第3話 JC22 八王子

   JC22 八王子 


「のざる、だよ。のざる、まっすぐ行けば着くよ」

 JR八王子駅西側近くになって、ここなとのっちゃんは踏切を北側にわたり、ダンススタジオを目当てに、野猿やえん街道を北上する。

「最近、片腕が動かないさるが、都心に出たよ」

「あ、知ってる知ってる。どっか行っちゃったよね」

 ここなはのっちゃんの心情が心配で、そっと顔色をうかがってみる。あんまり、ものごとを、くちゃくちゃと考えないのかな。のっちゃんの切り替えの早さに、ここなは助けられた気分になった。

「ここなの生き別れたおとうさんと、おかあさんってさ」

「生き別れてないよ。練馬にいるよ」

「あ、うん。その、練馬に住んでる生き別れたおとうさんと、おかあさんって…」

 右手でパタパタと、ほほを扇ぐしぐさをしながら、のっちゃんは意外なことを尋ねてきた。

「『ホテル野猿やえん』って、行ったことある?」

 ドン引きしたここなをおもしろがるように、

「うちの両親は、行ったこと、あるらしい!」

と、のっちゃんは言った。それからふたりは顔を見合わせ、どう収拾してよいかわからないといった態で、とりあえず「あはは」と笑った。汗が、ダアーッと吹き出した。

「おとうさんがうっかり口を滑らせてさ。おかあさんが、うっ、うん、とか咳払いするから、おとうさん、ごまかしてたけど、あれは絶対に行ったことあるよ」

 あーあっ、と、のっちゃんは声をあげた。

「あたしも、行ってみたかったなぁ」

 確かめていないから、ここなはよく知らなかったけれど、のっちゃんが言うには、八王子で超有名だったラブホテルの「ホテル野猿」は、閉館したらしかった。

 二十年ほど前に、とうに名称を変えていたというホテル野猿の看板は、「猿」の字の右下の払いが、しっぽのデザインになっていた。「ごく一部」の八王子市民にとってその看板は、和製英語で表現される、「ソウルラブホ看板」だったらしい。「ソウル」とは思わないまでも、今でも多くの人が、「ホテル野猿」を、懐かしく記憶にとどめているという。

「そのソウルさってさ、今はインプラントの看板に、引き継がれてるよね~」

「あ。一部ね。あくまでも一部の人たちにね」

 そういってふたりはまた、申し合わせたように、笑った。


 西放射線ユーロードを越した先の交差点を右折して少し歩くと、のっちゃんが予約を入れておいてくれたダンススタジオに到着する。

 できたばかりのスタジオのようで、低価格帯に設定されている部屋もある。高校二年生のふたりとっては、ありがたい存在のスタジオだった。のっちゃんは受付で名前を告げ、料金を支払っている。

「半分こね」

「うん。あとでいいよ。それともなんかおごってくれるとか」

「払う。忘れちゃうもん」

 ここながお財布から小銭を出すあいだ、のっちゃんは備え付けの長机のうえに携帯を置き、めあての音楽を検索している。

「ストレッチからやろうよ」

 ここなは提案した。「あー、そだね」、と言いながらのっちゃんも、長机から離れ、ふたりがいつも高校の部活でやっている、ダンス前のストレッチ姿勢をとった。

「ねえ」

「ん?」

「なんで、ちゅう、しなかったの?」

 あ。やっぱ、気にしてたか。ここなはちょっとだけ、げんなりした。鏡を見ながらふたりは、頭上高く伸ばした両腕を、ゆっくり床までおろす。

「だって、彼女、いるよ」

「あっ? そうなの?」

 のっちゃんの動きは止まっている。ちょっと考えて、納得したように、「だよねー」、と、ここなを見た。時間制限もあることだし、ここなはなるたけ踊る時間をたくさんとりたかったから、両足を真横にひらき、腰を落としながら、ストレッチをやめない。

「やっぱ、大人は恐いわ」

 男ってみんな、気のあるそぶり見せて、女の子ひっかけんのかな。ここなにはそれさえもわからない。逆もあるだろって言われれば、そうとも思うし。

「まさか、彼女って、ミミ先輩?」

「あ、違うよ。ミミ先輩は同じ大学の彼氏いるし。連絡先、交換しようってYOSSUに言われてさ。まあ、いろいろ声かけられて、どうなんだろって思って、SNSから交友関係さぐってみたら、女の人でてきてさ。におわせの投稿が、いっぱいあったよ」

「そうなんだー」

 のっちゃんのストレッチが再開した。

「あたしもう、ミミ先輩に誘われても、YOSSUのいるイベントには、行かない」

「また部活、教えに来たらどうすんの?」

「休む!」

「えーっ」

 なんか、おかしくない? それって、と、のっちゃんは言った。

 本名を義住よしずみというらしいYOSSUは、ヒップホップの「自称」振付師コレオグラファーだ。自称といっても、ダンススタジオのインストラクターだし、ミュージシャンのコンサートのバックダンスの仕事もやるらしく、自身のダンス動画のフォロワーも、少なくない数いる。まあ、やっぱり、「本物の」コレオといってもいいのかな、という男だった。

「ミミ先輩がダンス部に呼んでくれた時、みんなきゃあきゃあ言ってたじゃん。かっこいい! とか。だって、かっこいいもん」

 まあ、そうなんだろうな、と、ここなは、のっちゃんとストレッチの動きを合わせた。


「ここなちゃんって、高校生なんだって?」

「あ、はい」

「すげ、メイクきまってるし、オーバーエイティーンかと思った」

 YOSSUのことばに、おねえさんたちの視線が集まる。

「なんでこのイベント、参加しようって思ってくれたの?」

「あ、それは、ミミ先輩の誘いで…」

 高校のダンス部の先輩であるミミは、その日、アルバイトのシフトとやらで、練習を欠席していた。

「ミミの後輩っていったら、C北高…」

「あ、はい…」

「あそこダンス、強いよね」

「え、でも、ヒップホップってわけじゃないですし…」

 ここなとのっちゃんの所属するダンス部は、「ダンス甲子園」の上位常連で、高校のなかではそこそこ、強豪に見られている。ただし、共学にもかかわらずなぜか、部員はほぼ女子だ。高校の部活動なので、ヒップホップやブレイク一辺倒というわけではなく、それらを取り入れたりちりばめたりしつつの独創的な、創作に近いダンスをする。

 だからこの先、高校を卒業したあと、ダンスを続けたいと思ったら、ヒップホップに寄っていくのが、自分にとっての王道だ、と、ここなには思えた。卒業したミミ先輩も同じことを考えていたらしく、大学でヒップホップを主とするダンスサークルに入り、時おりここなを、外部セッションに誘ってくれたりする。

 母親に無理いって、週一回だけヒップホップダンスの教室に通っているここなは、外部セッションのチケットノルマも、完全に母親に依存している。「いい加減にしなさいよ」、と言われながら、しめて三万円分くらいのチケット代を、母の同僚である看護師たちに買ってもらうのだ。

 二度ほど公演を見に来てくれたのっちゃんは、うらやましい気持ちがあるのか、「あたしも習いたいな」、と言いながらこうして時々、踊り方を教えてほしい、とここなに乞うのだった。


「うっし。それじゃ、時間だし、いっかい曲に合わせる?」

 ストレッチをしていた男女十六人ほどが、ごく自然に、YOSSUを前面中心として、鏡に向かって二、三列にばらける。その時のイベントのテーマは確か、「はばたく」だった。卒業や巣立ちを思って、YOSSUが振りをつけたものだ。テーマに合った日本の楽曲にあわせてみんなは、ダウン、アップ、十六ビートの動きを繰り返しては、筋肉をほぐす目的も兼ねつつ、一体感を高めていった。

 あ。ユニゾンって、楽しい。

 おねえさん、おにいさんの動きについていけたときの、アドレナリンが出る感じが、ここなは好きだ。まだまだへたっぴいだから、いつもどこかで緊張はしているけれど、みんなとぴたっと動きが合った時は、あたしってイケるんじゃない? などと思って、ひとりでに笑いが漏れてしまう。あんまりカン違いしすぎても、事故のもとだ。誰かに見られてはいないだろうか、と、ここなが鏡を見た時、YOSSUと目が合った。YOSSUが鏡越しに一瞬、自分をじっと見たので、ここなは驚いて目をそらした。

 コレオのYOSSUは、独裁的、という感じでもなく、こんな感じ、どう? と、みんなに気さくに声をかけている。ここなに対してもそのあと、よくできているね、という合図がわりに、ウインクを送ってきた。だから、どうリアクションしていいかわからなかったここなは、苦しまぎれに、にへっと笑ってみせたのだ。

 あれがいけなかったんだろうか。気があると思われたんだろうか。


「でもさあ、二股でも三股でも、かっこいい人と付き合うと、自分が向上するっていうじゃない?」

「えっ? そうなのっ?」

 ふたりは顔を見合わせた。

「なにが向上するの? ダンス?」

 先に見解を示したのっちゃんも、答えに窮している感があり、それ以上、意見を継げないようだった。考えた末にようやっと、

「ほらあ。いろいろ、おとなのこと、知れるじゃない」

と、あいまいなことを言った。

「えっ? それって、二股かけられてやることなの?」

「確かに…」

「誰に教わったの?」

「だ、だれって、ふうひょうひがい?」

「の、のっちゃん。ふうひょうひがいの使い方、違くね?」

「あ、あ。そうか。じゃ、えと…、かぜのうわさ?」

 かぜのうわさ―。ここなは、なんだかあたし、頭がぼんやりしてきた、と思った。二股かけられて、かぜのうわさを真に受けて、自分が向上した気になっても、それは、あたしの本意でない、かも。そう思っていたら、携帯がまた、ぴょりん、と鳴った。

「コラボ しね」

 ここなは慌てて、のっちゃんに画面を見せた。

「コラボ、死ね、って意味? コラボって、誰? だ、だめだ、あたし。わからない。国語力ないから」

 のっちゃんは青ざめたように言った。自覚はあるのか、と思いつつもここなは、

「のっちゃんの国語力じゃなくて、佐藤大地の国語力の問題?」

と、のっちゃんを落ち着かせるふうに、言った。せめて、クエスチョンマークつけてくれればさ、誰でもわかるのに、と、ここなは思う。だから仕方なく、通話に切り替えた。

「ねえ、コラボしね、って、意味わかんない」

「コラボレーションのことだよ!」

 佐藤大地の声は、そこまで大きくすることもなかろうに、と思うくらい、元気だった。都心だから、周りの雑音が大きすぎて、声がデカくなっているんだろうか。

「コラボの意味じゃ、ないんだよ! なにを言いたいのかっていうこと!」

 ここなの声も大きくなっていた。

「あー。そういうことかぁ」

 携帯のスピーカーから、間の抜けた佐藤大地の声が、スタジオに響き渡る。

「ここなの部活と、おれらの部活、コラボしね? ってこと」

 その声を聞いて、ここなとのっちゃんは、顔を見合わせながら、口をへの字にまげた。

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