【三題噺】夕暮れの海、家族のうた
本日の三題:夕暮れの海、スマホ、摘まむ
ジャンル:ホームドラマ
夕暮れの海は、いつもよりも静かに感じた。
潮風が頬を撫でる。波は引いたり寄せたり、子どもみたいに息をしている。
その防波堤の端っこに、私たち家族は座っていた。
父、母、私。そして弟の拓真。
「ほら、千夏。ちょっとスマホ貸して」
父が手を伸ばしてきた。
「また撮るの? 毎回、同じ構図じゃない?」
「いいんだよ。同じ場所、同じ構図、でも違う空になる。それがいいんだ」
そう言いながら、父は私のスマホを受け取り、斜めの夕日をフレームに収めた。
母は、その隣でタッパーを開けている。
「今日の夕飯、ちょっと手抜きだけど……おにぎりと、昨日の唐揚げ」
弟の拓真がぱっと笑って、真っ先に唐揚げを摘まむ。
「サクサク! あ、でもちょっと冷えてるー」
「文句言わないの」
母が笑いながら、彼の頭を軽く叩いた。
私はといえば、何もしていない。おにぎりを持ったまま、潮の匂いを吸い込んでいた。
「明日さ、帰ろうと思ってる」
その一言が、海の音よりも静かに落ちた。
「そうか」
父は、それだけを言った。
母は「もうちょっといたら?」とも、「気をつけて帰りなさい」とも言わなかった。ただ、持っていたおにぎりを私の膝にそっと置いた。
沈黙が、海と重なって広がる。
私はそれを食べた。しょっぱい梅干しと、母の味。
「この唐揚げ、母さんが作るやつとちょっと違うな」
拓真が言った。
「自分で作ったの」
母は、そう言った。
「ちょっとは覚えとかないとね」
父がスマホを返してきた。
画面には、沈みかけた夕日の光が、家族の影を長く引いて映っていた。
「来年も、同じ場所で撮ろう」
誰が言ったかは覚えていない。 でも、誰も反対しなかった。
その夜。
母が台所で唐揚げを揚げていた。
私はスマホの写真フォルダを開き、夕暮れの一枚を見つめていた。
父の手が写っている。弟の頬に米粒がついている。
私はそれを、そっと摘まんで拡大して、笑った。
そして、何も言わずに保存した。
ホームボタンを押して、画面を閉じる。
明日、また列車に乗って、一人暮らしの街へ戻る。
でも、夕暮れの海の匂いは、指先にちゃんと残っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます