ふたり、味見日和
アオキユーキ
鳥の声、朝の風、パンの焦げ
鳥の声で目が覚めた。
カーテンの隙間から差し込む朝日が、部屋の床を柔らかく照らしている。窓を少し開けていたせいか、ひんやりとした空気が漂っていた。ベッドの上で寝返りを打つと、キッチンの方からコーヒーメーカーの滴る音が聞こえてくる。
カズはゆっくりと起き上がり、寝癖のついた頭をかきながらリビングに向かった。
「おはよ」
リョウがキッチンに立ち、オーブントースターの前で腕を組んでいる。
「なにしてんの?」
「見守ってる」
「パンを?」
「そう。成功するように」
カズはソファに座り、深く伸びをした。部屋にはコーヒーとパンの焼ける香ばしい香りが満ちている。窓の外ではスズメが電線に止まり、小さな声でさえずっていた。春の朝らしく、空は明るく澄んでいる。
「今日は珍しく早起きだな」
「鳥の声がすんごくて」
「風流な目覚ましじゃないか」
「あとお前のガチャガチャやる音」
「気のせい気のせい」
カズはテーブルの上のマグカップを手に取る。湯気がふわりと立ち上り、心地よい香りが鼻をくすぐった。同時にトースターのタイマーがカチリと鳴る。
「よし……」
リョウが慎重にトースターの扉を開ける。
――もわっ。
煙とともに、香ばしさを通り越した焦げた匂いが広がった。
「……焦げてんねぇ」
カズがぼんやりと言った。
「気のせい気のせい」
リョウはパンをトングでつまみ上げる。片面どころか、全面が黒い。前回は半生だったから、今回は時間長めにしたんだろう。それも、かなり。
「おわ、コゲコゲの新記録じゃね」
「ちょっといつもよりカリカリしてるだけだ」
「ポジティブすぎる」
リョウはナイフでパンをこすった。焦げた部分がパラパラと落ちるが、大半は炭のままだ。可食部を探しているリョウを見て、カズは苦笑してコーヒーをすすった。
「お前パン焼くの趣味のくせにだいたい失敗するのはなんでなの」
「趣味じゃない、本職だ」
「今すぐ廃業しろ」
コーヒーの湯気が、ゆるく揺れる。窓の外では、まだ鳥が鳴いている。近くに巣があるのかもしれない。カーテンが風に揺れ、春の匂いがふわりと入り込んだ。その風につられてリョウが窓の外を見る。そして思いついたように言う。
「よし、パン買いに行こう」
「今から?」
「こいつは埋葬するから」
二人は焦げたパンを見つめる。黒くなりすぎて、もはやパンだったもの、になりかけている。多少焦げたくらいなら、そのまま食べるか、フレンチトーストにでもすることが多い。しかしこれはなかなか難しそうだった。
「じゃあ俺たまごサンドよろしく」
「お前も行くんだよ」
トングをカチカチさせながらリョウが言う。渋るならこのトングで挟むぞと言わんばかりに。カズは多少だるそうにするものの、なんとなくパンの気分になっていたのか、悩む時間は少なかった。
「んじゃ、行くか」
二人は適当にジャケットを羽織る。スマホだけ持って玄関のドアを開けると、朝の冷たい空気がすっと肌を撫でた。
「コンビニでいいか。スーパー遠いし」
「ついでにコーヒーも買うか」
まだ静かな街を並んで歩きながら、二人は春の朝の匂いを吸い込んだ。朝の空気がゆるやかに流れていた。陽射しは柔らかく、冷たい風が吹くたびに春の匂いがする。アスファルトにはまだ夜の冷たさが残っていたが、それでもどこか軽やかだった。
「こんな朝からパン買いに行くことになるとはな」
リョウがあくびをしながら言う。カズはポケットに手を突っ込みながら、ぼんやりと前を歩く。
「お前が焦がすからだろ」
「いい感じの炭になってたな」
「食い物を炭って言うな」
「炭も極めれば美味いらしい」
「パンを極めろ」
コンビニはマンションから数分のところにある。歩きながら、二人は静かな住宅街を抜けていく。朝早いせいか、まだ車の音も少ない。どこかの家の庭先で、野良猫が丸くなっていた。
「ま、こういう朝もいいな」
カズがふと呟く。
「早起き?」
「そ。普段は寝てる時間に外歩いてると、ちょっとだけ違う世界に来たみたいな気がするんだよな」
「まあ確かに。空気も違うし」
「鳥の声もよく聞こえるし」
「パンも焦げるし」
「それは早起き関係ない」
ふたりは小さく笑って、いつもよりゆっくり歩く。しばらくして、コンビニが見えてきた。
「とりあえず食パン買って、あと何かいる?」
「んー、せっかくだから何か甘いの買おう」
「菓子パン?」
「や、もっとジャンクなやつ。シュークリームとか」
「え、朝から?」
「朝だからこそ」
カズは苦笑しながら店内へ入った。コーヒーの香りと、出来たてのホットスナックの匂いが漂っている。少しだけ賑やかな音楽が流れ、レジでは店員が淡々と作業していた。
パンコーナーで新しい食パンを手に取り、隣の棚からたまごサンドも取る。そのままスイーツコーナーを覗くと、リョウがシュークリームとエクレアを手にしていた。
「なにお前、二つも食うの?」
「いや、一個はお前の分」
「……まあ、いいけど」
「朝から甘いの食べると、一日がちょっといい感じになるんだよ」
適当な理屈だと思ったが、なんとなく嫌じゃなかった。レジで会計を済ませ、コンビニを出る。外の空気は、来た時より少しだけ暖かくなっていた。
「帰ったらちゃんと朝飯食うか」
「明日はちゃんと焼く」
「次も焦がしたらもうホームベーカリー買え」
「いや、それは俺のプライドが許さない」
「捨ててくれそのプライド」
二人は並んで歩きながら、また少し笑った。
空はどこまでも晴れていて、春の風が軽やかに吹き抜けていった。
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