アストラル・テレポーター ~その身に宿すは絶対的力~

@Hulanes

第壱話:星のテレポーター

 もう遠い記憶の中の残響だ。それでもふとした瞬間に、あの熱気が蘇ってくる。夜空を焦がす業火、入り乱れる人々の熱気そしてどこか異質な、神聖なまでの静けさ。その村の生と死が交錯する特別な夜だった。


古来より伝わる悪霊払いの踊り。透明な影を追い立て村の安全を願う。子供の頃から見慣れた光景は、その子にとって世界の全てだった。


だが、あの年。全てが変わった。


隣の家の息子、確かまだ十にも満たない、やんちゃな子供だった。彼が火のついたままの棒を、うっかり祭りの準備小屋に放置してしまったのだ。信じられないような些細な出来事。だがその小さな火種は、瞬く間に全てを飲み込んだ。


祭りのために用意された色鮮やかな旗。何日もかけて編まれた村人たちの願いが込められた神聖な御幣。それら全てが、紅蓮の炎に包まれ、黒煙となって夜空へと立ち昇っていった。


燃え盛る炎を前に村人たちは言葉を失った。そしてその沈黙を破ったのは、抑えきれない怒りの叫びだった。子供はたちまち村の悪者になった。罵声が飛び交い石が投げつけられ怯える彼は、村から追い出されるように姿を消した。誰もが失われた祭りの象徴を、彼に見出したかったのだろう。愚かなことに。


祭りのない夏は異様な静けさに包まれた。活気を失った村は抜け殻のようだった。そしてその静寂を破るように、不気味な噂が広がり始めた。

「夜になると、透明な何かが彷徨いている」と。姿は見えないが、確かにそこにいる気配がする、と皆が震えながら語った。


「あれは、きっとフブキの亡霊だ」


そう囁く者もいた。村を追われた子供の名前。祭りの炎の象徴。だが俺はそんな迷信を信じるほど愚かではなかった。幽霊などいるはずがない。そう思っていた。


だが、その日から村を蝕む黒い影が現れ始めた。黒煙病。それはまるで悪夢のような病だった。皮膚には黒い斑点が広がり、骨の髄まで焼けるような激痛が全身を襲う。治療法などどこにもなかった。日ごとに感染者は増え老いも若きも、次々と病に倒れていった。村は生ける屍の群れと化した。


絶望が蔓延する中、人々の心には新たな憎悪の炎が燃え上がった。

「この病はフブキの祟りだ! あの忌まわしい子供がこんな恐ろしい災いを招いたのだ!」


根拠などなかった。やり場のない怒りをぶつける先が欲しかったのだ。病に侵されていないわずかに残った 村人たちは、血眼になってフブキを探し始めた。彼らの目は狂気に染まっていた。復讐という名の病気にかかり正気を失っていた。


そして一年という月日が流れた。その間にも、黒煙病は容赦なく村人をむしばみ続けた。そしてついに、フブキは見つかった。都会の喧騒の中で彼はひっそりと生きていた。病に苦しむ村人たちのことなどまるで他人事のように。


その知らせを聞いた村人たちの憎悪は、爆発した。彼らはフブキが身を寄せていた小さな宿に押し寄せ、油を撒き火を放った。復讐の炎は容赦なく全てを焼き尽くした。そして愚かなことに、彼らはフブキを閉じ込めようとした。だが炎はあまりにも早く燃え広がり、彼らは自らの憎悪の炎に焼かれることになった。フブキ以外の全員が、焼け焦げた亡骸となったのだ。


泣き崩れるフブキを村人たちは引きずるようにして連れ戻った。故郷の村は静かに燃えていた。彼らが、事前に火を放っておいたのだ。黒煙を上げながら崩れ落ちる家々。それは絶望的な光景だった。だが村人たちは、自分たちの家からは避難させていた。ただ一人を除いて。


それはフブキの母親。


燃え盛る炎の中へ、フブキは迷わず飛び込んだ。熱風が肌を焦がし煙が肺を焼く。それでも彼は母親を探し続けた。そして見つけた。焼け落ちた家屋の隅で血塗れになった母親が倒れていた。

「お母さん! 大丈夫!? 今、助けるからね! そこでまってて!」


駆け寄ろうとしたフブキに、母親はか細い声で叫んだ。


「来ないで! あなたはもう、私の大切な息子じゃない! 早く、ここから出てけ!」


その言葉はフブキの心臓を鋭利な刃で突き刺した。あんなにも優しかった母親が、なぜ? なぜ、自分を拒絶するのか? 理解できなかった。絶望と悲しみが彼の全身を凍りつかせた。


「……お母さん。そんな酷いこと、言わないでよ……僕は、あなたの息子だよ……」


「いいから! 早く行きなさい! 二度と、私の前に現れないで! お前のような忌み子は!」


母親の言葉は、鋭利な棘となってフブキの魂を抉った。涙が溢れひどい顔になり視界が歪む。それでも彼は母親の言葉に従うしかなかった。


背を向け焼け落ちる村を後にするフブキの耳に、かすれた声が届いた。


『これでいいのよ……これが私の最善だから……』


そして母親の意識は途絶えた。


こんなにも悲しく、残酷な物語がこの世にあるのか? そう君は思ったろう?


ハハハッ、ハズレさ。


…………そう、これは全て君の話。未来、星のテレポーターと呼ばれる男、シハラ フブキのお話だ。







 焼けるような湿った空気が肺を締め付け、腐敗した悪臭が鼻をさす。全身の細胞が悲鳴を上げるような悪臭に咳き込んだ。


喉が張り付くような恐怖。漆黒の闇の奥底に、何が潜んでいるのか想像もできない。身を起こそうとした瞬間、視界の端にうごめく影が群れを成しているのが見えた。鋭利な爪を剥き出しにした異形の獣、ただれた皮膚から緑色の粘液を滴らせる人型。飢餓に歪んだ無数の瞳が、獲物を定めるように俺を射抜く。心臓が悲鳴を上げ、全身の血液が瞬時に凍り付いたように感じた。


「ここはどこなんだよ……俺は……」

フブキは母親を亡くした反動で記憶が無くなっていた。

悲鳴は凍りついた喉の奥で押し殺された。逃げなければ。本能が警鐘を鳴らすが、恐怖に絡め取られた足はまるで地面に縫い付けられたように微動だにしない。ガクガクと震える足を両手で押さえつけ、僅かに開けた岩陰へと這うように身を隠した。


だが、蠢く怪物の群れの中、異様なほど巨大な獣型の影が鋭い鉤爪を剥き出しにして獲物を定めるようにこちらへ迫ってくる。そいつの巨体が引き起こす強烈な風圧が肌をビリビリと震わせ、呼吸すら困難にする。


心臓の鼓動は激しく脈打ち全身に絶望的な苦痛が奔る。


獣型の怪物は、巨大な爪を無慈悲に岩に突き立て鼓膜を破るような甲高い咆哮を上げた。呼応するように、他の異形たちも、俺の隠れる岩陰へと、粘着質な足音を立てながらじりじりと迫ってくる。


ここの空気は、鉛のように重く淀んでいた。鼻腔を焦がす腐臭とまとわりつくような湿気が容赦なく体力を奪っていく。足元は、黒い粘土のようにぬかるみ、奇妙な発光性の植物が不気味な緑色の影を落としている。視界のどこを切り取っても死と絶望の色しか見当たらない。


俺は、恐怖で制御不能な足の震えを止めるため、奥歯を強く噛み締めた。生き延びるためにはこれくらいの痛みなど取るに足りない。口内に鉄錆の味が広がるがその痛みによって、かろうじて足の震えは収まった。舌の付け根から滲んだ血を唾液と共に静かに吐き出し、音を立てないよう、一歩、また一歩と慎重に足を進めた。


まるで獲物を狩る飢えた獣のように、身を低く屈め息を潜めて移動する。時折風に乗って運ばれてくる異形たちの粘液質な唸り声が全身の神経を鋭く逆撫でる。





 出口など、最初からあるはずなどないと分かっていた。それでもこの悪夢のような場所から逃れたいという本能が、焼け付くような焦燥感となって全身を突き動かす。慎重にまるで獲物を狙う獣のように周囲を探りながら、一歩また一歩と足を進めた。


湿った空気と淀んだ闇の中で、時間の感覚は麻痺していた。探索を続けるうちに容赦なく飢餓が牙を剥き始める。乾ききった喉は砂漠のようにひび割れ、かすかな希望すら飲み込んでいく。ましてや口にできるような温かいものなど、この世界には存在しないのだと絶望する。


食べるもの……。


すると一匹の小さな影を呼び起こした。ネズミ……か。


岩陰に身を潜め息を殺して周囲を窺う。あの忌まわしい気配はない。奴らはまだ遠くにいるようだ。今しかない!


全身の筋肉を使いネズミへと飛びかかった。だがネズミは想像以上に素早く、するりと俺の手から逃れてしまう。体勢を崩した俺は背後の岩に激しく体を打ち付け、鈍い音を立ててしまった。


「まずい。音が……!?」


途端、周囲の静寂を切り裂くように乾いた骨が擦れ合うような不気味な音が響き始めた。全身の毛が逆立ち、冷たい悪寒が背筋を這い上がる。心臓が早鐘のように打ち呼吸は熱く、荒くなる。


「どうする、どうする!?」


再び岩陰に身を隠す。震える手で口元を押さえ押し寄せる恐怖に耐えた。


「はぁ、はぁ……来る。化け物が来る……」


わずかな隙間から、岩の向こうの様子を窺う。


「!?!?」


信じられない光景が目に飛び込んできた。化物はすぐそこにいた。いや正確には俺の顔の前にいたのだ。まるで闇の中からヌッと現れたように。その瞬間、奴の淡々と光る野獣の赤い瞳と俺の視線が絡み合った気がした。


「!」


考えるよりも先に体が動いていた。次の岩へそのまた次の岩へと、必死に飛び移る。


直前まで俺が身を隠していた岩が轟音と共に粉々に砕け散った。化物の巨大な爪が俺がいた岩を切り裂く。


「……」


足が竦んで動かない。もし、あと一瞬でも遅れていたら。想像しただけで、全身の血の気が引いていく。


早くどこかへ行け! お願いだ! この悪夢のような場所から、消えてくれ!

その願いが届くはずもなかった。


次の瞬間、背筋が凍り付くような、生々しい音が響いた。「ぐちゅり……」


一体何が起こったのか。恐る恐る、ほんの少しだけ視線を向けると目をそらしたくなるような光景が広がっていた。巨大な化物が、小さなネズミを踏み潰している。鋭利な爪が、まるで花を散らすようにネズミの体を貫き黒々とした血が地面に広がっていく。


喉奥から込み上げてくる吐き気を必死に抑え込む。


しかし、化物たちは音の原因が小さなネズミだったと認識したのか、辺りを数度見回すと興味を失ったように森の奥の深い闇へと姿を消していった。


奴らの気配が完全に消え去った後、俺は震える足を引きずり先ほどの場所へと向かった。


腐臭を放つ黒い毛皮の残骸。原型を留めぬほどに潰れたネズミ……いや、ありえない。こんな腐敗しきった肉片を口にするなど、考えられない。しかし腹の底から湧き上がる飢餓感は、理性という名の壁をやすやすと乗り越えてくる。


葛藤の末、俺は意を決してネズミの死骸に手を伸ばした。震える指先が、ぬめりとした感触を捉える。そして皮膚を破り、小さく肉片を千切り取り再び暗い物陰へと身を潜めた。


……おい正気か? こんなものを口にして、本当に生き延びられるのか? でもここで何も食べなきゃ、飢えて死ぬ。そうだよ他に選択肢はない。


俺は自分に言い聞かせるように覚悟を決めた。震える手でネズミの肉片を鼻に近づける。


今まで嗅いだことのない、腐敗臭と錆び付いた鉄のような金属臭が混ざり合った、強烈な異臭が鼻腔を突き刺す。顔をしかめ反射的に息を止めた。それでも微かに漏れ入る臭いに、胃液が逆流してくるのを感じる。鼻を強引に摘まみ、震える手で意を決して肉片を口へと押し込んだ。


生温かくねっとりとした肉片が舌の上で不快な感触を残し、喉を通って胃へと落ちていく。まるで異物を飲み込んだかのような、鈍い不快感が腹の底に広がる。気持ち悪い……。


本当にこんなことをしてよかったのか? 想像を絶するような食中毒に侵されるかもしれない……。拭いきれない焦燥と恐怖が、喉元を締め付け無意識のうちに爪が首筋を掻きむしっていた。


……くそっ、もう限界なのか。俺はもう……。


疲労困憊の体から、まるで糸が切れた人形のように力が抜け落ちていく。


そう、彼ら怪物の爪には毒が塗られていたのだ。


そして意識が遠のいていくのを抗う術もなく感じた。闇がゆっくりと俺を包み込んでいく……。





 意識を取り戻した時最悪の事態が現実となっていた。ぬるりとした感触と共に粘着質な指先が俺の足首を掴んでいる。視界の隅には、歪んだ笑顔を張り付かせたような異形の人形のような怪物が蠢いている。全身は、緑色の粘液で覆われそれは腐敗した体液と、甘ったるい香料のような吐き気を催す異様な臭いを放っていた。


逃げなければ。思考よりも先に本能が悲鳴を上げる。このままじゃ殺される!


俺は全身の力を振り絞り、人形の怪物の拘束から逃れようと必死に体を捩った。だが、その抵抗は虚しく、怪物の拘束はより一層強まる。次の瞬間怪物は鈍い音と共に、俺の腹部に硬質な拳を叩き込んだ。強烈な衝撃が内臓を揺さぶり堪えきれずに胃の内容物を激しく吐き出した。


泥のように濁った吐瀉物の中には、先ほど無理やり飲み込んだ原型を留めないネズミの死骸が混じっていた。


怪物は、ぐったりとした俺をまるで獲物のように背中に担ぎ上げ、そのまま、光一つ差し込まない、絶対的な暗闇の中へと、ゆっくりと歩き出した。


……このじめじめとした空気と足元の感触……この先に待っているのは巨大な獣の住処だ。


ああ、とうとう、終わる……


ここまで、よくやったと自分を褒めてやりたい。この絶望的な状況で必死に足掻き藻掻き、逃げ回った。

でもこれで、終わりのない苦しみからようやく解放される。もうそれで十分だ……


しかし次の瞬間、世界を揺るがすような、耳をつんざく轟音がこの静寂を支配する死の世界に響き渡った。鼓膜が破れるかのような、耐え難い音に、思わず両手で耳を塞いだ。


俺を担いでいた人形の怪物は、まるで何かに怯えるようにその場で俺を地面に投げ出した。


そして、信じられない光景が広がった。周囲にいた全ての怪物たちが一斉にその轟音の源へと跪き、頭を垂れたのだ。俺は、近づいてくる何か巨大な存在の気配に全身の毛が逆立つような戦慄を覚えた。轟音は次第に大きくなり、その異質な存在は、漆黒の闇の中から、徐々にその輪郭を現し始めた。


……あの巨大な獣? とうとう迎えに来たんだ…………


轟音を立てる存在は、ゆっくりと、しかし確実に、暗闇の中からその姿を露わにした。


俺は、目の前の光景に言葉を完全に失った。そこにいたのは想像していたような怪物ではなかった。全身を覆う深い黒色のローブを纏った小柄な人影。フードの奥は深く、表情を知ることはできないがその華奢なシルエットは、どこか女性を思わせた。


そして、そのローブの影は、音もなく俺へと近づいてくる。フードの奥は依然として暗く表情を読むことはできない。ただ、その身に纏う言葉にできないほどの異質な雰囲気は、周囲の凶暴な怪物たちを絶対的な力で従わせていることを、否応なく示していた。跪き、沈黙する怪物たちの異様な静けさの中で黒いローブを纏ったその存在は、まるでこの世界に君臨する女王のように孤高の威圧感を放っていた。フードの奥は見えずとも、その肌を刺すような異質なオーラは今まで遭遇したどの怪物とも、明らかに異なることを悟らせた。

「#☆#☆! &%$&** * **%$%!★▽★!!」


それはここの怪物たちの間で交わされる共通の言語なのだろうか。俺には、全く理解できない。そのローブの影は、俺の目の前で静かに立ち止まり、フードの奥からじっと俺を見下ろしてきた。その視線には、明確な敵意のようなものは感じられない。むしろ何かを探るようなあるいは珍しいものを見つけたかのような、奇妙な興味の色が宿っているように感じられた。


「……なんだよ」


思わず、乾いた声が漏れたがもちろん言葉が通じるはずもない。そのローブの影は、俺の問いかけには答えず、再び意味不明な言葉を発した。


「&%$! ▽▲▽!!」


そして、背後の暗闇へとゆっくりと体を向け振り返り、まるで導くように静かに手招きをした。


「こっちへ来い」とそう言っているように見えた。

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