第一章 崩壊した異世界

第1話 転移事件

 二〇XX年十二月二十五日。

 世界は「聖夜クリスマス」という名の喧騒に包まれていた。


 東京の夜を彩るのは、天を衝く高層ビルの窓明かりと、星屑のように瞬く街頭の群れ。寒空の下で幾色もの輝きを放つイルミネーションは、行き交う人々の影を色鮮やかに地面へと焼き付けていた。


 駅の改札を抜けた神代友燈かみしろ ゆうひは、厚手のコートに身を包みながらも、容赦なく入り込む寒気に体を小刻みに震わせていた。鼻水をすすり、白く濁る吐息を吐き出しながら、彼は目の前に停まっていた見覚えのある車の後部座席へと逃げ込む。


「マジ、いつもあんがとォ……死ぬほど寒い……」


 凍えた声で謝辞しゃじを述べる友燈に、運転席から気怠げだが親しみのこもった声が返ってきた。


「良いって。いつものことだろ」


 ハンドルを握っているのは、霜華桜空しもはな はる。シェアハウスの仲間であり、在宅勤務の傍ら、こうしての友燈の送り迎えを請け負ってくれる面倒見のいい男だ。


  桜空は前を向いたまま手際よくエンジンを回し、夜の街へと車を滑らせる。暖房が効き始めた車内で、彼は後部座席の友燈へ視線を投げずに問いかけた。


「で、保育士の仕事はどうだ。やっぱクリスマスになると大変か?」


「そーだよ、当たり前だろ。……でもよ」


 友燈は窓の外、イルミネーションの下を歩く家族連れの姿を目で追い、その口元を自然と綻ばせた。


「俺は、子供の面倒を見てる時が一番好きや。疲れたとか、大変とか、そんなのより『嬉しい』が心の中で勝っちまうんだよ」


 飾り気のない、だが芯の通った温かい言葉。友燈の胸に宿る純粋な情熱は、静かに耳を傾ける桜空を自然と微苦笑させた。

 友燈はシートに深く背を預け、腕を伸ばしながらどこか誇らしげに呟く。


「いつもさ、帰る時には必ず『さようなら』って言われてよ。しばらく冬休みで会えねぇけど……あの一言が聞ければ、俺はそれでいいんだ……」


 達成感に満ちたその横顔をバックミラー越しに確認した桜空は、フッと鼻で笑い、やがて見えてきた自宅の屋根を見据えながら、釘を刺すように重要な話題を切り出した。


「満足したなら結構だが――ゆう、今日この後『配信』があるの、忘れてねえよな?」


「あ、ヤベ……っ」


 それまでの感動的な空気は一瞬で霧散した。てへっと頭を掻いて誤魔化そうとする友燈。そのあまりに締まりのない顔を見て、桜空は湧き上がる拳をハンドルを握る力へと変え、必死に抑え込むのだった。




 ガレージに滑り込んだ車が、微かな振動とともに停止する。

 エンジン音が途絶えるのを待たず、友燈は慌てて車を飛び出した。冷え切った指先で玄関のドアを開け、勢いよく中へ入った。


「あ、おかえり! ちょうどいいタイミングだね」


 真っ先にリビングから顔を覗かせたのは、淡い色のエプロンを纏った鳴間紗彩なりま さあやだった。夕食の準備中だったのだろう、手にしたお玉を軽く振りながら、彼女は太陽のような明るい笑みを向ける。


「ただいま、紗彩……いやぁ、マジで凍死するかと思ったわ」


 ようやく辿り着いた安らぎの場所に、友燈の表情がふにゃりと緩んだ。温かな家飯の匂いと、「自称」美少女による出迎え。その幸福を噛み締めるように玄関で立ち尽くす彼だったが、すぐ背後から無情な圧力がかかった。


「はよ退け」

「わっ、とと……悪い悪い」


 背後から迫っていた桜空が、邪魔だと言わんばかりに友燈の膝裏を軽く蹴る。


「そう思うならさっさと上がれ」


 余韻に浸る暇もなく、友燈は押し出されるようにリビングへと足を進めた。そこには、いつもの仲間たちが作り出す、騒がしくも心地よい混沌が広がっていた。


 ソファでくつろぎ、画面に向かって叫びながらテレビゲームに興じる、纐纈迅はなぶさ じん榊流清さかき りゅうせい。その背後で、勝負の行方に一喜一憂いっきいちゆうしている月時瑠伽つきどき るか蘿蔔蒼すずしろ あお


 テーブルの方を見れば、相原翔琉さがら かける天霧柊あまぎり しゅうが静かに、しかし火花を散らすようにオセロを囲んでいる。


「おかえり!」

「おー、遅かったな」

「待ってたぜ~」


 彼らが次々と口々に投げかけられる言葉は、学生の頃から何一つ変わらない。

 コートを脱ぎながら、友燈はふと胸の奥で暖かな独白を漏らした。


(変わったのは、見た目と歳だけだな。俺たちは――)


 何も変わっていない。そして、これからも変わることはないのだと。その確信が、あまりにも脆い砂上の楼閣ろうかくであることを、彼はまだ知る由もなかった。




 幸福な晩餐ばんさんを終え、いよいよ今日の本題であるクリスマス配信の指定時間がやってきた。


 皆はそれぞれ自室へと戻り、戦場へ向かう戦士のように準備を始める。シェアハウス内の居室は五つ。友燈と桜空、瑠伽と蒼、翔琉と柊、迅と流清、そして紗彩。


 自室のドアを閉めた瞬間、それまでの和やかな喧騒は消え、代わりに部屋の明かりと電子機器が目覚める微かな駆動音が響き始めた。


 友燈はゲーミングチェアに深く腰を下ろし、慣れた手つきでメインPCを起動させる。マルチモニターが色鮮やかな光を放ち、隣に座る桜空はマイクの感度を確かめ、ヘッドフォンを装着して、他の皆が待つ専用の通話サーバーへとログインする。


 全員のアイコンが点灯したのを確認し、リーダー格の桜空がマイクをONに切り替え、静かに告げた。


「……よし、全員いるな。配信開始するぞ」


 桜空が配信ソフトのスタートボタンをクリックした瞬間、漆黒だった画面に華やかな待機画面が踊り出た。  


 趣味の延長とはいえ、本職の傍ら精力的に活動している桜空のチャンネルは、界隈でもそれなりの知名度を誇っている。

 配信開始を告げる通知が飛ぶや否や、画面の端では同時接続数を示す数字が加速度的に跳ね上がり、コメント欄が滝のような勢いで流れ始めた。


 @無名リスナー

 メリークリスマス!


 @古参リスナー

 待ってました~!


 @駆け出しリスナー

 今日メンバー全員集合!?豪華すぎw


 視聴者たちの熱量。モニター越しに伝わってくる、見知らぬ誰かとの繋がり。

 ヘッドフォンから聞こえてくる仲間たちの笑い声に、友燈も自然と笑みがこぼれた。


「皆、メリークリスマス! 最高の夜にしようぜ!」


 テンションが上がってきた友燈は、マイクに向かって呼びかけた。他の皆もそれぞれ騒ぎ出し、コメントもどんどん埋まっていった。




 配信開始から二時間が経過しようとしていた。雑談に花を咲かせ、リスナーから寄せられる質問をさばいていく。


『質問です。メンバーの中で一番のイケメンは誰ですか?』


 ローテーションで次の質問を読み上げたのは、蒼だった。


「俺だな。異論は認めん」


『バカか、俺に決まってんだろ!』


「ハァッ⁉ 鏡見てから言えよ迅!」


『オ・レ・だ・ろ☆』


 友燈の即答を迅が鼻で笑い、二人が言い争う隙間を縫って翔琉が冷静に、しかし自信満々に割り込む。ヘッドフォンからは、三つ巴の低レベルな争いに耐えかねた瑠伽と紗彩のクスクスという笑い声が漏れていた。


「お前ら、話が進まねえだろ……」


 桜空が呆れ果てたように呟けば、その後ろ盾を得たと言わんばかりに流清も「そうだそうだっ!」と同情の声を上げる。


 "――楽しい"。  


 言葉には出さずとも、九人全員の胸に共通して去来きょらいする想い。モニター越しに流れるリスナーのコメントも含め、すべてが完璧な聖夜の風景だった。


 だが、その瞬間だ――。


『……お、おい。お前ら、外を見ろ』


 今まで聞き役に徹していた柊の声が、不自然に震えていた。  

 普段の冷静な彼からは想像もつかない、芯から凍りついたような声音。


「なんだよ柊、どしたぁ?」


 翔琉がゲーミングチェアのキャスターを鳴らして窓に向かって視線を上げた。それと同時だった。  


 滝のように流れていた配信のコメント欄が、ピタリと止まった。


 カメラの向こう側にいる数千人のリスナーも、そして部屋にいる九人も。全員が、吸い寄せられるように夜空を見上げた。


 雲に覆われていたはずの夜空が、突如として白銀の輝きに貫かれた。  

 分厚い雲海を内側から切り裂き、現れたのは大小幾重にも重なり合う「光の輪」だった。  


 それは夜空を昼間のように照らし出すほどに美しく、煌びやかで、あまりに神聖な光景に、全人類が言葉を忘れ、ただ立ち尽くして見惚れていた。


「…………ッ、なんだよアレ……!」


 窓の外を見上げていた友燈が、弾かれたようにモニターへ視線を戻す。コメント欄は阿鼻叫喚あびきょうかんの渦だった。


 未知の現象への不安、無責任な興味、そして正体の知れない恐怖。すると、隣のデスクでスマートフォンを凝視していた桜空が、裏返った声を上げた。


「おい……ッ! これを見ろ!」


 差し出された画面には、緊急速報のニュース映像が映し出されていた。人工衛星が捉えた宇宙からの光景――それは、地上から見るよりも遥かに、絶望的なまでに神々しかった。  


 光の輪は月を幾重にも取り囲むように展開し、物理法則を無視して地球の裏側からも視認されていた。世界が未曾有みぞうの混乱に陥る中、そのは第二段階へと移行する。


 輪は星屑を巻き込むように無数の光を吸い込み、巨大な渦を描きながら加速し始めた。光の環は徐々に広がり、その色彩は冷徹な白から、禍々しくも美しいカラーへと変貌へんぼうを遂げていく。  


 友燈たちはただ、その光景を魂を抜かれたようにじっと見つめることしかできなかった。


 そして――終焉は一瞬だった。


 幾重にも重なる光の輪が分裂し、その中心点に膨大なエネルギーが凝縮される。

 次の瞬間、極太のレーザーにも似た光の線が、地球全土へ向けて無数に放たれた。


 大気も、建物も、逃げ惑う人々も。一瞬にして世界が真っ白な光に飲み込まれる。

 窓から溢れ出した奔流ほんりゅうが、部屋にいた友燈達を呑み込んだ。


 物体を透過する光が、彼の細胞一つ一つを焼き尽くす。咄嗟に顔をガードしたものの、意味をなさなかった。

 全身に、今まで生きてきた中で経験したことのない猛烈な激痛が走る。


(クソ……クソクソッ‼ なんだよこれ! 何が起こってやがる⁉)


 内側から肉体が沸騰ふっとうし、灰となってバラバラに崩れ落ちるような感覚。絶叫すら光に掻き消され、彼はただ悶え、苦しみ続けた。


(ア"ァ"ァ"ァ"ァ"――ッ!!!)


 抗う術のない痛みの果てに、友燈の意識は深い、深い闇の底へと突き落とされたのだった。


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終極のアルカディア~偽りの神々が定めし終末世界で、 運命の刻を創り出す~ 葛原桂 @keibun09

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