当事者
猫柳蝉丸
本編
もちろんこれは幸福についてのお話です。
優しく、温かく、誰もが誰かの幸せを祈っている出来事のお話です。
これからお話しするのは、わたしが今現在体験している幸福についてです。
お時間は取らせませんから、どうかほんの少しだけわたしのお話を聞いていただけますでしょうか。
今から少しだけ昔、あるところで一人の男性と一人の女性が愛し合っていました。
はにかみ屋のごく普通の男性と、柔らかな笑顔が特徴的な女性。二人はごく当たり前に出会い、いつの間にかごく当たり前に愛し合うようになっていました。
それは歳の近い男女のごく当たり前の恋愛でしたが、古い価値観から周囲から否定される恋愛でもありました。
二人の両親はその男女が愛し合っていると知った時、烈火のように憤怒し二人を引き離しました。
愛し合う二の想いが引き裂かれる。悲しいことですが、よくあるお話でもあります。
けれど、引き離されれば引き離されるほど男女が惹かれ合うのも、またよくあるお話ですよね。
男性は女性を深く愛していましたし、女性もまた両親に引き裂かれたくらいで諦めるような弱い心の持ち主ではありませんでした。
男女は当たり前のように両親の目を盗んで逢引し、燃えるような恋を語り、激しく睦み合うようになりました。
そうしていつしか女性は新しい命を身ごもったのです。
妊娠を隠し通すことなんてできるはずもありません。男女の両親はすぐに気付き、お腹の命を中絶するよう言い渡しました。
これは二人のためなのだと。これは危険な妊娠なのだと。お腹の命にとっても不幸なことにしかならないのだと。そう必死に説得して。
もちろん男女が聞き入れるはずがありません。二人はお互いを愛し合う以上にお腹の命を愛してしまっていましたし、誰に何と言われようと諦めない強い心を持っていましたから。
そこからの男女の行動は驚くほど積極的でした。
自分たち二人が結ばれるのを禁じる古い価値観は古い価値観でしかなく、これからの未来には不要なものであること。この妊娠は決して危険な妊娠などではないこと。それは医学的にも証明されていること。
それらを辛抱強く、理論的に、感情的に語り、二人のその熱心さにいつしか両親の心も開かれていくようになったのでした。
二人の想いは両親だけでなく周囲の心も変えていき、男女の恋はいつしか誰からも祝福される幸福な恋愛になっていたのです。
そうして愛し合う二人、理解ある両親、祝福してくれる周囲に囲まれ、娘であるわたしは幸せの中で出産されたのでした。
わたしのお話はこれで終わりです。
ええ、もちろんわたしは幸せです。
愛し合うお父さんとお母さん。
最終的には認めてくれたおじいちゃんとおばあちゃん。
そんなわたしたちを温かく見守ってくれる親戚の方々。
全員が全員、わたしの健やかな成長のために尽力してくれているんです。
これで幸せじゃないなんて言ってしまったら、一体何を幸せと呼べるのでしょうか。
わたしは幸せでいるべきなのです。
だからこそ、わたし自身の赤ちゃんは生涯作ってはいけないと思っているんです。
だってそうでしょう?
一代限りであれば近親交配に危険は無いらしいとは言っても、そうして産まれたわたしの血をわたし以外の誰かに背負わせるわけにはいかないじゃないですか。
万が一にでもわたしの赤ちゃんに不幸な遺伝が伝わってしまったら、この幸せなお話が終わってしまうじゃないですか。優しく温かな人々を悲しませてしまうじゃないですか。
だから、わたしは生涯赤ちゃんを作らず、両親を愛し、祖父母を愛し、周囲を愛し、死ぬまで幸せであり続けようと思っているのです。
これが優しく温かい物語の当事者となった、わたしの幸せについてのお話です。
ご清聴ありがとうございました。
当事者 猫柳蝉丸 @necosemimaru
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます