第2話

二年四組と三年一組の抗争から一週間。当事者であり唯一の被害者でもある野間流人は、未だ楊ノ下高校に登校していなかった。

 二年四組の教室は連日、春の陽気とは正反対の冷たい空気が支配していた。

「るっぴー、学校辞めちゃうのかな……」

 小さな口から吐いた溜め息が、虚しく三人だけの教室に消えていく。

 明花の独り言に反応を示す者は誰もいない。吸太郎は既に飲み終えたトマトジュースのストローを噛みつぶし、マミィは相変わらず難解そうな本を読んでいる。

「折角仲良くなれると思ってたのになぁ……」

 明らかに二人にも聞こえるような声量だがどちらとも無言を貫き通す。こういうときの透堂明花は非常に面倒だということを、彼らは理解しているのだ。

「こうなったら病院送りにされたあいつらを血祭りに……」

「ちょっと待て明花ちゃん。それは流石にツッコまざるを得ないぞ」

「だからめーちゃんって呼んでよ!」

 そう怒鳴る彼女の声もいつもより不機嫌である。

 ここ一週間、似たようなやりとりが二年四組の中で繰り返されているものだから、当然、教室内の空気は最悪だ。

「てか、そんなに気になるんなら本人に会いに行けば良いだろ。ここでグズグズ言ってないでさ」

「……イヤ」

「嫌って……」

 ねたように机の上に突っ伏した明花は、まるで本当に子供のようだった。

「ここに慣れすぎたんだよ、あたしは。自分の特異さが許容されているこの学校に慣れすぎたから、普通の人の感覚をつい忘れてたんだ」

 突っ伏していた頭に小さな両手が置かれる。そのままクシャクシャと自らの頭をこね始めた。

「なんで忘れてたんだあたしのバカ……ばかばかばかぁ」

 その声に覇気はきは無くなり、段々と泣きそうな声に変わっていく。

「あたしは、バケモノなのに」

 バケモノ。何てこと無いたった四文字の単語が、彼らにとっては自らを縛る鎖となる。

「不思議だ」



 再び沈黙を破ったのは、クラス一の変人、マミィ=ディハマドだった。

 彼は本を閉じ、明花をその血走った目で見つめている。

「何だよマム。何が不思議なんだ?」

「めーちゃん殿は透明人間と人間の混血でありその特異性は他者からその存在が視認できなくなるというものだ。またその異能も常時発動型ではなく本人の意志によって引き起こされる自発型──」

「マム! 話が長い!」

 怒りながらも明花の目からは大粒の涙がこぼれ落ちている。

 マミィの顔色は何一つ変わらなかったが、少しの間黙り込んで自らの考えを簡潔かんけつに伝えるための整理を始めた。

「つまり、見た目では人間と区別できないめーちゃん殿がここでくすぶり続け、見た目から人ではないと分かるキリキリ殿がるっぴー殿の元へと毎日通いつめている。全くもって不思議なことだ」

 言い終わると彼は再び本に目を落とす。再び教室に静寂が訪れた。




 野間流人は普通の人間である。

 突出した才能も特に無い、至って普通の少年である。

 あえて特筆すべきことがあるとするならば、彼は正義感が人一倍強い少年だった。

 彼が好んで視聴していたヒーローアニメの影響からか、不義を嫌い、不正を許さない、まさに『正義の味方』としての善行を少なからず積んできた。

 ハンカチを落とした人がいれば走って届け、なくし物をした人がいれば日が沈むまで共に探し、泣いている少女がいれば、泣かせた相手が誰だろうと立ち向かう。

 彼は正義を信じていた。そして、必ず正義に従わなければならないと信じていたのだ。

 しかし、彼は普通の人間である。

 常人以上の知力も、体力も、才能も無かった。

 そんな普通の、あるいは普通以下にさえ成り得る人間の正義感など、いつまでも通せるはずがない。

 特に学校などという狭い社会の中で、彼ほど忌々いまいましく、そして格好の獲物はいないだろう。

 自らの理想論を掲げ、そのくせ何の力も持たない弱者。

 彼がクラスの数人から目をつけられるのに、そう時間はかからなかった。

「こんにちは、野間さん。調子はいかがですか?」

 扉を一枚隔へだてた向こう側に、今日も切裂麗子は声をかける。

 誰にも見られていなくとも、その笑顔を崩すことはなく、しゃんと伸びた背筋で扉を見つめていた。

「……こんにちは」

 扉の向こうから少年の声がためらいがちに聞こえる。しかし、扉はピタリと閉じられたままで開く気配は微塵みじんも無い。

「あの、いつまでここに来るんですか? 切裂さん」

「野間さんが学校に来るまで、ですかね?」

 扉の向こうにいる少年、野間流人は麗子に悟られないよう溜め息を吐く。

 彼が学校を休んでから一週間。麗子は毎日流人の元を訪ねているが、彼の部屋の扉が開いたことは一度も無かった。

「怪我の具合は大丈夫なんですか?」

「えぇ、まぁ……れも引きましたし……」

「そうですか、それは良かったです」

 扉越しに会話をしながら、流人は不思議な感覚に陥る。

 自分はこんなところで何をしているのだろうか。あの日のことは夢ではないのか。もしかしたら、今この瞬間さえも……

「本日の配布物はいふぶつはいつも通り部屋の扉にかけておきますので」

「……あ、あの、切裂さん」

「はい、何でしょう?」

「な、なんで、毎日僕に会いに来るんですか……」

 普段ならすぐに終わらせる会話を、その日の流人はなぜか続けた。

 半分気まぐれであったし、出会ってまだ一週間ほどの自分のことをどうしてこれほど気にかけるのか、純粋に疑問でもあったからだ。

「僕らこの前会ったばかりでお互いのことも全然知らないですし、僕は初日であんなことがあって休んでるし……切裂さんがここまでする理由ってなんですか?」

 しかし、この質問の答えが中々返ってこない。

 てっきり明確な理由があるのだと思っていた流人は、扉の向こうで沈黙する麗子に、少なからず動揺していた。

「あ、あの……切裂さん?」

「今度は私の番、だからでしょうか……」

「え?」

「いえ、上手く言葉にできない、というより分かりません」

 その声に流人を揶揄からかったり、誤魔化したりする意図は一切感じられない。

「わ、分からないんですか?」

「強いて言うなら、野間さんのことを知るため、でしょうか」

「僕のことを……」

 麗子は再び考え込む。上手く説明するために言葉を選んでいるのだ。

「野原の『野』に、あいだの『間』。下の名前は流れるに人と書いて『流人』。だから、野間流人さん」

「はい……」

 名前を呼ばれ思わず返事をしてしまう。

「身長168センチ。血液型はA型。父親と二人暮らし。ですが父親は仕事の関係上家にいることは少なく、ほとんどの時間を一人過ごしている」

「え、なんでそんなこと知ってるんですか?」

「知っていますよ。理事長先生が野間さんのことについて詳しく調べましたから」

「理事長先生から……」

 事もなげに言い放つ麗子。明確な理由にはなっていない。

「他にもいろいろ聞きました。野間さんが楊ノ下高校に転校してきた理由も」

「っ……」

 言葉に詰まっていることを、顔が見えない麗子にも分かった。

「前の高校でイジメを受けたそうですね」

 なぜそんなことを知りたがるのか。それが流人には理解できない。

 これまでにもそういう噂好きの人間はいた。しかし、彼女が興味本位でそんなことをする人物だとは、流人には思えなかったのだ。

「ですから、野間流人という人間をもっと知るためですよ」

「僕のことを知るためって……切裂さんがそんなことをする必要がどこにあるんですか?」

 語気が強くなっているのを流人は自分でも感じていた。しかし、止める気はさらさらない。

「出会って一週間かそこらの僕のことをそこまでして知る理由って何ですか? 冷やかしのつもりなら帰ってください。正直言って……とても不愉快です」

 口を吐いてから気づく。これでは三年一組に捕まったときと同じだと。

 あのときもヤケになったせいでいらないことまで言ってしまい、無駄な傷を作ってしまった。しかも、今回の相手は自分を見舞いに来てくれたクラスメートだ。

 罪悪感と後悔にさいなまれながら、流人は扉から離れようとする。

 そんな彼に、優しくもハッキリとした声がかけられた。

「切断の『切』」

 それは、どう考えてもなぐさめの言葉ではない。

「亀裂の『裂』に、麗しい子供と書いて『麗子』。だから切裂麗子」

 流人は混乱する。今の流れで真剣に自己紹介を始める理由が本当に分からなかったからだ。

「私立楊ノ下高校、二年四組学級委員長。好きなものはべっこう飴。嫌いなものは整髪料」

「あ、あの……」

「顔を見られた野間さんは察していると思いますが、私は口裂け女です。母親からの遺伝らしく昔はかなり荒れましたが、今では母とも仲良くやっています」

「え、ちょ」

「身長160センチ。体重50キロ。血液型はB型。スリーサイズは上から──」

「切裂さん! ストップ! ストップ!」

 なんとかギリギリのところで制止をかける。麗子は言われた通り止まった。

「な、何を口走ろうとしてるんですか!」

「何って、私のことを野間さんに知ってもらおうと思いまして」

「切裂さんのことを……どうして?」

「多分、野間さんと仲良くなりたいからだと思います」

「え?」

 麗子は平然とそう言いのける。あまりに唐突なことでまたも流人は混乱していた。

「誰かと仲良くなりたいなら、まずは互いを知ることから始める。要するに私はあなたと友人になりたいのです」

「ゆう、じん」

 それは至極しごく当たり前、極めて人間的な友人の作り方だった。互いを知ることが友達作りの第一歩なら、それを彼女はしたということなのだろうか。

「私だけではありません。鬼口さんも、透堂さんも、ディハマドさんも、野間さんと友人になりたいのです」

 野間の頭の中に、三人の表情が浮かび上がる。

 初めて昼食を共にしたクラスメート。人外の力を行使するバケモノ。

「ご存じの通り、彼らも私と同じく人ではありません。しかし、彼らは野間さんと同じように考え、悩み、他人を思いやることのできる方達です」

 人外の力を行使し、自分を助けに来てくれたクラスメート。

「無茶なお願いだとは分かっていますが、私達のことを知ってはもらえませんか? そして判断してください」

 後の判断は任せる。そんな言葉を流人は思い出していた。

 しかし、一体何を判断すればいいのかを彼は理解していなかった。

バケモノわたしたちが、人間あなたと関係を持つに足るかどうかを」

 流人は無意識のうちに部屋の扉を開いていた。

 扉の向こうには一人の少女が立っている。汚れ一つ無いセーラー服に身を包み、大きなマスクで口元を覆い、その黒髪は腰の上辺りで綺麗に切りそろえられ、流人を見つめる真っ黒な瞳は優しく細められている。

 どこからどう見ても可憐かれんな少女。けれど、彼女は人間ではない。

「僕、ずっと分からなかったんです」

 流人をまっすぐ見つめるその視線に、今までの彼ならすぐにでも目をらしていただろう。

「あんな目に遭って、皆が人じゃないって知って、というか人じゃない存在に初めて出会って、そりゃあ怖かったですけど……でも、その、なんと言いますか」

「ゆっくりで大丈夫ですよ」

 流人は目を逸らさない。



 それは彼なりの意思表示である。綺麗に纏まらなくとも、何の解決にならなくとも、自分が考えていた全てを伝えなくてはという意思表示。

「僕は、中学も高校も周りと馴染めずにここに来ました。いわゆるイジメというやつだったと思います」

 イジメのきっかけは些細ささいなことである。

 彼のクラスメートが、同じクラスメートの数人に揶揄からかわれていた。そしてその現場を目撃してしまっただけ。

 小学校から己の正義を貫いてきた彼には静観せいかんするという選択肢はなかった。

 そこからはよくある話だ。

「イジメを助けたら自分がイジメの標的になる。そんなサイクルに僕も足を踏み込んでしまった……あのとき助けたことを悔やんだりはしていませんが、それでも失望したのは確かです」

「失望? 何にですか?」

「人に、です」

 イジメの標的が流人に変わった後、彼を助けてくれる者は現れなかった。

 それどころか、今までイジメに加担していなかった者達まで、彼のことを無視し始めたのだ。

「僕、ずっと正義の味方に憧れてたんです。困っている人をかっこよく助けて、皆から感謝されるヒーローに」

 だが、現実は残酷だった。

 正義は悪に敗北し、周りの人間は自分を無視し、助けたはずの人間でさえ彼に関わろうとはしない。

 これが彼の正義感の行き着く先である。

「笑っちゃいますよね! 僕は頭も良くないし喧嘩が強いわけでもない。そんな僕が正義の味方なんて……」

 彼は失望した。現実に、人に、そして何より自分に。

「だから、さらわれた僕を助けに来てくれた皆を見て、僕は……分からなくなってしまったんです」

 人知を超える力で悪を倒し、弱者を救う。その姿は彼の思うヒーロー像と確かに一致していた。

 だからこそ、彼は混乱した。

「人間が自分と同じ人間を傷つけて、人間じゃない彼らが人に優しくする。僕は、おかしくなってしまったんでしょうか……」

 あの教室で、少年は自分の中に眠る異常性を垣間見た。

「皆がバケモノだって知って、全然ショックを受けなかったんです。人間かどうかなんて些細なことだって、思っちゃったんです」

 麗子の姿がにじんでいく。自分でもどうしようもない感情が、流人の中で暴れ回っている。

「切裂さん」

「はい、野間さん」

「僕が、人間が、バケモノと友達になりたいって思うのは、おかしなことでしょうか?」

 おもむろに麗子はマスクを取る。

 耳まで真っ赤に裂けた彼女の口は、優しい微笑みをたたえていた。

「少なくとも、目の前のバケモノは野間さんと友達になりたがってますよ?」

 流人にとってその言葉は、どんな人間より信用のできる言葉だった。




「おはよう明花ちゃん。日に日に元気無くなってるけど大丈夫──」

「うん、おはよう」

「──じゃなさそうだな。重症だ」

 校門をくぐる二人の足取りはとても重く、特に明花に至っては吸太郎にあだ名で呼ぶことを強制するのさえ忘れていた。

「こういうことは言いたくないけどな、あんまり期待しすぎない方が良いと思うぞ」

「あぁん?」

「明花ちゃん、うちの不良達の影響受けてるよ」

 いつも小さい彼女の身体が、姿勢の悪さによって一層縮こまって見える。

 その分、目つきが普段では考えられないほど鋭いものなっているので、校内の不良達も彼女の視界に入らないよう、必死で隠れる始末しまつだ。

 三年一組との抗争が起こってからというもの、彼らの周囲からの畏怖いふは更に強まっている。

 それに加え、二年四組の生徒がこれ以上なく不機嫌とあっては、不良達もオチオチ幅をきかせてもいられない。

「これは、今日も荒れそうだな……」

 そんな愚痴ぐちをこぼしながら、吸太郎は教室の扉を開く。しかし、教室の中には入ろうとしない。

「ちょっと、Qちゃん! 何ボーッと突っ立てんの……よ……」

 その目に飛び込んで来た光景に、二人は驚いて立ちすくんでしまう。

「あ、お、おはようございます……」

 弱々しくも確かに微笑んでいるその少年は、間違いなく二人の知る人間だった。

「る、るっぴー?」

「は、はい、るっぴーです……」

「久しぶりじゃねぇか!」

 彼の微笑びしょうに、吸太郎は驚きつつもすぐに笑顔を返す。

「怪我はもう大丈夫なのか?」

「えぇ、おかげさまで」

「るっぴーが来ない間、こっちもいろいろ大変だったんだよ。特に明花ちゃんなんて……」

 そこまで言いかけて、吸太郎は隣の明花がやけに静かなことに気づいた。

「あの、透堂さん? 大丈夫ですか?」

 明花は何も言わずに俯いている。流人からも吸太郎からも、彼女の表情は見えない。

「おーい、明花ちゃん? お待ちかねのるっぴーだぞ?」

「二人とも……」

 彼女は顔を上げ、まぶしい笑顔を流人に向ける。

「だから、めーちゃんって呼んでって、いつも言ってるでしょ!」

 そうして、二年四組に野間流人といつもの明るい雰囲気が帰ってきた。

「って、あれ? ディハマドくんは?」

「連れてきましたよ」

 廊下からの声に目をやれば、そこには麗子に無理矢理引っ張られてきたマミィがいた。彼はいつも通り、不健康そうな顔に血走った目で流人を見つめていた。

「るっぴー殿。帰ってきたのか」

「あ、はい、おかげさまで」

 会話が終了してしまう。これでは先が思いやられると流人は思った。

 しかし、彼はもう決めたのだ。自分の心に素直になること。

 人間ではない彼らと真の意味で友人になれるかどうか。彼らのことをもっと知り、そして判断する。

「皆さん、これからよろしくお願いします」

 流人は覚悟を決め、彼らと正面から向き合う。

 そして、バケモノ達の友達作りが始まった。


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