オトギ國秘密工作員ヘンゼルとグレーテル ~マッチョ売りの少女を確保せよ~
てすたろう
第1話 ヘンゼルとグレーテル
――――壁が破壊された。
いや、正確には叩き壊されていた。
夜明け前、オトギ國の王都西部の監視塔が崩落した。
魔法の痕跡はなく、火薬の気配もない。
ただ、瓦礫の中央には、巨大な拳のようなものによる破壊痕が残されていた。
事件は即座に記録石の映像としてオトギ國諜報機関に届いた。
映っていたのは、上半身裸の巨漢だった。
筋肉は常識を逸してはち切れんばかりに肥大化している。
男は荒々しい雄叫びを上げて瓦礫を踏み砕きながら暴走を続けていたが、現場に急行したヘンゼルによって、被害拡大を防ぐためやむを得ず処分された。
◯
――――オトギ國諜報機関。
その存在を知る者は王都にどれほどいるだろうか。
それは王都地下に密かに構えられた、影の中の中枢。
存在を口にすることすら禁忌とされ、語られることなく、記録されることもない。
石を積み上げただけの無骨な壁が、外界とのすべてを遮断する。
その静寂の奥、淡い青光に照らされて並ぶのは、魔導式の記録装置と無数の水晶端末たち。
その光景の中央に、三人の影が静かに佇んでいた。
水晶端末より投影されたモニターを前にしているのは、黒の任務服に身を包んだ若き兄妹。
灰がかった黒髪が肩まで垂れ、前髪が目元をわずかに覆い隠している。
鋭さと静けさを併せ持つ薄緑色の瞳にモニターの映像が反射していた。
年若い少年にしては背が高く、それが任務であれば淡々と熟していくその姿から"静かなる刃"と呼ぶ者もいた。
――――コードネーム『ヘンゼル』
その隣には、銀にも近い淡い金髪を短く切り揃えた少女が立っている。
顎のラインでぴたりと止まるボブカット。
知性と冷気を帯びた濃い藍の瞳が、周囲を測るように静かに動く。
理詰めで他人を追い詰めるタイプの皮肉屋だが、その手元は妙に整然としていて几帳面だった。
――――コードネーム『グレーテル』
彼らはオトギ國が秘密裏に抱える異質な"刃"である。
そして、彼らの背後、闇に溶けるようにして立つ男。
身にまとうのは漆黒の外套。
装飾も階級章もなく、ただ一面の黒。
無言のまま腕を組み、わずかに伏せたままの眼差しで、端末の光をじっと見つめている。
彼こそが、オトギ國諜報機関司令官。
その正体は誰も分からない。
探ったら秘密裏に消されるという噂もあった。
「先日の件もそうだが……さすがに多いな、いつにもまして」
記録映像を見つめながら、ヘンゼルがぼそりと呟いた。
それは独り言のようでいて、隣にいる相棒に向けられた言葉でもあった。
その声に応じたのは、隣に立つ少女。
グレーテルは一切の無駄を削ぎ落としたような口調で、淡々と答えた。
「違法マッチョ……。年に数件が通例だったはずだけど、今月だけで十八件。……まだ一週間も経っていないというのに」
言葉は冷静そのもの。
けれどその声音には、ごくわずかに苛立ちが混じっていた。
「本来なら、強化処置には適性検査や段階的な投与が必要ですが、それらをすべて無視して……酵母を無理やり投与しているみたいですね。暴走前提で作られている」
ヘンゼルは小さく息を吐いた。
そこには少しだけ同情が混ざっているような感じがした。
「……使い捨て、ってわけか」
「はい。奴らにとって違法マッチョは“資源”。捨て駒としてしか見ていないのでしょう」
マッチョとは、本来、オトギ國の許可を受けて生成される強化人間の総称だ。
筋繊維の増強処置は法の厳格な管理下に置かれており、マッチョ化に伴っては登録が義務づけられている。
さらに、正規のマッチョは時間が経過すれば筋肉が縮退し、元の人間の姿に戻るよう調整が施されているため、暴走などは起こり得ない。
だが、ここ最近、国の許可を得ていない違法マッチョによる暴走事例が急増していた。
「ところで、グレーテル……この違法マッチョがどこから生まれたのかはもう分かっているのか?」
淡々と問いかけるヘンゼルに、グレーテルは静かに頷いた。
「はい、兄さんが予期していたとおりです。貧民街の行方不明者と、処分された違法マッチョのDNAサンプルの照合結果が一致しました。元は貧民街の人間かと……」
「やはりか……」
ヘンゼルが短く息をついた。
その目に宿る光が、わずかに鋭さを増す。
「えぇ……それから、もう一つ気になる話がありまして」
「聞こう」
「貧民街から攫われた者が王都郊外にある"パン工場に運ばれていったという証言があります」
「パン工場……だと?」
ほんの一瞬、ヘンゼルに動揺が走った。
「見た目はパン工場ですが、中では一体、何が作られているのかといったところでしょうね……。次にこちらの映像を見てください」
グレーテルが端末を指先でなぞると、映像が切り替わった。
映し出されたのは、薄暗い路地裏。
そこにはいかにも裏稼業という風体の男と小柄な赤髪の少女が対面していた。
まるで、何かの取引をしているようである。
「巧妙な隠蔽魔術が施されていて、音声までは取得出来ませんでした。彼女が"違法マッチョ"の売人とされる人物です」
「……まだ、子供じゃねぇか」
「はい、何かの間違いだと思いたいのですが……」
グレーテルの声には、珍しくほんのわずかな迷いが混じっていた。
だが、次の言葉には、静かな確信が乗っていた。
「ですが、先月兄さんが壊滅させた闇組織"アナコンダ"の元構成員の一人を尋問した結果、間違いなく彼女だったと断言しました」
「他には……?」
「複数の目撃証言があります。彼女が例の"パン工場"から出入りしているところを何度も……」
「パン工場を調べないとどうにもってところか……」
その言葉で締めくくられたところで、重みのある低い声が部屋の空気を切り裂いた。
「――――では、一旦、整理をしようか」
ここまで沈黙を貫いていた司令官が口を開く。
「今回の違法マッチョ暴走事件には2つのグループがいる。一つは"違法マッチョを生成した者たち"、もう一つは"違法マッチョを購入し運用した者たち"」
淡々と告げながらも、その瞳には静かな怒気が宿っている。
「どちらも、オトギ國にとって看過できぬ脅威だ。……購入者の追跡については、他の部隊に任せる」
そして、わずかに視線を下ろす。
「君たちには、"違法マッチョを生成した者たち"――――生産側のアジトへの潜入を任せる。……場所は言わずもがな、例のパン工場だな」
グレーテルがおずおずと尋ねた。
「それはつまり……潜入ということでしょうか?」
「そういうことになるな。任務は二つ。一つは違法マッチョの売人──もとい"マッチョ売りの少女"の確保。もう一つは違法マッチョの製造拠点の破壊。……詳細な指示は、後ほど通達する」
「了解しました」
グレーテルが即答し、ヘンゼルは無言のまま一度だけ頷いた。
二人にとって、命令は確認事項に過ぎない。
それがどれほど重いものであろうと、私情は不要だった。
必要なのは、ただ一つ。
任務を完遂するという意志だけだ。
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拙作ではございますが、読んでいただきありがとうございます。
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