第2話 和葉との奇妙な出会い

 この「和葉さん」は私の勤める病院に緊急搬送されてきた。海辺に打ち上げられており、低体温症でかなり危なかった。


 しかも、咳がひどかったので感染症疑いもあり、さらに現場は緊迫した。コロナ禍は去ったと世間は言うがまだまだ患者は波があり、ウイルスは無くなった訳ではない。


 しかし、CTスキャンをすると細菌性の肺炎とわかり、さらに別の検査で結核と判明したのでコロナほどの緊迫感は無くなかった。しかし、低体温症と栄養失調と油断ならない状態であった。服装などは奇妙ではあったが若者の貧困問題のケースで結核の治療もできず自殺を図ったように思えた。

 幸い、結核の方が数回の投薬であっけなくそれは回復した。

 とはいえ、栄養失調など衰弱の方がひどかったから二ヶ月は入院していたのだが。

 ついでに肩凝りも重症で睡眠障害にもなってたから眠剤やら弱めの筋弛緩剤を処方する羽目になった。まあ、あの日本髪だと今まで寝づらかったろう。


 むしろ、体調より身元確認の方で警察はもちろん、役所もうちの病院も手こずらせることになった。

 身元を示すものは何も持っていない、発見された時の服装が和装であったこと、警察から名前を聞かれても「井口和葉という名前で何かしていた気がする。本当の名前ははる」と意味不明なことを言い出したからだ。そんな大正時代の女流作家のペンネームと本名を名乗られても嘘としか思えない。

 その他にも奇行が多かった。LEDの明るさに昼と勘違いする。病院食なのに「ご馳走だ」と喜び、ベッドや枕の寝心地の良さにも感動していた。

 そしてテレビを指さして「箱の中に人がいる!」と騒ぎ立てたのだ。現実にこんなことが言う人がいるのか。私が主治医に報告して精神科医の診断も必要と進言したのもこの行動のためだった。


 しかし、記憶は最初こそは衰弱や海に落ちたショックなどで混乱していたのかと思っていたが主張は一貫しており、女流作家と言い張る。生年月日も大正と言う。発見時の服装もあって行き詰まっていた。


 そんな時、妹の遥香が私の病院を訪ねてきた。守秘義務違反ではあるが妹に彼女のことを話すと、お見舞いに来たのだ。表向きは私への差し入れと、患者に医療関係者ではない同年代女性と話せば何か主張が変わると望みをかけたのであった。


 大抵はじっくり聞くと妄想ならブレが出る。しかし、思い出せる話とやら、主張は一貫して女流作家と言い張る。何か変化を付けたくて師長とイレギュラーな相談をした訳だ。


 しかし、事態は悪化した。いや、当人は喜んでいたのだ。自分を知っている人がいたと。遥香は井口和葉のファンだったのだ。話せばボロが出ると思ってたがあてが外れた。

 『あんた、どうすんのよ、拗れたじゃないか』と師長や同僚、精神科医の田上先生達の冷ややかな視線がとても痛かった。


 警察も当然ふざけているのかと思ったようだが、頑として同じ事しか言わないので精神科医の田上先生が様々な検査をして、出た結論は『大正時代の女流作家と記憶障害を起こしているか、女流作家と思い込んでいる精神疾患の身元不明の女性』となった。


 このまま記憶が戻るまでどこかの施設にて自立支援するか、入院して作業療法など治療を行うかと言う流れになった時、妹の遥香が大胆な提案をしてきた。


「姉さんは看護師、私は精神科医ではないけど心理カウンセラーの資格はあります。通院させて日常生活の中で私達がサポートする形で暮らすのはどうでしょうか。私はオンラインカウンセリングで在宅勤務をしてますから、彼女を一人にはさせません。ネットもありますから勉強になる教材もありますし、記憶を取り戻すいろいろ手がかりが見つかるかもしれません」


 警察も役所も病院も面倒だったのか、その提案に乗った。通院しつつ、三人でルームシェアすることになった。というか、事態を拗らせた責任を非公式に取らされた訳だ。クビにならなかっただけマシではある。


 そして、遥香は真面目に提案したように見せていたがファンだから下心が見え見えであった。遥香は和葉と名乗る人物が本人だと信じているし、違っても『それだけ格好も凝っているなら、ガチのファンだから記憶が戻ったら心ゆくまで作品トークできる』とウキウキである。


 私には精神科医の所見どおり妄想を拗らせた人にしか見えないのだが、確かに説明がつかない点もある。発見時の彼女は和装ではあったが、その生地は大正時代や昭和初期のようなあまり品質の良くない木綿、髪型も日本髪で油でガチガチに結っていたから海で濡れていたとはいえ、かなり汚れていて治療前の洗浄にも手こずった。なりきるにもそこまで不衛生になれるのだろうか。

 いや、今は風呂キャンセル界隈なんて言葉ももある。なんでもありだ。

 しかし、結核菌も数回の投薬で治ったということは耐性菌が少なかったということであり、それも不思議だった。運が良かったのかもしれないが、他にも体に寄生虫がいたりと現代人らしからぬ健康状態だったのだ。


 まあ、やはり風呂キャンセル界隈やらセルフネグレクトやら、徹底的な自然派カルト教団信者の成れの果てかもしれない。


 辻褄の合わないことには強引に結論付け、押し付けられるようにルームシェアすることになり、じっくり選ぶ間もなくこの部屋へと引っ越してきたという訳だ。本当にどうしてこうなった。

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