第12話 届けるということ
文化祭の朝、展示教室の扉を開けると、すでに中には熱がこもっていた。パネルを立てかける音、コードを引く音、ホワイトボードに書き込まれる文字。どれも見慣れた準備の光景だけど、今日のそれは、ほんの少し緊張を帯びていた。
『学校生活リデザインプロジェクト』というタイトルの下、僕たちが準備してきた展示がようやく人の目に触れる。分岐の構成を入れ替えたのは三日前。その後も細かい表示タイミングを直して、昨日の夜まで調整が続いた。
ここまできたら、あとは見てもらうだけだ。
*
最初の来場者は、校内の生徒たちだった。文化祭の始まりと同時に流れ込んでくるクラスメイトや他学年の顔。体験ルートの入り口で、僕は手短に説明をする。
「この展示では、選ぶという行動の前にある気持ちに注目しています。進みながら、ちょっとだけ考えてみてください。」
来場者は、パネルを読み、画面に表示される短い問いかけに目を留める。そして、一瞬だけ立ち止まり、分岐を選ぶ。
「なんか、こっちにしたくなった。」
そんな言葉が、すぐ近くで聞こえた。
教室の空気が、少しずつ変わっていくのを感じた。案内されて選ぶんじゃなく、自分の意思で動いたときだけ残る、あの感触。それが、展示の中で、たしかに芽生えていた。
*
午後には、外部の来場者も増えていた。中学生と保護者、そしてOBらしき人たち。入口では展示チームの先輩が説明に立ち、僕は教室の奥でルートの滞りがないかを見守っていた。
パネルの間を歩く人たちが、ほんの少し迷う。その一瞬をちゃんと感じ取れるようになってきた。
「選ばされるんじゃなくて、選びたくなる。」
僕たちが追いかけていた仮説が、ようやく誰かに届いている気がした。
*
夕方近く、客足が落ち着いてくると、展示教室の中もだんだんと静かになっていった。最後の来場者がルートを抜け、教室を出る。その扉が閉まったとき、少しだけ空気が軽くなったような気がした。
展示が終わった。
パネルを外し、備品をまとめる作業が始まる。説明用のモニターが切られ、壁際に並んでいた表示端末の灯りも順番に消えていった。
僕は教室の中央に立って、ひとつ深呼吸をした。
*
片付けが一段落したころ、藤崎の隣に立った。彼女はパソコンの前で、ログのグラフを確認していた。選択パターンの偏り、滞在時間、平均の移動速度。どれも、展示の反応を細かく表している。
「反応、わりと分かれてるね。」
僕がそう言うと、彼女はグラフから視線を外さずにうなずいた。
「最初の構成だったら、ここまで違い出なかったと思う。」
「作り直して、正解だったね。」
彼女は、画面を閉じながら言った。
「うん。最初の設計、たぶんちょっとズレてた。展示っぽくはあったけど、体験にはなってなかったと思う。」
その言葉に、僕は小さくうなずいた。三日前、思い切って分岐の構成を全部変える判断をしたのは彼女だった。あの時、何も迷っていなかったように見えた。
机の上のケーブルを巻いていると、ふいに彼女が言った。
「また、やってみたいよね。」
僕は手を止めて、彼女の方を見た。
「あんなに大変だったのに?」
彼女は少しだけ間を置いて、モニターの枠を静かに拭いた。
「うまくいかないことがあっても。」
一度、息をついてから、言葉を継いだ。
「またやってみたいと思うんだよ。好きだから。」
僕は返す言葉を持たなかった。ただその空気ごと、そのまま受け取るしかなかった。
*
窓の外は、もうすっかり夕暮れに染まっていた。校舎の影が長く伸びて、通路の先にぼんやりと揺れていた。
展示の音はもう止んでいたけれど、パネルのあいだに立っていた人たちの姿や、あの一言一言が、どこかに残っているような気がした。
教室の中には何もなくなったはずなのに、まだほんの少しだけ、何かが漂っていた。
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