共通語

様々な場所において共通で使用される言語というものがありますよね。例えば学名を付ける際に使われるラテン語、あとは規模を広げれば英語なんかほら、欧米はもちろんアジア圏まで世界中どこへ行っても見かけたりして。

　ところで、漫画やアニメ等々の文化のことをオタカルチャー、というのでしたっけ。そういったものの愛好家によるコミュニティの一部では母国語が何であれ、コミュニケーションを取るのに日本語が使われていることを知っていましたか？　現在では自動翻訳機能だかの発展でそんなことをする必要はないけれども慣習と言うか暗黙の了解と言いますか、今でも交流するときには日本語をわざわざ使っているそうです。

　というのも私、先述の日本語を使うコミュニティに参加する機会がありまして。

　私自身とある作品の二次創作を主とした作家として活動していたことがあり、細々とですがそれなりの人に見てもらって。合同誌の企画が立ち上がるとよく声をかけていただいたりするくらいには精力的に活動していました。活動はネット上が中心だったのでとても気軽に色んな方と絡むことがありまして、ごく少数ですが中には海外の方からコメントが届くことがあって、内容を翻訳しては一喜一憂を楽しんだりしていましたね。

ある日、特に関わりは無いものの、たまに見かける海外の人から私宛にコミュニティの招待リンクが届きました。今ではすっかり騒がれることもなくなりましたけど、当時はリンクを踏んだ途端に情報を抜きに来るネット犯罪の全盛期だったもので、重箱の隅を突くようですが招待されたコミュニティについてはいちいち調べるようにしていました。

そういった事情もあってコミュニティ名、招待者諸々を調べてみると、特に問題は無し。よくある海外勢を中心とした交流用の掲示板のようでまずは一安心しました。

そしてそのコミュニティ、ひとつ大きな特徴があって、海外勢が中心だというのに日本語の使用がルールの一つに定められていました。「これはいい機会だ」と思いつつも気になったことを参加か辞退かを答える前に聞いてみました。

「招待ありがとう。でもどうして英語じゃなくてわざわざ日本語を使うの？」

　愛好家の中には作品を原語、まぁこの場合では日本語ですね。で鑑賞する好事家がいるという話は聞いたことがあって、これはそういった人たちが立ち上げたものだと思っていました。

『そねふりはむちおけや！　みそらひてふねかやむうちのはこせよわくたれん。もちゅさりねふ！』

　最初は文字化けや向こうの翻訳サイトの不調によって起きたバグだと疑いました。でも何度見返しても、どんなメッセージを送っても変わらずあの何の規則性も無い平仮名の羅列が返ってくるのみで、正直に言えば今までに感じたことのないレベルの恐怖を感じましたね。指向性のある悪意とはまた違った、ひどく抽象的で説明のつかないものを目の当たりにした時のような。

　このことをたまたま私の家に友人が遊びに来た折に相談してみると、その子はいたく興味が湧いたようで件の会話を見せたら大喜びして画面に食い入っていたのです。そしてあろうことかその子、リンクを踏みました。安全だとわかってはいたものの、得体の知れない人から送られたリンクを、他人の端末で。私が思わず叫んだ直後に謝られたけれども時すでに遅し。画面には参加を歓迎するメッセージが続々と送られて来ました。

『そぬやみ！』

『まなちるそぬやみ！』

『そぬやみ』

『そぬやみー』

　といった具合で、おそらく「よろしく」か「ようこそ」と言っているようですが到底そうとは思えない文字列が瞬く間に流れていく様を見て、あのような破綻した返事はけして不具合なんかでは無かったと確信しました。

そこから雑談、創作、考察それぞれの部屋を見て回ってみましたが、どこを見ても子供がその場で適当にあうあう唱えている呪文のような、同一の文字を使いながらも我々の知る所にない文法での談笑を目の当たりにしてはじめて心から「何か悪い冗談であってくれ」と願いましたね。

正気に戻った私はコミュニティからの退出ボタンを押すことも考えつかず、真っ先にモニターの言々を落としました。その後は一足遅れて冷静さを取り戻した友人とただただアニメを流しながら一緒にいました。

当然あのコミュニティはすぐに抜けましたし、これが直接の原因ではないにしろ、もう表立って活動する事もなくなりました。今でもその作品を追いかけているのですがファンの方と交流することは少ないですね。

まだあるのですかね、あのようなコミュニティは。