような仮面鎧装を身に纏わせた彼女は、手に持った杖を振るう。


 途端に氷像と化した悪魔は全て粉雪のように崩れ落ちた。


「凄いわシノン! こんなにも私の力を使いこなせるなんて、あなただけよ」


 シノンと契約した天使、シルバが興奮気味に女性に話しかける。


「そんなことない。ソラノの方が凄かった」


 シノンと呼ばれた仮面師はそれだけ言うと、送迎の車に乗り込む。

 仮面憑依を解除したシルバはシノンを追いかけるように車に滑り込み、頬を膨らませる。


「ソラノって、シノンが言ってた面接に落ちた子のことでしょ? シノンは受かってその子は落ちた、シノンのほうが凄いわ」


 シノンは静かに首を振って否定し、仮面を握りしめる。

 思い出すのはラファエラで出会い、話をした少女。


 精緻な魔力制御を仮面の補助無しで行っていた。

 シノンはそれからずっと練習しているが、未だに仮面無しで魔力を制御できたことはない。


 ラファエラで行われた面接の結果、採用されたのはシノン一人だけ。

 魔力量が人より多かったから、身体能力が生まれつき高かったから。


 才能に恵まれたから。


「私を褒めないで。満足したくない」


 満足は人を殺す毒だ。

 シノンはそう考えていた。


 現状に満足してしまえば、努力はどうしてもお粗末になる。

 心の篭らない鍛錬に意義はない。


 シルバはふーん、とつまらなそうに呟いて、窓の外を見る。


「ソラノ、ね。一度会いに行ってみようかしら」


 シルバの言葉に、初めてシノンが大きな反応を示した。

 がたり、とシルバの肩を掴んだのである。


「つれてって」

「え?」


「つれてって」

「わかった、わかった連れていくから!」


 むふー、と満足そうに息を吐くシノンを見やり、シルバはため息を吐いた。



 そして世界は胎動を始めた。

 その中心にいるのは────



「シニエル、私たち勝ったんだ!! 初めて悪魔を倒せたんだぁ!!」



 宮月ソラノ。

 仮面師ですらないただの少女であった。


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ローリィテイル みかんべる @hinahinamochi

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