晴れ、ときどき式神

第1話 霊が視える少年

 高校二年生の二学期のことだった。


 新学期が始まり、生徒たちは早速各ホームルームで授業を聞いていた。少し開いた窓の隙間から、海のにおいが漂ってくる。そんな教室の端っこで、平凡な男子高校生の佐藤晴樹さとうはるきはその話を寝かぶって聞いていた。


 時折目を覚ましては窓から見える海辺を見て、きらめく波を眠気覚ましで観察していた。時々顔に当たる涼しいエアコンの風が残暑の不快感を拭ってくれて、晴樹以外の生徒も同じように寝かぶっている。

 そんな生徒たちを見かねて、担任は手をたたいて生徒(晴樹含む)を一旦起こす。


「えー、今日は産休に入られる先生の代わりに、新しくいらっしゃった先生を紹介します。」


 一度咳払いをして担任がそう言うと、教室の扉が開き、静かな足音が響いた。その音に、やっと寝かぶっていた生徒たちが目を覚ます。


 ぴしっとキメた細身の半袖シャツ姿に、モデルのようにすらっとした高身長。これだけでも男子高校生の理想の体型だが、さらに目をひいたのが彼の顔だった。整いすぎているともいえる顔に、切れ長の目と陶器のように滑らかな肌。その色白の美しい顔が、きれいに整えられた黒髪によく映えた。不自然ではないが、「完璧すぎる」容姿だ。


「皆さん初めまして。日本史を担当する橘輝明たちばなてるあきです。今日からよろしく。」


ーーその瞬間、晴樹の体がこわばった。


 どこかで見たことがある気がする。


 でも、どこで……?


 橘はゆったりとした動作で黒板に名前を書き、穏やかな表情で生徒たちを見渡した。


「さて、簡単な自己紹介をしておこうかな。俺は今学期からこの学校で教師をすることになった。日本史が専門だけど、雑談も交えながらやっていこうと思う。」


 橘がにこりと笑うと、教室の女子たちが小さくざわついた。なんだか、橘は見た目といい、話し方も先生っぽくない人だ。橘は物腰が柔らかく、どこか気さくで、それでいて妙に落ち着いた雰囲気を持っている。


 その感じが、なぜか懐かしい気がした。だが、晴樹はそれ以上考えを巡らせることはしなかった。


 どうせ、自分とは関係のない人だ。そう思おうとした。


 けれど、橘の視線が一瞬だけ自分の方を向いた気がして、心臓が跳ねた。


「それじゃ、授業の進め方についてだけどーー」


 橘は話を続ける。


 しかし、晴樹は心の中でざわめく違和感を抑えられなかった。この人は、どこかで会ったことがある。だけど、思い出せない。けど、思い出す必要もない。彼とはただ、教師と生徒として出会っただけなのだから。


 そう思いながらも、晴樹の胸の奥で、何かが微かに揺れ始めていた。


 その後の休み時間も、自分の机でうつぶせながらも橘の顔が頭から離れなかった。知っているような気がする。でも、ただの人違いかもしれない。先生も初対面でそんなこと言われても、困るよね、たぶん。


 周りでは女子たちが橘のことで盛り上がり、男子は何か不服そうに散らばってくだらない話をし始める。そんな中、


「晴樹のやつ、また寝てるじゃん」


「あいつ、いつも寝てるよな。友達いないみたいだし、話しかけづらいけど」


 そのあと、クスクスと笑う声が聞こえた。顔は直接見ていないが、どんな顔をして笑っているのかは簡単に想像がついた。数年間に及ぶ学校生活で、友達はいない。横の人とのペアワークも、一言話しただけで話が終わって雰囲気が気まずくなる。毎日そんなループを繰り返していた。


 そんな僕には、あんなキラキラな先生との関わりなんてこれからも訪れないだろう。


   ***


 授業が終わり、放課後の静けさが校舎に広がった。行く当てもなかったので、晴樹は静かな中庭の片隅のベンチにぼんやりと座っていた。空を見上げると、飛行機雲と積乱雲が見えた。そしてその顔に、水が一滴降ってきた。雨だ。


「……そういえば、傘、持ってきてなかったな。」


 そう思った晴樹は、急いで校舎に戻ろうとした。


 しかし、何かが晴樹の視界に入った。形は人間だが、半透明の体で、どこか虚ろな目をしている。とは言え、晴樹にとっては日常茶飯事だ。


 彼は一度だけ立ち止まるも、それを見えないふりをしながら横を通り抜ける。幼い頃からなぜか幽霊が見えていた晴樹は、日常的に視界に霊が入ってくる。目を閉じてみても、気配を感じることができる。


 幼いころは純粋にその存在を普通の人間だと認識していた。しかし、それを親や友達に言うと、時には子供の空想だろうといわれ、時には「おかしいやつ」としていじめられることもあった。晴樹にとって霊は、そんな人々とは違って唯一話せる存在として無害だと思っていた。


 まあ、それはさておき、晴樹はもう「おかしい子」とか「変な奴」と思われたくなかった。だから、霊が視えても視えないふりをしていた。中学生の時もその悩みが続き、高校はわざと中学校から遠い学校を選んだ。


 校舎に入ってしばらくすると、大雨が降り始めた。さっきの幽霊は、相変わらずの場所にいて、晴樹がよっぽど話しかけない限り動かないだろう。


 ーーでも。晴樹は動かない霊を放っておけなかった。おとなしく図書館にでも行こうとしていた彼は、周りに誰もいないことを確認すると、霊の場所を確認して、そっと近づいた。


「ねえ、なんでこんなところにいるの?」


 久しぶりに霊に話しかけるその声は、かすれていてとても頼りなかった。一応笑顔で話しかけたつもりだが、肝心の霊は音を発したり、声を出すわけでもなく、何も反応してくれない。


「……あ、ごめん、なさい。」


 何を考えているのかわからないし、刺激をしないためにも、後ずさりしてそっとその場を離れようとした。


 その時。


「あー、なるほど。さては、成仏できない理由があるんだな?」


 後ろの方から声が聞こえたかと思うと、いきなり晴樹の体に降りかかっていた雨が遮られ、大きくてほんのり温かい手が、肩にぽん、と乗った。


「わっ」


 恐る恐るその手の持ち主を振り返ってみると、そこにいたのは、今日見たばかりの橘輝明がそこにいた。橘は「よお、晴樹くん」とほほ笑んだ。


「せ、先生⁉どうしてこんなところに?」


 あわててそう言うと、橘は余裕の表情でこちらを見ていた。間近で見る彼の顔は、教室で眠りかぶりながら見ていた時とは違って、繊細な美しさがはっきりしていた。


「まあ、校舎を散歩してたらずぶ濡れで中庭に立ってる生徒がいたからね。一応僕も先生だし、風邪ひくんじゃないかって、心配になるだろ?」


 晴樹は、霊に話しかけていたのを見られたわけではないのかと安心して、「そうだったんですか」と言おうとしたものの、その前の橘の発言を思い出して硬直した。


『成仏できない理由がある。』それは、絶対に霊が視えている人のセリフだ。 


 晴樹が焦りで何も言い出せずにいると、橘がいたずらっぽい笑顔を浮かべた。


「それに、きみは霊に話しかけてただろう?」


「……!」


 言葉が出なくなった。もしかして、先生も、視えるの?


 それが、晴樹と橘の時を超える再会だったとは、知る由もなかった。

 




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