第34話「深境の環と、“魂の残響”」

 《深境の環》——それは、世界の感情が沈殿する“最も深い交差点”と呼ばれていた。

 地図にも記されず、存在すら曖昧なその場所に、ミサとレティアは辿り着こうとしていた。


 霧に包まれた谷を抜け、音すらも消えるような森の奥へ進む。

 次第に、風の音さえ止み、ただ“心の声”だけが響く領域へと、足を踏み入れていく。


「ここ……重い」


 レティアが無意識に剣の柄を握りしめる。


「魂の残響が、辺り一面に満ちてる。まるで、誰かの“思い残し”が渦巻いてるみたい」


 ミサの瞳は淡く輝いていた。彼女の《契約輪唱》が、周囲の記憶に呼応していたのだ。


「この地は、“終わらなかった対話”が積み重なった場所。交渉されなかった声が、この大地に眠ってる」


 ふたりがたどり着いたその中心には、巨大な石環があった。

 円環の中央には、水面のように揺れる結界。そこに触れた瞬間——


 空間が反転する。


 ふたりが目を開けたのは、記憶の深層。

 交渉の中で失われた“魂のかけら”たちが浮かぶ、灰色の世界だった。


 そこでミサは、無数の“誰か”に囲まれる。

 言葉にならなかった者たち。

 問いかけられることを諦めた声。


「どうして、あのとき言ってくれなかったの」

「私は、ただ名前を呼んでほしかっただけ」

「もう遅いって、誰が決めたの?」


 圧倒的な“責め”の波に、ミサの膝が折れかける。


 だが、レティアが支える。


「ミサ。あんたは誰よりも聞こうとしてる。あとは、“あんた自身の声”を信じるだけだ」


 ミサは目を閉じる。


 そして、静かに《契約輪唱》を発動させた。


 ——共鳴開始。


 無数の魂が、音となって交差する。

 それぞれ違う旋律が、少しずつ重なり、やがて“ひとつの楽章”を紡いでいく。


 それは、

 「届かなかった言葉が、今ここで響く場所」。


「ごめんね、気づけなくて。ありがとう、残ってくれて。私は今、あなたの声を聞いてる」


 ミサの声が、その場に集うすべての魂に染み渡っていく。


 灰色だった空間が、やがて淡く色づき、光の粒がひとつ、またひとつと昇っていく。


 ふたりが再び目を開けたとき、《深境の環》の中心に、柔らかな光の花が咲いていた。


「ミサ……やっぱり、あんたの言葉は“響く”んだな」


「私ひとりじゃ、届かないよ。あなたが支えてくれるから、私は誰かの声を抱きしめられる」


 ふたりは、そっと額を寄せ合った。


 そのとき、遠くの空に、淡い“光の輪”が浮かび上がった。

 それは、世界が“共鳴”に応えた証。


 そして、空から一通の光の羽が落ちてくる。


 それは、イリスからの新たな呼び声だった。


『次なる旅は、“無言の神殿”——声なき契約が眠る場所』


 ミサは、その羽を握りしめる。


「きっと、そこにも“話しかけるべき魂”が待ってる」


「なら行こう。あんたの声が、届く場所まで」


 ふたりはまた歩き出す。


 魂と魂、心と心が重なり合うその先へ。

 物語は、静かに、しかし確かに、次の扉へと向かっていく。


(つづく)

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