第二話 アンデッドには理解できないこと
ハチジョウ・ユズハは不死の力を20代のときに安定化させたので、見た目はもちろん若いのだが、年齢よりもさらに若く見える。ショートヘアーのせいもあるだろう。中学生だといっても通用する容姿を持ち合わせていた。。
実際に、アンデッドが存在を『宣言』するはるか前、人間にバレないように潜伏していたころ、情報収集任務のために中学校に、学生として通っていたこともある。
だから、いま、こうしてチバ・マクハリの治安維持軍情報部隊本部にあるスタジオで、アオイの活躍を実況している姿は、まるで、推しのライヴに参加してはしゃいでいる、短命種のティーンエイジャーのように見えた。
「きゃー、姫、またターンした。もう、ドレスの裾ひらりで、はしたなぁい」
「ユズハぁ、いま、姫の新しい、キャッチコピー思いついちゃった。『はしたなカッコよく血吹雪のなかを舞う碧い龍』。どうかな、どうかな。チャットで感想聞かせてね」
モニターには、フロアを制圧し、上層へと移動するアオイの姿が映っている。
当初、戦場ライヴは戦いの様子をそのまま流していた。殺される敵の姿なども加工なしだ。ところが世界中から非難されたため、自主規制することになった。いまでは基本、カメラはアオイしか捉えない。さらに
だから、ときどき殺される短命種の映像が流れてしまうことがある。
それでもこの配信は人気がある。
スタジオの後方ではエドガワズカ・アズマが、モニターに映るアオイの様子を見ていた。
(結局のところ短命種は……)エドガワズカは思った。
(我々のことを、現実として受け止めきれないでいるんだ)
アオイが新たな敵と戦っている。
(映画かなにかの世界だと思っている。だから自分たちの仲間が殺されている映像を平気で見ているのだろう)
「これは、使えるな」エドガワズカのつぶやきは誰にも聞こえていなかった。
◇
アオイは目の前に飛び込んできた兵士の眉間をハンドガンで撃った。兵士の後方に出来た射出孔から、いろいろなものが噴き出す。くずおれる兵士。アオイは脇腹にナイフが刺さっていることに気づき、引き抜く。短命種は痛みを感じるそうだが、アンデッドにはそれがない。異物を抜くだけ。ただそれだけ。
ナイフを捨て、顔を上げたアオイの目に、奥から小銃を乱射しながら突っ込んでくる敵たちの姿が映った。
アオイはハンドガンから小銃に持ち替える。徒歩で距離を縮めつつ、敵たちを掃射していく。このような狭い場所で使うには、この小銃は大きい。扱いずらい。
ちょうど弾切れになったタイミングで彼女は銃を捨てた。
見渡す限り死体だらけ。沈黙。このフロアも制圧か。
アオイはハンドガンのリロードを行い、次に備えた。
そのとき
「雑魚の相手するのが、うざったくなってきたか? ルイノ・アオイ」
館内放送用のスピーカーだ。女の声だった。
「そろそろ、私が相手をする頃合いかな? まぁ、その前にちょっとめんどくさい目にあってもらおうか」
ボッ、という音。非現実的な音じゃなかった。よく聞く音、そうだ着火音だ。
右に動きを感じ、首を向けたと同時に、火の帯が襲ってきた。アオイは伏せた。
火炎放射器。操っている兵士の足が見える。廊下の端だ。距離は十メートル以内。ハンドガンで足を撃った。影響なし。外したか?
再度発砲しようとしたとき、再び火が襲ってきた。放出される火は細い。室内用に造られたものなのか? アオイは室内用の火炎放射器なんて聞いたことがなかった。
火はアオイを狙ったものではなく、そこかしこに転がる遺体に向けられていた。遺体に火が着き、さらに別の遺体へと、燃え広がっていく。
瞬く間に、アオイの前方に火の壁が出来た。スプリンクラーは作動しない。廃棄された建物なのだから、当然か。
アオイは後ずさりする。火を超えて前方に進むことも出来るが、勢いが強くなってきている。火傷が面倒だ。程度にもよるが、再生に時間がかかる場合が多い。
背中が壁にぶつかった。
(行き止まりか。追い詰められたというわけね)
火の壁の向こう側から、敵が掃射してきた。アオイは伏せて回避する。
炎は、より猛々しく、厚く変化している。遺体のみならず壁も燃え、黒い煙がこちらまで広がってくる。
匂いで、トキシック弾の識別が困難になってきている。
身体に着弾させるのは、危険だ。
アオイは応戦しようと、伏せた状態でハンドガンを構えるが、思いとどまった。
意味がない。当てる確率はかなり低い。
小銃を放棄したのはミスだったと、アオイは実感する。
やはりここは強行突破するべきだろうかと、逡巡するアオイの目に、消化器が飛び込んできた。壁のすみに設置してある。
消火液をまきながらであれば、炎からの影響を最小限に抑えられるかもしれない。そう判断したアオイは消化器を引き寄せると、炎の壁まで、赤い筒を引きずりながら、這っていった。
敵からの掃射は、ない。
ゆっくりと立ち上がる。シールド代わりに本体を抱えると、ホースを伸ばし、レバーを引く。
「?」
消化器は沈黙したままだ。
ピンを抜く必要があることに思い至り、目線を落としてピンを確認し、引き抜く。
この動作が隙を作った。
炎の壁が揺らめき、瞬間、すきまができた。
すきまの向こう側に、敵の顔があった。
女だ。
視線を戻したアオイと彼女の目が合う。
極めて近い距離。
女の唇が、荒れているのがはっきりと見えた。
女のほうが反応が速かった。小銃を腰だめにしてトリガーを引く。
よけきれなかったアオイは、消火器本体で弾丸を受けた。
ポン。
金属の筒が破裂したにしては、地味な音がした。
破裂の勢いで、アオイは、もんどり打って壁まで後退し、床に座り込んでしまった。
視界がひどい。
消化器から放出された白い粉末があたりに充満している。火の壁と、敵の女の姿が全く見えない。
アオイは立ち上がると、ハンドガンを撃った。2発。銃声が去った後は、沈黙が支配する。
敵は?
アオイは、伸ばしていた腕を曲げ、銃を胸のあたりでキープさせて、慎重に火の壁があったであろう位置まで進んでいく。
わずかだが視界が戻ってきた。
火は完全には消えてはいないものの、脅威ではなくなっていた。
火の壁を越えたアオイは、敵を発見し、腕を伸ばし、体制を整えた。
だが、発砲しない。
空気中に漂う粉末のベール越しに見た敵はしっかりと立っていたが、身体の数カ所に、消火器の破片が刺さり、血まみれだった。
この状態では戦闘能力はゼロに近い。無効化したといっていいだろう。
「勝って、うれしいか、ヒトデナシ」
女が言った。ヒトデナシとは短命種が使うアンデッドの蔑称だ。
「まったくうれしくない」とアオイ。
「そうか、まあいい」
女は手榴弾を取り出すと、ピンを抜いた。
「私は……どうだろう。死ねば、あの世にいる夫に会えると思うから、まあ、うれしいかな」
女が近づいてくる。
「わたしはうれしくない。お前が死んで、それが私の勝ちになる、という考えは…」
手榴弾が爆発した。
爆風はたいしたことはなかったが、四散した破片が鋭い。アオイの身体はズタズタになってしまった。
◇◇
アンデッドは文字通り、死なない。極端な例ではあるが、ミンチ状になっても生きている。ただ再生に時間がかかるだけだ。短命種はアンデッドと戦うにあたって、この特性を利用した。殺すことは出来ないが、再生に時間がかかるようなダメージを与え、戦闘力をマイナスする。トキシック弾はこの戦法を進化させたものだといえる。
アンデッドも対処法を考案した。
アンデッドにしか扱えず、アンデッドにしか効果がない素材がある。『龍の鱗』という名称だ。リアルに龍の鱗なのかは、不明だ。短命種を欺くために、わざとそのように呼んでいるだけかもしれない。
『龍の鱗』は、短命種にとっての『食物、運動、眠り、薬品、瞑想、運動』が統合されたようなものだという。
アンデッドは、極端なダメージから少しでも速く再生できるように『龍の鱗』を主原料として
不死統治機構 治安維持軍はすべての兵士に戦闘時におけるブースターの装着を義務づけている。
◇◇
アオイはブースターを下着に擬態させて、装着している。
「ブースター起動」指示を音声入力する。
身体が熱くなってくる。手榴弾の破片による破損が再生されていることが、アオイには自覚できた。
アオイは通路に仰向けで横になっていた。敵の動きがまったく覚知できない。
アオイには理解できないことが、起きた。
あの、女はなぜ手榴弾を使ったのだろう。
消化器の破片が、あれだけ刺さっていたのだから、いずれ死ぬ。それぐらいのことはあの短命種にも分かっていたはずだ。では、なぜ手榴弾を爆発させたのか?
(苦しかったから、早く楽になりたかった、とか?)
短命種は、そういう行動をとることがある。
(あるいは、私を道連れにしようとしたとか?)
これも短命種がよく使う方法の一つである。
だけど……。とアオイは考える。
自分を犠牲にして、敵を屠るという戦い方は、短命種同士なら効果があるのかもしれないが、アンデッドには有効ではない。現に、アオイはまだ戦える状態だ。
やはり、あの女がなぜ、このようなことをしたのかが、理解できない。
気がつくと、身体が元の状態に戻っていた。ブースターが作動しているときの、身体がぽかぽかと暖かくなる副作用が消えている。
アオイは立ち上がった。
再生完了。こころなしか、身体が軽くなったような気もする。
彼女は、女に近づいていった。
死んでいる。
まぁ、当然か。とアオイは思いながら、敵の状態を観察した。
手榴弾、消化器の破片を浴びていたため、死体の状態はあまり良くなかった。もしまだ意識があるのなら、なぜ手榴弾を使ったのか、直接聞いてみたかったのだが…。
アオイは残念に思った。
「さぁ、これで……」
また、館内放送だ。聞こえてきた女の声が、先ほどよりもうれしそうだ、とアオイは思った。
「お前の敵は、私ひとりになった。上の階に、私はいるから、あがって来な」
アオイは廊下を進んだ。反対側の突き当たりに達すると、階段があった。
昇る。警戒はしなかった。ハンドガンを手にしてはいるが、構えない。
上がってこい、と言っていたのだから、待ち伏せなどしないだろう。
アオイが到着したフロアは、これまでのものとは趣が違った。階段室から出ると、そこは広いエレベーターホールになっていた。。三基のエレベーターが並んだ反対側には、ガラス張りのドアがある。向かって右側の壁には、黒文字で会社名が書かれたシルバーのプレートがはめ込んである。
ガラスドアの内側には受付と思われるカウンターが設置されており、いま、その前に女が立っていた。
女は細身のトラウザーに、濃い緑色のジャケットを着ていた。どちらもミリタリー風のスタイルだが、『限りある命の叫び』の兵士が着用しているものではない。正式に支給されたものではないのだろう。
女の年齢は二十代後半から、三十代。痩せていて、顎や鼻が鋭利な刃物を連想させる。長い黒髪を結んでいる。ポニーテールというスタイルだ。目つきが鋭い。だが、目の奥の光は穏やかだった。
アオイがドアの前に立つと、自動的に開いた。
(すごいな。ちゃんと動いた)とアオイは場違いな感動をおぼえたが、言葉にはしなかった。
女の前に立つ。距離は三メートル弱。
「ルイノ・アオイ。イメージしてたよりも小柄だね」
女は武装していなかった。正確にいうと小銃やハンドガンを装備していない。ナイフを入れたケースがベルトに装着されている。
「あんた、誰?」
アオイの問いかけに、女はにやりと笑う。
「『アンデッドに夫を殺された未亡人たち』の代表さ。名前は教えてやらない」
女が懐に手を入れる。アオイが銃を女の眉間に向けた。
「タバコだよ」懐から出した手にはタバコの箱が握られていた。
「アンタたちは死なないんだから時間はたっぷりあるだろ。なのに、どうして、そう事を急ぐのさ」
女が箱を差し出す。
「吸うかい?」
アオイは好奇心に駆られて、一本抜き取った。
「タバコは、吸ったことがない」
「人間にとっては身体に悪いといわれているが、アンデッドさんにとってはどうなんだろうね…。火は? もってないだろうな」
女はタバコの箱からライターを取り出すと、アオイにタバコをくわえるようにとジェスチャーで伝えて、ライターで火をつけてくれようとした。
アオイは、戦闘以外で短命種にここまで近づいたことがなく、さらにタバコに火をつけてもらうなどという経験は初めてのため、緊張した。
女はアオイの心情を察したのか、
「アンデッドってのは意外と間抜けだな。いいかい、タバコは吸わないと火がつかないんだ。もう一度火を近づけるから、吸うんだよ」
アオイは言われたとおりにした。途端に口内にタバコの煙が侵入してきた。むせはしなかったが、なんというか、あまり美味しいものではないな、と彼女は思った。
女は自分のタバコにも火をつけて、深々と吸い、そしてゆっくりと吐き出した。驚くことに、煙がアオイを直撃しないように、顔を横に向けるという配慮まで見せた。
「さてと、私が『アンデッドに夫を殺された未亡人たち』の代表だということは教えたね。『限りある命の叫び』の正規軍ではないんだよ、私たちは。なんというか協力関係にあるんだ。あんた、未亡人という言葉は分かるかい?」
女の問いに、アオイは「パートナーを喪失した、短命種の女のこと」と回答した。
アオイの言葉を聞いて女は「基本はその通りだ」と、頷いた。
「私たちは、アンデッドに夫を殺された妻なんだよ。夫だけではなく、家族を殺された者もいた。火炎放射器を使ったあの兵士は、夫と息子を殺されたんだ」
女は紫煙を吐きながら、続けた。
「つまり、アンデッドに復讐を誓った者たち。その集まりというわけ」
「そうか」としか、アオイには答えようがなかった。
「私は夫を殺されたよ。愛した男の首が切り落とされる。その光景を目の前で見た。それがどれほどのものであるか、アンデッドには分からないだろう」
女はナイフを引き抜いた。
「これは夫の形見なんだ。形見って分かるかい?」
「死んだものから譲り受けた品」
「その通り。これを使って、アンデッドと戦う。殺すことはできないが、すこしでもダメージを与える。それが夫の恨みを晴らすということなんだ」
「それに何の意味があるっていうの」
アオイが疑問を口にした。
「お前のパートナーは死んでしまった。仮にの話だけど、アンデッドを、その『形見』で、再生しても意味がないほどバラバラの状態に切り刻むことができたとしても、それでパートナーが戻ってくるっていうの?。こないじゃん」
ハハッと女が短く笑った。アンデッドを嘲る笑いともとれるし、アオイが言ったことが図星であり、それでも私たちはやらなければならないんだという自嘲のこもった笑いともとれる笑顔だった。
「愛する者を失った悲しみをずっと背負って生きていく辛さをヒドデナシが理解することは、ムリなんだな、きっと」
ここは戦いの場だ。アオイはビルに侵入して、ここまでのあいだに、大勢の短命種を殺した。なので、この女も、この場で殺すべきなのだ。こんな風にタバコを吸いながら、会話をする必要などまったくない。だが、アオイにはできなかった。できない、というよりも、この女の話を最後まで聞いてみたいと思っていた。興味がある。この気持ちを表すために、短命種がよく使う言葉があったはず……。
そうだ、好奇心だ。
アオイはいま、強烈な好奇心に包み込まれていることを感じていた。
◇◇
ユズハはエドガワズカ・アズマをチラリと見た。
エドガワズカは壁により掛かって、腕を組んでいる。無表情だった。
ユズハが彼女の様子を窺うのは、これで3回目だ。
「なんだ、ユズハ?」
ユズハは焦った。チラ見していたのがバレたからではない。エドガワズカはとっくに気づいていただろう。突然話しかけられたから、焦ったのだ。
「へっ?」
「へっ、じゃないよ。私に何かいいたいことがあるのか?」
「あの、この状態いつまで続くのですか?」
現在、視聴者には、アオイの戦闘の様子を見せていない。プロモーション映像や、アンデッドについてのソフトなプロパガンダ・ショート・ムービーに切り替えている。
これはエドガワズカの指示で、消化器が破裂したあたりから、ずっとこの状態が続いていた。
「視聴者の数が、減ってきてる」
放送開始時で視聴者数を表すカウンターは七万を超えていた。現在四万七千。
もちろんドローンは問題なく映像を送ってきている。いまも正面のモニターの一つに、アオイと敵の女が会話している様子が、すこし引いたサイズで映し出されている。ドローンは全部で3台使用しているが、アオイが室内に入ってからは、1台のみでフォローしていた。狭いからだ。
「うーん。今回は…」とエドガワズカ。
「敵のキャラが、濃いなぁ。なにせ『アンデッドに夫を殺された未亡人たち』だからな」
「アオイちゃんもちょっと疲れているのかなあ」
「アンデッドがバテてどうすんだ」
と受け流しておいて、エドガワズカは(ちがうんだよ)と思った。
(さっきの火炎放射器の女と言い、この「代表」といい、アオイに問いかけしやがる。意図が読めない)
心理戦なのか、とも思うのだが。
エドガワズカはモニターに視線を移した。
代表と名乗った女と、アオイがタバコを吸っている映像。
ダベってやがる、とエドガワズカ・アズマは急に腹が立ってきた。
敵の女にではなく、アオイにである。
(もっと、こう、なんというか活躍してほしいんだけどな)
「この映像、ほのぼのとしていますよね」とユズハ。
「なんか、短命種と仲良しって感じで」
「いずれ来る共存の時代で使えそうな映像だな」とエドガワズカも同意する。
「でも、飽きたな。もういいだろうに」
◇◇
さて、と『アンデッドに夫を殺された未亡人たち』の代表が話を切り出す。
「そろそろ、タバコも終わるころだし。戦いを始めるとするか」
代表の言うとおり。アオイのタバコも短くなってきた。
もう二度とタバコを吸うことはないだろう、と思いながら、アオイはうなずく。
「観客を楽しませてやらないとな」代表がドローンを指さした。
(そういえば中継してたんだ。忘れてた)とアオイが、めんどくさいことを思い出したそのとき……。
代表がナイフでアオイの脇腹を刺した。
アオイはタバコを床にはじくと、『かんざし』をぬき、敵の喉を薙ぐ。だが紙一重でかわされた。
代表はタバコを持ったままで、後ろに身を引く。
アオイの脇腹のキズは数秒で、再生。元の状態に戻った。
「面白いねぇ、それ」
代表が言っているのは、『かんざし』のことだ。再生したキズのことではない。
これを『かんざし』と呼ぶのが適切かどうか定かではないが、アオイは戦闘時に髪が邪魔にならないようにまとめ、そこにヘアピンをさしている。ヘアピンというイメージからはほど遠い大きさで、長さは代表が構えているナイフとほぼ同等、あるいは一回りほど大きいかもしれない。幅もある。形状は矢の先端に似ていた。
色はアオイのドレスと同じブルーだが、もちろんアクセサリーとして装着しているわけではない。
返事の代わりにアオイは突いた。これもかわされる。さらに代表はナイフを薙ぎ、『かんざし』を払い落とそうとする。アオイはこれを刃で受け止める。
金属音が響く。
代表は片手にタバコを持ったままだ。もうほとんどフィルター部分しか残っていないような状態だった。
代表は、体勢を崩さず、タバコを口にすると一口吸い、床に投げ捨てた。
ナイフの切っ先をアオイに向け、踏み込んでくる。
対するアオイは『かんざし』を左右に薙ぎ、防ぐ。
◇◇
ナイフによる格闘が始まった時点で、中継映像にもどした。
ただし、音声はすべて消している。
「アオイちゃん。いまは防ぐのに一生懸命だけど、ああやって、これからどうするか考えているのかもしれない。みんな応援コメントよろしくね」
実況を続けるユズハの様子を後ろで見ながら、
(しかし、
「後続の指揮官に話はできるかい?」エドガワズカは
TDは何か操作した後、頷いた。
「エドガワズカだ。お前たち、いま、上でアオイと敵が戦っているから、すぐに移動して、適当なタイミングで、そいつを殺せ」
指揮官から、適当なタイミングとは? と質問があった。
「任せる。通信切るよ」
エドガワズカはモニターに視線を戻した。アオイと敵が戦っている。相変わらずアオイは押され気味に見えた。
(これ『優位性の視覚化』になってないよ)彼女はため息をついた。
◇◇
アオイは戦法を変えた。このままではらちがあかない。
敵の顔を狙った突きに変じた。まっすぐ女の眉間を狙う。
アオイの動きの変化に、代表の突きが乱れる。
隙ができた。
アオイの突きが、代表の頬を直撃する。深々と刺さっていく感触。
アオイは刺さったままの『かんざし』を右に払う。肉が切れ、出血する。
顔面の半分を血でぬらし、代表はさらに突きを入れてくる。アオイはそれを右の二の腕で受け止める。ナイフはアオイの二の腕を貫通するが、それがどうした、痛くもかゆくもない。
ナイフが貫通したままで、腕を振り回した。敵は柄をしっかりとつかんだまま、離さない。
アオイは無防備となった、敵の喉を深々と薙いだ。
血は噴き出しはしなかった。一文字に開かれた切り口から血の帯が、敵のほっそりとした喉の線を、なぞるように流れ出した。
さらに敵のみぞおちのあたりに『かんざし』を突き立てると、そのまま持ち上げ、後ろに放り投げた。
『アンデッドに夫を殺された未亡人たち』の代表は、ガラスを突き破って、エレベーターホールまで投げ出された。
近づいて見下ろすと、まだ息がある。
「わたし、妊娠しているんだよ」
微笑みながら、代表は言葉を続ける。
「目立たないけどね。この中には赤ん坊がいるんだ」
女の喉がゴボゴボと鳴った。
「どうだい、触ってみるかい?」
女は自分の腹を撫でている。
短命種は不思議だ、とアオイは思った。身体の中に生き物が入り込む。
触ってみよう、と彼女は思った。この女はもう無力化できた、警戒する必要なないだろう。
アオイはかがむと、女の腹を撫でた。
正直よく分からない。もうすこし中で育たないと、触っても分からないのだろうか?
女が口を開いた。
「妊娠してるっていったよね?」
アオイが女の目を見た。
女が笑って、付け加える。
「嘘だ」
女が懐から小型の拳銃を取り出し、アオイの顔を狙った。
(この匂い、トキシック!?)
アオイが銃口を手で覆うのと、女がトリガーを絞るのと、同時だった。
アオイの右手が粉砕する。即座に反応があらわれた。膨張し、ズブズブと蠢き始める。右手の感覚がまったくなくなった。
女がゲラゲラと笑っている。
とどめをさしてやりたいが、その前にやらなければならないことがある。
すでに膨張は二の腕の半分の位置まで進行している。アオイは自分の腕を切り落とした。
「アオイ!」
後続の連中が駆けつけてきた。何人かが床に倒れている女を掃射する。
アオイはその喧噪から逃れるように、壁ぎわに向かう。
右手を見る。二の腕の三分の一から先が無い。
床に落ちている腕の残骸。もう手の形をしていない。膨張して別物に変わっている。なんかの料理みたいだ、とアオイは思った。
響いていた銃声がいつの間にか止まっていた。
アオイは代表に歩み寄った。
床に横たわっている彼女は、思っていたよりも損傷が少ない。聞きたいことがあったのだが、さすがに絶命している。
「右手がなくなった」とアオイがつぶやく。
「大丈夫だよ。処置が早かったから、再生するだろ」
とドレッドヘアが気遣ってくれた。
「でも、こいつ、トキシックを装てんしたまま、隠し持ってたんだ、拳銃を」アオイは死体に目を向けたまま言った。
「時間が経っても劣化しないトキシックなんてあるの?」
「さぁ。新型かなにかなんじゃないのか?」と指揮官が答える。
アオイはもう一度自分の右手を見た。
「まぁ、たいしたことじゃないけどね」
◇◇
治安維持軍情報部隊本部のスタジオでは、ハチジョウ・ユズハが泣きそうな声で、エドガワズカ・アズマに訴えていた。
「……アオイちゃん、やられちゃった」
対してエドガワズカは冷静だった。
「アンデッドが、欠損するなど、よくあることだろう」
「でも、いまの、配信されちゃいましたよ」
「構うものか、事実だし。アオイには気の毒だが、まぁ、こういうこともある」
エドガワズカはTDに、映像を切り替え、配信終了のテロップを流すよう指示した。
「多少は、短命種にも花をもたせてやらないと」
「そんな言い方って……」
ユズハは不快に思ったらしい。
「そうか、ちょっと酷かったかもな……」
エドガワズカ・アズマは寂しそうに微笑んだ。それは彼女がめったに見せない表情だった。
◇◇
避難施設の食堂で、配信を見終わったものたちの反応は様々だった。
ほとんどがルイノ・アオイのファンなので、圧倒的に彼女に同情する声が多かった。
「たぶん、再生するだろうさ」
「もし、右手が無くなっても、アオイちゃんの強さは変わらない」
「知ってるか? アンデッドには利き手ってものがないんだぜ」
「今回って、ある意味、神回じゃね」
ナンバ・ハルキは信じていた。
(大丈夫さ、オレの嫁。いや、アオイはこの程度で、どうこうなる
ハルキはこの考えが気に入ってしまった。
(オレが彼女の右手になる、ってか、かっこいいなオレ)
気分が良くなったハルキは、一服しようとポケットを探る。そういえばタバコをもってくるのを忘れた。まぁ、いいか。どっちにしろ食堂は禁煙だ。
◇◇
「やったぜ、アンデッドの腕を潰した」
メガネが叫ぶ。
彼の肩越しに、モニターを見ていた親父が、シッとメガネを諭す。
「みんなが起きるぞ」ひくく注意を促す親父に、
「だって、アンデッドを負かしたんですよ。むしろみんなにも見てもらいたいもんですよ」
(アンデッドを負かした?)
銃の手入れを続けていたカズマは興味を引かれる。
銃と道具を床に置くと、二人の側に駆け寄った。
のぞき込んだモニターには「配信終了」のテロップが映っていた。
「アンデッドを殺したんですか?」と親父に問う。
「さすがになぁ、それは。トキシックでアンデッドの腕を撃ったんだ」と応えた親父は、以外に冷めた反応だった。
「すぐに切り落としていたから、再生しちまうけどな」
「アンデッドに怪我を負わせたということが重要なんです」とメガネ。親父とは対照的にエキサイトしている。
「今の映像は我々に希望を与える、そう思いませんか?」
「全員が見ていたわけでは無いだろう。それに……」
親父はカズマの肩をたたいた。
「カズマは、トキシックなしで、アンデッドの頭をぶっ潰したことがある。ショットガンで、一般市民を装って近づいて、ズドン、さ」
「まぁね」とカズマ。
「なんだよ。もっと胸を張れよ。アレは見事だったぜ」
カズマにはどうでもいいことだった。それより、あのなんとかっていうアイドル気取りのヒトデナシが、痛手を負ったというのであれば、ざまあみろだ。
そして、アイツの手が再生しないようにと、願うカズマだった。
(第三話に続く)
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