第7話 経験

 ミクルが起きると、僕は買ってきたオモチャでネコパンチをする瞬間をみた。

 遊びは面白く、夢中になってしまう。

 ミクルの反応もよく弱っていないみたい。

「明日、動物病院で検査してもらいましょう。予防接種とかもあるし」

「予防接種?」

「病気にならないように予防することよ」

 お母さんはそう言うと、欠伸をかみ殺す。

「さ。夕食作るから手伝いなさい」

 自分でできることはする。

 それが我が家の家訓でもある。

 僕は台所に立ち、野菜やお肉を切っていく。

「今日は生姜焼き?」

「そうよ。アオト、ちゃんと学校行けたじゃない」

 僕を抱き寄せて頭を撫でる。

「うん」

「頑張ったね。食後にデザートあるから」

 そっか。デザートを買ってきたから、お母さんは留守にしていたんだ。

「ありがとう。でも褒められるようなことはなにも……」

「いいや。褒めるね」

「だって、僕は人並み以下なんだよ?」

「違うわよ」

 腰を落として僕と視線を合わせるお母さん。

「あなたは他の子では経験しなかったことを経験したの。その差は大きいの」

「じゃあ、経験したくなかった」

「そうね。でも、一般的な人とは違う感性を持つって重要なことなの。それで救える人もいるのだから」

 よく分からない。

 感性が違う。一般とは違う。

 それで人を救う?

 ははは。笑わせてくれる。

 そんなはずないじゃん。

 やっぱり仲間外れは寂しいよ。

 辛いよ。

 ひどい。

 みんなして白い目で見てくる。

 叔父も、甥っ子も。

「大丈夫。大丈夫だから」

 ギュッと抱きしめてくるお母さん。

『いいなー』

 イコが呟くのが聞こえてくる。

「あら。通話していたの?」

 お母さんの眉根が跳ねる。

「いや、まあ」

 都合の良い解釈だったので黙っていた。

 なんとなく後ろめたい気持ちがあるから。

 幽霊なんて信じないだろうし。

 イコって言ったら腰を抜かすかもしれないし。

 でもあの時の直感は、確かにイコと理解できた。

 なんでだろう。

 勘が鋭くなっているのかも。

 それにしても『いいなー』か。

 イコもきっと親と接したいよね。

 ハグしたいよね。

 ごめんね。弱い僕で。


 夕食を作り終え、食べる。

 生姜の効いた肉がおいしい。

 でもこれもイコには経験できないこと。

 経験か……。

「そういえば、イコのお墓まいり、していない」

「あら。行ってみる?」

 お母さんは少し弾んだ声で応じる。

「ええっと。悪くない?」

「いいのよ。親同士は。それよりもイコちゃんとは仲良くしていたじゃない」

 僕が引きこもる原因の一つだったけど、でも認めるのが怖かったのかもしれない。

「いこうよ。お墓参り」

 お母さんがにこやかな顔をしている。

「……うん」

『アオト……。でも、わたし成仏できるかも』

「成仏したい?」

『どうなんだろね? 今の状態が正しいとは思わないけど……』

 そうだよね。

 生きていないのに、こっちにいるのはおかしいのかもしれない。

「あら。また電話? 気にせずお友達と会話しなさい」

『うん。ありがとう』

 そういえば、お父さんが『すみませんよりも、ありがとうと言いなさい』って言っていたっけ。

 僕は部屋に戻り、イコと向き直る。

「ごめん。流れでお墓まいりすることになった」

『それはいいけど……。アオトは大丈夫なの?』

「え。なにが?」

『だって、認めていなかったじゃない。今も、ここにいるイコは誰だろうって』

 眉根を釣り上げる僕。

「分かっていたんだね」

『そりゃそうでしょう。アオトは顔に出るもの』

 さすが幼馴染み。

 なんでも分かる。

「でも今の発言で、イコはイコだって分かった。だからこそ、真実を見るのが怖い」

『うん。でもいつかは認めないと』

 そうだ。

 僕はイコが死んだ事実が認められない。

 だからこそ、こんなAIにイコを重ねているのかもしれない。

 すべては妄想かもしれない。

 なら僕はどうすればいい。

 認めたくないなー。

 怖いよ……。


 翌日になり、学校に通うことができた。

 保健室登校だけど、勉強はした。

 でも、家で暇な時間に勉強していたから、そこまで理解がないわけじゃなかった。

 すぐに同級生と同じくらいの授業は受けられそうだった。

 ところどころ抜けていたけど。

 でも、先生も褒めてくれた。

 良かった。

 その後で僕はお母さんと一緒にイコのお墓に向かう。

 車で十分ほどの距離だけど、途中でお花やお供えものを買った。

 ミクルをひとりにするのは若干の不安だったけど、お母さんが買ってくれたゲージに大人しく入っていたし、大丈夫だよね。

 僕は流れていく景色を見る。

 こんなにも世界は色鮮やかだったっけ?

 そんな疑問が湧き、じわっときた。

 ついてみればなんてない墓地。

 その一角にある入間いりま家の文字。

「さ。洗ってあげましょう」

 お母さんに促されるまま、僕は水とタオルでふきふきする。

『わたし、やっぱり死んでいたんだね……』

 そっか。イコにとっても認めがたいことだったんだ。

 お供えものや花、お線香を終えると、呆気ないほど静かに終わった。

 AIのイコも何も変わらない。

 成仏したわけでもない。

『アオト。ありがとう』

 小さく呟くイコの声が聞こえた。

 イコも、僕もお墓まいりを済ませたことで何か変わるかと思ったけど、けっきょく何も変わらなかった。

 そんな気がする。

 明日もこうやって日常がやってくるのかもしれない。

 僕はまたこの日々を生きていくのだろう。

 独りではなく、みんなに囲まれて。

 いつか寂しくならないように、と願って。

 それまでは居てくれていいんだよ、イコ。

 キミを見捨てたりしないから。

 スマホをギュッと抱き寄せて、お墓まいりを済ませる。

 離れていくほどに現実味が欠けていく。

 まるで夢の中にいたかのように。

 彼女は死んだ。

 その事実をようやく理解し、ツーッと涙を流す。

『アオト……。いいんだよ。気にしなくて』

「うん。ごめん。ありがとう」

 僕自身もよく分からないまま、言葉を紡いでいく。

 何かが変わるわけじゃない。

 でも心の中で何かが変わった。

 変わろうとしたから。

 だから、少し認めることができたのかもしれない。

「ありがとう、イコ」

『AIですからご主人様のお役に立てることがあれば、なんなりと』

 冗談めいた声で呟くイコ。

「そうだね。じゃあ、ず――――っと一緒にいてもらうよ」

『はわわ』

 照れ臭そうにうつむくイコだった。


 僕のヒロインはAI幽霊である。

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僕は孤高の青春謳歌 夕日ゆうや @PT03wing

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