死亡フラグ
……一つ、忘れていた重要な存在がある。ゲーム『Heart of Magic』では、私には一人の側近が付いていた。攻略対象ではないが立ち絵のあるサブキャラで、彼はルート関係無く主人公に惚れる。まあ、ヒステリックな主人の相手をしていれば、優しくて可愛いヒロインに恋してしまうのも無理はない。
そのせいで私を刺し殺してしまっても無理は……あるだろう。
その付き人の名前はヨアン。ゲームでは黒い髪を長く伸ばしてひとまとめにしていた、ヒロインより少し年上の美青年である。
ゲーム内のヨアンは主人である私にたいそう辟易していた。メンヘラでヒステリックなゲームの私は、その上箱入りだったので『自分の思い通りに事を運ぼうとする』という悪癖もあった。
要するに、わがまま娘だ。
私に甘いお兄様ならば私の多少の……いや、かなりのわがままに笑顔で答えてくれるだろうが、従者に過ぎないヨアンは違う。
私のヒステリーに付き合い、情緒不安定に付き合い、わがままに付き合い……と、ヒロインに出会う頃には既にノイローゼ気味になっていた。
ゲーム内ではサブストーリーでしか大した掘り下げは無いけれど、私の記憶の中にあるヨアンのキャラクターイラストは、前世で言うところの『ザ・社畜』みたいな雰囲気を漂わせていたのを覚えている。
そんなヨアンは、ヒロインに出会って恋をする。
うん、地雷原みたいな主人に辟易していたところを優しくて可愛い癒し系のヒロインに出会ったら好きになっちゃうのはわかる。
問題なのは、私を刺し殺す点。ヨアンがヒロインに好意を抱いているとき、ゲーム内私のヘイト管理に失敗すると、私はヒロインを亡き者にしようと画策する。
そして、いち早くそれを察知したヨアンは、精神をすり減らしていたことも相まって主人である私を殺してしまうのだ……。
まさに悲劇。ゲーム内で唯一、私が死ぬルートでもある。
そのヨアンに関して、私が何を忘れていたかと言うと──
この人、前世の私の最推しだった。
……わかってる。推しを忘れるってどういうこと? ってなるよね。
でも仕方ない。前世の記憶を思い出してから婚約のこととか、お兄様をなだめたりとか、色々忙しかったし……。
それに何より、前世の記憶が全部蘇ったわけじゃない。ラプラード殿下に恋に落ち──かけたときのような強い衝撃とか、ゲーム内で聞いたなー、みたいなことがあってようやく一部を思い出す。
だから、どうして急にヨアンの話をし始めたのかと言うと、目の前にいるからだ。今、目の前にヨアン本人が。
「……本日からリーシャお嬢様の側近として仕えさせていただきます、ヨアンです……なにか御用がありましたら何でもお申し付けください」
平坦な口調で、よろしくお願いします、と頭を下げるヨアン。うん、綺麗な顔をしている。しかし、前世の私が心酔するほどのときめきではない。やはり、前世とはいえ私とは別人なのだろうか。
前世の記憶でも、ゲーム内の私は別にヨアンに対して無感情……というか、特に言及がなかったと思う。淡白な主従関係だ。
「リーシャ、お前も何か言いなさい」
と、久しぶりに帰ってきたかと思えばいきなり使用人を連れてきたお父様は言う。
ゲームでは明かされていなかったが、ヨアンを連れてきたのはお父様だったのか……。嬉しい反面、そのせいでヨアンはメンヘラヒス女の相手をさせられてノイローゼ気味になっていたので、なんとも言えない。
なんならそのせいで私は刺されるので、プラスマイナスでマイナスの方がでかい。
「……よろしく、ヨアン。仲良くしてね」
にこやかに、印象の良い笑顔を浮かべながら私は心の中で繰り返す。
本当に、仲良くしてね。
「はい、お嬢様」
とりあえず挨拶をすると、無表情で返された。確か彼は子爵家の三男だったのだが、表情を表に出すことが苦手であまりコミュニケーションが上手くいかず、それを気味悪がられて追い出されるように奉公に出された……みたいな設定だった気がする。
最初はどこかの伯爵家に居たのだけれど、そこでも鉄面皮ぶりを指摘され、様々な家を転々とし、巡り巡ってフローベル家に来た、と。人の良いお父様が思わず拾ってきちゃうくらいにはハードな人生を送っている。
「……ところでお父様」
私とヨアンの当たり障りのない挨拶をニコニコ眺めていたお父様に、私は目を向ける。
「なんだ?」
「なんで急に、彼を……?」
「うん、お前も婚約が決まって、王城に行く機会も増えるだろう? だから護衛も兼ねて、な」
「護衛……」
「……うむ」
恐らく、私とお父様の考えは同じだと思う。
ヒースお兄様、絶対「僕がやる」って言うよなぁ……。
「……ヒースお兄様はこのこと、知ってる?」
「……」
黙ってしまった。まあ知っていたとしたら兄様は確実にこの場にいるし、確実にここに連れられるのはヨアンではなかった。
お父様もそれがわかっているのか、顎髭を撫でながら言う。
「リーシャ……お前ならあいつを説得できるだろう」
「い……いやあ……」
お兄様は私には激甘だが、私に近付く人間には甘くない。特に男には。
お兄様ルートで妹である私を攻略しているときも、最初はヒロインのことをあまり良く思っていなかったし、婚約者のラプラード殿下や付き人のヨアンにも苦言を呈していた。
本当に、どこまでもシスコンなのだ。多分ゲームの私がメンヘラでヒステリックという最悪の性格になってしまったのは八割がた彼が甘やかしていたせいだろう。
「私もなんとか言ってみますけど……」
「頼むぞ……」
そう言い残して部屋を出ていくお父様を見送りながら、私はため息をつく。どうしよう、見つかったらお母様のところにでも逃げようか。……それはそれでまた問題がややこしくなりそうな気もする。
「……お嬢様」
そんなことを考えていると、沈黙に耐えかねたのかヨアンが声をかけてきた。
「は、はい。なに?」
彼は場合によっては私を刺し殺す、というバイアスで、思わず一歩引いてしまった。ヨアンはそんな挙動不審な女を前に少しも表情を崩さない。なんという完璧な鉄面皮。
「……今日は家庭教師の先生がいらっしゃると聞きました。お嬢様が勉強なさる間、オレは手が空いているので何か命令があれば何でも仰ってください」
「え、あ、は、はい。ありがとう……えっと、じゃあ……」
と言っても、命令なんて何も思いつかない。そろそろ先生が来る時間だし、何かサクッと……刺されない程度の命令……。
「……私にはね、お兄様がいるの」
「存じております」
「すっごく、……妹想いなの。ちょっと危ないくらい」
「そのようですね」
「私の側近があなただって知ったら多分すごく怒るの」
「はい」
「……私が授業を終えるまで、お兄様に見つからないでくれたらいいよ」
私がそう言うと、ヨアンは恭しくお辞儀をして言った。
「仰せのままに」
フローベル公爵令嬢は弁えている。 東谷モヤ @umaimoti
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