【三題噺】アラームとリンゴと水の底で

本日の三題:水中、リンゴ、摘まむ

ジャンル:パニック


 最初に異常が発生したのは、午前9時37分。

 海上研究施設〈デルタ07〉の第3区画が、突如として沈下を始めた。

 施設は海上と海中にまたがっており、重力制御と浮力バランスによって安定を保っているはずだった。

 だが、その日の第3区画は、音もなく水中へと沈んだ。

「どういうことだ……浮力中枢が生きてるのに?」

 管制室のモニターの前で、主任の北条が額に汗をにじませる。

「バランス装置は正常です。でも第3区画の扉が……開いてる?」

「誰がそんなことを——!」

 赤いランプが点滅し、アラームが鳴り響く。

 この施設には15人の研究員がいた。

 だが、現在地を確認できるのは、8人。残り7人の通信が、途絶えている。


 第3区画にいたのは、給水担当の青年・及川と、調理班のリーダー・真柴を含む4人だった。

 水圧限界まであと20分。

「おい、聞こえるか!? そっちは無事か!!」

 北条の声に、かすかにノイズ混じりの返答が返ってきた。

「……だいじょ、ぶ、下層で、閉じ込め、られ……」

「くそ……!」

 その時、ひとりの研究員が手にしていた非常食バッグが、ふと破れて中身が飛び出した。

 転がったのは、真っ赤なリンゴ。

「おい、リンゴなんか……」

「違う、これ——中に発信タグがある!」

 北条は即座に指示を出した。

「リンゴを摘まんで、スキャンにかけろ! そこに誰がいたか、全部履歴が出る!」

 タグには、位置情報と環境反応データが記録されていた。

 スキャン結果が出る。

 その瞬間、室内の空気が凍りついた。

「……このリンゴ、2階層下の実験ユニットから持ち出されたものです」

「なに?」

「つまり、誰かがこのリンゴを——あの区画に“わざと”運んだ」


 状況は急速に悪化する。

 水位上昇。空気圧低下。内部回路の一部がショートし、扉の緊急ロックが作動しなくなる。

 そして、及川から最後の通信が入る。

「……ここ、もうダメだ。誰かが、俺たちを——試してる」

「何を、言って——」

「見たんだよ。白衣の背中に、ナイフがあった」

 沈黙。

「やめてくれ、俺はただ水をくみにきただけなんだよ!!」

 通信が、途絶えた。


 残った8人は、3班に分かれて施設内を探索し始めた。

 第4区画の食料庫で、再びリンゴが見つかる。

「おかしい。こんなに在庫、あったか?」

 ひとりが手を伸ばし、それを摘まんだ瞬間——

 警報が鳴る。

「なんだ!? 反応源は——」

「リンゴだ。何かが埋め込まれてる!」

 中から現れたのは、記録デバイス。

 再生された映像には、ひとりの研究員が映っていた。

 彼女は、静かに扉を開け、何かを呟いていた。

『ここが、試験区画になるって知ってたのよ』

『でも、それでも、やらなきゃ。私たちが“正しい”って、証明するには——』

 映像が止まる。

「これって……自作自演ってことか?」

「違う。彼女だけじゃない。“他にも”いる」

 水音がした。

 どこか遠くで、鉄がきしむ音が響いた。


 その日、施設の外部と連絡が取れるようになったのは、翌朝の5時。

 生存者は、わずか5名。

 誰が何を仕掛け、なぜ“リンゴ”に記録を残したのか——

 真相は、まだ海の底。

 だが、今でも彼らは言う。

 水中の静けさよりも、リンゴを摘まむときの無音の方が、よほど恐ろしかったと。


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