シロ

祐里

毒流言

 シロと出会ったのは、大正十二年の盆の前でした。

 当時から私は寺勤めをしており、本堂の前で和田わだの奥さんからの申し出を聞いていました。彼女は七歳か八歳くらいの女の子を連れてきて、この子の病気の母親が亡くなったから荼毘だびしてほしい、他に身寄りはないようだと言いました。

「名は何というのですか?」

「この子のことはシロと呼んでいます。色白だから。ねえ、シロ?」

 和田さんに話しかけられた女の子は、うなずいて肯定しました。

「母親のほうは、キヨと。でも、きっと本名じゃあないでしょう……シロも」

「本名じゃない……? となると、どこかから逃げてきたと」

「乱暴な亭主でもいたんじゃないでしょうか。決して話そうとはしませんでしたが。それで病気で亡くなるなんてね……」

「……そうか。シロ、おまえ、寺に来るか?」

 子供とはいえ本人の意思が肝心です。私がそう尋ねてみると、「シロは、キヨさんが死んでから言葉を失くしてしまったようで……」と和田さんは言います。

「それは……気の毒な。母親の死で心がやられてしまったのか……」

 私の言葉に、彼女は涙ぐんでこう言いました。

円輪えんりんさん、お願いします、どうかこの子をお寺さんで預かってやってもらえませんか」

 目に涙を溜めて懇願されては、断ることなどできません。私は「まずは寺で預かり、その後のことは師と相談して決めましょう」と言いました。

 そのようにして、シロは私と一緒に暮らすことになったのです。


 シロを預かってから一月ひとつきほど経った頃、正確に言うと大正十二年九月一日、大きな地震が関東地方を襲いました。それ以外にも揺れはありましたが、最も甚大な被害を引き起こしたのは九月一日の昼のものでした。

「シロ、おまえも無事でよかった。寺は火事にはならず、みな小さな怪我程度で済んだようだ。仏様のお導きであろう」

 シロは小さくこくりとうなずきます。まだ口を利くことができないのです。

「私はしばらくおまえの相手はできないかもしれない。山門が歪んで、本堂の屋根も壊れてしまった。幸い柱は倒れてはいないが……まだ揺れが続いているから、損壊がひどいところには近付かないようにしなさい」

 地震が起きてから毎日、噛んで含めるように「危険な場所には近付かないように」と言っている私自身も、さすがにしつこくなってはいないかと心配になります。ですが、シロはいつも素直にうなずいてこちらを真っ直ぐに見ます。

「シロはいい子だね」

 本当ならここで「落ち着いたら外に散歩にでも行こうか」と言いたいところですが、今は寺の外へ出たところで瓦礫と死体しか見ることはできないでしょう。代わりに出た言葉は、「落ち着いたら文字の練習をしよう。せっかく読めるようになったのだから、今度は書けるように」でした。シロは文字の読み書きができなかったため、私や他の僧がカタカナを教えていたのです。

「シロは聡明だから……ああ、聡明というのは、頭が良いという意味だよ。きっとすぐに覚えるだろう。楽しみだな」

 シロは少しだけ笑顔を浮かべて、またこくりとうなずきました。


「円輪さん、こんにちは」

 繰り返し起こる地震でどんどん歪んでいく山門にため息をついたところで、新山にいやまの奥さんに声をかけられました。

「ああ、こんにちは」

「あのねぇ、これ」

 新山さんはよくお参りに来てくれる檀家さんで、親切な人です。私は差し出された風呂敷包を受け取りました。

「これは?」

「出てきたんです、物置から。木造のは壊れちゃったから、いろいろ取り出してみたら子供用の着物が見つかって」

「子供用……見てもいいでしょうか」

「ええ。畳紙たとうしに入っていたから、傷はないと思います。うちの子はもう大きいですからね。あの子にはちょっと大きいかもしれないけど、お端折はしょりすればいいから」

 風呂敷を開いてみると、そこにはきちんと畳まれた白練しろねり色の着物と黄蘗きはだ色の兵児帯へこおびがありました。

「着物はね、もともと薄い鼠色だったのが、何度も洗っているうちにこんな色になっちゃったんです。でも名がシロだから、いいかもしれません」

「ありがとうございます、とても助かります。生地が丈夫で良さそうですね」

「ええ、子供用ですから。丈夫じゃないと」

 苦笑いする新山さんに「物置以外もだいぶ壊れましたか」と私は尋ねました。すると、「石造りの倉庫が無事だったので、そこで寝起きしているんです。それにうちは西のほうだから、ましなほうですよ。大きな木もうちには倒れてきませんでした」と答えが返ってきました。自身も被害に遭ったというのに、何と善良なことでしょう。

「不幸中の幸い、ですね。これから悪党が動き出すかもしれませんから、戸締まりなどお気を付けて。夜に出歩いてはいけませんよ」

「そうですね。ありがとう、円輪さん」

 そうして私は、帰っていく新山さんの背に頭を下げ、再び礼を言いました。


「シロ、おまえにいいものをやろう」

 ちょうどよく裏庭から山門のほうへ歩いてきたシロに、私はもらったばかりの着物を見せました。

「近所の人……新山さんが、おまえにとくれたものだ。この白練色は高貴な色だから、きっとおまえを守ってくれるだろう」

「ああ、兵児帯もあるぞ」と付け足すと、シロは子供用の着物と柔らかな帯を両手で受け取り、うれしそうに口元をゆるめました。そのとき私も、ふふ、と笑みが漏れたのです。温かな気持ちが、やんわりと私の中で大きくなっていくように感じました。


「自警団がそこら中を回っているそうではないか」

「ああ、井戸に毒を入れた人物を取り締まるとか……」

「……もし井戸がやられてしまったら、我々は生活できなくなってしまう」

「滅多なことを言うものではないぞ、宗念そうねん

 朝鮮人が婦女強姦や掠奪、放火、井戸に毒を入れるなどの所業を繰り返していると、人々の間で言われているようです。寺にもそんな話が入ってきました。

 災害で荒れた土地では蛮行がはびこる、これは昔からの通例です。しかし、この大地震が起きて一日も経たないうちに輩による犯罪が起き始めたそうなのです。人々が戦慄を覚えるのも無理はないでしょう。

「いや、警戒しておくのは大事だ。円輪、おまえも気を付けないと」

「そうだな」

 そう答えた直後、私と宗念の横をシロがさっと通り過ぎていきました。

「ああ、こら、どこへ行く、シロ」

 山門を出ようとするシロに声をかけると、シロはくるりとこちらを向き、山門の外を指差しました。

「外へ出てはいけない。何か欲しいものでもあるのか?」

 私が問うても、シロは首を傾げてこちらを見るばかりです。

「仕方ない、私が付いていこう。宗念、すまない、師にそう伝えておいてくれ」

「ああ、わかった。早く戻ってきてくれよ」

 軽く手を上げて了承の合図を送り、私はシロとともに山門を出ました。シロが何をしたいのかは、しばらく歩いたところでわかりました。

「……もしかして、看板を見たかったのか?」

 シロは小さくうなずきます。看板はカタカナで書かれているものもあるので、それを見たかったというわけです。きっと、母親と暮らしていたときに見た看板のことを思い出したのでしょう。

「そうか。でももう、地震でだいぶ壊れて……ああ、あちらには落ちかけてはいるが、読めるものがあるな」

 道には瓦礫が散乱し、建物や看板はまだ崩れてくる恐れがあります。私はシロが白練の着物の上に着けている子供用のスモックの端を持ち、離れ離れにならないよう注意して歩いていました。

「ヱビスビール」

「キング」

「ダイヤモンド」

 町中で一番賑わっていた場所に差し掛かり、私が看板のカタカナを次々と読んでいくと、シロはニコニコと笑います。

「楽しいか。それではやはり、書けるようにもならないといけないな」

 するとシロが「え……」とかすれた声で言い、口ごもりました。

「おまえ、今何か話そうとしたのか」

 うなずき、また「え」と言うのですが、そこから先は言葉が出てこないようでした。

「シロはえらいな。だが、無理をするのはよくない。いつか必ず話せるようになるのだから」


 死体がなるべくシロの視界に入らないといいのだが、と思いながら話をしていると、看板の向こうのほうから騒がしい集団がやってきました。男ばかりのようで、日本刀や竹槍、鉄の棒などを持っています。

「……シロ、こちらへ。私の後ろにいなさい」

 宗念が言っていた自警団だろうかとシロに声をかけましたが、これが遅かったのです。彼らの一人がこちらをぎろりと睨み、大声で言いました。

「そこの子供、『十五円五十銭』と言ってみろ」

 シロは首を傾げます。唐突に『十五円五十銭』と言えなどと、普通の子でも怖くて言えないのではないでしょうか。

「あ、あの、この子は口が利けなくて……」

 私は口を挟みましたが、これも遅かったのです。

「『十五円五十銭』を言えぬのか! 不逞ふてい鮮人せんじん跋扈ばっこなど言語道断! 処罰してくれる!」といきり立つ男どもがこちらへ駆け寄り、その手に持つ日本刀で一気にシロの胸を貫きました。

「ど、どうし、て……! シロ!」

 私の真横にいるシロが、ぱたりと横向きに倒れました。

「おい、おまえ! なぜこのような鮮人せんじんと一緒にいる!」

「シロ! シロ!」

 白練の着物の袖から、血が流れ出ました。白いスモックは既に真っ赤に染まっています。黄蘗色の兵児帯はスモックからはみ出し、だらしなく地面に横たわっていました。

「ど、どうし、て、なぜだ、なぜシロが! シロ……!」

「おい! 答えないか! おまえは……」

「シロ! シロ!」

 そのときの私には、血にまみれた刀を手に怒鳴り散らす粗野な男に答える気も余裕もありませんでした。どうしてシロがこんなひどい目に遭わないといけないのでしょう。鮮人せんじん がどうとか言っていましたが、もしシロが朝鮮人だったとしても、全く悪いことをしていないのです。

 作務衣さむえに血がつくのも構わず、小さな体を抱えるようにして名を叫び続ける私に、シロは言いました。ええ、言ったのです。今でもはっきりと、耳に残っています。

「え、ん、りん、さん」と。途切れ途切れではありましたが、私の名を、シロは、その小さな唇を動かし、かわいらしい声で言ったのです。

 途端に溢れ出した涙がシロの血と混ざったことまでは覚えています。心配して迎えにきた宗念にあとから聞いたところによると、私は「絶命したシロの名を必死に呼び、後ろでうるさく詰め寄る自警団に今にも殺しそうな目を向けた」そうです。

 その後、宗念が寺の名と私の名を告げ、自警団の追及は止んだとのことでした。


 朝鮮人は白色を好むため白色の服装の人物は朝鮮人だと疑われていたと、私はシロが殺されてから知りました。また、『十五円五十銭』は、言葉の最初の音が濁音だと上手に発音できない朝鮮人をあぶり出すために言わせていたということも。

 内閣総理大臣から自警団の暴行に対し厳重な警告が与えられるまで、彼らの蛮行は続いたそうです。

 朝鮮人が街道沿いの井戸に毒を入れただの、どこかの建物に放火しただの、そんなのは結局ただの流言りゅうげんであり、事実ではなかったということも、私はあとで知りました。


 シロの出自はとうとう知れませんでした。何しろ母親も本人も亡くなってしまったのですから。

 私は年を取っても、片時もシロのことを忘れることはありません。きっとこれからも。

 もっと早くカタカナを書くことを教えていれば、私の「どこへ行く」の問いにシロは答えることができたでしょう。地面に指で書けばいいだけですから。

 地面でいいから、カタカナでいいから書くことができていれば、山門を出ることはなかったかもしれない。「今は危ない。来月にしよう」と言えたかもしれない。この後悔は、今も私を苛みます。きっと私は、臨済宗の遷化せんげ(※)に至ることはできないでしょう。この年になってもまだ現世での教化を終えてはいないのです。私はこれを、自身に課された罰として受け止めています。

 ええ、記事にしていただいて構いませんよ。何もかも包み隠さずお話しいたしました。私にとっての関東大震災への思いは、いつでもシロとともにあるのです。


遷化せんげ=高僧や隠者などが死ぬこと

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シロ 祐里 @yukie_miumiu

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