午後の贅沢オムライス


 テレビはついているが、特に興味のないバラエティ番組が流れっぱなしになっている。カズはソファに転がりながら、適当にスマホをいじっていた。指先は画面をスクロールしているものの、内容はほとんど頭に入ってこない。

 ふと視線を外に向ける。午前中に外に干したシャツが風に揺れるのをぼんやりと眺めながら、カズはゆっくりと伸びをした。

 時計を見ると、もう昼を回っている。ぼんやりとした頭で時間の感覚を取り戻しながら、腹のあたりに意識を向けると、じわじわと空腹を感じた。


「……何にもしてないのに腹減った」


 思わず呟くと、キッチンの方からカチャカチャと軽快な音が聞こえてきた。カズが顔を上げると、すでにリョウが台所に立ち、包丁をリズミカルに動かしている。


「今準備中」


 振り返りもせずにリョウが応じる。その声にカズは驚いて、スマホを置き、上体を起こした。


「えっ、マジで? 何作んの?」

「オムライス」

「最高か?」


 思わず声が弾んだ。オムライスと聞いただけで、途端に食欲が倍増する。カズはソファにだらしなく寄りかかっていた体勢を正し、じっとキッチンを見つめた。

 ちょうどそのとき、バターの甘い香りが漂ってくる。ジュワッとバターが溶ける音とともに、キッチンから立ち上る湯気がほんのりとリビングへと流れていく。


「めーっちゃいい匂いする……」

「バター多めに入れてるからな」

「お、バターライス?」

「いやチキンライス」


 カズはリョウの背中を見ながら、一瞬懐かしさがこみ上げてきた。チキンライス、と聞くと、子供の頃の記憶がぼんやりと浮かんでくる。


「あーいいな。チキンライスって子供の頃すげぇ好きだった」

「今は?」

「すげぇ好きかな」


 カズは即答しながら、口元に笑みを浮かべる。何年経っても、やっぱり好きなものは変わらない。

 だろうな、とリョウは小さく笑いながら、フライパンを軽く振る。ジュワッという音が弾け、トマトソースとバターの香りがさらに濃くなる。どんどん強くなる香りと音が、なんだかとても楽しく感じられた。甘く炒められた玉ねぎと鶏肉が焼ける香ばしい匂いに食欲が一層刺激される。


 少しするとケチャップが投入される音がして、途端に部屋いっぱいに懐かしい香りが立ち込めた。炒める音がリズミカルに響き、ケチャップの赤が全体になじんでいくのが目に浮かぶようだった。


「見えてないけど美味そうだなー」

「焦がさないように炒めるのがポイントだ」

「頼むそれパン焼く時も覚えといてくれ」


 カズはソファに座り直し、腕を組んで待つ。手伝う気はないらしい。フライパンに溶き卵が流し込まれる音がして、しばらくすると、さっきの酸味のある香りとはまた違う濃厚な香りが広がる。


「今日は半熟な」

「いいね、俺トロトロなのすき」


 カズは期待に胸を膨らませながら、じっとキッチンを見つめた。リョウはスマホを見ながらなにやら悩んでいるらしい。おそらくいつもと違うレシピと戦っているのだろう、眉間にシワを寄せてうんうん唸っている。


「お待ち」


 数分後、リョウが大きめの皿を持ってやってくる。その上には、ふわふわの黄色い卵がとろりと広がるオムライス。卵の表面はつややかで、わずかに揺れるほど柔らかい。端の方からはケチャップをまとったご飯がほんの少し顔を覗かせ、上にはまた鮮やかな赤いケチャップが絶妙なラインを描き、ふんわりと優しい湯気が立ち上っていた。


「おぉ!うまそ!」

「ケチャップでなんか描いた方が良かったか?」

「おぉ、いらん」


 カズはいそいそとスプーンを差し込み、そっとすくい上げる。

 スプーンの先で卵を割ると、中からとろとろの半熟の層がふわっと開く。湯気が立ち上り、バターとほんのり炒めたケチャップライスの香りが広がった。スプーンの上には、黄色い卵に包まれた赤いライスが美しく収まっている。

 カズはそれを眺めながらそのまま口に運ぶ。


「うっま! なにこれ!」

「良かった」

「過去一かも」


 生クリームをたっぷり含んだ卵は驚くほどなめらかで、ほんのりと甘みすら感じる。その下に隠れた米はひと粒ひと粒が程よくほぐれ、バターの香りをまといながらも、ケチャップの甘酸っぱさと絶妙に絡み合っている。じんわりと染み込んだ鶏肉の旨みが口の中で広がり、しっかり炒めた玉ねぎの優しい甘みが後から追いかけてきた。

 カズは夢中になってスプーンを動かし、リョウも黙々と食べ進める。卵のとろみとケチャップご飯のほぐれ具合がちょうどよく、スプーンですくうたびに形を変えながら口の中へと消えていく。


 窓の外では昼下がりの陽射しが柔らかく部屋を照らし、キッチンのカウンターに光が反射していた。静かな午後に響くのは、スプーンが皿に触れる音と、カズの満足げなため息。リョウは一度お茶を飲んで、すこし眠そうな顔をして話し出す。


「最近YouTube見てたら、フワトロ系オムライスの動画いっぱい流れてきて」

「あぁ、だからオムライスにしたのか」

「そう。それでその動画でめっちゃくちゃ生クリームと油使ってるのに気付いてさ」

「……うん?」

「これがフワトロのコツか! と思って、やってみた」


 リョウはフォークを皿に置き、満足げに腕を組む。

 一方のカズは、スプーンを持ったままピタリと手を止めた。


「……もしかして冷蔵庫の卵全部使った?」

「生クリームも全部使った」


 リョウがさらっと言うと、カズの表情が一瞬固まる。部屋の空気が少しだけ静まり、キッチンに残る甘い香りが妙に際立った。


「え、お、お前これ、もしかしてだいぶ金かかってる……?」


 カズが恐る恐る聞くと、リョウはスプーンで残りのオムライスを指しながら平然と言う。


「本当はナイフで切ってトローって広がるやつやりたかったんだけど、お前の分しか上手くいかなかったな」


 カズは半分呆れたようにリョウを見つめ、それから皿に目を落とす。まだ少し残ったオムライスが、こちらを見つめている。


「…………いや、うん……まぁいいか。美味いし」


 窓の外では、少しだけ風が吹いたのか、カーテンがふわりと揺れた。キッチンにはまだ、温かい昼の気配が静かに満ちていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る