不道徳

hiromin%2

 市営の図書館に勤務しているS氏は、蔵書を確認している際、向かいの書棚で赤ちゃんがけたたましい声で泣き出すのを見た。

――――ギャー、ギャー

 母親らしき女性は必死に赤ちゃんをあやしている。すると、腰の曲がった一人の老人が彼女に挑みかかった。

「おい! 図書館なのにうるさいじゃないか」

「すみません……」

「せっかく本を読もうとしていたのに、こんなに騒がしいようじゃ無理だよ」

「すみません……」

「ほら、他のお客さんにも迷惑になるから、どっか行ってくれ」

 女性は申し訳なさそうな顔をしました。相変わらず赤ちゃんは泣いています。

――――ギャー、ギャー

 S氏はこの一事を見て、すかさず駆けつけた。女性があまりに不憫だったためだ。

「お客様、他の来館の方のご迷惑になることはお止めください」

 当然老人を注意した。すると、老人はS氏に、女性以上の強い語気で怒鳴り散らした。

「ああ、俺が迷惑だって? この赤子の方がよっぽど迷惑じゃないか! 公共の場でギャーギャーと騒ぎやがる」

「お客様、お気持ちも分かりますが、赤ちゃんは泣くのが仕事なので」

 S氏は老人に怯えながら、必死に抵抗した。

「だったら、この赤子をどこかに預ければいいじゃないか!」

「ほら、お母さんにもいろいろ事情がございますから」

「何が事情だ! 公共の場で個人の好き勝手にさせてよいと思っているのか。全く、モラルが無いのか、最近の若者は」

 モラルが無いのはあなたですよ、と言いかけたがそれを堪えた。

――――ギャー、ギャー

「ああ我慢ならない! これじゃあ集中して本が読めないよ」

「公共の場ですので、ご理解のほど、よろしくお願いします」

「ふざやけがって! ああ分かった。わしは帰るよ。そしてもう二度と来るものか!」

 老人はいきり立ったまま去っていった。思いがけず、老人の方から退いてくれたので、S氏はほっとした。

 女性は老人を見送りながら、小さな声でなぜかクスクスと笑っていた。

「大丈夫でしたか?」

「ええ。何だかすっきりしましたよ」

 どうやら、女性の方も性悪らしい。S氏は自分の勇気ある行動をいささか後悔していた。

「でも、あなたが助けてくれないとどうなっていたか分からないわ。ありがとうね」

 女性はにこやかに笑った。S氏も微笑み返した。すでに赤ちゃんは泣き止んでいて、物も言わずピクリとも動かない……


 女性は満足そうに帰宅した。カーテンを閉め、誰も見ていないことを確認してから、洋服の裏に隠されているスイッチを押した。

――――ギャー、ギャー

 すると赤ちゃんは泣きだした。どうやら本物そっくりのロボットだったらしい。泣き声を聞きながら女性は高笑いし、そして言った。

「これだからやめられないわ。赤ちゃんが泣いていると思って、みんな私をかばうもの」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

不道徳 hiromin%2 @AC112

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る