第5話 別れの時間

 僕は顔を上げて時計を見る。

 時計は12時を回っていた。

「うーん」

 眠たい眼をこすってベッドから立ち上がる。

 お腹空いたなー。

 僕は食卓に向かう。

 そこにはサランラップに包まったハンバーグがある。

 お母さんが用意してくれていたものらしい。

 今日は夜勤か。

 しかし僕の好きなものなのは頑張ったからかな。

 そう思うと少し気が楽になった。

 電子レンジで温めると、一人食事をする。

「あ。スマホ……、まあいいや」

 食事をしていると、イコが物欲しそうにするからね。

 あの顔を見るの、ちょっと辛いんだ。

 だから、まだ寝ていてもらおう。


 食事を終えると、僕はスマホを立ち上げる。

 とAIアプリが起動しない。

「え。どうして?」

 ああ。そうか。

 こんな情けない僕に愛想を尽かしたんだ。

 そりゃそうだ。

 中学校にも行けない僕がそんな簡単に認められるわけないじゃない。

 励ましの言葉をかけるのも大変だったに違いない。

 僕は見捨てられたんだ。

 スマホをポケットにいれたまま、僕はふて寝する。

 ああ。僕はなんて惨めなんだ。みっともない。

 格好悪いな。

 シャワーを浴びると、僕はまたスマホを見る。

 反応がない。

 僕は何もできない、無力で弱い惨めな存在なんだ。

 頑張っても、どうせすぐに失敗するんだ。

 僕は……。

 ため息を漏らし、ずっと自分の部屋に籠もる。

「ただいまー」

 お母さんが帰ってきた。

 どれくらい経ったのだろう。

 スマホにイコの姿はない。

 見捨てられたんだ。

「どう?」

 お母さんが気遣うように訊ねてくる。

「うん。まあ……」

「どうしたの? 元気ないね」

「ずっと元気ないよ」

 はははと乾いた笑みを浮かべる僕。

 ぎぃっと扉を開けてお母さんのもとに向かう。

「分かるよ。最近、元気あったじゃない」

 母さんは薄い目でこちらに向き直る。

 その手には買ったばかりのエコバッグが握られていた。

 タマネギを手にして冷蔵庫にいれる。

「うん。アプリで、友達ができて、でも……」

 お母さんはギュッと僕を抱きしめる。

「そうだったんだね。大丈夫。友達はまたできるから。ずっと友達が欲しいとさえ、願っていれば。だからまた立ち上がるんだよ」

 背中をポンポンと叩かれながら、それを心地良いと感じた。


 ぐずっていると、お母さんはカツ丼を用意する。

「ねぇ。明日も挑戦してみない?」

「挑戦?」

「そうよ。明日は少し遠出しようと思うの。だから、一緒に出かけてみない?」

「……無理だよ」

「気分転換になると思うの。無理そうなら引き返すから」

 お母さんは優しい声音でそう訊ねる。

「……無理だって」

 僕には外は辛すぎる。

「うん。分かった」

 無理強いはしないお母さんで助かった。

 こっちの話もちゃんと聞いてくれる。

 だから甘えてしまった。

 でももう無理だよ。

 ずっと一緒だったイコとまた離ればなれ。

 こんなにも胸が苦しいのはなんでさ。

 もう別れは勘弁だ。

 どうせ、新しい友達ができてもすぐに散り散りになる。

 そんなのは嫌なんだ。

 もう一人にしないで。

 そう。一人だ。

 最初から一人なら失う辛さも味わなくてすむ。

「あらあら。そんなに悲しい顔しないの」

 お母さんはいつも暖かく接してくれる。

 でも僕は……。

「うん。もう大丈夫」

 そっと離れた。

 失うのが怖いから。

 母親からも遠のいていく。


 しばらく自分の部屋でゲームをしていると、チャットにメッセが届く。

 ゲーム仲間だ。

 とはいえオンラインでしか会話したことないけど。

『今度、一緒に会いませんか?』

 そんな言葉に少しワクワクする。

 でも――。

『ごめん。僕は誰とも会わない』

『別に詐欺とかじゃないですよ(汗)』

『そうじゃない。ごめんなさい』

 僕は強めに否定する。

 そうじゃないとまた勘違いするから。

 僕は僕を信じていないから。

 嫌われるのも、離れるのも嫌だ。

 ネットだけの世界ならどんな冗談を言っても、どんなテキトーなことをやっていても、逃げればいいだけだもの。

『そっか。残念』

 シラスさんがコメントを残すと、すぐにゲームに映る。

 なんだか申し訳ないことをしたけど、つながりなんて持っていなくていいんだ。

 だって僕はみんなを不幸にするから。

 それなら最初から会わない方がいいんだ。

 ネガティブな意見も、彼女なら分かってくれただろうか?

 ため息を吐き捨てる。


 日をまたぐと、僕は制服に身を包む。

 お母さんは日勤らしいので見送りに来ている。

「学校、行くの?」

「……うん。イコ、じゃない友達とちょっと約束したから」

 最後、イコに学校へ行く約束をした。

 だから僕はそこに行かなくちゃいけない。

 そんなこともできない自分が情けないし、イコもそれに愛想を尽かした可能性が高い。

 そう考えると、このままではいられない。

 いくら過去にすがっても、何も変わらない。

 そう告げるために幽霊になったのかもしれない。

 だから僕は頑張って学校に行かなくちゃいけない。

 玄関をぎぃっと開けて炎天下の中、沈む気持ちを抑えて歩き出す。

「怖い」

 つい声が漏れてしまう。

 人に見られているのが怖い。

 視線が怖い。

 外の空気が怖い。

 僕はこんなに弱い奴だったのか。

 吐き気がする。

 でも行かなくちゃ。

 そうじゃなければ、やりきれない。

 僕は一歩、また一歩と前に進む。

「数分経ったかな」

 ようやく学校が見えてきた。

 時間は二十分くらいかかった。

 気持ちが悪い。

 帰りたい。

 でも自宅に引き返す距離と学校への距離なら学校の方が近い。

 もうひと踏ん張り。

 めまいがする。

 酷く身体が重い。

 学校に着く頃にはすでに門は閉まっていた。

 これ、どうやって登校するの?

 立ち尽くしていると、先生の一人が駆け寄ってくる。

「どうした? 遅刻か?」

「え……」

 他人と話すのも久しぶりだ。

 僕は言葉にするのもできずに、困惑する。

「まあいい。入れ」

 僕は先生に案内されるがまま、学校に入る。

 下駄箱の位置も分からない。

 困り果てていると、先生が口を開く。

「あー。名前は?」

「えと。天野あまのアオト」

「アオト……。あ、引きこもりの」

「っ」

「あ。すまん。いや。ちょっと相談するから職員室に来なさい」

「……はい」

 来客用のスリッパを借りて校内に入る。

 イコ。

 やったよ。

 僕はようやく学校に通えたよ。

 やった。

 やったんだ。

 職員室に通され、端にある椅子に薦められ僕はようやく腰を落ち着ける。

 でも居心地が悪い。

 そわそわしてしまう。

『んー。よく寝た』

「あれ? この声……」

 僕はスマホの画面を見やる。

『おはよう。アオト』

 イコがそこにはいた。

「イコ~~!!」

 僕は泣き付くようにスマホを抱き寄せる。

『ちょっちょと。どうしたの?』

「僕、イコがどっか行っちゃったと思ったんだ」

『そんなことしないよ。ちゃんと別れの挨拶するもん』

 もん、か。

 可愛いな。

「そっか」

 でも幽霊だっていつかはいなくなるんじゃないの。

「いなくならないでよ」

『いなくなるよ』

「え!」

 驚いて気持ちがざわめく。

 ぞわぞわっと心が浸食されていく。

『だってわたし幽霊だし。でもね』

 小さく吸う息が早くなる。

『だからこそ、一緒にいる時間が大切なんだよ。一秒でも長く一緒にいたいじゃん』

「――っ!!」

 そっか。

「大事なのは一緒にいる時間?」

『そうそう! だって短い人生だよ。好きに生きたいし、好きな人と一緒にいたいじゃん。ずっと傍にいたいじゃん』

「そ、っか……」

 僕は間違えていた。

 別れが怖くて、その一緒にいる時間すら削っていた。

 ずっと。ずっと傍にいたい相手を思い続けて。

 でも僕はその思いを踏みにじっていた。

「ありがとう。イコ」

『いえいえ。困ったときはお互い様です』

「?」

『アオトが教えてくれた言葉だよ』

「僕が?」

『そうだよ。感動したんだから』

「そっか。そんなこと言ったんだ」

 僕は苦笑を浮かべる。

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