君に届ける、最後の物語

Algo Lighter アルゴライター

青春

第1話 君に届ける、最後のメロディ

 雨上がりの午後、音楽室の窓から差し込む光が、グランドピアノの黒い表面に柔らかく反射していた。梅雨明け前の湿った空気の中に、微かに残る雨の匂いが漂っている。窓の外では、濡れたアスファルトがきらめき、校庭の木々が揺れていた。


「なあ、もう一回弾いてくれないか?」


 病室で聞いた声と同じ、少し掠れた声が響いた。俺は鍵盤の上に置いた指を震わせながら、顔を上げる。そこには、細い体を支えるように立つ悠人の姿があった。白い肌は透き通るように青白く、痩せた指が楽譜をぎゅっと握っている。


「……本当に、これでいいのか?」


 俺の問いかけに、悠人は小さく笑った。


「この曲は、俺が生きた証だからさ。お前が弾いてくれるなら、俺はずっとここにいられる気がする」


 悠人が作った最後の曲。それは、彼が長い闘病生活の中で紡いだ旋律だった。彼がピアノを弾けなくなってからも、頭の中で何度も繰り返していたという。


 病室でその楽譜を手渡されたとき、俺は何も言えなかった。彼が本当にこの曲を完成させられたことに驚き、そして胸が締めつけられた。


「頼むよ、奏」


 悠人の声が、俺の心を突き動かした。


 深く息を吸い、指を鍵盤に落とす。


 最初の音が響く。静かな、けれども確かに存在する音。まるで雨粒が静かに水面に落ちるように、優しく、繊細な旋律が音楽室に広がっていく。


 悠人の曲は、彼そのものだった。穏やかで、どこか切なく、それでいて前を向こうとする強さを持っている。短調のメロディが、まるで彼の人生を語るかのように流れる。俺の指は、まるで彼がそこにいるかのように鍵盤をなぞった。


 ふと視線を上げると、悠人が目を閉じていた。まるで旋律の中に溶け込むように、微笑んでいる。


「……ありがとう、奏」


 演奏が終わると、悠人は静かに言った。


「俺の代わりに、この曲をみんなに聴かせてくれ。俺がここにいた証を、届けてほしいんだ」


 俺は強く頷いた。


 それが、悠人との最後の約束になった。


 それから数週間後、悠人は静かにこの世界を去った。


 そして迎えた音楽祭。俺は悠人の曲を弾いた。悠人の想いを乗せ、彼の旋律を奏でる。音楽室で聞いたあの声が、今も俺の胸に響いている。


「俺はずっと、ここにいるよ」


 音が消えた瞬間、静寂の中に確かに悠人の気配を感じた。そして、大きな拍手が音楽室を包んだ。


 悠人の最後のメロディは、確かに届いたのだ。


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